第4話:星の重さは、二日酔いの頭にはいささか響く
黒塗りのリムジンが、規制線の張られたダンジョン入り口に横付けされる。 待ち構えていた報道陣のフラッシュが、一斉に焚かれた。
「おい、誰が降りてくるんだ?」 「SSランクの海外エージェントか?」 「いや、軍の特殊部隊長だろ……」
固唾を飲んで見守る群衆。 恭しく開けられたドアから降りてきたのは――
「……眩しいな。頭に響く」
よれたTシャツにジャージ、足元はサンダルという、コンビニに行く途中のようなおっさんだった。
「「「はぁ!?」」」
現場の空気が凍りつく。 だが、ダンジョン協会の幹部たちは直立不動で敬礼し、そのおっさん――俺を迎え入れた。 「お待ちしておりました、坂本様! 現場はこちらです!」 「様はやめろ、様は。居心地が悪い」
俺はスーツの男(課長だか部長だか知らんが)に先導され、問題の現場へと歩く。 その背中に、周囲の嘲笑が突き刺さる。
「なんだあの浮浪者?」 「あんなのが解決できんのかよ」 「おい見ろよ、あの『ブレイブ・スターズ』のリーダーが荷物持ちしてるぞ」
俺の後ろでは、例の金髪リーダーが、俺の道具袋(中身はタオルと水筒だけだが)を持って、小さくなって歩いていた。 完全に心が折れているらしい。 まあ、若いうちの挫折は肥料になる。精々噛み締めるといい。
◇
地下1階、ボス部屋前。 そこには、巨大な「穴」が開いていた。
「……こいつは酷いな」
直径10メートルほどの穴は、底が見えないほど深く続いている。 耳を澄ませば、遥か地底から『ゴゴゴゴ……』という地鳴りが聞こえてきた。
「現在、地下15階層を突破。マグマ溜まりまであと数キロです」 「落ちるねぇ。寂しがり屋なんだよ、こいつは」
俺は穴の縁に立った。 底から吹き上げる風には、濃密な魔素と熱気が混じっている。 普通の人間なら、この濃度だけで意識を失うレベルだ。
「さ、坂本様、降下用のゴンドラを用意しますか? それともワイヤーを……」 「面倒だ」
俺はサンダルを脱ぎ、裸足になった。 足の裏で、大地の震えを感じ取る。
「行って帰ってくるだけだ。エレベーターを待つほどじゃない」
言うが早いか、俺は穴へ向かって一歩を踏み出した。
「えっ」 「ちょ、まっ……!?」
制止する声を置き去りにして、俺の体は奈落へと吸い込まれていった。
ヒュオオオオオオオオッ!!
風を切る音。重力に身を任せる浮遊感。 暗闇の中を、砲弾のように落下していく。 一般人ならパニックになる状況だが、俺にとっては懐かしい感覚だった。 昔はよく、ドラゴンの背中から飛び降りて出勤(討伐)したものだ。
数秒後。 暗闇の底に、淡く光る「それ」が見えた。
俺は空中で体勢を整える。 魔力を足裏に集中させ、着地の衝撃を殺す――なんて小細工はしない。 ただ、強靭な足腰で踏ん張るだけだ。
ズドォォォォンッ!!
着地と同時に、周囲の岩盤が爆ぜた。 土煙が舞う中、俺はゆっくりと立ち上がる。
目の前には、半分以上地面に埋まった、ボロ布の包み。 聖剣『グラム・オルタ』。
「よう。一晩放置して悪かったな」
俺が声をかけると、包みが『ヴゥン……』と低く唸った気がした。 拗ねているらしい。
「帰るぞ。今日は焼き鳥の残りで一杯やるんだ」
俺は無造作に手を伸ばし、剣の柄(布の上からだが)を掴んだ。 グッ。 全身の筋肉が軋む。 血管が浮き上がり、細胞の一つ一つが活性化する。 現役時代より、少しだけ重いか。 平和ボケした体には丁度いいリハビリだ。
「……ふんっ!」
気合一閃。 俺は、大陸を砕くほどの質量を持つそれを、片手で引っこ抜いた。
ズズズズズ……スポォンッ!!
途端に、世界から音が消えた。 地鳴りが止み、揺れが収まる。 静寂。 ただ、俺が担ぎ直した剣の重みだけが、そこに存在していた。
「よし」
さて、どうやって戻るか。 壁を蹴って登るか? いや、それだとまた崩落しかねない。
「おーい! 坂本さーん!」
遥か頭上から、間の抜けた声が聞こえた。 見上げれば、協会が降ろしてきたクレーンのフックが降りてくる。 「……気が利くじゃないか」
◇
ウィンチで吊り上げられ、地上に戻った俺を待っていたのは、奇妙な静けさだった。 全員が、口をポカンと開けて俺を見ている。 手には、さっきまで地殻変動を起こしていた「元凶」が、スーパーの買い物袋のようにぶら下がっているのだから無理もない。
「あ、ありえない……」 「あれを、片手で……?」
誰かのつぶやきを無視して、俺はリーダーの若造に近づいた。 彼は腰を抜かしたまま、震える手で俺の水筒を差し出してきた。
「ど、どうも……お疲れ様です……」 「おう」
俺は水筒を受け取り、常温の麦茶を喉に流し込む。 そして、尻ポケットからクシャクシャになった紙切れを取り出した。
「これ、今回の請求書な」 「へ?」 「深夜・早朝割増、危険手当、あと交通費。振込先は裏に書いてある」
チラシの裏に書いた手書きの請求書を、彼の胸ポケットにねじ込む。 金額は、彼らが俺に払わなかった報酬のちょうど10倍。 ぼったくり? いやいや、世界を救った手間賃にしては格安だろう。
「じゃ、俺は帰る。……あー、腰いてぇ」
俺はサンダルを履き直し、背中の「荷物」を担ぎ直した。 誰も、俺を止める者はいなかった。 ただ、その背中が人混みに消えるまで、全員が敬礼の姿勢を崩すことはなかった。
こうして、俺の短いバイト生活は幕を閉じた。 ……はずだったのだが。
「あ、あの! 坂本さん! 待ってください!」
背後から、また別の誰かが追いかけてくる気配がする。 「やれやれ。今度は何だ?」
どうやら、俺の平穏な引退ライフは、もう少し先のお預けになるらしい。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あとがき
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