師匠が過保護なので逆に引き込もってみることにした ~世界は君を見逃さない~
風
第1話:転生先が王女で森の中ってどういうことですか
目が覚めたとき、まず最初に思ったのは。
(あ、これ、またやらかしたな)
だった。
本来なら、目を覚ましたら柔らかいベッドの上とか、頭上に心配そうにのぞき込む人の顔とか、そういうのがあってしかるべきなんだろう。
けれど私の視界にあったのは、揺れる木々の影と、やたらと高い空と、やけに冷たい風。
ついでに言うと、体が妙に軽い。
腕を動かそうとしたら、上手く力が入らない。
指も思った通りに動かせない。
(あー……はいはい、そういうやつね)
転生。
前世で流行っていたなろう系テンプレを、まさか自分が体験することになるとは思っていなかった。
しかも、状況的にこれはそれほど歓迎されてないパターンだ。
布みたいなものに包まれている感覚がある。
ご丁寧に、ひんやりとした地面の冷たさまで伝わってきた。
これはあれだ。
――捨てられてる。
嫌な理解だけはやけに早い。
赤ん坊の喉はうまく動かないので、ため息をつく代わりに「ふぇ」と情けない声が漏れた。
その瞬間、近くで草を踏む音がした。
「……泣く元気はあるようだな」
低く乾いた声が、頭上から降ってくる。
視界の端に、黒い影が差し込んだ。
正直に言えば、ちょっと怖い。
でも、怖いとか言っている場合ではない。
今の私には、そもそも選択肢がない。
(ここで黙ってたら、野生動物に食べられる未来しか見えないんですが)
赤ん坊ボイスでもう一度「ふぇ」と鳴いてみる。
影がわずかに揺れた。
「……どれどれ」
抱き上げられた。
ごつごつした、けれど妙に安定感のある腕。
鼻をくすぐるのは土と草と、少しだけ薬品の匂い。
私はその人物の顔を見上げた。
逆光でよく見えないけれど、長い髪と、不健康なまでの白い肌だけはわかった。
「王宮の布だな。……王女か。物騒な連中め」
淡々とした声だった。
怒りというより、呆れと、ほんの少しの諦めが混じっているように聞こえる。
(王女? あー、そういう設定でしたか)
あらすじだけ先に渡されて本編を読んでなかった、みたいな気分だ。
いや、実際本当にそんな状態なのだけれど。
ともあれ、ここで私は決めなければならない。
この人に拾ってもらうか、地面に転がされたまま人生二周目を終えるか。
選択の余地はない。
(お願いします。拾ってください。なんなら一生面倒見てもらってもいいです)
心の中で土下座をしながら、できる限り愛想良く、口角を上げる努力をした。
赤ん坊の表情筋では大したことはできないが、気持ちが大事だ。多分。
「……よくわからんが、妙に落ち着いた顔をしているな」
男――たぶんこの人が「賢者」とか呼ばれる人だろう――は、じっと私の顔を見つめた。
「泣くでもなく、暴れるでもなく。……ふむ」
視線が刺さる。
(この人、観察眼が鋭そうだな。前世でいうところの、仕様書を一文字も見逃さないタイプだ)
できればあまり嘘はつきたくない相手だ。
後が怖い。
とりあえず、私は赤ん坊なりにアピールを試みる。
手を伸ばして、彼のローブらしき布をぎゅっと掴んだ。
そして、喉を震わせる。
「……あう」
本当は「ごはんください」と言いたい。
だが私の口から出たのは、悲しいほど意味のない音だった。
賢者らしき人は一瞬だけ目を見開き、すぐに細めて笑った。
――笑った。
噂ではこういうキャラは「無口で無愛想で冷酷無比」と聞いていたが、実物は少なくとも無表情ではないらしい。
「食い意地の張った顔だ。わかった、腹が減っているんだな」
(そうです! よくわかってらっしゃる!)
内心で全力で頷きつつ、私は再び「んー」と曖昧に唸る。
「……しかし、私は子供の世話などしたことがないのだが」
男はぽつりと呟いた。
その声には、ほんの少しだけ戸惑いが混じっている。
ここが勝負どころだ。
(大丈夫です。食べ物と、安全な寝床さえあれば、あとは勝手に育ちますから)
本音を言えば、おむつ交換とか沐浴とか、その辺りを自力でどうこうするのは厳しい。
前世でそれなりに知識は仕入れたが、赤ん坊本人にできることには限界がある。
とはいえ、今の私の意思表示は全部「あう」とか「んー」とかに変換される。
便利な翻訳機能はついていないようだ。
異世界転生もケチになった。
「食べ物さえあれば、勝手に……か」
男がぽつりと、誰にともなく呟く。
あれ、今私の心の声、聞こえました?
と本気で思ったが、たぶん偶然だろう。たぶん。
「……よし」
男は決意したように頷いた。
「ひとまず、連れて帰るとしよう。森に捨てておく趣味はない」
そう言って、私をしっかりと抱き直す。
その腕は不器用なくらいぎこちないのに、妙に優しかった。
そのまま、森の中を歩き出す。
木々がざわめき、葉の隙間から降り注ぐ光がちらちらと揺れた。
(生き残り、確定……でいいのかな?)
前世、私は車載エンジンのプログラマをしていた。
人の命が文字通り自分の書いたコードに乗って走る仕事は、それなりにやりがいはあった。
けれど、責任の重さと給料の安さのバランスは、正直言って割に合わなかった。
だから二度目の人生では、できるなら責任なんて背負いたくない。
安全な場所で、必要最低限だけ働いて、あとはぼーっと過ごしたい。
(家から出なくても生きていけるなら、それに越したことはないんだけどな……)
そんな淡い願望を抱いていたら。
どうやら、森の奥の引きこもり賢者の元に転がり込むルートを引いたらしい。
これはこれで、悪くない。
――と、そのとき思ったのは、さすがに少し楽観的すぎたのかもしれない。
◆◆◆
賢者の小屋は、森の奥にひっそりと建っていた。
山小屋、と一言で言ってしまうには、妙に整っている。
魔力とやらで補強されているのか、壁は苔むしているわりに隙間風一つなく、屋根もしっかりしていそうだ。
玄関らしき扉が軋む音を立てて開く。
「ただいま」
男が誰にともなく告げる。
返事はない。当たり前だ。
ここにいるのは、今のところ彼と私だけなのだから。
それでも、彼がそう言う癖を持っていることが、少しだけ面白いと思った。
小屋の中は、紙と本と、よくわからない道具で埋もれていた。
前世の感覚で言えば、完全に研究室の延長だ。
(わあ……これは片付けのしがいがありそうですね)
などと、未来の自分に仕事を増やすようなことを考えてしまったのは失敗だったかもしれない。
「ひとまず、そこに……いや、待て。床に直置きはまずいか」
男は部屋の真ん中で立ち尽くし、私を抱えたままうろうろし始めた。
(あ、この人ほんとに赤ちゃんの扱いわからないんだ)
少しだけ親近感がわく。
前世の私も、赤ん坊と聞けばバグの多い新規プロジェクトみたいなイメージしかなかった。
「ええい」
男は諦めたように、部屋の隅に置かれた大きめの机の上から、本の山を片側へざっと避けた。
そこに、厚手の布を敷き、その上に私をそっと寝かせる。
硬さはあるが、地面よりはずっとましだ。文句はない。
「すまんが、これでしばらく我慢してくれ」
男はそう言うと、今度は棚の奥をごそごそと探り始めた。
「ミルク、ミルク……そういえば昔、薬草を試すために乳を保存する術式を……いや、さすがにあれは古いか……」
ぶつぶつと自分に話しかける癖もあるらしい。
その横顔を眺めながら、私はぼんやりと考える。
(この人が、師匠になるんだっけ)
あらすじによれば、彼はかつて勇者パーティの賢者だった。
世界を救ったあと、ろくでもない結末が続いたせいで人間不信になり、こうして森に引きこもっている。
勇者は処刑。聖女は王家に道具扱いされて衰弱死。魔剣士は復讐を胸に新たな魔王になった。
正直、笑えない。
前世の感覚で言えば、死ぬ気でバグを取りきってリリースしたら、運用と営業と政治が全部台無しにして、プロジェクトメンバーが軒並み潰された、みたいな話だ。
それは引きこもりたくもなる。
「……あった」
男が小さく呟いた。
手にしているのは、丸い瓶と、何やら細長いゴムのようなもの。
「昔、薬を飲ませるために作ったものだが……人間の子でも使えるはずだ」
淡々と言いながらも、その手つきは妙に慎重だった。
瓶に白い液体を注ぎ、術式で温度を調整している。
指先に集まる魔力が、かすかに空気を震わせた。
その魔力の流れに触れた瞬間、私は自分の中で何かが共鳴するのを感じた。
(あー……これが私の「神性を帯びた異常な魔力」ってやつか)
自分で言っていても他人事みたいだ。
確かに、身体の奥の方で、世界の何かと勝手に同期しようとする力が蠢いている感覚がある。
別に、世界をどうこうする気はない。
ただ、あまりにも自然に手が届きそうな場所に「世界の歯車」が置いてあるみたいで、少しだけ落ち着かない。
「ほら」
男が瓶に細長いゴムを取り付け、それを私の口元に近づける。
匂いを嗅ぐまでもなく、ミルクだとわかる。
胃袋が喜んで鳴いた。
私は迷わず噛みついた。
「……おお」
男の声が、ほんの少しだけ和らぐ。
「ちゃんと吸っているな。……そうか、これでいいのか」
彼の言葉は、半分は私に、半分は昔の誰かに向けられているように聞こえた。
私はミルクを飲みながら、ぼんやりと考える。
(とりあえず、第一目標はクリア。次の目標は……)
安全な生活環境の確保。
できれば、森の中のこの小屋で、最低限の家事と、ちょっとした魔法研究の手伝いくらいで食べていけるような、そんな将来が理想だ。
王女だの聖女の血筋だの、そういう面倒ごとは全部、どこか遠くに置き忘れてしまいたい。
(師匠が過保護で全部追い払ってくれるなら、それはそれで最高なんだけど)
深く考えるには、今は眠気が強すぎた。
満腹になった赤ん坊の脳は、容赦なく省エネモードに移行する。
ぼやけていく視界の端で、男の横顔が揺らぐ。
「……お前は、ここで、のんびり生きればいい」
誰かに言い訳をするような、かすれた声だった。
「外の世界は、もう、十分すぎるほど見た」
その言葉が、妙に心地よくて。
私は安心したように目を閉じた。
――そうして私は、過保護な賢者の元での、二度目の人生をスタートさせることになった。
その時点ではまだ知らなかった。
どれだけ山奥の小屋に引きこもろうとしても、世界の方から勝手にドアを叩きに来る、ということを。
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