Episode=02 対峙:Versus


「忘れてくれてねぇなんて、嬉しい話だ」

「忘れられるはずもないだろう、ネーヴェ。お前は昔の同僚だ」


絶えず降りしきる雨音の響く、都市の一角。夜闇に輝くネオンの光に、雨の中で濡れた服や髪を照らされ、3人の男女が対峙していた。

1人は淡い群青の髪にエメラルドの瞳を持つ青年―――シリウス。

もう1人は、そんな彼に守られるようにして、背後に立ちつつも前方の様子を陰から伺う、茶髪の少女。

そしてそんな二人と対峙していたのは、背中からネオンに照らされ強い影をその身体に映す、灰にも近い黒色の髪と藍色の瞳、そして褐色の肌を持つ女性―――シリウスがネーヴェと呼んだ人物だった。


「…その口ぶり、本当に戻る気はないみたいだな」

「人の命を狙っておいて、今更戻る戻らないの話を振るか。随分とした横暴だな」


挑発にも取れる声色でシリウスと会話するネーヴェだったが、彼から発せられた命を狙っている旨の発言に対し――顔も影を差しているため、はっきりと捉えることはできなかったが――知らなかったとばかりに眉を顰める。


「…抹殺指令が?いや、今はいいさ。要求は言わなくてもわかってるよな」

「理解した上で断らせてもらう。ザインのことだ、どうせこいつのことも、"カーリー"を見つけるための駒としか考えていないのだろう?」


先程シリウスが見かけていたB.A.B.E.Lのメンバーの会話も踏まえれば、ネーヴェが狙っているのも少女であることは間違いないだろう。

それを理解した上で断ったシリウスから放たれた、カーリーという人物の名前。それを聞き、ネーヴェは肯定するとばかりに俯き沈黙する。


「…諦めろ、ネーヴェ。ザインももう変わり果てた。都市に立てていた不殺の志も消えた。カーリーが居なくなった時点で、もうB.A.B.E.Lは…」

「悪いができない相談だ。カーリーはまだ、向こう側で生きてる…B.A.B.E.Lはまだ立て直せる」


かつての姿に戻ることはない。そう言わんとしたシリウスの言葉を遮るように、ネーヴェは明確な意思の篭った瞳でシリウスを見つめ、そう返す。

―――交戦を避けることはできない。理解していたこととはいえ、ネーヴェの説得はもはや不可能と把握したシリウスは、脚のホルスターから銃を抜きつつ、後ろの少女へと話しかける。


「仕方ない。少し下がっていてくれ」


彼の言葉を聞いて、少女もこれから何が起こるのかを察知したのだろう。その場を離れ、遠くにあった大きめの室外機の裏へ身をかがめ、安全を確認してから身を潜める。

それを見届け、シリウスはもう一度ネーヴェを見据えて銃口を向け、ネーヴェも同じくシリウスへ向けて手にしていた銃を突きつける。


―――2つの銃声が、夜に沈んでいく都市に響いた。


――――――――――


互いに放った初撃の銃弾は、真横を掠めて空を斬り飛翔するだけにとどまった。ならばより距離を近づけて正確に当てようと、シリウスもネーヴェも銃を構えながら走り始める。

そのまま弾丸を撃ちつつも至近距離まで接近した2人は、互いに目線を合わせ火花が散る錯覚を映したかと思えば、振り返ると同時に引き金を弾く。放たれた弾丸をシリウスは首を逸らして回避し、ネーヴェは身をかがめて避け、同時に低姿勢を保ったままシリウスの懐まで接近する。

そうして姿勢を崩そうとネーヴェが繰り出したスライディングを、シリウスはすれ違うように跳躍して回避すると、天に足を向けるような姿勢でネーヴェの方へ反転し、再び弾丸を撃ち放つ。

ネーヴェはこれを、片腕を軸にして身体を起こすと同時に身体を浮かせて回避すると、すぐさま一飛びでシリウスの目の前まで接近し、拳を振るう。シリウスは振るわれた拳を銃を持っていない左手で受け止め、互いに一撃も加わらないまま状態は拮抗した。


「おいおい、あれは使わなくていいのか!?」

「本気で相手をする気はない、ただそれだけだ」

「いいね、だったらそのハンデに乗ってやるよ!」


ネーヴェの言葉へ冷静に返答したシリウスに、彼女も納得した様子で言葉を返す。シリウスが返したその言葉は、あくまでもこの場は少女を守る為に戦うというスタンスの表れだ。

シリウスはそこから受け止めていた拳を勢いをつけて振り払うと素早く片脚を持ち上げ、ネーヴェの腹部目掛けて蹴りを打ち込もうとする。


「おっと!」


しかし、ネーヴェがこれを後ろ手に跳躍して回避したかと思えば、何とそのまま空中へ浮くように移動し始めたのだ。それに対してシリウスは明確な焦りを顔に出しながら、弾丸を何発も撃ち込むが、空中を滑るように動き始めたネーヴェに、全てかわされてしまった。


(空中で加速してかわされた…やはり衰えはないか、【空中滑走エア・スケート】…!)


弾丸を回避される様を見て、焦るシリウスは内心で舌打ちするかのように、言葉を呟いた。


――――――――――


―――空中滑走。それはシリウスを含めた都市の一部の人間が持つ、超常能力アンリース・スキルと呼ばれる特別な力の1つ。

ネーヴェの持つそれは、空中にいる間あらゆる抵抗を跳ね除け、まるでスケートのように自由な飛行を可能とする能力だ。ネーヴェが潜り抜けてきた場数も相まって、その脅威は見た目よりも遥かに高い。

どう対処するべきか、シリウスが迷いを見せたその時。シリウスの耳に微かに届いたのは、金属に何かがめり込むような硬質な音。

それはネーヴェの回避した弾丸が、壁とはまた違うどこかに当たったということ。視線だけを動かし命中した箇所を探り、それが着弾していた物を見て、シリウスは何かを閃く。


「変わらず強くてむしろ安心したぜ!さぁ、まだまだ続けようか!」

「生憎と、こちらには時間がなくてな」


シリウスはそう言い放つと同時に、手に着けたグローブの先からプラズマを放つ。それはシリウスが自身の持つ【電磁誘発マグネット・パルス】を、最大まで引き出し発揮していることの合図。

そしてシリウスの放ったプラズマが向かう先は、先程シリウスの放った銃弾が命中したもの―――着弾した下部に僅かな電流を流し、ネオンの光が途切れ途切れとなり火花を散らす、ビルの壁に取り付けられた看板だった。


「残念だがここまでだ」


ネーヴェに向けてそう告げたシリウスは、グローブから発せられていたプラズマを強く握り、糸やロープを引っ張るように強く手繰り寄せる。

もう一度接近しようとしていたネーヴェがそれを見た直後、彼女の頭上から聞こえてきたのは、何かが引き剥がされるような音と、金属特有の硬質な音が混ざりあった音。

嫌な予感に上を見上げた時にはもう既に遅く、ビルの壁に取り付けられていた看板が、今正に自身の元へ落ちてこようとしていた。


(能力を付与した弾丸を動線に、壁の看板を…!)


回避する時間も与えられないまま、崩落した看板へ巻き込まれネーヴェの姿は消失する。看板が落ちると同時に舞い上がった土煙は、雨に濡れたアスファルトにさえ動じることなく、辺りを包むように飛散していった。

―――これで、最低限の時間を稼ぐことには繋がる。

そう直感したシリウスは、すぐにでもこの場から離脱するべく、背後で戦闘を見守っていた少女の元へ駆け寄ると、驚く様子を気にもとめず彼女を抱き上げる。


「相手はこれで死ぬほどやわな女じゃない。今の内だ、逃げるぞ」

「わわっ!?」


ブーツに能力を通した反動で、地面にプラズマが走る程の勢いで跳躍し、ビルの壁を蹴りながら屋上へと向かっていき、そのまま姿を消したシリウスと少女。

そうして、先程まで繰り広げられた戦闘など嘘のように、辺りに静寂が訪れたかと思えば、崩落した看板の残骸を退けながら、ネーヴェが姿を現す。

その身体は、時に鋭利になることさえある金属の看板の下敷きにされたにも関わらず、多少のかすり傷程度しか負っていなかった。


「…シリウスの奴…」


息を切らしながらも、ネーヴェは敵対した彼のことを思い、悪態をつきながらその場へにたり込んだ。


――――――――――


都市のエリアを隔てる壁を越え、適当なビルの屋上から壁を垂直に滑り、シリウスは少女を抱えたまま、どうにかB.A.B.E.Lの気配もない場所まで辿り着く。

気づけば降り注いでいた雨も止み、雲の隙間から照らす月光が、都市のネオンの光と混じりあっていた。


(エリアを跨げば、ネーヴェといえども追跡は不可能なはずだが…)


―――壁によって分割された都市のエリアは4つ。Aエリア、Bエリア、Cエリア、そして中央に高くそびえる都市の要、センタータワーを中心としたセンターエリアだ。

シリウス達が今いるのはCエリアであり、先程少女を保護し、ネーヴェと交戦したのはBエリア。今でこそ機能は停止しているものの、都市の人間がエリアを跨ぐ際には特別な許可が必要になる。

ネーヴェが少女のことを追いたいからと言っても、公務員としての側面もあるB.A.B.E.Lの所属では、機能が停止しているからとはいえ軽率に壁は越えられるはずがない。

一先ずの安心を確保できたところで、これからどうやって拠点に戻るか考えていたシリウスだったが、流石にもう大丈夫だろうと気づいたのか、抱えていた少女が声を発する。


「あ、あの…そろそろ…」

「あぁ、すまない。今下ろす」


少女の声を聞き、シリウスも抱え続ける必要はないと気づいた様だ。少女のことをゆっくり下ろすと、ここでとあることに気づく。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。お前の名前は?」

「…イリナ。アイリシナ=フォーハートで、イリナです」


それまで聞く機会さえなかった彼女の名前を知り、シリウスは頷くと共にイリナへ告げる。


「いいかイリナ、ここからお前をかくまえる場所…俺が拠点にしてる、友人の工房まで徒歩で向かう。そう時間はかからないはずだ」


シリウスの説明を受け、イリナも納得した様子で頷く。そうして、シリウスが先行しイリナがその後を着いていく形で、2人は拠点である友人の工房に向けて歩き始めた。

やがて月もより高い位置まで上り、時計があれば日付が変わろうかと思われる程の頃合い。無言で歩き続けるシリウスへ、イリナがどこか遠慮した様子を見せながらも話しかける。


「あ、あの…さっきの人は、お知り合い…ですか?」

「…そうだったのは、もう1年の前の話だ。今は、あいつも俺の敵だ」


イリナから聞きに来たことには内心で驚きこそしたものの、シリウスはあくまでも冷たく言葉を返す。イリナを狙いに彼女が来た時点で、敵対は避けられなかったという意味だろう。

シリウスの様子を見て納得したイリナは、再び口を閉じて彼の後に続けて歩いていく。そんな彼女のことを時折振り返って確認しながらも、シリウスの脳裏によぎっていたのは、これ程にイリナが狙われる理由についての考察だった。


(ネーヴェも動く程の事態…賛美会が目をつけていたことといい、やはりこの子には何かある。少なくとも、都市の出身ではないことは確実なはず)


―――長年手入れされていないような、どこか古い風貌を感じさせる衣服や帽子、何よりも病的な程に白い肌。

彼女の境遇が何であれ、少なくとも都市にいる人間のそれではないことは確実だ。むしろそうでなければ、賛美会やB.A.B.E.Lに目をつけられる理由がシリウスには見つけられないのだ。

イリナがどこから来たのかなど疑問は尽きないが、少しづつ知っていくしかないだろう。シリウスがそう考えを纏めたと同時に、気づけば目的の場所へと到達していた。


「…ここだ」


錆の目立つ閉め切られたシャッター、散乱する瓦礫や粗雑に置かれたテーブル。かつてそこがバーとして使われたいたという事実が、ボロボロの看板にしか見つけられない施設。

一見すれば生活に使えるかさえ疑うその場所こそ、シリウスが拠点としている、友人の経営する工房が隠された施設だった。


――――――――――


「戻ったぞ、センヤ」


もはや扉としての機能すら失われかけたドアを開き、シリウスは施設の中へと入る。それに続く形でイリナも施設に足を踏み入れたのだが、施設の中も中で酷い有様だった。

床にはシャッターの奥にあった窓がそうなったのであろう、割れたガラスが散乱しており、かつて使われていたであろうチェアやソファは埃が目立ち、天井から吊り下げられた電球は激しく明滅している。

―――こんな場所に本当に人はいるのだろうか。そんな彼女の疑問を消すように、店の奥に繋がる廊下から、何かが姿を現す。


「わわっ!?」


しかしその姿を見た直後、イリナは慌てた様子でシリウスの後ろに隠れてしまう。無理もない、現れたそれは彼女の顔ほどの大きさを持ち、独りでに宙を浮いて移動する鉄の球体だったからだ。

よく見れば、球体の中央には深い青色の、恐らくはカバー目的で取り付けられたと思われる物と、それに守られるように奥に設置されたカメラレンズがあるようだ。


『おっと、驚かせてしまったみたいだね。お帰りシリウス、そして…そっちの君は初めまして、かな?』


そんな宙に浮く物体から発せられたのは、男とも女とも取れる、若々しく中性的な声だ。突然の出来事にイリナは整理が追いつかないものの、シリウスは最初から知っているかのごとく平然とした顔を崩していない。


「き、機械が話してる…?」

「スピーカー付きの遠隔操作ドローンだ。あまり気にするな、こいつに関してはいつものことだ」


戸惑いはあるものの、物怖じさえしないシリウスを見て、命の危険はないことは察したらしい。おどおどした様子で物体―――シリウスがドローンと呼んだそれを見つめるイリナに、シリウスは半ば呆れた声色をしながらも説明する。

彼の様子から察するに、このドローン越しに話しかけている相手が、シリウスが名を呼んだセンヤ―――イリナにとっては、シリウスに保護を依頼した人物ということだろう。


『そういえば、彼女の名前は?』

「イリナだそうだ。これから世話をする相手だ、きっちり覚えておけ」

『了解了解。それで、報酬はいつ振り込んでおいた方がいい?』

「好きなタイミングでいい。それよりも、明日までにあれの準備をしてくれ」


色々と会話を交わしていたセンヤとシリウスだったが、彼からの要求を受けたタイミングでどこか様子が違うことに気づいたらしい。

言うなれば、今のシリウスが纏うそれは、歴戦の戦士や決闘を控えた戦士のそれに酷似していると言ったところだろうか。出立した時とはまた違う様子を見せるシリウスに、ドローン越しにセンヤは疑問を提示する。


『…何かあったのかい?』

「B.A.B.E.Lの奴に…ネーヴェに目をつけられた。もう夜も遅い、明日になったらさっさとケリをつけてくる。面倒事は早めに解決しておきたい」

『分かった、準備しておくよ』


要求に応じてくれたセンヤの言葉にシリウスが頷くと、ドローンはまた施設の奥へ姿を消した。それを見たシリウスは肩の力を抜くような動作をすると、イリナの方を向いて口を開く。


「俺は少しシャワーを浴びてくる。古びてはいるがここは安全だ。万が一何かあった時は、俺が守ってやる」


そう言うとシリウスも店の奥へと歩いていき、後に残されたのはイリナただ一人。彼女はどこか緊張が解けた様子で、近くにあったソファの埃を払うと腰かける。


「…守る…守って、くれる…」


シリウスがイリナに向けて言ってくれたその言葉を、彼女はまるで、静かに、しかしはっきりと連呼していた。


――――――――――


慣れた手つきで服を脱ぎ、着ていたものを全て外したシリウスは、店の奥にあるシャワールームのドアを開け、中にあったバルブをひねり、湯を流し始める。

ノズルの先から流れ、床や肌に当たっては温度差で湯気を放つその湯は、都市に降る雨のような透明さはなく、墨のように黒い色をしていた。

水の色の原因が少なくとも汚れでないことを理解しているシリウスは、流れる湯の色など気にもとめず、雨で濡れ冷えた全身を洗い流していく。身体に溜まった汚れは湯に流され、排水口の中へと流れていく。

ドアを閉じてしまえば換気のために天井へ設けられた僅かな隙間しかない、密室とも呼べるようなシャワールームの中で、シリウスが考えていたのは、奇妙な再会を果たしたネーヴェのことだった。


(…ネーヴェと会わなくなってからも、1年ということか)


思い出すのは、かつてB.A.B.E.Lで共に過した彼女の姿ばかり。しかし昔がどうであれ、今はB.A.B.E.Lも、そしてそこに所属しているネーヴェも、シリウスにとっては等しく敵なのだ。

幸いにも、今回はネーヴェもハンデとして"あの武装"を持ち出さずに来たから良かったものの、次が同じようにいくとは限らない。


(恐らくあいつも本気で来るだろう。俺の身体が、あれを扱う感覚を忘れていないことを祈るばかりだが…)


普段から使用し使い慣れている銃はともかく、シリウスがセンヤに対し準備を頼んだ"あれ"は、1年前にB.A.B.E.Lを辞めてから全く使用していなかったものだ。

元々使っていた武器でも、年月が空いてしまえば感覚を忘れてしまうケースは多い。せめて自分の身体が、早めに感覚を思い出すのを願うしかない。

シリウスは考えながらもバルブをひねり湯を止めると、濡れた右手とそれを伝う電流を見つめ、決意するように拳を強く握りしめた。


――――――――――


普段着ているものとは違う簡素な服に着替え、置いておいたバスタオルで髪を拭きながら、シリウスはシャワールームから出て、まだ店の入口側にいるはずのイリナの元へ向かう。

彼女も濡れて体温が下がっているはずだ。遠慮する可能性もゼロではないが、兎にも角にも浴びてもらった方が何かと都合がいいだろう。


「上がったぞ、イリナ。余裕があるならお前も…」


シリウスが声をかけようとしたが、ふとイリナを見て言葉を噤む。埃の払われたソファの上で、イリナが横になって寝ていたからだ。


「…余程疲れていたんだな」


無理に起こす必要は無いだろうが、このままにしておくと体温が下がってしまう。シリウスはイリナを見て呟くと、彼女を抱えて施設の奥にある部屋へ向かう。

出入口となる扉が壊れ取り払われたその部屋には、頻繁に手入れされている様子のベッドと、その上の天井に取り付けられたエアコンがあった。

シリウスは抱えていたイリナを起こさないようにベッドへ寝かせると、エアコンのリモコンをとり操作する。暖房に設定して数時間のタイマーをかけておけば、風邪をひくような事態は起こらないだろう。

幸い、イリナが埃を払っておいてくれたおかげもあり、寝れるスペースは別に確保できる状態だ。シリウスは店の入口側にあるソファへ向かい、横になって寝ようとするが、ふとテーブルの上を見ればドローンの姿が。


『ソファでいいのかい?』

「別に何処で寝ようが同じだ。本当の休息など、都市には無用の長物だろう」

『やれやれ、それもそうだったね』

「お前も早めに寝ておくことだ、センヤ。明日はより騒がしくなる」


ドローン越しに話しかけてきたセンヤの言葉に、シリウスは冷たく返すと、そのまま瞳を閉じて就寝を始めた。

そんなシリウスを、センヤは店の最も奥に設けられた自身の部屋から、ドローン越しに見つめる。


「…休息、か」


シリウスの発した言葉を、センヤはまるで噛み締めるように呟く。ドローンの視界から送られてくる映像では、どこかうなされるように眉を顰めるシリウスの姿が映っていた。

そんなシリウスを見つめながら、センヤは自身の手元に置いていた物に目を向ける。シリウスから準備を頼まれたそれは、かつての彼が愛用していた"工房"の武器だ。


「シリウス。?」


ドローンに発せさせずただ一人聞こえるように呟いたその声は、当然のことだが誰の耳にも届かず、都市の暗闇へと消えていった。


――――――――――


入口の扉から、微かに差し込む光。それは厚い雲に覆われ続ける都市に、それでも朝が訪れたことの証だった。

光に当てられて静かに瞳を明け、目を覚ますシリウス。思っていたよりも深い眠りに晒されていたことに、我ながら驚きは隠せなかった。

寝ぼけこそなかったものの、重い瞼を上げながらブレスレットを確認すると、いつの間にか誰かから送られていた、メッセージの通知が届いている。


「センヤじゃないな…誰からのメッセージだ?」


直接連絡の取れるセンヤとは別に、メッセージを送ってくる人物に、シリウスは今のところ数える程度しか心当たりがない。

しかし、届いていたそのメッセージの内容を見て、シリウスの表情は一気に硬いものへと変わる。


『Bエリア 水質管理センター前より300m先 52番通りで待つ』


今いるエリアを越えた先にある場所で、細かな番号まで指定されたメッセージ。それは文言から察するに、シリウスに対する挑戦状と見て間違いないだろう。

そして今の状況下で、こんな挑発的なものを送り付けてこられるのは、シリウスの把握している限りただ一人。


「…十中八九、あいつか」


決闘とも取れる堂々としたそのメッセージは、昨日の今日を踏まえれば、どう考えてもネーヴェが送り付けてきたものだろう。都合がいいといえばそれに尽きるが、問題はまだ"あれ"の準備ができているのか分からないことだ。

―――センヤが終わらせてくれていればいいのだが。そんなシリウスの思考を読み取るように、テーブルの上にいたドローンから、センヤの声が聞こえてくる。


『シリウス、用意できたよ』


そう言われ、シリウスがテーブルの上を転がるドローンに近づくと、ドローンの近くにはトレイが置かれていた。そしてその上にあったのは、フックのついた小さな円柱の、青いラインを輝かせるカプセル―――シリウスがセンヤへと準備を頼んだ、武器の収められたカプセルだった。

ベストタイミングだ、と内心で彼のことを誉めつつ、シリウスは置かれたそれを受け取り、ベルトへと引っ掛けて装備する。


『けど気をつけて、久しぶりの使用となるとガタがきてるかもしれない。下手に衝撃を加えすぎると欠けるかも』

「承知した。気をつけて使用する」


センヤからの忠告に頷き、シリウスは指定されたBエリアに向かおうと、入口に立つ。だが彼がドアノブに手をかけたところで、背後に気配を感じれば、そこには施設の奥にある廊下から顔を覗かせるイリナの姿があった。


「あの…どちらへ…」

「昨日の相手と、改めてケリをつけてくる。互いにもう引けない仲だ、恐らくは…」


シリウスはそこでイリナに配慮して言葉を詰まらせる。が、彼女は彼がその先に言わんとしていたことを、何となくだが察せていた。

―――きっと、シリウスとネーヴェは殺し合う。自分を助けてくれた時と同じように。


「あ、あの!」


引き止めることは出来ないと本能で理解したのか、イリナはどこか怯えた様子を見せながらも、明るい声色でシリウスに言葉を告げる。


「こんな私に色々と…ありがとう、ございます。私、きっと戻ってくると信じてます。守ってくれるって、言ってくれたから…」


―――イリナの声に、シリウスは答えなかった。ただ背を向けたまま無言で彼女の言葉を聞き届けると、ドアノブを引いて扉を開き、外へと向けて歩き出す。

そんな彼の背中を見つめ続けていたイリナに、ドローンが浮遊しながら近づくと、スピーカー越しにセンヤの声が聞こえてくる。


『大丈夫、シリウスを信じよう』


発せられたその言葉に、イリナもまた無言で頷いた。


――――――――――


厚く雲に覆われた都市の空は、地上からのネオンの光を受けてもなお、灰色に包まれている。そんな都市に出来た水溜まりの上を踏みながら、シリウスは目的の場所へと向かっていた。

やがて辿り着いたその場所には、既にネーヴェの姿があった。かすり傷のひとつも見当たらないその姿は、昨日の戦いで負傷することさえなかった事実を暗に表していた。


「怪我もなしか。五体満足で済んだのは流石だな、ネーヴェ」

「よく言うぜ。本気で殺しにくるつもりでぶつけてきたくせによ」


煽りを返したネーヴェの指摘に、シリウスは否定も肯定もしない。ただ無言で、しかしながらいつもよりも険しい顔で、ネーヴェの瞳を見つめていた。


「…シリウス、本当に戻る気はないのか」

「くどい。俺は二度とB.A.B.E.Lの敷居は渡らないし、渡るつもりもない」

「それは、やっぱあの事件のせいか」


返されたネーヴェの言葉に、シリウスの脳裏へ過ったのは、かつて自分が犯した過ちの光景。1年という月日を経てなお、彼を苦しめる罪悪の記憶。


―――慢心から、悪夢の装置の起動を許してしまったこと。

―――自らをかばい、本来守るべきリーダーに傷を負わせてしまったこと。

―――最も近くにいたにも関わらず、伸ばされた腕を取れなかったこと。


そのどれもが、シリウスに後悔の念を与えるには十分すぎたものだった。


「…己の実力に驕り、油断を生み、最も近くにいながら、彼女へ手を伸ばすことさえ叶わなかった。カーリーを救えなかったのは、俺の責任だ」

「そうかよ」


暗い声色で告げたシリウスに、ネーヴェはただ一つそう言葉を返すと、付けていたベルトから何かを外す。それは、シリウスがセンヤから受けとったものと同じ、しかし走ったラインはシリウスのそれとは違い、煌々と赤に輝くカプセルだった。


「よく分かった、ならもうこれ以上はあたしからは何も言わねぇ」


ネーヴェは淡々と告げながら、カプセルの上部に付けられたスイッチを親指で押し込む。すると破裂するかのようにカプセルが四散し、その中に閉じ込められていた無数の破片が、ネーヴェの両腕へと向かい収束していく。

やがて彼女の両腕に装着される形で姿を現したそれは、人のそれよりも遥かに大きく、機械的な意匠を強く残し、手のひらに赤い球状の光を宿した、黒いガントレットだった。


「てめぇの性根ごと殴り倒して、あの子の居場所を聞き出してやるだけだ!」


ガントレットを装備したネーヴェは構えながら叫ぶと、大きく拳を振るい、シリウスに向けて衝撃波を放つ。それを見たシリウスは、咄嗟に受け取っていたカプセルをベルトから外すと、ネーヴェの放った衝撃波へ腕を突き出しながら、上部のスイッチを押し込む。

そうしてカプセルから破片が四散した直後、命中した衝撃波によって周囲の空気は揺れ、シリウスは生じた土煙の中へと消えてしまう。しかし、これで仕留められる程シリウスが甘くないのは、ネーヴェも理解していた。

案の定と言うべきか、直後に土煙を切り裂きながら放たれたのは、表面に無数のプラズマを走らせた斬撃。飛んできたそれに反応して、ネーヴェは両腕を交差させて斬撃を防ぐ。


「…元々、俺もそのつもりだ。誰であろうと、それこそ昔の同僚だろうと…俺のことを付け狙ってくるのなら、その時点で敵だ」


やがて切り裂かれた土煙が晴れれば、そこには傷一つ負っていないシリウスの姿が。そしてその両手には、腕とほとんど変わらない長さを誇り、表面にプラズマを走らせシアンに輝く刃を備えた、機械的な剣が握られていた。


(やっぱり持ち出してきたか、エレクリウム!)


―――EGE-001B、高電圧式トンファーブレード エレクリウム。

かつてのシリウスがB.A.B.E.Lで使っていた、彼の代名詞とも呼べる工房武器を見て、ネーヴェの頬を脂汗がつたう。そんな彼女を睨みつけながらも、シリウスはエレクリウムを構え、告げる。


「覚悟しろ、ネーヴェ…ここから先は戦争だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

境界都市-BlueHeart Crisis- れいしぇる @railius

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画