第14話 「所持金ゼロからの脱出、ただし労働意欲もゼロ」
「金がねぇ」
昼下がりの城塞都市バルドール。
中央広場のベンチで、俺は虚空を見つめながら呟いた。
隣には、幸せそうな顔で串焼き(三本目)を頬張るシルヴィと、優雅に文庫本(聖典ではなく『金持ち父さんになる方法』)を読んでいるミレーヌがいる。
「おい、そこのポンコツエルフ。その串焼きはどうした?」
「え? さっきゴウさんが『これでも食って静かにしてろ』って買ってくれたんじゃないですかぁ」
「そうだ。それが最後の銀貨だったんだよ! つまり、俺たちは今、正真正銘の無一文(オケラ)だ!」
俺は頭を抱えた。
昨日のダンジョン攻略で得た銀貨五枚。
それは宿代と、この大食らいの朝食とおやつで、霧のように消え失せた。
「仕方ありませんわね。ダンジョンはハイリスク・ハイリターン。経費がかさむのは構造上の欠陥です」
「誰のせいで経費がかさんでると思ってんだ! ……もういい。俺は決めたぞ」
俺はベンチから立ち上がり、拳を突き上げた。
「ダンジョンなんて危険な場所には行かない! 俺たちは今日から、安全で、楽で、確実に稼げる『シティ・ライフ』を満喫するんだ!」
「おおー! つまり、働かずに遊ぶってことですか?」
「違う。街の中でアルバイトをするんだよ」
冒険者だって、クエストがない時は日雇い労働をする。
皿洗い、荷運び、ドブさらい。
地味だが、命の危険はない。経費もかからない。つまり利益率は100%だ!
「手分けして稼ぐぞ。夕方ここに集合だ。ノルマは一人銀貨三枚!」
「えぇー、私お昼寝したいですぅ」
「働かざる者食うべからずだ! 行くぞ!」
***
俺とシルヴィは、商業区にある大衆食堂『満腹亭』に来ていた。
人手が足りないらしく、「臨時ホールスタッフ募集・賄い付き」の張り紙があったのだ。
「賄い付き」。この魔法の言葉がシルヴィを動かした。
「いらっしゃいませー! ご注文はお決まりですかぁ?」
エプロン姿のシルヴィが、愛想よく客に接客している。
見た目は美少女エルフだ。看板娘としての適性は抜群にある。
客のおっさん達もデレデレしている。
よしよし、これならチップも弾むだろう。俺は厨房で皿洗いをしながらほくそ笑んだ。
「お待たせしましたぁ! 特製ハンバーグランチです!」
シルヴィが湯気の立つ料理を運んでいく。
しかし。
客のテーブルに置く直前、彼女の鼻がヒクヒクと動いた。
「……いい匂い……」
「お、おい姉ちゃん? 早く置いてくれよ」
「あ、はい……でも、この肉汁……毒見が必要かも……」
「毒なんて入ってねぇよ!」
パクッ。
「あ」
「あ」
シルヴィの口の中に、ハンバーグが吸い込まれていった。
客と俺の時間が止まる。
「う、うんまぁぁぁぁい!! デミグラスソースが絶品ですぅ!」
「ふざけんなテメェ! 俺の飯だぞ!」
「ひいっ! ご、ごめんなさい! 体が勝手に!」
客が激怒して立ち上がる。
まずい。このままじゃクビどころか賠償問題だ。
俺は濡れた手で厨房から飛び出した。
「お、お客様! 落ち着いてください! これは当店のサプライズ演出です!」
「あぁん? 何が演出だ!」
「失われたハンバーグは……天から降ってくるのです!」
俺は右手を掲げた。
ターゲットは客の皿の上。
――【金ダライ召喚】!
カァァァァァァン!!
客の目の前の空の皿に、金属製のタライが落下した。
中には……何もない。ただのタライだ。
「……喧嘩売ってんのか?」
「い、いやぁ! 失敗! 手品失敗です!」
結局、俺たちは店主につまみ出され、皿を一枚割った分(シルヴィが驚いて落とした)の弁償をさせられて解雇された。
収支、マイナス銀貨一枚。
***
「うぅ……怒られちゃいましたね……」
「お前のせいだ! なんで食うんだよ!」
「だってぇ、モノクルつけてないのにハンバーグが私を誘惑してくるんですもん……」
トボトボと歩く俺たちの耳に、カンカンカン! という工事の音が聞こえてきた。
建設中の家の前で、親方が怒鳴っている。
「おい! 杭打ちの人手が足りねぇぞ! 今日中に基礎を固めねぇと雨が降るぞ!」
俺は閃いた。
これだ。肉体労働なら、つまみ食いのリスクはない。
「親方! 俺たちを使ってみませんか! 俺、杭打ちには自信があるんです!」
「あぁ? なんだそのヒョロガリは。それにエルフの嬢ちゃんに務まる仕事じゃねぇぞ」
「見ててください。……シルヴィ、そこの杭を支えてろ」
「えっ、指叩かないでくださいよ?」
俺は杭の前に立つ。
ハンマーなんて重いものは振れない。俺の筋力は3だ。
だが、俺には「位置エネルギー」という味方がいる。
杭の頭頂部をロックオン。
――【金ダライ召喚】!
カァァァァァァン!!
三メートルの高さから落下したタライが、杭の頭を正確に打ち抜いた。
ズボッ! と杭が数センチ沈む。
「おおっ!? なんだ今の音は! ていうかタライ!?」
「どうです親方。俺のスキルなら、百発百中で杭を打てます。疲れ知らずです」
「お、おもしれぇ! 採用だ! どんどんやってくれ!」
そこからは俺の独壇場だった。
タライを落とす。拾う。消す(召喚し直す)。
カァァァン! カァァァン! カァァァン!
小気味よいリズムで杭が打ち込まれていく。
シルヴィは横でタライを拾って俺に渡す係だ。これなら食い物の誘惑もない。
「へへっ、楽勝だぜ! これなら日当銀貨五枚はいける!」
「ゴウさん凄いです! タライ職人です!」
しかし。
三十分ほど作業を続けた頃だった。
近隣の住民たちが、血相を変えて集まってきた。
「うるさーーーーーい!!」
「何時だと思ってるんだ! 昼寝ができねぇだろ!」
「カンカンカンカン頭に響くんだよ! もっと静かにやれ!」
苦情の嵐。
タライの金属音は、工事現場の騒音基準を遥かに超える高周波ノイズだったのだ。
「す、すまねぇ! こりゃ近所迷惑だわ。兄ちゃん、悪いが帰ってくれ」
「そ、そんなぁ! 働いた分は!?」
「苦情対応の菓子折り代で相殺だ! むしろ足りねぇくらいだぞ!」
ここでも解雇。
収支、ゼロ。
***
夕方。
集合場所のベンチには、疲れ果てた俺と、腹を空かせたシルヴィ。
そして、なぜかホクホク顔のミレーヌがいた。
「お疲れ様です。皆様、顔色が土色ですわよ?」
「……ミレーヌ、お前は何をしてたんだ」
「私ですか? 広場の隅で『お悩み相談室・聖女の懺悔室』を開いていましたの」
「懺悔室?」
「ええ。迷える市民の愚痴を聞き、『大丈夫、神は見ていますよ』と適当な……いえ、ありがたい言葉をかけ、聖水(という名の水道水)を売る簡単なお仕事です」
ミレーヌがジャラリと金袋を鳴らした。
中には銀貨が十枚以上入っている。
「ボロ儲けじゃねぇか! 原価ゼロで!」
「原価? 私の笑顔(スマイル)というプライスレスな資源を使っていますわ。……で、貴方達の成果は?」
「……マイナス銀貨一枚だ」
「あらあら。無能ですわねぇ」
ミレーヌは呆れたように首を振ると、銀貨を三枚取り出し、俺に投げ渡した。
「恵んでやるんですか!? ありがてぇ!」
「いいえ、『貸付』です。晩御飯代でしょう? 明日までに返済してくださいね。利子は……」
「わーってるよ! トイチだろ!」
俺たちはその銀貨で安いパンを買い、分け合った。
結局、街で働こうが、ダンジョンに行こうが、俺たちの生活水準は変わらない。
なぜなら、俺たちが「社会不適合者」の集まりだからだ。
「……明日は何をする?」
「ゴウさん、私、お肉が食べたいです」
「黙れ。……明日は『ゴミ拾い』だ。街のゴミを集めて換金する。これなら誰にも迷惑かけねぇだろ」
俺の瞳から、冒険者としての覇気は完全に消え失せていた。
目指すは世界平和でも、魔王討伐でもない。
明日のパン代。
それだけが、今の俺たちを動かす原動力だった。
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