第1話 古代の食卓
転生から数年が経ち、私は五つになった。
幼児の体は不便なことばかりだが、ようやく自分の足で歩き、言葉を話せるようになったことは大きな進歩だ。
朝、鳥のさえずりと共に目が覚める。
私は、壁際の土の段の上で寝ていた。
後世の考古学者なら「ベッド状遺構」と呼ぶであろう、床面からの湿気を避けるための工夫だ。
とはいえ、敷かれているのはゴザ一枚。背中が痛い。
隣では、傅役(もりやく)の老爺、タジが丸くなって寝ている。
私は身を起こし、ハシゴのような刻み目がついた丸太を登って、地上への出口へと向かった。
竪穴住居は半地下のため、外に出るには「登る」必要があるのだ。
「……若様、お目覚めですか」
タジが目をこすりながら起き上がった。
「ああ。おはよう、タジ」
「おはようございます。……顔を洗いに行きましょうか」
館の裏手にある湧き水まで歩く。
水は冷たく、澄んでいる。手ですくって顔を洗うと、意識がシャキッと覚醒する。
タオルなどない。手ぬぐい代わりの麻布で顔を拭う。肌触りは悪いが、慣れればどうということはない。
館に戻ると、朝食の準備が整っていた。
父上と母上、そして数人の側近たちが囲炉裏を囲んでいる。
「ニギ、よく眠れたか?」
父のフルヒが、穏やかな声で尋ねてくる。
この国の族長だが、威厳というよりは、人の良さが滲み出ている顔立ちだ。
「はい、父上」
私は父の隣に座った。
目の前に置かれたのは、欠けた土器の椀。
中には、黒っぽい粥のようなものが入っている。
雑穀だ。
ヒエやアワ、それにドングリの粉を混ぜて煮込んだもの。
湯気からは、独特の穀物の匂いが立ち上る。
(……いただきます)
心の中で手を合わせ、木のスプーンで口に運ぶ。
ザラリとした舌触り。
味は薄い。塩気がほとんどない。
噛みしめると、わずかな甘みと、強いえぐみが広がる。
正直に言えば、不味い。
現代の白米の、あのふっくらとした甘みとは比べるべくもない。
おかずは、川魚の干物を炙ったものと、野草の汁物。
魚は生臭く、骨が多い。汁物はただ草を煮ただけのような青臭さがある。
けれど、これがご馳走なのだ。
領民たちは、これすら満足に食べられない日があるという。
族長の息子である私が、文句を言うわけにはいかない。
「……どうした、食わぬのか?」
箸が止まっている私を見て、母のミナが心配そうに覗き込んでくる。
「いえ、いただきます」
私は粥を流し込んだ。
喉を通る温かい塊が、胃袋に落ちていく。
生きるためのエネルギー。
ふと、父たちが話している内容が耳に入った。
「……また、葛城からの要求か」
「ああ。今度は布を百反だと。……無理を言う」
「断れば、攻めてきますぞ」
重苦しい空気。
粥の味が、さらに砂のように感じられた。
平和な朝食の風景に見えても、ここは断崖絶壁の縁なのだ。
私は黙々と匙を動かしながら、この貧しくも温かい日常をどう守るべきか、幼い頭で考え続けていた。
朝餉(あさげ)が終わると、タジが私を外に連れ出した。
日課の散歩だ。五つの子どもが一日中、薄暗い竪穴の中にいては体に悪い。
「タジ、あの山は何という?」
私は東の方角に連なる山並みを指さした。
「あれは生駒(いこま)の山でございます。あの山を越えれば、河内(かわち)の国」
「河内……」
河内。大和盆地の西側、生駒山地を挟んだ向こう側に広がる平野だ。
そこにも、様々な勢力がいるはずだ。
「タジ、河内には誰がいる?」
「さあ……。色々な豪族がおりましょうが、この老いぼれにはよくわかりませぬ」
タジは首を傾げたが、ふと何かを思い出したように言った。
「そういえば、生駒の山麓に変わり者の老人が住んでおるという噂がありますな」
「変わり者?」
「ええ。どこから来たのかも分からぬ流れ者だそうですが、妙に理に適ったことを言うとか。薬草にも詳しいらしく、病の者が訪ねてくることもあるそうで」
「へえ……」
私は何気なく相槌を打ったが、心の中では引っかかるものがあった。
「どこから来たのかも分からぬ」「妙に理に適ったことを言う」――。
まさか、とは思うが。
「その老人、名は何という?」
「さて……。皆は『生駒の賢者』などと呼んでおるようですが、本当の名は存じませぬ」
生駒の賢者。
私はその名を、記憶の片隅に留めておくことにした。
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