沈黙の同窓会 ―Requiem of Ten Years―
てつ
第1話 影を踏む音
教室の扉を開けるたび、空気が変わるのが分かった。
湿った布を鼻の奥に押しつけられたような、重い沈黙。
そこに“私だけを見張る視線”が沈殿している。
始まりは些細なことだったはずだ。
忘れ物をした日の、あの小さな失敗。
机に置かれた落書き。
消えた上履き。
無視。
笑い声。
背中に感じる視線と、理由の分からない悪意。
でも、誰も助けてくれなかった。
……一人を除いて。
佐伯優斗。
クラスでも目立つ方で、誰とでも自然に話せる人。
私の机の前に落とされた雑巾を、当たり前のように拾ってくれた唯一の人。
「結衣、大丈夫? また誰かにやられた?」
そう言って寄り添ってくれた声は、本当に優しい音をしていた。
彼の前だと、胸の奥で固まっていた氷が少しだけ溶けた。
私はその温度に何度も救われた。
けれど――
いじめは、止まらなかった。
廊下で肩をぶつけられ、体勢を崩した時。
――わざとじゃないよ――
と笑いながら私を押しやった女子の後ろで、男子たちがくすくす笑っていた。
息が詰まり、その場に立ち尽くした私の腕を、
優斗がそっと掴んで引き上げてくれた。
「気にしなくていいよ。皆、ちょっと悪ふざけが過ぎるだけだから」
悪ふざけ――。
私には、そうは思えなかった。
でも、その言葉を否定すると、優斗の優しさまで壊してしまいそうで。
私はただ、「うん……」と頷くしかなかった。
放課後、教室の隅で泣かないように必死で呼吸を整えていると、
優斗が飲み物を手にやってくる。
差し出される缶コーヒー。
温かさが指に染みた。
人から優しくされることなんて、久しくなかった。
私はその優しさを信じた。
信じたかった。
どれほどひどい日でも、
――優斗だけは私の味方だ――
そう思うことで、ぎりぎり心が壊れずに済んでいた。
けれど、あの頃の私は知らなかった。
優斗の靴の裏に、
私の“影”が確かに踏まれていたことを。
放課後の廊下で、誰かが笑いながら私の名前を囁くあの音。
その中心に、気づかぬふりをして立っていたのが――
優斗だったなんて。
十年後、私は知ることになる。
あの優しさが、すべて“仕組まれたもの”だったということを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます