愛の檻
@hanamizukiyume
雪の記憶
過去の残響
ロイド・ウィリアムズの世界は、七歳で知った 「秩序と冷徹」 によって形づくられた。
彼の母アリアは、財閥トップである父の愛人だった。
病弱で、母と過ごせた時間は長くはない。
ロイドの胸に残っているのは、
「強く生きなさい」とそっと手を握ってくれた、あの優しい声。
そして――冷たくなったその手を、小さな自分が必死に握りしめた感触。
その記憶が与えたのは温もりではなく、深い悲しみだった。
母の死後、ロイドはウィリアムズ家に引き取られる。
優勢αとしての類稀な才能は早くから認められたが、本妻とその実子である劣勢αの兄は、その才能を快く思わなかった。
実父は傍観し、ロイドを「家の利益のための道具」としか見なかった。
幼いロイドに突きつけられた現実は残酷だった。
彼は、既存のα序列を脅かす 「厄介な異物」 でしかなかったのだ。
雪の夜の出会い
絶望に押され、家を飛び出した雪の夜。
ロイドは古びた公園のブランコに座り込んでいた。
誰も彼の存在など見ていないかのように通り過ぎていく。
肩には雪が静かに積もり、孤独は永遠のように続いた。
――その時だった。
ふと、周囲だけ雪が落ちてこないことに気づき、ロイドは顔を上げる。
白い髪。
湖のように澄んだ碧い瞳。
小さな少女が、彼にそっと傘を差し出し、冷たい手を握っていた。
「これくらいしかできないけど……元気、出して」
その無垢な優しさは、凍りついた心にひどく痛く、そして温かかった。
「……君は、誰だ?」
ロイドが尋ねても、少女は首を横に振るだけだった。
気づけば、少女の姿はもうどこにもない。
ただ、小さな傘だけがロイドの手に残っていた。
それ以来、ロイドは毎日公園へ通った。
会えなくても、それでもよかった。
いつかもう一度会える日を信じ、その恩を返すために――彼は優勢αとしての天賦を磨き続けた。
そして時は流れ――
ロイドの立ち上げた企業グループは、創業から数年で次々と上場を果たした。
現在はホテル、不動産、ゼネコン、金融と多岐にわたる事業を手がけ、投資家としても抜群の成果を挙げている。
その実績から、αの世界では“頂点”として扱われ、社会階層においても最上位に位置づけられる存在だ。
交渉力、判断力、統率力、そして圧倒的なカリスマ性──
そのすべてに秀でたロイドは、20代にして財界ランキングの常連となり、「若き帝王」と称されるまでになった。
黒髪に緋色の瞳という端正な容貌と、モデルのように整った体躯からくる人気は絶大だが、その視線が女性に向けられることはない。
レイ・フォード:観察者としての崇拝
超高層ビルの最上階。レイ・フォード(24)は、タブレットを操作しながら、向かいに座るロイドに報告を終えた。
「先日の買収の件だがこちらに有利な形で進められそうだ。相手の優勢αとしての才能も下劣な策略も通用しなかったようだな」
「…当然だ」
ロイドは窓の外を見つめたまま、感情のない声で答えた。
レイは幼い頃から才能を見抜かれ、ウィリアムズ家の出入りを許された数少ない子だった。
父アダム・フォードの思惑も、ウィリアムズ当主が才能ある若者を“駒”として扱おうとする意図も、レイにははっきりと見えていた。
有用性を示し、気分を損ねぬよう振る舞う日々。
彼にはただの茶番にしか感じられなかった。
そんな彼が唯一興味を抱いたのが――
予測不可能で、常識を壊すロイドという存在だった。
レイにとって献身とは忠誠ではない。
“至上の才能が既存の秩序を破壊し、新たな頂を築く瞬間を見届けたい”
という、観察者としての知的欲求だった。
運命への誘いとαの直感
レイは、今夜のスケジュールを確認し、重厚な招待状をロイドに差し出した。
「今夜はアッシュ財団の定例ディナーだが……あの手の場で得られるものといえば、甘ったるい賛辞と浅い駆け引きくらいだ。
わざわざ足を運ぶほどの価値があるとは思えない。
――むしろ、興味がないと言っていたオークションの方が、まだ幾分か“退屈しない”かもしれない。」
それは、秘密裏に開催される、上流階級向けの「プライベート・オークション」の招待状。
ロイドは興味なさげに読み上げ、いくつかあるなかの**「特別な商品」**の項目に目を留めた。
レイは、その緋色の瞳が一瞬、幼い日の記憶を探るかのように微かに揺らいだのを見逃さなかった。
「今夜は、オークションに出席する。アッシュ財団には、私から連絡を入れておく」
ロイドは即座に決断した。
「了解した。だがディナーを欠席して、何を探している?」
ロイドは、レイの目を見ずに答えた。
「…行けばわかる」
ロイドは、自身のαの直感に従い、運命的な夜へと向かうことを決めた。
オークション会場:レイラの牽制
会場に足を踏み入れた瞬間、煌びやかな光と優勢αたちの濃密なフェロモンが入り混じる独特の空気が漂っていた。
その中央でひときわ視線を集める存在がいた。
レイラ・フォード(24)――レイの双子の姉であり、パリコレも歩くトップモデル。
今は人気俳優としても名を馳せる優勢α。
生まれながらの家柄と美貌に揺るぎない自信を持ちながら、その気品と優しさの奥には、どうしても人を損得で測ってしまう癖がある。
女性を寄せ付けないことで有名なロイドとも、フォード家の縁から仕事だけでなく私的に出かける姿が度々目撃された。
世間では二人は“美男美女の理想的な大物カップル”と囁かれている。
レイラ自身、ロイドに秘めた恋心を抱いている。
そんな彼女が、上品なドレスを揺らしながら優雅に近づいてきた。
「ロイド、レイ。こんな場所に来るなんて珍しいわね。知っていたら、ご一緒したのに」
微笑みには、表面張力のような優雅さがあった。
だがその裏では――
ロイドの隣の席を当然のように“自分の場所”として確保しようとする、柔らかながら確かな牽制のフェロモンが静かに漂う。
彼女にとってロイドは、家柄にも才能にも釣り合う、もっともふさわしいαであり、
世間が認める“自分の隣に立つべき存在”でもあった。
だがロイドは、氷のように冷ややかな声で言い捨てた。
「君にプライベートを共有する必要はない。」
レイラは微笑みを崩さなかった。
だがその指先がわずかに強張ったのを、レイは見逃さなかった。
内心は――静かに波立っていた。
運命の落札
オークションは幕を開ける。
競り台に並ぶのは、歴史的美術品、禁輸品、消えたはずの宝石。
金の価値を超えた“影の逸品”が静かにαたちの欲を煽った。
そして終盤――司会者が声を張る。
「お待たせしました、紳士淑女の皆さま!
今夜の主役にご登場いただきましょう!」
スポットライトの中心に立った女性。
白銀の髪、深い碧眼。震える体。
その瞬間、ロイドは全身を撃たれたように固まった。
あの夜――
あの少女の面影が、鮮やかに蘇る。
αとしての本能が叫ぶ。
“この女を失うな”
競りの開始と同時に、ロイドは静かに告げた。
「――100億。」
会場の空気が凍りつく。
ロイドの一声は、絶対的な優勢αの圧に裏打ちされていた。
落札後、ロイドは自分のジャケットを彼女の肩に掛け、静かに問いかける。
「名前は?」
女性は、小さく首を横に振る。
「……君は、ユキだ。」
そう告げると同時に、ユキはロイドのフェロモンに包まれて意識を失った。
レイの懸念
ロイドはユキを会場から連れ出し自宅に向かわせる。
レイはミラー越しに眠るユキを見ながら、静かに言った。
「オークションで競り落とした身元不明の女を、自宅で保護するつもりか?君の立場上、無用なリスクだ。」
ロイドが無関心を装おうとも、その動向は常に他者の欲と野心をかき立てる。
賞賛と同じ数だけ、引きずり下ろそうとする視線が向けられている。
スキャンダルは致命傷――レイはそれを知っていた。
だがロイドは揺るがず答える。
「……誰が何と言おうと、手放すつもりはない。」
愛の可能性
ペントハウスに着くと、ロイドはユキを抱え上げ、寝室へ運んだ。
他人を私室に入れるなど、ロイドにとってあり得ないことだった。
レイは迷いながらも口を開く。
「……情が足を絡め取るのなら、彼女は私が預かる。
頂に立つ君が崩れ落ちる光景など……想像すらしたくない。」
ユキの白い髪にそっとキスを落とし、ロイドは静かに問い返した。
「……ユキを愛したら、お前は俺の元を離れるか?」
その言葉は、レイの胸を深く揺さぶった。
ロイドが“愛”を口にした――その事実が。
しかしレイは、ゆっくりと首を横に振った。
「……ロイドが見る頂の先に、私は興味がある。それだけだ。」
レイは、ロイドとユキを受け入れる決意を固めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます