「家族旅行」

ナカメグミ

「家族旅行」

 「夏休みの家族旅行の計画を発表します!」。夕食のテーブル。父が高らかに宣言した。地獄へのファンファーレ。

 学校が長期休みに入るたび、繰り広げられる壮大なRPG(ロール・プレイング・ゲーム)。気を引き締める。家族旅行は楽しむ場ではない。忍耐の場だ。


*  *  *


ルール・その1 「旅先では、その土地ならではの体験を、存分に味わいましょう」

 

 小学4年生。今回のテーマはホエール・ウォッチング。領土問題が残る土地が、彼方に見える。その近くまで行き、マッコウクジラを生息環境の中で見る。

 前日の宿での準備。船に乗る時間は往復4時間ほど。酔い止めの薬、吐き気をもよおしたときの袋、防寒着をリュックに詰める母。傍らには一眼レフカメラ。

 最早、恐怖を覚える一眼レフ。

 

 翌日早朝、起床。車で船の発着場に向かう。ライフベストを全員、着用して船に乗る。進み始めた。防波堤に、威風堂々ととまる猛禽類。

 黄色い嘴。羽に白の模様。「あれはオオワシ」。その先。「あっちはオジロワシ」。4歳年下の弟は図鑑マニアだ。動物や鳥の図鑑を飽かずに見る。鳥の名に詳しい。


 船の両サイドを、イルカが泳ぐ。母が、首に下げた一眼レフカメラを持つ。両脇を締めてシャッターを切る。母よ。それは何のための写真ですか。知ってるけども。


 国後島が見える手前。船は低速になった。マッコウクジラが見えるエリアに着いた。海面からクジラ。背をのけずるようにダイビング。大きな水しぶきに、船の上から歓声が上がる。海面から上がる噴水状のもの。潮吹き。光を帯びる、つややかな黒と白。シャチも見えた。

 雄大な大自然。美しい。でも帰宅後に待つ地獄も、私は知っている。


*   *   *


 テーブルの上に並べられた画用紙の束、マジックペン12色、ノリ、ハサミ、一眼レフで撮影した写真のプリント。

 「自由研究地獄」の始まりだ。通う小学校。夏休み明けの廊下には、自由研究が展示される。大別すると3種類。

 1つ目。子ども自身が、興味あることを自力で調べる、正しい自由研究。虫に興味がある男子の研究などがこれ。

 2つ目。製作系。リサイクルできるもので作ったサッカーゲームや、工作キットを使った手軽なものまで。これらは、男子が休み時間に遊んで、早めに壊れる。

 そして3つ目。体験記や旅行記。国内各所、中には海外旅行の体験を、写真とともに、大判の模造紙や冊子にまとめる。うちはこれ。もっぱら国内。

 

 鉛筆で文章の下書き。写真のレイアウト。動物の生態説明。マスコミで働いていた母親が、傍らにつく。妥協を知らない。文章、誤字、写真説明。絶えず入るチェック。効果的な色選び、マジックペンでの清書。

 旅行で疲れた。更に疲れる自由研究。画用紙に穴をあけ、紐で綴じた。

 自由研究が終わった安堵感。そして徒労感。賞をもらった。うれしくない。自力でとった賞ではない。単なる義務だ。


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ルール・その2 「旅先では、あらゆる知識を吸収しましょう」


 ある年の旅行。東日本大震災のあった地域。津波に襲われた小学校の跡地を訪れた。人間が予想も、避けられも出来なかった地球の脅威。ただ、悲しい。

 翌日は鍾乳洞へ。母は極度の心配性だ。地中にいるときに地震があってはいけないと、弟と足早に進む。私は父と一緒。父は丹念に案内看板を読む。鍾乳洞とは。「石灰岩の地層に、二酸化炭素を含んだ雨水や地下水が長い年月をかけて染み込み、岩石を溶かしてできた地下の空洞」です。すべては教養。教養は武器。


 わかるよ、父。でも私、学校で毎日、授業受けてるし。学校の集団行動で、もう疲れてるし。夏休みや冬休みくらいは、ゆっくりしたいし。

 飲み込む本音。帰りの車内。母は今回の旅について、クイズ形式の質問を出す。先を競って答える私と弟。ここは、きょうだいでの競争。つらい。


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ルール・その3「芸術にも、たくさん、触れましょう」


 コロナ禍。入学したばかりの高校は休校。2カ月あまりを、家で息をひそめて過ごした。授業はオンライン。先の見えない日々が一段落したころ。国が苦境の観光業を支援しようと、旅を呼びかけた。家族旅行が復活した。

 近場の、観光業が盛んなまちへ。


 うちの家族旅行の特徴。スケジュールがタイト。そして直前まで、詳細が家族に明かされない。

 車が着いた。ガラス工房。そのまちは、繊細なガラス製品が有名だ。父は、デザインしたグラスを作る体験コースを申し込んだ。弟と2人。スクエア底と丸底。選んだグラスに、デザインしたシールを貼って、ガラスに曇りを付けて浮き上がらせる。

 弟は絵が得意。木にとまるキツツキを描いた。私は絵が苦手。でも雪の結晶など、クリスマスをテーマに図柄を描いた。炉の中にグラスを入れる。やけどに気をつけて慎重に。そっと引き出す。美しく模様が出た。少しだけ、楽しかった。


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ルール・その4 「旅先では、地元の味を、味わいましょう」


 旅先では、必ず地元の店に入る。事前に店は決めない。その時のフィーリング。父は気ままに車を走らせる。店の看板に目を留めた。まちの定食屋。

 車を停める。入る。日曜日の地元の店。テレビには、地元球団のデイゲーム。地元の人々がくつろいでいる空間に入る。

 異質な私達。伝わる。雰囲気で。店員さんがよそよそしい。父のようなジャケット姿で定食屋に来る人は、おそらくこのまちにいない。地元ならではの魚の唐揚げ定食。歴史の古い都市とは異なり、この地では、多い量の料理が、人をもてなすことを意味する。食べきれない。持ち帰った。

 

*   *   *


 家族旅行史上、最悪な私の記憶。

 小学5年生。父の実家がある名古屋を訪れた。隣県の航空博物館に行った。入口に広がるアスレチック施設。胸が踊った。木製の滑り台。歩いて渡る木の吊り橋。弟と遊んだ。のどが乾いた。父親が500円玉をくれた。自動販売機でジュースを2本、買った。

 お釣りを返す。父が尋ねた。「お釣りはいくら?」。500円ー(130円+140円)=230円。1年生の計算。だが油断していた。突然だった。「240円」。10円、間違えた。父は呆れた。母は金切り声を上げた。

 「なんのために公文、やってるの!」。

 塾の送迎ができない母は、通信制の公文教材で英語と算数を教えた。母は勉強に妥協がない。簡単なミスを、母は許さない。涙があふれた。湧き出す怒り。

 いつ、くつろげる?。いつ勉強、忘れられる?。いつまで旅ごっこ、続ける?


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 16歳。コロナ禍以降、初めての冬休み。高校1年生。行動の軸は、友人たちに移りつつあった。来年から、大学受験に向けた勉強も、部活動も本格化する。

「家族旅行に参加するのは、これが最後で」。父と母、弟に伝えた。

 ただし、自分なりのケリはつける。


*   *   *


 「機嫌、よさそうだな」。運転席の父。後部座席の私に声をかけた。つい、鼻歌が漏れる。弟は中学1年生。スマホを見て、母に注意される。

 旅の準備は入念に。父と母に教わったことだ。だから私も入念な準備をした。

万端だ。


 今冬の旅は、東北の秘湯を皮切りに、その周辺をめぐる。年末年始は東北だ。飛行機で向かう。父が搭乗手続きを済ませた。飛行機に乗るときの常。父と弟、母と私に別れて、順にトイレに行く。

 預かった父のトートバッグ。便意をもよおしたと母に言い、1人で女子トイレに向かう。1分で完了。搭乗口から飛行機に乗り込む。青森行き。定刻通り、離陸した。

 

 トートバッグの中の、今の父の財布の中身。書店のポイントカード。コーヒーチェーン店のポイントカード。札入れには、20枚の1000円札。

 1泊目の秘湯の宿は、現金決済だ。クレジットカード、キャッシュカード、1万円札20枚は、女子トイレのゴミ箱に捨てた。母の手持ちの現金は、たかが知れている。父も母も、スマホの決済機能を使えない。


 眼下に遠ざかっていく陸地。到着した空港から秘湯までは、無料の送迎バスだ。

年末年始の家族連れでにぎわう宿。あなたたち2人が困惑し、絶望する顔が、見てみたい。

(了)




 



 




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「家族旅行」 ナカメグミ @megu1113

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