第7話 衝突
♦︎ニャロン広報センターの大騒動
餅飯殿センター街の一角──古い長屋を改装したような、木の匂いの残る「夢長屋」。 その一室にある〈ニャロン広報センター〉の前に、まもりとあかりが並んだ。
あかりは目の前の看板を見つめ、喉をゴクリと鳴らす。 「……ここ、だよね?」 まもりはうん、と頷き、ためらいなくドアに手をかけた。
キィ──。 扉が開いた瞬間、二人の前に広がったのは軽くカオスな光景だった。
床に大の字で倒れ込むシュバルツ。 お腹を片手で押さえ、 「う、うー……食べすぎた……」 と低く唸っている。 その隣でウエルテルがタオルを握りしめながら看病していた。
ウエルテルは扉に気づき、ぱっと顔を上げて声をかける。 「こんにちは、まもりちゃん。……あ、見ないであげてね、シュバルツ今ちょっと尊厳ゼロだから」
まもりは口元を押さえてクスクス笑った。 「もしかして……また?」
ウエルテルは肩をすくめる。 「ええ、また。三回目です。見事に懲りないんですよ」
まもりが笑った次の瞬間──
ガタンッ!
まもりの背中に隠れていたあかりが、急に前へ飛び出した。 顔つきが変わり、完全に仕事モード。
「だ、大丈夫ですか!? 私、看護師です。痛む場所はどこですか? 呼吸は苦しくありませんか?」
シュバルツは片目を開け、 「あ、あなた……天使……?」 と弱々しくつぶやく。
「天使じゃありません。看護師です。はい、触診しますよ」
プロの手つきで状態を確認し、胃薬と水を用意して、体位を整える。 そのてきぱきぶりに、ウエルテルも目を丸くしていた。
治療がひと段落したところで、まもりがあかりの方を向く。 「そうそう、この子、あたしの友達なんだ」
その瞬間、あかりの耳が赤くなり、ほんの少し目をそらした。 「……べ、別に、その……友達とか……」 と言いながらも手は止めない。
ウエルテルはニコニコしながら、 「素敵なお友達を持ったね、まもりちゃん」 と優しく言う。
しかし──。
治療が終わり、ひと息ついたとき。 まもりが思い出したように、ぽつりと言った。
「あれ、あかりって猫だめだったんじゃない?」
ピクッ。 あかりの肩が跳ねる。
「……へ?」
次の瞬間。
「にゃっ……!!?」
飛び上がったあかりは、あわててまもりの後ろへ退避。 まもりの腕をがっしり掴み、震えながら顔だけちょこっと出す。
「む、無理無理無理……っ! い、今まで必死で忘れてたのに……! 近い! 毛が、生き物が! 無理ぃ!!」
シュバルツが弱々しく手を挙げて言う。 「ぼ、ぼくは猫じゃない……ニャロンだよ……」
「もっと無理っ!!」 とあかりはさらにしがみついた。
ウエルテルは申し訳なさそうに頭を下げつつも、どこか嬉しそうだった。
まもりは苦笑しながら、そっとあかりの手を握って言う。 「ありがとう、助かったよ。ほんとに」
あかりは顔を赤くして、 「……ま、まもりが言うなら……が、がんばるけど……」 と呟いた。
⭐️まもりの告白 ― 4人で囲むテーブル
ニャロン広報センターの入口には 木の札が 「休憩中」 と裏返されていた。
シュバルツの容体も落ち着き、 ウエルテルが丁寧につくったラッシーが4つのグラスに注がれる。
テーブルを囲むのは、まもり、あかり、シュバルツ、ウエルテル。 窓から差し込む光が、緊張と安堵が混じった空気をやわらかく照らしていた。
ウエルテルが微笑む。 「どうぞ。シュバルツの胃にも優しいレシピだよ」
シュバルツはお腹を押さえつつ、情けない顔で頷いた。
まもりはラッシーを一口飲み、 意を決したように口を開く。
「あたし……お願いがあるの。 兄の聡を探したい。手伝ってほしいの」
3人が一斉にまもりを見つめる。 その視線を真正面から受け止めながら、まもりは続ける。
シュバルツが低い声で問う。 「手伝うのはいいけど……状況がわからない。 何が起きたのか教えてほしい」
まもりは深呼吸し、ゆっくり語り始めた。
「あの日……宇治川花火大会の日。 兄とは会う約束をしてたの。 でも、兄が時間にルーズで……なかなか来なくて…… 私は兄を迎えに、兄の大学に入ったの」
あかりは真剣な顔で聞いている。 花火大会には行っていないが、 まもりがその夜どう過ごしたかは詳しく聞いていなかった。
まもりは続ける。
「研究室まで行ったの。 そしたら……兄が“消えた”の」
あかりの肩がピクリと震える。
まもりの声は静かだが、ひどく重い。
「兄の頭の上に……何かが現れたの。 小さな渦? みたいなものが回ってて…… 回転がどんどん速くなって…… 中心に白い点があって……それが光って……」
彼女の指がぎゅっと握りしめられる。
「光は大きくなって、眩しくて…… その中に兄が包まれて…… 一瞬で……消えたんだよ」
あかりは息を呑む。 理解が追いつかず、ただまもりを見つめる。
「……え……消えたって……そんな……」
ウエルテルはまもりの肩にそっと手を置き、 シュバルツは表情を鋭くしてまもりの話を咀嚼していた。
そして、まもりはまっすぐ顔を上げる。
「あたしはトシ君を見つけたい。 ニャロンの力を貸してほしいの」
その決意の強さに、 テーブルの空気が静かに変わった。
♦︎まもりとウエルテル、初めての衝突
静まり返った室内で、 ウエルテルは目を伏せ、 まもりの言葉をゆっくり飲み込んでいるようだった。
そして…… 静かに首を横に振った。
「……それは無理だよ、まもりちゃん」
その一言は、あまりにもあっさりしていて、 あまりにも冷静だった。
まもりの表情が一瞬で強張る。
「……え?」
信じていた。 シュバルツたちなら絶対に力になってくれると。 そう思っていたまもりの瞳が揺れる。
ウエルテルは言葉を選ぶように息を吸って続けようとしたが、 まもりが先に声を荒げた。
「どうしてなの!」
あかりがびくっと肩を震わせ、 シュバルツも目を丸くする。
椅子から半分立ちかけるようにしながら、 まもりはテーブルに置いた手をぎゅっと握りしめた。
「シュバルツさんも、ウエルテルも…… あたしの話、ちゃんと聞いてくれたよね? 兄が消えたの! 誰も信じてくれない中で、 あたし、ここなら……って思って来たのに……!」
声が震えているのは怒りだけではない。 絶望と期待が入り混じった感情が爆発しそうだった。
ウエルテルは、まもりの真っ直ぐな瞳から 視線を一瞬だけそらせて、 深く、深くため息をついた。
あかりはどうしていいかわからず、 不安げにまもりの背中を見守っている。
シュバルツだけが、 緊張した空気をじっと見据えながら黙っていた。
次のシーン:ウエルテルが真実を語る
まもりの怒りがまだ空気に残る中、 ウエルテルは深く息を吐き、 静かに、冷静に口を開いた。
「……まもりちゃんの話をまとめるとね」
表情は揺れず、いつもの柔らかい笑顔もない。 “理論家の顔”だった。
「僕の計算結果から言うと―― おそらくお兄さんは、 ワームホールに飲み込まれたんだと思うよ」
「えっ……」 「えっ……?」
まもりとあかりは同時に声にならない声を漏らす。 理解が追いつかない。 意味がわからない。 けれど、ウエルテルは淡々と続けた。
「しかもそれは特殊なタイプだ。 地球のものに例えるなら……“松ぼっくり”のような形状をしている」
松ぼっくり? ワームホールが?
二人の頭の上に大きな疑問符が浮かぶ。
ウエルテルは続ける。
「通常のワームホールは大型で、僕らも“トリレール”を使ってそこを通って地球へ来ている。 大型のワームホールは安定していてね。 ワームホールに入る前にガイド用のゾンデを放り込み、 ホール内部に点在する情報ネットと接続して、 “安全ルート”を生成してから通過する。 だからこそ目的地に確実に到着できるんだ」
シュバルツがこくこくとうなずき、 あかりは“宇宙の専門外の話”に完全に置いていかれていたが、 とにかくそれが“安全な移動”なのだと察した。
ウエルテルはそこで一度言葉を切り、 まもりを見据えた。
「……でも、お兄さんのは違う」
空気が一段、重く落ちた。
「どこと繋がっているか、わからないワームホールだ。 行き先が……完全に不明なんだ」
まもりの顔から血の気が引いていく。
ウエルテルは続ける。
「全宇宙のどこか。 場合によっては……とてもよろしくない惑星に繫がっている可能性もある。 星によっては、不法侵入とみなされ―― 重罪になり……最悪は……」
言い終わる前に。
「おいっ!」
シュバルツが勢いよく手を伸ばし、 ウエルテルの口をばしっと塞いだ。
ウエルテル「むぐっ……!」
シュバルツは眉を寄せ、低い声で言う。
「そこまで言う必要はないだろう、ウエルテル」
ウエルテルはシュバルツの手を外し、 申し訳なさそうにまもりを見る。
「……ごめん。ただ、事実を言っただけだよ」
部屋の空気は張りつめたまま。 まもりは拳を震わせ、 あかりは何も言えずに唇を噛む。
まもりの胸の奥に、 恐怖と怒りと、そして――決意が交錯し始めていた。
次のシーン:あかり vs ウエルテル、空気が緊張で張りつめる
まもりは震えるまつげを上げ、 シュバルツに向き直った。
「……どうにか、ならないの……?」
声になっていない声。 ただ“助けて”という願いだけが滲んでいた。
シュバルツは息を飲む。 答えられない。 目は泳ぎ、口は開くのに言葉が出てこない。
沈黙が部屋を満たし始める。
その空気を―― まるで叩き割るように、あかりが叫んだ。
「お前ら男だろ! 宇宙人だろ!! ハリウッド映画みたいに どうにか解決できんじゃねーのかよ!!」
机がガタッと揺れるほどの勢い。 まもりは驚き、 シュバルツは「ひっ」と変な声を出し、 ウエルテルは目を見開いた。
そして。
「……映画みたいに? そんなわけないだろ!!」
ウエルテルの声が鋭く弾ける。
「これは命がかかった問題なんだ!! ワームホールは遊びじゃない!!」
怒りをぶつけるように立ち上がるウエルテル。 その目は珍しく感情的だった。
あかりも負けていない。
「命がかかってるならなおさら助けろよ!!! あんたら宇宙人なんだろ!? できること全部やれよ!!」
二人の間に電流が走るような緊張が生まれる。
シュバルツは両手を広げて間に入ろうとするが、 二人の怒気に押されて近づけず、 まもりは胸元を握りしめて震えていた。
ウエルテルがさらに声を荒げる。
「“できること”がないから言ってるんだ!! これは非常に危険なんだ!! 無謀に飛び込めば、全員……――」
言い切る前に、あかりの怒りがかぶさる。
「危険だからって見捨てるの!? そんなの“人として”どうなのよ!!」
室内が静まり返る。 一点の火花が落ちても燃え広がりそうなほど、 空気は張りつめていた。
まもりは唇を噛んだまま、動けずにいる
ウエルテルがコップを持ってキッチンへ姿を消した瞬間、シュバルツはそっとまもりの鞄に何かを滑り込ませた。まもりは気づかない。
広報センターを出たまもりとあかりは、夕暮れの商店街を抜け、猿沢の池まで歩いた。
水面は静かで、風もなく、灯りがゆらゆらと揺れる。 ベンチに腰掛けても、あかりの興奮はまだ鎮まらない。
「はぁ……あいつらさ、なんであんなに突き放した言い方するかな……」
ぶつぶつと文句を言い続けるあかりを見て、まもりは苦笑いを浮かべ、
「ちょっとお茶買ってくるね」
と自販機の方へ向かった。
鞄から財布を取り出した瞬間、ひらりと紙が落ちた。
「え……?」
拾い上げると、それは広報センターのチラシだった。 表には大きく――**「8月20日〜9月20日まで夏休み」**の文字。
まもりは首を傾げながら裏返す。 そこには、少し不器用で、どこか急いで書いたような文字があった。
『8月20日 午前0時に〇〇に来てくれ』
「〇〇……?」 読めない。まるで人間じゃない手で書いたような、奇妙に歪んだ筆跡。
まもりはお茶を2本買い、ベンチへ戻ってあかりに渡す。
「はい、お茶。あと、あのさ……これ、見てくれる?」
まもりはチラシを差し出した。 あかりはまだ少し荒い呼吸のまま、ぐっと深呼吸してから紙を受け取り、文字をじっと見つめる。
「あー……この字ね。医者仲間の処方箋よりはマシかな……」
落ち着きを取り戻し、慎重に文字を追っていく。
「これはね……“ルノアンヌ” って書いてあるよ」
「ルノアンヌ? あの、この前二人で行った……」
「そう、あの喫茶店。夜中にそこって……どういう意味?」
あかりはほんの少し眉を寄せる。 まもりは胸の奥がざわざわと高鳴るのを感じていた。
ウエルテルは知らん顔だった。 シュバルツは何も言わずに、ただこれを渡した。
――8月20日。午前0時。喫茶ルノアンヌ。
何が始まるのか、まもりにはわからない。 でも、直感でわかっていた。
これは「続き」だ。 自分たちはまだ、入り口に立ったばかり。
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