まさか、運命は結ばれていないのか!?
@iamhokutou
第1話—兆し
「アスク兄ちゃ~ん」
ぱっと、細くて柔らかい手が目ぇふさいできて、耳んとこには、どこか腹黒さのある、聞き慣れた声がした。
「ナミ…何度言ったやろ。こない急に目ぇふさいだらあかんて。それに、毎回毎回、後ろからそっと近寄うてきよって…」
袖なしの荒い麻の着物を着たアスクは、本当なら夕暮れ間近の陽を浴びながら、浜辺の大岩に寝そべって、赤う染まる空をぼんやり眺めとった。
ところが、いつの間にか後ろへしゃがみ込んどった、十四、五の娘に目ぇ塞がれたもんやから、その一瞬、鍛えた体のアスクでさえ、急に真っ暗になってびくりと震えてまう。
ほんで、何べんやられても、やっぱりこうなるんや。
「はいはい~、分かっとるって。なんせアスク兄ちゃんな、島で一番暗いんが苦手な男やさかい~」
ナミは手を離しながら、ひょいっと身を動かしてアスクの横にしゃがみ込み、いたずらっぽい声で言うた。
「毎度毎度それ言うけどな……で、今度(こんど)は何の用や?まさか、またあの小っこらの面倒みてくれ言うんやないやろな……元々拾うたんはお前やろ?」
あぐらをかき直したアスクは、そこまで言うてから困ったように顔をゆがめ、少し日焼けしたナミの方を向いてたずねた。
「ちゃうわ!あの子ら、村に落ち着いてもう半年ちょい経つし、ぼちぼち自分らで何とかできるようにさしたろ思うとるんよ。今日はな、これ持って来たんや~」
そう言って、ナミは藤の花の刺繍が入った小袖の腰に下げた布袋から、小さな物を取り出してアスクの前へ差し出した。
彼女の手のひらには、細い麻の紐に通された、七つの色の違う小石の玉が並んでいた。どれも小指の先ほどの大きさで、丸っこいとは言えない表には手で磨いた跡がはっきり残っている。夕陽の名残が差し込むと、七つの色がきらりと輝いて見えた。
アスクは、そのまるで別世界のような光にしばし見入ってしまった。
「これ……南の村の浜でしか採れへん海彩石ちゃうんか?」
「そらそうよ。他にどこの石がこんな光するん? …って、兄ちゃん、気にするんそこなん?」
ようやく我に返ったアスクが最初に口にしたのが石の産地だったもんで、ナミの期待に満ちた顔は、すっと少し陰った。
それに気づいたアスクは、慌てて両手を差し出し、その手輪を受け取った。
「…ほんまに、これ俺にくれんのか? 海彩石をこんなちっちゃい粒に削って、ひとつひとつ穴まで開けて…一日二日やのうて、十日どころか、それ以上かかったやろ……」
アスクは、心配と嬉しさと、そこへ戸惑いまで入り混じった顔をしながら、手を目の前に持ち上げてじっと眺めつつ、ナミに声をかけた。
その反応を見たナミは、さっきまでのしょんぼりした気持ちがどこへやら、ぱっと満足そうに笑い出した。軽やかな仕草で立ち上がり、数歩前へ出て大岩の斜面の端に立ち、手を後ろに組んだまま、遠くの夕陽の名残を見つめた。
「小さい頃にな、村のじいさまとばあさまが時々、海彩石の話をしてくれとったんよ。
その中で一番覚えとるんは、『海彩石を丸う磨いて身につけとったら、陸を歩こうが海に出ようが、無事に過ごせる。
もし女の子がそれを磨いて、好きな男の子に渡したら、その先どんな天災やら人の難があっても、その男の子は無事に切り抜けられる』いう話でな。」
そう語るナミの、背中で組んだ両手は気持ちの揺れに合わせて小さく左右に揺れ、夕陽の赤い名残が、うっすら上気した頬をうまく隠してくれていた。
けれど、アスクはその様子にまるで気づいていなかった。
彼の注意は、まだ手の中の手輪に釘づけのままだった。
「なるほどな……。せやけど、海彩石って、岩礁の群れが大波で沈む底にしか出ぇへんやろ?ナミ、おまえ、まさかあんな荒れた海ん中に潜ったんとちゃうやろ?! いくらなんでも——」
「もうっ!アスク兄ちゃんの大バカ!もう知らん!」
アスクの言葉が終わる前に、ナミはぷいっと振り向き、怒った声をぶつけた。そのまま大岩の斜面をひょいと飛び降り、砂浜へ着地すると、振り返りもせず村の方へ歩いていった。
ナミの怒った様子に面食らったアスクは、呼び止めようとしたが、気づけばもう遠くへ行ってしまっていた。
——なんやねん、この娘…急に腹立ておって…。心配して言うたのに…
ドン!パチパチ——ドン!
突然、少し離れた海の上から、乱れた大きな音が響いた。アスクがそちらへ顔を向けた瞬間、表情がきゅっと引き締まる。
——安宅船[ 戦国の世に、海賊や水軍が操った大型の武装船]…。村下の連中、また動き出しよったか…
海面には、七つも八つも茅屋を重ねたほどの高さで、村の通り半ばほどもある巨大な木造の船が、西へ向けてゆっくり進んでいた。甲板の帆柱には、海風にはためく「村下水軍」と染め抜いた旗が高く掲げられている。船の両側には十を超える砲の孔が並び、その孔からは、屈強な男の腰より太い黒鉄の砲が半ば突き出ていた。
さっきの爆ぜるような音は、甲板の上に集まった雑多な鎧をまとった連中のものだった。何人かは手にした火銃を空へ向けて撃ち鳴らし、銃声を上げるたび、数日後に控えた暴れ仕事への興奮を、下卑た言葉で叫び続けていた。
しばらくすると、東側の大きな岩陰から、さらに五隻の安宅船がほぼ同じタイミングで姿を現した。そいつらは勢いよく舳を返し、最初の一隻のそばへ集まっていった。
六隻の安宅船が海の上で群れを成して進むのを見て、岸の大岩にいたアスクは、拳をぎゅっと握りしめた。顔つきは先ほどよりはるかに険しく、ひそかな怒りがその奥に宿っていた。
——六隻も一度に出しよるとは…あいつら、ただのいつもの襲いじゃない…まさか西国と戦を仕掛ける気か…
そう思ったとたん、アスクの脳裏には、村上水軍のあの海賊どもが、これまで何度も凱旋だなどとうそぶいて戻ってきたときの光景が、次から次へと浮かんできた。
周辺村々の自警団を自称する彼らは、朝廷内の一部の大臣の暗黙の支持と、各海域の海況に対する精通を盾に、三十年前から頻繁に暴力を駆使して近隣の村から大量の食糧や布を徴収し、時折村でやっと年頃になったばかりの娘たちをさらっていき、 自分たちの慰みものにしてきた――そんな噂が、嫌というほど耳に入っていた。
アスカが村民に遠海の孤島から拾われ、村に連れ帰られ養育されたこの十六年の間、村上水軍は次第にその注意力をより遠く――西の方、海を隔てた西国の沿岸地域へと転じていた。
彼らは朝廷の大臣たちとの癒着によって得た富で、軍隊が持つような大砲や銃を大量に購入し、もともとの小型の木造船も、現在のような巨大で頑丈な安宅船へと次 第に置き換えていった。この島と西国との間の海域が、激しい風浪に見舞われる季節 を迎える直前、彼らは西国の沿岸へ出動し、大砲と銃で守備隊に大打撃を与え、沿 岸の村や町に上陸しては、西国の民衆に対し憚ることない略奪と殺戮を繰り広げ、若 く美しい男女を縛り合わせて連れ帰った。一部は彼ら自身の慰みとするために残し、もう一部は癒着関係にある大臣たちに売り渡し、彼らの卑猥な性癖を満たすために供されていた…
やつらが、しわがれた声で「凱旋の歌」だのを歌いながら、このあたりの海へ戻ってくるたびに、アスクは決まってその光景を目にしてきた。村下水軍の安宅船の船腹には、西国の守り兵が放った矢が何本も突き刺さったまま残り、その外側には、海賊どもが荒縄で首をひとつずつ貫き、ずらりと吊るした西国守軍の兵たちの生首が並んでいる。血は流れ落ち、船の板を伝って広がり、船身はどす黒い血の色に染め上げられている。
どれほど大きな戦であろうと、ひとたび火蓋が切られれば、苦しみを背負わされるのは決まって両国の民だ。とりわけ、攻め込まれる側の平人が味わう災いと痛みは……年ごとに、あれほど天に背く所業を重ねてきただけでも飽き足らぬというのに、あの連中は、さらに大きな戦火を呼び込もうとしている
胸の内に渦巻いていた怒りが、一気に膨れ上がった。アスクは、体の奥から外へと、まるで湯気のような熱が噴き出してくるのを感じた。心の底には、抑えきれぬほどの強い力がうごめき、今にもこの身の内から爆ぜ出しそうだった。その異変に呼応するかのように、足元の大岩の斜面がかすかに震えだす。そして、彼の両足が踏みしめる場所を起点に、石の表へと、蜘蛛の巣のような細かな裂け目が、音もなく周囲へ走っていった。
そのときだった。目の前に広がっていたはずの景色が、まるで目に見えぬ力にねじ曲げられるように、一点へと押し縮められ、あっという間に掻き消えた。代わって現れたのは、熱気に包まれているかのようでいながら、少しも焼けるような感覚のない、不思議な場所だった。光はほとんどなく、ただ重たい空気だけが漂っている。周囲を見渡すと、あちこちに、黒ずんだ細長い、どこか不気味な山の影が、ぼんやりと浮かび上がっていた。
ここは……
あまりに唐突な変化に、アスクの頭はかえってすっと冷え渡り、彼は周囲を注意深く見回した。
どこか…海の底、しかもずっと深いところみたいだ。だが、物心ついてから、海に潜った覚えなんて一度もない。まして、こんな深みまで来たことがあるはずもない。それなのに、どうして俺は、ひと目でここを深海だと分かる?しかも、この突然の出来事に、胸は少しも騒いでいない…
考え込んでいるさなか、足元でふいに灯った、二つの赤い光が、アスクの注意を引き寄せた。
視線を落としてみて、彼ははっと息をのむ。自分の足の下には、二つの黒い山体に挟まれた、底知れぬ巨大な裂け目が口を開けていたのだ。血の色を帯びた二つの光は、その裂け目の奥から、ゆっくりと上へ向かって昇ってくる。近づくにつれて、光の下に潜む巨大な何かも、闇の中から次第にその輪郭をのぞかせ始めていた。
その姿は、無数の鋭い角を生やし、体表には大きな鱗がびっしりと並ぶ、黒々とした巨大な蛇のようだった。
蛇は舌をぺろりと出し、血のように赤い縦長の瞳で、アスクから少し離れた下方に視線を止めたまま、微動だにせず見つめている。まるで獲物を測るかのようでもあり、あるいは彼の身に潜む何か特別なものを確かめているかのようでもあった。
アスクは、その現れに驚きを覚えながらも、心に恐怖はほとんど湧かなかった。蛇がこれ以上近づいてこないことを確認すると、彼も身動きせず、その視線を受け止めるようにじっと見返した。
しばらくの沈黙ののち、蛇はその大きな口を開いた。腹の底から響き上がるような声は、聞く者の肝を震わせるほどに重く、低かった。
「…やはり、あの者の血を引く者か…だがな、今はまだ、おまえに神器を渡す時ではない。白き袍をまとう鬼神どもが降り立つその時こそ、おまえが真に神の力に目覚める刻となろう…もし、その力をもって、この島の安らぎを守れぬのなら――わしは、あの者との約定どおり、神器を打ち砕き、この島すべてを、余さず呑み尽くす。……帰るがよい。」
まさか、運命は結ばれていないのか!? @iamhokutou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。まさか、運命は結ばれていないのか!?の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます