第2話

王立魔法学園、第一闘技場。

 そこは、熱狂と悪意に満ちていた。


「おい見ろよ、あのアークライト家の落ちこぼれだ」

「性格最悪のくせに魔法も下手くそなんだろ?」

「カイル様! あんな悪役貴族、ボコボコにしちゃってください!」


 観客席を埋め尽くす新入生や在校生たちから、容赦ない罵声が降り注ぐ。

 完全にアウェーだ。

 まあ、無理もない。この世界のユリウスは、入学前からその傲慢な態度と、実家の権力を笠に着た振る舞いで嫌われまくっていたからな。


 だが、俺は不思議と落ち着いていた。

 闘技場の中央に立ち、対峙する勇者カイルを見据える。


 カイルは余裕しゃくしゃくだった。

 観客の声援に手を振り、煌びやかな模造聖剣をこれ見よがしに振り回している。


「おいユリウス、聞こえるかこの歓声が! これが正義と悪の差ってやつだ!」

「……うるさいな。さっさと始めよう」


 俺が冷淡に返すと、カイルは鼻で笑った。


「強がるなよ。どうせ足が震えてるんだろ? 安心しろ、手加減してやる。魔法使い(マジック・ユーザー)が詠唱を終えるまでの数秒間、棒立ちで待っててやるよ。それが『騎士道』ってやつだからな」


 観客席から「さっすがカイル様!」「慈悲深い!」と黄色い声が飛ぶ。

 なるほど。魔法使いは「詠唱」という隙だらけの準備動作が必要だから、剣士の前では無力。それがこの世界の常識か。


 審判の教員が、俺たちの間に立った。


「これより、新入生代表による模範試合を行う! 勝敗は相手の戦闘不能、または降参によって決する! なお、致死性の攻撃は防壁(バリア)が自動防御するが、過度な殺傷行為は減点対象とする!」


 審判が片手を高く掲げる。

 一瞬、闘技場が静まり返る。


「始めッ!!」


 振り下ろされた手刀と同時。

 ドンッ、と地面を蹴る音が響いた。


「はぁぁぁッ! 悪いな、やっぱり待つのやめたわ!」


 カイルがいきなり突っ込んできた。

 約束破りの不意打ち。騎士道など欠片もない。だが、観客はそれを卑怯とは見なさず、「速い!」と称賛する。

 カイルの【身体強化】スキルによる加速は、確かに新人離れしている。

 十メートルの距離を、わずか一秒で踏破し、その勢いのまま聖剣を横薙ぎに振るう。


 普通の魔法使いなら、杖を構える暇もなく首を刈られて終わりだ。

 カイルの顔に、勝利を確信した嗜虐的な笑みが浮かぶ。

 俺の首元に、刃が迫る。


(――遅い)


 俺の体感時間は、極限まで引き延ばされていた。

 現代人の脳による情報処理速度は、この世界の住人の比ではない。

 迫りくる刃の軌道、カイルの重心、筋肉の動き。すべてがスローモーションに見える。


 俺は動かない。

 杖も構えない。

 ただ、脳内のスイッチを切り替えるだけだ。


 ――マルチタスク起動。

 ――CPU(脳)、デュアルコア・モードへ移行。

 ――左脳(プロセス1):防御術式【風の障壁(エア・シールド)】。

 ――右脳(プロセス2):攻撃術式【炎弾(ファイア・ボルト)】。


 並列展開、実行(エンター)。


「なっ……!?」


 カイルの剣が、俺の鼻先数センチで見えない壁に弾かれた。

 左手一本で展開した、無詠唱の風魔法だ。

 驚愕に目を見開くカイル。その無防備な腹に、俺の右手が押し当てられる。


「ごちゃごちゃ煩いんだよ、脳筋」


 ドォォンッ!!


 至近距離での爆発。

 炎の塊がカイルの鳩尾に炸裂し、勇者の身体を紙切れのように吹き飛ばした。


「が、はっ……!?」


 カイルは地面を数回バウンドし、無様に転がった。

 闘技場が、しんと静まり返る。

 何が起きたのか、誰も理解できていない。

 剣が当たる直前に風が生まれ、直後に爆発が起きた。本来なら、二つの魔法を連続で使うには、一度目の魔法が終わってから二度目の詠唱を始めなければならないはずだ。


「い、今……何をした……?」


 ふらつきながら立ち上がったカイルが、焦げた鎧を庇いながら俺を睨む。


「詠唱もなしに……それに、障壁と攻撃魔法を同時になんて、できるわけが……! 貴様、魔道具(アーティファクト)を使ったな!? 卑怯だぞ!」


 カイルの叫びに、観客席も「そうだ!」「不正だ!」と騒ぎ出す。

 やれやれ。理解できない現象はすべて不正扱いか。


「魔道具など使っていない。ただの技術だ」

「嘘をつけ! 人間の脳みそで、そんな器用な真似ができるかよ!」

「できるさ。お前のような単細胞でなければな」


 俺は挑発的に手招きをした。


「ほら、どうした勇者様。まだ試合は終わっていないぞ? 不正だと思うなら、その剣で確かめに来ればいい」


「……殺してやるッ!!」


 カイルが激昂し、全身から金色の闘気を噴き上げた。

 原作におけるカイルの必殺技、【光速連斬】の構えだ。理屈抜きの速度で相手を切り刻む、序盤の初見殺し技。


「二度目はない! 切り刻んで挽肉にしてやるよ悪役貴族ゥ!!」


 カイルの姿がブレて消える。

 速い。さっきとは段違いの速度だ。左右ジグザグに動き、俺の視界を攪乱しながら迫ってくる。


 だが、見えている。

 俺は一歩も動かず、両手をだらりと下げたまま、淡々と術式を構築する。


 ――右脳:地形操作【泥沼(マッド・スワンプ)】。

 ――左脳:雷撃魔法【紫電(ライトニング)】。


 カイルが俺の背後に回り込み、剣を振り上げた瞬間。


「死ねぇぇぇッ!!」

「足元がお留守だぞ」


 ズブッ。


「え?」


 踏み込んだカイルの足が、突如として液状化した石畳に深く沈み込んだ。

 勢いよく踏み込んだ反動で、バランスが完全に崩れる。

 前のめりに倒れ込むカイル。

 そこへ、俺は振り返りもせずに左手をかざした。


 バチバチバチッ!!


「ぎゃああああああああっ!!?」


 濡れた泥沼は、電気をよく通す。

 致死量ギリギリの電圧が、足元から全身へと駆け巡った。

 カイルは白目を剥き、痙攣しながら泥の中に顔面から突っ込む。


 だが、まだ終わらせない。

 俺はすぐさま次の処理(タスク)へ移行する。


 ――右脳:重力魔法【グラビティ・プレス】。

 ――左脳:水流魔法【ウォーター・カッター】。


 俺は泥まみれのカイルを見下ろし、右手を振り下ろす。

 ズドンッ!

 不可視の重力がカイルを地面に縫い付け、起き上がろうとする頭を強制的に泥水の中へ押し付ける。


「ぶぐっ、ごぼッ……!?」

「どうした、剣を使わないのか? 最強の武器なんだろう?」


 左指を弾くと、高圧の水流が鞭のようにしなり、カイルの手から聖剣を弾き飛ばした。

 カラル、と虚しい音を立てて剣が転がる。

 武器を失い、泥水を飲み、重力に押し潰される勇者。

 その姿に、もはや観客席からは罵声の一つも上がらない。全員が、恐怖と畏敬の眼差しで俺を見つめている。


「あ、あが……た、助け……」


 カイルが涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える手を俺に伸ばす。

 さっきまでの威勢はどこへやら。

 これが、原作で俺を殺すはずだった男の正体か。


 俺は冷徹な瞳で彼を見下ろした。

 トドメだ。

 俺の実力を、学園中に骨の髄まで刻み込んでやる。


「終わりだ。消えろ」


 俺は両手を合わせる。

 異なる二つの魔力を、体外で強制的に融合させる。

 本来なら制御不能で爆発するはずの危険な行為。だが、完璧な並列思考による微細なコントロールがあれば、それは最強の「合成魔法」となる。


 ――右脳:風属性【竜巻(トルネード)】。

 ――左脳:火属性【火炎(フレイム)】。

 ――合成魔法:【火炎竜巻(フレイム・ストーム)】。


 ゴオォォォォォォッ!!


 俺の手のひらから放たれたのは、天を焦がすほどの巨大な炎の渦だった。

 審判が慌てて「勝負ありッ! 防壁最大展開ッ!」と叫ぶが、遅い。


 炎の竜巻はカイルを呑み込み、ついでに審判が張ろうとした障壁ごと彼を空の彼方へ吹き飛ばした。

 闘技場の壁にカイルが激突し、ズルズルと滑り落ちる。

 黒焦げのアフロヘアになった勇者は、口から白煙を吐いてピクリとも動かなくなった。


 シーン……。


 完全な静寂。

 誰一人、言葉を発せない。

 やがて、審判が震える声で宣言した。


「し、勝者……ユリウス・フォン・アークライトォォッ!」


 わっと歓声が上がる――ことはなかった。

 あまりに圧倒的な力の差。あまりに一方的な蹂躙。

 生徒たちは恐怖に顔を引きつらせ、教員たちは理解不能な魔法現象に頭を抱えている。


 俺は服の埃を払うと、気絶しているカイルを一瞥もしないまま、出口へと歩き出した。


「ふん。口ほどにもない」


 背中で感じる視線が変わったのが分かる。

 侮蔑から、畏怖へ。

 雑魚悪役から、魔王のような怪物へ。


 いい気分だ。

 俺はニヤリと笑った。


(見たか、これが『二重詠唱(ダブル・キャスト)』だ。俺の運命は、俺が支配する)


 通路へ消えようとする俺の背中を、観客席の隅から熱っぽい視線で見つめる少女がいることに、今の俺はまだ気づいていなかった。

 聖女の制服を着た、儚げな銀髪の少女が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る