Please, dance the waltz with me.
玄道
私は、何も知らなかった。
もうすぐ冬休みに入る、そんな金曜のこと。
私──
──もう暗いな、終わったら図書館で勉強して……誰かと帰んないと、危ないよね。
「いよっと」
備品をチェックし、"包帯"と買い物メモに書き込む。
ロッカーの鍵を確認して、私は部室を出る。
「おうっと……
「幸崎さん? あ、お疲れさまです!」
一年の、神田
「何? 今日、練習無いはずだけど」
ぽりぽりと頭を掻く神田。
「幸崎さん、もうロッカーの鍵、かけちゃいました?」
──忘れ物か。
「いいよ、もう帰るだけだし」
「すみません」
背を向けたまま、ドアの前で待つ。
カチャリ。
探し物は、すぐ見つかったらしい。
やけにそっと、ロッカーは閉まった。
「ありがとうございました」
「神田」
「はい?」
ドアを開けながら、私は振り向く。
「ごめん、図書館で勉強したいの。で、もう暗いじゃん? 家の近くまで送って、とか……ダメかな」
「そんな事でいいなら」
「そういやさ、何忘れたのよ?」
「…………」
「?」
「ははっ」
あ、ごまかしたな。
◆◆◆◆
図書館にいる間、神田も週末の課題を片付けていた。
──前から思ってたけど、勤勉な子だな。
我が身を振り替えると、とてもこうはいかなかった。
彼を見ていると、何故か背筋がしゃんとした。
◆◆◆◆
図書館の外、見上げても星も無かった。あまり都会ではないのに、こんなものか。
「曇りですってよ」
神田は、スマホを見ていた。
──セバスチャンめ。
「この時期、何が見えるんだっけ?」
「えっと」
慌てたのは私の方だ。
「ちょっ、いいってそんな!」
すいすいと検索する
「オリオン座ですね。ベテルギウスにリゲル……あ、冬の大三角ってベテルギウスも入るんですね」
「へぇ、優里じゃん」
「え」
──は?
「知らない? 優里。『ドライフラワー』の」
「あぁ」
歩きながら『ベテルギウス』を口ずさむ。
歌詞に、今の状況を重ねてしまう。
歌声が明るくなるのが、自分でもわかった。
歌い終えると、神田は小さく手を叩いた。
「へへ、ありがと。神田って何聴くの?」
神田は、静かに言った。
「鬼束ちひろとか」
「『月光』?」
「今なら、『私とワルツを』ですね」
「ふーん、どんなのよ」
『私とワルツを』は、重く切ない、胸が痛くなる歌だった。
神田のそれは、泣きたくなるほどに哀しい歌声だった。実際、頬を雫が伝った。
◆◆◆◆
神田は、生真面目な男だった。否、ストイックすぎた。
他の一年が、いつしか遠巻きにするくらいに。
『スポ根じゃあるまいしさ』
『ゴリかよ』
胸が痛む陰口も、何度か耳にしていた。
それを知ってか知らずか、本人は黙々と練習に励んでいた。
◆◆◆◆
「神田……くん、さ。ごめん、友達いる?」
「いるわけないっしょ」
その台詞が、槍のように刺さった。
「真面目すぎんのよ、君」
「いらないです、連れとか」
──"連れ"。どうした神田。
「神田くん? 若いうちからそれじゃいかんな」
立ち止まる神田。
「幸崎さん…………何がわかるんですか、幸崎さんに」
息が詰まった。
二人の時が止まり、間に地割れができた。
「ごめ、え……と」
「うち、兄貴が」
ごくり、と喉が鳴る。
「今、離れて暮らしてて」
何も言えない。心臓の場所がはっきりわかる。
「悪いダチと組んで、ちょっと馬鹿やったんです。だから、だから俺は……俺だけは親、裏切れないんです」
浮かれていた自分を殺したい。
夜の、漆黒の闇が、私たちを押し潰すような気がした。
──ううん、もう神田は潰れる寸前だ。
「神田」
「んすか」
吐き捨てる。セバスチャンはもう、どこにもいなかった。
「今度から、なるべくでいい、こうやって話しながら帰ろう?」
「何で……っすか」
「一人っきりで、踊んないで。そんなの……辛すぎるよ」
神田は、何も返さない。
そっと近づく。
まるで、幼い子のように神田は泣いていた。声を、必死に殺して。
手袋を外し、頬に手を触れると、氷のように冷たい。
「あああああっ!!」
神田は、私の前に崩れ落ちた。
「くそっ! なんでだよ!? なんで俺がこんなぁ!!」
ただ、吠える後輩を抱き締める。
──世界は、正しい人に正しく接してくれない。優しい人に、必ず優しいわけじゃない。
なら、せめて私だけでも。
ほんの少しだけでも、一緒に背負えたら。
星もない闇の中で、ずっと一人でワルツを踊り続けた神田の光になれたら。
──なんて傲慢なんだ。私も、彼が話してくれなかったら、ただの真面目な後輩だと思っていただろうに。
一介の高校生には、話を聞くしかできないのに。
ごめんね、神田。
二人で、誰もいない闇の中、私たちは静かに泣いた。
永遠に思えた時間。
彼は、ようやく立ち上がる。
「行こっか」
「……はい」
二人で歩き出す。
寒い夜道は、まだあまりに暗かった。
<了>
Please, dance the waltz with me. 玄道 @gen-do09
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