第2話

「終電逃したのに、楽しそうですね」


「そりゃあここまできたら開き直りも大事ですよ 私なんて今日パソコンのエンターキーこの指先で壊しましたからね」


 手のひらを広げて指先をぴらぴらと揺らすと、男が緩やかに笑った。お、笑った、と純粋に嬉しくなる。目元は切れ長で、眼光が鋭く感じてしまうせいでとっつきにくそう、そして、何より暗そうというのが正直な印象だったのだが、そんな男の表情が崩れたのだ。

感情が動くことがここのところ皆無だったため、こんなことでも嬉しいと感じてしまう。


「どんな威力で叩いたんですか」


「個人的にはそんな強く叩いたつもりはないんですよ、ただ、もう帰ろうかなって時に新しい仕事を頼んできた部長に腹を立てながら仕事してたのでそのストレスが最後のエンターキーで爆発したというか」


「修理代、お姉さん持ちですかね」


「どうでしょう、私を『ゴリラ女』って言った先輩をまずパワハラで訴えて、その慰謝料で修理代払おうかな」


「ゴリラ女なんて、ひどいこといいますね。ゴリラが可哀想だ、あ、違う、お姉さんが可哀想だ。ポテトチップス1枚もらっていいですか」


「あの、すみません聞き捨てならない言葉が聞こえたんですけど」


ポテトチップスを袋ごとひょいっと上にあげて男から取られない距離にもっていく。男はきょとんと首を傾げた。


「ポテトチップス1枚もらっていいですか」


「ううん、そこじゃない」


「お姉さんが可哀想だ?」


「その前」


「ゴリラが可哀想だ」


「それだあ!どういうことよ、失敬ね」


下から見上げるように睨みつける。男は戸惑ったように両手を上にあげて、まるで警察から追い込まれた犯人のような顔をした。


「ただの言い間違いです、お酒入ってるし」


「ほお、苦し紛れの言い訳ね」


「…では、言わせてもらいますけど、こんな時間に1人でここにいること自体お姉さんは危機管理能力がないってことです。ゴリラより危機管理能力が下ということを伝えるつもりはなかったですけど、言い間違いとして口から出たということにしてください」


「長い」


「すみません…」


「けっ」と顔を背ける。そしてビールをぐびりと一口。この男、面白い、と内心笑い転げそうになっているが、ゴリラより下と大変失敬な言葉が男から放たれているため女としてのプライドが幾分か優った。

ふと自分の足元を見つめる。踵からかろうじてくっついているヒールの部分を軽く揺らした。よく考えてみれば私は今日色々と壊してばかりだ。


「みてください、これ」


「あ、靴、壊れてますね」


「そう、駅の階段で壊れちゃってこれがなければ終電乗れてた」


「シンデレラみたいですね」


「センスのないツッコミですね」


「すみません」


 男はバツの悪い顔をして下を向いた。「すみません」って口癖だろうか。男のことを私は全くもって知らないが、逆らえない労働下で働いていると反射的に謝ってしまうようになるのは理解できる。労働に給料という対価をもらっている以上、安全牌をとることが否応なしに正解だと知っているからだ。

男は、しばらくちびちびとビールをのんで、「あ」と何かを思い出したかのように自らの黒い鞄から何かを取り出す。


「センスのないツッコミをしてしまったお詫びにこれ」


 差し出されたそれを視界に入れる。缶の飲み物であった。

大きめなりんごが書かれており、顔が描かれているものの顔のパーツが中央に寄りすぎてなんとも言えない気持ちの悪いキャラクター。

 極め付けは缶いっぱいに小さな赤い丸がたくさん描かれている。さらによく見るとその赤い丸はヘタの付いているリンゴのようである。しかし、どの形も手描きのような歪さだった。


「何このキモいデザイン」


受け取りながらそう言うと、男は「ですよね」と弾むように息を吸った。


「そう、キモいんですよ、これ、まだ試作品なので見たことも飲んだことは誰にも言わないでください」


「試作品ってことは、お兄さんが作ったんですかこれ」


「いえ。俺はそんなクソダサいセンスしてないです、それ以上は聞かないでください」


「分かりました」


私は頷いてプルトップを開けようとすると男の手によって制止される。


「飲む前に」


「なんですか」


「この歪な形のりんごの中にハートが1つあるんです」


「はあ?」


「クソダサいセンスのうえに、クソダサい仕掛けもあるのでどうせなら探してください、ハート型のりんご」


そう言われ、私はおずおずと缶に顔を近づける。街灯の薄暗さでは見つけにくく、私は目を凝らしながら缶をゆっくりとまわしていく。私、何させられてんのまじで。


「あ、これ?」


 そう言って私は男に見せると男が私の方に顔を寄せて「ああ」とクイズ番組で不正解だった時のMCのような声を出した。うわ、なんかイラっ。


「それは違います。ちょっと下手くそなりんごってだけです」


「めんどくさ」


 だいたい手描きのりんごを印字させてるのどうなの。これが売り物になるとしたら恐怖なんだけど。しかし、ここまできたらハート型を絶対に見つけたい気もしてきた。今日は悪いこと続きだし、最後にミジンコくらいの幸福をくれたっていいではないか、神様。

そんなことを思いながら私は缶の隅々まで目を凝らす。そして、見つけた。


「あった!」


 綺麗なハート型である。男に見せると男がまた顔を寄せた。

私が示した指の先をじっと見つめて、「本当だ」と嬉しそうに私の方を見る。

目が合って、その近さに気づいた私たち。なぜかすぐには離れなかった。男の揺れた瞳をじっと見つめる。


 お酒が入った深夜。私たちだけしかいない公園は非現実的な雰囲気を帯びてなんだかふわふわとした気分になってしまう。少しずつ、お互いがお互いを試すように近づいた。


「酔ってますか」


「そっちこそ」


 挑発のような男の言葉に私も買い言葉でそう返した。

 普通はこんなのダメだ、だって私はこの男のことを何も知らない。

缶ビール1缶で酔いがまわって、名前も知らない男とキスをする。

…何が悪いのよ、ミジンコくらいの幸せパート2だ。

少し臆病で、見つめる目にギャップがあって、普通に見た目がタイプ。それだけ。


「っ」


ゆっくりと唇が触れた。


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君に小石を投げつける 傘福えにし @kasafuku_enishi

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