エメラルドの涙を流す美少年は、医者見習いに愛を求める
桜川こと
第1話 運命の出会い
空からエメラルドが降ってきた。
飴玉くらいの雫型の宝石が私の手のひらの上を転がった。
たった19歳のただの少女の私には、似合わない宝石。
晴れていたら、太陽の光でまばゆく照り輝いていたことだろう。
しかし、今にも雨が降りだしそうなこの天気では、鈍く輝くだけだった。
そもそも手のひらでこのエメラルドをうまくつかみ取れたのも、雨が降っているか、道を歩きながら確認するために手を広げたからだ。
突然の空からの落とし物に、うまく状況を呑み込めないでいた。
私はそれを握りしめ、ポケットに入れようとしたそのときだった。
何かに包まれた赤ん坊を抱きよせる手、床に落ちた大量のエメラルドの粒、小さな窓から見下ろす遠くの平原、そして、鬼のような形相の男からナイフを刺される瞬間。
それらの断片的なイメージは走馬灯のように脳裏に広がり、強烈な衝撃を私に与えた。
「うわあああああ!」
私はその場にへたり込んだ。
王都の路地、王宮は目の前だ。
周囲の人々が一斉にこちらを見る。
「どうした、リーノ!」
前を歩いていた祖父がすぐに駆け寄ってきた。
何事かと焦った様子のおじいちゃんは、すぐに呆れた表情をした。
「なんだ、蜘蛛じゃないか」
偶然にも私の足元を小さな蜘蛛が通り過ぎていった。
周囲の人々も、なんだ、という顔でそれぞれの生活に戻っていく。
「違うよ、おじいちゃん! 今、何か変なのが」
「わかったわかった。全く、そんな調子で医者が務まるのか、お前は。本当にリーノは抜けてるというか何というか」
おじいちゃんはため息をつきながら元居た方向へ翻す。
しかし、私は先ほどの走馬灯の意味が分からず、ただ茫然としていた。
冷たい汗が首筋をゆっくりとつたう。
「おい、リーノ。何してる。早く行くぞ」
「……はーい」
私も同じく声を張り上げて、緑の雫をポケットに突っ込み、顔を上げた。
秋の曇天を遮る王宮の壁と、王宮内に高くそびえ立つ古びた塔。
まるでこの奇妙な思いを描いてくれているような景色だった。
私は速足でおじいちゃんのあとを追った。
王宮に足を踏み入れるおじいちゃんに、私は胸を高鳴らせながら後ろをついていく。
「王宮の中ってこうなってるんだ! ずっと王都に住んでるけど、中に入るのは初めてだな」
「リーノ、こんなところではしゃぐな。静かにしなさい。まったく、お前はどこにでもついてくるな」
「いいじゃない。私、早くおじいちゃんみたいに立派な医者になりたいんだもん。診察ならどこへでもついていって勉強するよ」
「今回は家で待ってろとあんなに言ったのに。我が孫ながら、もっと厳しく育てるべきだったか……」
おじいちゃんは大きくため息をついて、呆れた表情で私を見た。
おじいちゃんは私の祖父というだけあって、身体的特徴がよく似ている。
今は白髪交じりの栗色のまっすぐな髪、黒い瞳、少し小柄だけど健康的な体つき。
服装も茶色のスーツを着こなし、医療道具をしまってある清潔なバッグを片手に、常に身綺麗にしていた。
私はかけていないけれど、おじいちゃんは眼鏡を右手でたまに持ち上げるのが癖だった。
要するに、医者としての威厳と誠実さを保つには十分な見た目だった。
「少しでも勉強になるなら、私、おじいちゃんの足に縋り付いてでもついていくからね」
「わかった、わかった。でも、今回の診察だけは口外するなよ。なんせ、訳ありの患者だからな」
おじいちゃんは意味深に言い残し、王宮の回廊を歩いて行った。
コズ王国の王宮は想像以上に広くて立派だった。
私たちの王国はここ数百年で急激に栄えた新興国だ。
それゆえに、王宮も古臭くなく、きらびやかな装飾でいっぱいだった。
おじいちゃんは先頭を歩いてその華やかな王宮から出て、開けた裏庭へ出た。
そこは高い壁に囲われ、手入れが行き届いていないのか草がまばらに伸びている雑然とした場所だった。
その一角に、来る途中で見た古びた塔がそびえたっていた。
交互に積み上げられた石の壁に、ツタやコケが蔓延り、どう見ても長年人がよりついていないように見えた。
「ここだ」
おじいちゃんはそう言って、塔の前に立つ兵士に一言二言交わし、中へ入っていった。
「嘘でしょう? こんなところに患者がいるの?」
私は戸惑いながらも、慌てて追いかけて塔の中へと入っていった。
長い螺旋階段を通り抜けてたどり着いた、腐りかけの木のドアを開けると、薄暗い部屋の中で召使がちょうど昼食の配膳のためにお盆を持っているところだった。
パンと野菜スープ。
庶民が食べるような質素な食事だった。
召使は部屋の中のテーブルにそれを置き、部屋の隅へと控えた。
部屋の中を覗き見ると、そこには一人の少年が椅子に腰かけていた。
遠目でよくわからなかったけれど、白っぽい服を着た、色白で細身の少年だった。
「リーノはそこで立っていろ」
おじいちゃんは言い残し、私を入口に置いて、少年の前に膝をつき、バッグを広げた。
「元気だったかね?」
少年は何も答えなかった。
おじいちゃんは診察を始めた。
私にはよく見えなかったけれど、どうやら消毒をしたり、包帯を巻いたりして、外傷の手当をしているようだった。
しばらくすると、おじいちゃんは立ち上がり、私に近づいた。
「私は少しだけ席を外す。すまないが、ここで待っていてくれ。すぐ戻る」
そう言って、私と少年を残して出て行ってしまった。
部屋の対角線上に少年と医者見習いの私。
少年は部屋の中に一つだけある小さな窓の外をにらみつけるように見ていた。
私は入り口付近の石の壁に背をもたれかけさせながら、この絶妙な気まずさをどうしようかと考えていた。
もたれていた壁はたまに小さな音を立てていた。
恐らく、ずっと昔に建てられた塔だから、ぐらつく箇所が出ているんだろう。
そんな王宮で隔離された劣悪な環境に少年が一人住んでいるのが、奇妙に思えてならなかった。
そうやってぼんやりしていると、少年が急にうめき声を上げて苦しそうに腹部を抱え始めた。
「どうしたの!? お腹痛いの? 見せて!」
少年は必死に白いシャツを押さえていたが、私は力をこめて腕を押しのけ、シャツをめくった。
「なに、これ……?」
目の前の少年の体に衝撃を受けた。
少年の服の下は傷跡でいっぱいだったのだ。
小さいころに作ったであろう切り傷の跡や、最近できたと思われるあざが至る所に広がっていた。
少年は先ほど手当されたと思われる包帯を巻いた患部を押さえてうずくまった。
「どうしてこんなに? あなた、どこでこんな傷作ってるの?」
私は少年のシャツをすべて脱がせようとボタンに手をかけた。
「やめてよ!」
少年は私の手を払いのけ、患部を押さえながら窓際へと逃げた。
「待って! そんな状態で歩いたら危ないよ」
急いで窓際へ追うと、足元に見覚えのあるものが転がっていた。
「エメラルド……?」
雫型の緑の宝石。
先ほど手のひらに降ってきたものと同じだった。
「返して!」
少年は必死な表情で私の手から小さな宝石をひったくろうとした。
私は手を引っ張られながら、少年の容姿をその時初めてしっかりと確認した。
ふわふわと揺れる少し跳ねた銀髪に、裸足に白いシャツとズボンを身にまとい、装飾品は一つもつけていない。
それなのに私は鮮やかすぎるほどの色に視線が引き付けられた。
彼の瞳だ。
長いまつ毛の下できらきらと輝きながら、どこまでも見る者を深く吸い込んでしまうような緑の瞳。
まるでエメラルドの宝石だった。
彼の美しすぎる瞳に見入っている間に、彼は私の手から宝石を取り返していたようだ。
「宝石、集めてるんだ」
少年は目を合わせずに呟き、ズボンのポケットにそれをしまい込んだ。
私は何がなんだか分からず、大きく息を吸って、早くおじいちゃんが戻ってこないものかと扉のほうを振り返った。
すると、入口付近の先ほど昼食を運んでいた召使と目が合った。
視線を投げた途端、あからさまに目を逸らしたのが気になった。
少年のほうをもう一度見ると、何事もなかったかのように、元居た椅子に座り、テーブルに積み上げていた本を読み始めていた。
そこでおじいちゃんが戻ってきて、「帰るぞ」と言い、私たちはその異質な塔を後にした。
これが王国の秘密の真相に迫り、そして私と少年の運命を大きく変える物語の始まりだった。
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