第2話 試合の裏で吐きそうになっていることは、メイドにも秘密です

 どうして僕がソウ・スレイマンなんていう転生者と戦うことになったのか。それはこの世界の仕組みに関わる。

 この世界は、剣と魔法、そして「転生者」がありふれたファンタジー世界だ。貴族の家には定期的に転生者が生まれ、彼らは神様からギフトとして贈られた「チートスキル」を使って、家の栄華をほしいままにする。   要するに、転生者=勝ち組エリート。それが常識。


 そして僕、クレイヴ・デュセプもまたデュセプ子爵家の嫡男にして転生者。当然、周囲は僕に「強力なチートスキル」を期待する。  けれど……。


 「……はぁ、はぁ……っ、死ぬかと思った……!!」


 試験会場の裏手、誰もいない男子トイレの個室。鍵をかけた瞬間、僕は便器の前に崩れ落ちていた。


 足の震えが止まらない。胃の中身が逆流しそうだ。さっきまでの「余裕の笑み」なんて、もう欠片も残っていない。鏡を見なくてもわかる。今の僕は、生まれたての小鹿みたいに情けない顔をしているはずだ。


 そう、お察しの通り、僕にはないのだ。

 チートスキルなんてものが。

 これは、僕が転生者として生まれてしまったことによる、ある種のエラー。本来なら与えられるはずのギフトが、僕の魂には欠落していた。


 だから僕は、必死に勉強した。この世界で殺されないために、ナメられないために、基礎魔法を応用し、心理学を学び、ハッタリの技術を磨いた。今日の勝利も、その泥臭い努力(と、大量の冷や汗)の結晶だ。


 「……でも、勝った。勝ってしまった」


 震える手で顔を覆う。勝ってしまった以上、僕は「ソウ・スレイマンを子供扱いした怪物」として学園生活を送らなきゃいけない。  ハードルが、成層圏まで上がってしまった気がする。


 コンコン、と。個室のドアが控えめにノックされた。


 「坊っちゃま? こちらにいらっしゃいますか?」


 鈴のような声。専属メイドのリナだ。  僕はビクリと肩を震わせ、深呼吸を一つ。  頬をパンと叩き、震える膝に力を込めて立ち上がる。


 ガチャリ。ドアを開けると、そこには心配そうな顔をした、いかにもファンタジー然とした赤毛のポニーテールの少女が立っていた。


 「……ここにいるよ、リナ」

 「ああ、良かったです! 姿が見えないので心配いたしました。……お顔色が優れないようですが」

 「まさか。興奮が冷めやらなくてね、少し顔を洗っていただけさ」


 僕はニヒルに笑って、濡れた前髪をかき上げる。リナは、僕のその言葉を疑いもせず、パァッと顔を輝かせた。


 「見てましたよ、坊っちゃま! あの転生者を、あんなにあっさりと……! やはり坊っちゃまの才覚は本物です。基礎魔法だけであそこまで圧倒するなんて!」

 「……まあね。彼には少し、教育が必要だったから」

 「流石です!『3回目だよ』というあのセリフ、痺れました! やはり坊っちゃまには、未来が見えているのですね?」


 キラキラした瞳が痛い。違うんだ。違うんだよ、リナ。あれはただの嘘だ。未来なんて1秒先も見えてない。見えていたのは、僕の走馬灯だけだ。


 けれど、僕はそれを口には出せない。   なぜならリナは、僕が「無能」であることを知らない、数少ない——そして最も僕を信じてくれている使用人だからだ。


 「……さあ、会場に戻ろうか。面接試験もある」

 「はい! しかし、坊っちゃま。坊っちゃまの合格は確定でございます!! スレイマン家の転生者を下したのですから」

 僕はめまいを覚えながら、リナのエスコートで廊下を歩き出す。

 会場に戻った時、僕はざわめきに迎えられた。


 「おい見ろ、あれがクレイヴ・デュセプだ」

 「空間斬りを完封した男……」

 「底が知れないな」


 ——買いかぶりだ、と言いたい。

 対戦相手の能力が派手だったせいで、どうやら僕は過大評価されてしまったらしい。

 しかし、このざわめきは、次の対戦で沈黙へと変わったんだ。

 「次、ソーラ・レイとネオン・ハイル。台上へ」

 ざわついていた会場が、少し静かになった。

 さっきまで僕のことをすごいと褒めていた声の主たちが、急に言葉を選びはじめたのがわかる。

 登壇したのは、金髪碧眼の少女――ソーラ・レイ。

 その名は、すでに周囲の貴族たちの間で有名だったらしい。

 今年もっとも期待される転生者、そんな前評判を聞いた覚えがある。


 一方、ネオン・ハイルは……失礼だけど、完全にその他大勢・有象無象・諸事万端だ。

 「始め!」

 次の瞬間。


 視界が、白に塗り潰された。


 強烈な光の奔流が、台上を包み込む。

 音すら聞こえなかった。爆発の衝撃で鼓膜が一瞬麻痺したのかもしれない。


 その光が収まった時、ネオン・ハイルの姿はもうなかった。

 正確には、フィールドの外、衝撃で砕けた結界の先に――転がっていた。


 「……っけ、は……?」

 誰かが息を呑んだ。

 声を出した誰かが、もう一言を継げなかった。

 沈黙が支配する。

 僕も、手のひらがじっとりと汗で濡れているのを感じた。

 これが、本物の「チート」――?

 なんでこいつらは、こうも手加減ができないのだろう?

 もしかしたら、僕のチートは大幸運だったのかもしれない。

 だって、こんなのと当たっていたら、僕は浄化されていただろう。

 文字通り、ね。

 「大丈夫、殺してはいないわ。ルールですもの、私の正義の光は、消し飛ばせないの」

 さいですか。

 こんなのと同じ寮には入りたくない。僕はそう思った。顔はちょっと可愛いけどね。

 それとも、彼女が外部にいる方が、しんどいのかな?

 それにしても、本場のチートスキルは違いますなあ。

 彼女は生まれた時、光を放っていたに違いない。それはもう、お釈迦様みたいに。

 ……。

 一番の衝撃は彼女だった。他の転生者たちも、大貴族の皆様も、平民のみんなも、素晴らしいバトルを繰り広げていたけど。

 でも、一番の衝撃は彼女で、彼女は僕らの戦いの記憶も、その光で吹き飛ばしてしまったんだ。

 こうして、ソーラの衝撃が冷めやらぬまま、一次試験は終了し、二次試験の面接へと移り変わった。

 

 面接室の扉を閉めた瞬間、部屋の空気が変わった。革張りの椅子が三つ、円を描くように並べられ、中央に空席がある。そこに僕は腰掛けた。壁の紋章が、何人もの転生者を見下ろしてきた歴史を物語っているようだった。

 「デュセプ子爵嫡男、クレイヴ・デュセプ

です」

 髭を蓄えた老人が、髭を触りながら低く答える。

 「うぬ、まさかかのような下流の貴族の家に、お主のような転生者が生まれるとはな。……ゆえに、私からの質問は一つだ。貴殿のチートスキルを教えてみよ」

 ……いやあ、まずいね。

 持ってないもんね。チートスキル。これは、エグい。

 「……お言葉ですが、現在の世情に鑑み、スキルの詳細を明かすことは、私にとっても、貴校にとっても不利益と考えます。私はこの十数年、親族にも明かさぬほど、その使用と管理には慎重を期してきました。私の能力が真に必要とされる時が来れば、その時、証明してみせます——例えば、戦時とか……」

 面接官たちがざわつく、うん、まあ、そうだよね。こんなの、論点ずらしだ。

 「左様か、では来月から、よろしく頼むぞ」

 「え、それって?」

 声に出た。

 「合格だ、ようこそ、アルゼリア王立学園へ」

 ……なんとかなった。

 しかし、僕はこの時知らなかった。これからの生活、もっと大きな苦労が待ち受けているってことに。


<次回更新:今日18:15>

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