第2話

いつもと何も変わらない金曜日だった。

sugar には、いつもの仲間たちが集まっている。

流れているのはR&B。唯がいちばん好きな曲だ。


お酒を片手に音に酔いしれていた唯は、ふと顔を上げた。

ブースにはひとりのDJが立っている。

遅い時間に現れて、たまに回している。

選曲が好きで、顔だけは知っていた。

ハットを被り、長めの髪を後ろへ流した、どこか洗練された雰囲気の男性。


「だいすけー!そういえば最近見かけるけど、あの人だぁれ?」

隣で澄香が大輔に大きな声で聞いた。

唯も自然と耳を傾ける。


「あぁ、最近この街に来た……晃哉さんっていったかな?」

「唯が好きそうな選曲するDJだね!」

「……うん、好きかも。」


レコードを替えるタイミング、曲のつなぎ方。

晃哉のプレイのすべてが唯の耳には心地よい。

夢中で音に身を委ねていると、ふと晃哉と視線がぶつかった。

ブースの向こうで、彼はグラスを少し持ち上げ、サングラス越しの優しい目で微笑む。

唯もグラスを傾けて応えた。


***


帰宅したのは深夜だった。

両親に気づかれないよう部屋へ入り、鍵をかける。コンポのスイッチを入れて白いソファに腰掛けたところで、携帯が鳴った。


「もしもーし?澄香、どしたの?」

別れたばかりの澄香が、興奮気味にまくしたてる。


「唯!お願い!!明日ね、港のお祭りで大輔が軽くイベントするんだって!外でDJもするみたいなの!唯も一緒に来てよ、ね?お願い!」

「んー……お祭りかぁ、人混み苦手だわ。」

唯が笑うと、澄香は必死だ。


「えー!お願い!一生のお願い!明日来なよって誘われちゃって……」

「澄香、大輔に会いたいんでしょ?いいよ、行こっか。」

「ち、ちがっ……でも確かに誘われちゃったんだよ♡ うん、会いたいかもぉ!」

澄香の素直さが可愛くて、唯は思わず微笑む。

「そういえばあの人、晃哉さん?明日休みらしくて来るんだって。」

一瞬、晃哉の顔が浮かんだ。

「……そうなんだ。」


「じゃあ明日ね」と約束して電話を切った。


***


翌日。空がオレンジ色に染まる頃、澄香が迎えに来た。

車内では大輔が作ったカセットテープが流れている。

嬉しそうに聴く澄香を見ていると、唯まで嬉しくなる。


「唯、晃哉さん回すの楽しみだね!唯と晃哉さんってなんか似てない?」

「え?!やめてよ。選曲は好きだけどさ。」


祭り会場に着くと大輔が手を振っていた。

「澄香ー!唯ー!」

乾杯の缶ビールを渡され、カチンと挨拶。

澄香と大輔はすぐ仲良く話し始め、唯は邪魔しないよう少し離れた椅子に座った。


缶ビールを飲んでいたそのとき、横に誰かが腰を下ろす。

驚いて振り向くと、晃哉が缶ビールを差し出していた。


「こんばんは。sugarにいたよね?今日来てたんだね?」

それが、唯と晃哉の初めての会話だった。

「あ、うん。友達が誘われたみたいで、一緒に来てって。」

大輔と澄香を見る唯。晃哉も視線を追う。

「そうなんだ。名前は?」

「唯。」

「俺は晃哉。よろしく。」

乾杯したとき、唯の缶があまり減っていないことに気づいた晃哉が言う。

「ビール苦手でしょ?」

「わかっちゃった?ちょっと量は飲めないかも。」

「お茶買ってくるから、待ってな。」

晃哉のさり気ない優しさに、大人の余裕を感じた。戻ってきた晃哉は、澄香と大輔にも声をかけながら唯の元へ。

「こら、未成年。こっち飲んどきな。」

そう言って冷たいお茶を差し出してくれる。

「ありがとう。」

黒いタンクトップからのぞく細い腕に思わず口が出る。

「ってか、細っ。白いし。雪国育ちの俺より白い。ちゃんと食べなよ?」

「はぁい、お父さん。」

おどけて言うと、晃哉は笑う。

「せめてお兄さんにしといてよ。」


そのまま自然と互いの話になった。地元のこと、唯より8歳年上なこと、仕事の転勤でこの街に来たこと、好きな曲の話……。

初めての会話なのに、不思議なくらい心が落ち着いた。


「あ、呼ばれてる。回してくるね。」

「うん。ねぇねぇ、R&Bが聴きたいな。」

「もちろん。レコード持ってきてる。そこで聴いてて。」

晃哉の背中を見送ると、すぐに澄香が飛んできた。

「ちょっと唯!なになに?!いい感じ?!」

「違うよ。酔っ払いの未成年を心配した優しいお父さんだよ。」

「なにそれ!」

大輔がショットグラスを持って登場した。

「まじ?」と澄香と顔を見合わせ、苦笑しながらショットを流し込む。

ふわふわした意識の中、晃哉もショットを掲げていた。


「あ、ジャネットだ……」

気づけば酔った勢いで晃哉の前に立っていた。

「これ好きでしょ?」

笑って頷くと、そのままふらりと椅子に座り込む。心配そうな視線を感じながら、ただ音に身を任せた。


***


「唯!」

急に抱き上げられた。

「飲みすぎ。ほら、水。急に歩って行くから心配したよ。」

「あー……お父さんだぁ。」

「はいはい。唯は猫みたいだな。すぐいなくなる。水、飲みな。」

「ありがとう。じゃあねぇ、ばいばーい。」

「バイバイじゃない。危ないから送ってく。」

「じゃあ、お手てつなごー!」

無邪気な唯に晃哉は苦笑し、そっと手を握る。

「ほら、こっち。歩ける?」


「あー!」

「なした?」

「澄香に連絡しなきゃ。何も言わずに帰ってきちゃった。」

「わかった。大輔に連絡しとく。」


どう帰ったのか覚えていない。ただ、晃哉はちゃんと家の前まで送ってくれた。

「じゃあね」と繋いでいた手が離れる。


部屋に入るとすぐ電話が鳴った。

「唯、ちゃんと寝なよ?」

「だれー?」

「俺、晃哉。」

「あ、こうちゃんか。今日はありがとう。気をつけてね。おやすみ〜。」

「おやすみ。」


***


ねぇ、こうちゃん。

あの日の些細な偶然は、きっと運命だったんだね。

あなたがあの日そこに来ていなかったら、こんな思いをせずに済んだのかな。

それとも、いつかこうなっていたのかな。


ねぇ、こうちゃん。

こうちゃんは私と出逢ったこと後悔してる?

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