D.iary-13灰色の都市を飛び越え、貴方の元へ
少年はビルの谷間を縫うように疾走していた。足取りは安定しており、かつ迅速だ。 ルートに一切のズレはない――全ての角、全ての階段、全ての一歩が、「あの過ぎ去った未来」と寸分違わず一致している。
セシリアは静かに彼の横に付き従い、視線をその反復される経路に落としていた。 一体どれほどの午後を重ねれば、このルートが烙印のようにノアの動作に刻み込まれるのだろうか。
「なあ、リア」
ノアの足が不意に止まった。声は彼の前方から聞こえた。唐突な静止に、後ろをついていたセシリアも微かに止まる。
「どうしました？」
彼女は静かに尋ねた。 ノアは振り返った。その表情は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。
「実は君さ……俺を連れて直接飛べるんじゃないか？」
セシリアは明らかに半秒ほど呆然とした。プログラムに一時的な空白が生じたかのようだ。 すぐに彼女の視線がわずかに下がり、何らかの演算を行っているようだった。 一秒も経たずに、彼女は平穏を取り戻した。
「……原理的には、」彼女は答えた。「貴方の身体機能を直接強化することはできませんが、貴方が提案した方式は――理論上、確かに実行可能です」
ノアは沈黙した。そして人類共通の疑問を投げかけた。
「じゃあなんで早く言わないんだよ？」
セシリアは目を上げ、彼を見た。それは典型的で、特有の、波風の立たない凝視だった。
「貴方が質問しなかったからです」
……教科書通りの回答だ。 ノアは心の中で悪態をついた。セシリアを設計したのは、間違いなく悪趣味な人間に違いない。
セシリアの声は変わらず平坦に続いた。
「貴方の行動軌跡は元の時間線と一致しています」 「回溯干渉の初期段階において、貴方の行動パターンを安定維持することは、変数の低減に寄与します」
ノアの心にまた一言浮かんだ――『でも誰にも見えず、記録もされない状態で、本当に変数にカウントされるのか？』 ――だが言わなかった。セシリアがあまりに正論で、かつ頭痛の種になるような説明を返してくるのが想像できたからだ。
そこで彼は深掘りするのを諦めた。 彼は頭上にのしかかる暗雲を見上げ、深く息を吸った。
「リア」
ノアは視線を上げ、軽快な決意を込めて言った。
「飛んでいくっていう提案、どうだ？」
セシリアは静かに彼を一瞥した――それは評価と分析を行うような眼差しだった。
「同意（アグリー）」
セシリアは掌を上げ、声は変わらず淡々と安定していた。
「全身の力を完全に抜いてください」
ノアが呼吸を整えようとした矢先、柔らかいが絶対的な力を持つ気流が足首から這い上がり、彼を羽根のように持ち上げた。それは風のようではなく、何らかの不可視の光に覆われているような感触だった。
「今回は手、繋がなくていいのか？」
ノアの何気ない軽口に、セシリアの動作が極めて稀な、ほとんど感知できないほどの停止を見せた。 空気の流れが半秒凝固したようだ。
そして――重力の方向が一瞬で反転した。
ノアはセシリアの前髪が空中に舞うのを見たかと思うと、次の瞬間、彼の視界は天地逆転し、足元の地面が空となり、現実は静かに引っくり返された。 彼の身体は滑らかに、かつ急速に上昇し――
飛んだ。
ノアから見れば、眼下の都市の風景が、歩行者にはあり得ない速度で次々と後ろへ飛び去っていく。 独特な視点だ――風の掌に乗せられて進んでいるかのよう。
見慣れたビル群が目の前を一棟また一棟と過ぎ去る。雨はまだ落ちていないが、空気中の重苦しい湿気から、暴雨の接近を嗅ぎ取ることができる。その湿り気が肌に張り付き、音もなくカウントダウンをしているようだ。
ノアは急速に迫る街路や建物を眺めながら、心の中に微かな、しかし鮮明な切迫感が湧き上がるのを感じた。
12:15。
空がゆっくりと視界に戻ってきた。 ノアは母の勤務する会社の入り口に立っていた。 幼い頃からここに来た回数は多くはないが、このビルを記憶に刻み込むには十分だった。 今また見上げると、馴染み深くもよそよそしい圧迫感が、壁面に沿ってゆっくりと降り注いでくる。
セシリアは彼の横で足を止め、瞳孔をわずかに絞り、何らかの不可視のデータ変動を確認しているようだった。 やがて、彼女の声が静かに落ちた。
「行きましょう」
ノアは深く息を吸った。指先が緊張でわずかに丸まったが、返事は簡潔で落ち着いていた。
「ああ」
少年と少女は視線を交わし、並んで目の前のビルへと歩み入った。
ビルに入った瞬間、外の湿気と不安は人為的に切断されたかのように、ここ特有のリズムに完全に取って代わられた。 オフィスエリア特有の乾燥した匂いを帯びた冷気が吹き付け、足音、キーボードを叩く音、プリンターの駆動音が混ざり合い、忙しないホワイトノイズとなっている。
人混みが彼らの脇を絶え間なく流れていく。分厚いファイルを抱えた人、イヤホンに向かって声を潜め早口で議論する人、隅でこっそりタピオカミルクティーを注文し、指先でトッピングのオプションを高速タップしている人。
「あ、私の嫌いなマンゴーポメロサゴだ。品がないですね」
「そういう些細なことに関心を持つと、安心するんだよ」
セシリアは平然と言ったが、その目には微かな気遣いがあった。
「たぶん、そうかもな」
ノアは分かっていた。今の冗談の数々はすべて、心臓の急激な鼓動と狼狽を隠すための飾りに過ぎないことを。
ノアとセシリアは肩を並べて歩き、足早に通り過ぎる社員たちを慎重に避けた。 見えない二人は混雑した都市の隙間を縫うように進むが、誰よりも切迫した目的を抱いて――ノアの母のオフィスへと、一歩一歩近づいていく。
世界は騒がしいが、呼吸音は乱れてはっきりと聞こえる。
12:30。
ついに、ノアは見慣れたデスクの前に、記憶の深層に刻まれたその顔を見つけた。
母はスマホを持って俯き、指先で軽くタップして返信をしているようだった。 眉間にはいつもの集中した色が漂っていたが、ある瞬間、わずかに動いた――何かを察知したかのように、彼女はふと隅の方へ顔を向けた。
その刹那、ノアの心臓が強く掴まれ、無数の記憶が目の前を駆け巡った。 空気中で彼女の視線と交錯し、彼は眼窩が熱くなる速度を肌で感じた。
ノアは猛然とセシリアの手を掴み、逃げるような足取りで彼女を傍らの非常階段へと引き込んだ。
隔壁のドアが「カチャ」と静かに閉まるまで待って、ようやく声が胸の内で震えながら絞り出された。
「セシリア……母さんに、会いたい……」
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