第13話 半同棲生活
引っ越しの日、鍵を無理矢理勝ち取った蓮はそこからというもの智之の家に頻繁に訪れた。最初は平日に週2日ほどだったが、日が経つほどに徐々に週3、週4と増えていき、今では平日のすべての朝に訪れるようになった。
土曜と日曜は引っ越しをした当初から10時くらいに訪れるのが常であった。最初は部屋の鍵を取り返そうと躍起になっていた智之であるが、最早言っても無駄であるのを悟ったかのように鍵を取り返そうとするのをやめ、現在の生活に慣れてしまった。
「智之。起きて―。」
「んっ、あー?」
「ニヘヘ。おはよ。」
「ぁあ、……おはょ。」
蓮は智之が目を覚ます1時間も前に家へ合鍵で侵入し、幾ばかりかの時間を智之の寝顔を眺めるのに使う。その後、事前に購入して冷蔵庫に入れてある食材を使い、朝食を作る。ダイニングに食欲誘う匂いが漂い始めることに、寝ている智之の身体をゆすり優しく目覚めを促すのだ。
「朝ごはん作ってあるよ。」
「ぅん、ありがと。」
「ニヘヘヘヘ。」
蓮は顔を洗いに行った智之の後姿を幸せそうに見送りながら、蓮は朝食の最終仕上げヘと入る。そして、智之が席に付くころにはちょうど良く朝食が出来ており、お互いにいただきます。と声をそろえてから、朝食を食べ始めた。
智之が朝食を食べている様子をにこにこと笑みを浮かべて眺めている蓮はそれはもう幸せそうで、今が人生の絶頂にあるかのように感じているのかもしれない。その手に持つ桜柄の箸を止めている蓮を怪訝そうに智之が見ている。
「どうかしたか?」
「ん?どう、美味しい?」
「ああ、美味しいけど、……まぁいいか。」
「ニヘヘヘヘ。」
「仕事行ってくる。」
「行ってらっしゃい。今日はいつ帰るの?」
「んー、いつも通りの時間かなぁ。」
「ニヘヘ。待っているね。」
「無理しなくても、自分の家で過ごしていいぞ。」
いつの間にか用意してあった会社のカバンを手に取って、智之は立ち上がった。智之の仕事中に当然の如く、智之の家で待つつもりである蓮にいつも通りに小さいが確かな反抗を試みる智之である。
「ん?僕が好きでしていることだから。」
「あ、ああ。そうか。まあ行ってくる。」
「ん。行ってらっしゃい。」
小さな反抗は大きなカウンターとなって智之を襲った。その衝撃に思わず手に持ったカバンを落としそうになるのを堪えて、だが、動揺は抑えきれなかったようだ。言葉をどもらせて一時退散、戦略的撤退をした。いつも通りのことである。
「ただいま。」
「あっ。智之。ニヘヘ。おかえりなさい。」
智之が予定の時間通りに帰ると、ダイニングのソファーで一人足を抱えるように座っていた蓮はぱたぱたと、智之の方へ駆け寄った。その勢いは抱き着きかねないくらいであったが、智之の前に着くころには減速し、正面に立ち手を差し出した。
智之はその手に慣れたように会社のカバンを手渡し、もう片方の手で首を絞めるネクタイを緩めるために引っ張った。それからYシャツのボタンを上から二つほど開けると、靴を脱ぐために前かがみになる。
外したボタンの隙間から智之の鎖骨がちらりと見える。また、駅から歩いて帰ってきたためか汗が髪から伝い、うなじ、首、そして鎖骨を通って、Yシャツの中に消えていった。その様子をじっと食いつくように眺めていた蓮はそっと顔を反らした。
「また、料理作ってくれたのか。」
「うん。自信作。」
「あはは。それは楽しみだな。」
「ニヘヘヘヘ。」
ダイニングに二人が入ると、夕食の準備が済んでいたようで机の上に二人分の牛すじ煮込みにきんぴらごぼう、根菜の味噌汁が並んでいる。智之が席につくと蓮は炊飯器から白米を茶碗によそい、机の上に並べた。そして、智之の隣にすとんと腰をおろした。
「……お金渡すぞ?仕事してないときついだろ。」
「大丈夫。貯金してきたし、今でもお金稼ぐ方法はあるから。」
「そう、なのか。」
「だから、今まで通り半分だけでいいよ。」
「……分かった。」
この会話も何度目だろうか。智之は甲斐甲斐しく世話をする蓮の労力に見合う対価を支払おうとすると、決まって蓮はそれを受取ろうとしない。曰く、金を稼ぐ方法は他にある。曰く、僕がしたいことだから。曰く、金銭を受け取るのは寂しい。などなどの理由をあげてである。
「それより、早く食べよっ。」
「それもそうだな。」
「おっ、これ美味いな。」
「ニヘヘ。でしょ。」
「ホント蓮は料理が上手いなぁ。」
「ニヘヘ。そうかなぁ。」
「最近もっと美味しくなってる気がするし。」
智之は手が込んだ料理に舌鼓を打った。ここのところ昼食以外は蓮の料理を食している智之は味の変化を敏感に感じ取っていた。明らかに最初に食べていた頃よりも智之自身の舌に合った味付けに変わっており、料理の腕自体の上達も感じていた。
それもすべて蓮の努力の賜物だ。智之のいない日中にすることがない蓮は智之のためになるような知識を取り入れ、また実践を通して確かな技術にしていた。料理に、掃除、洗濯等、それはまさに花嫁修業のような内容であった。
「僕の料理が口にあって来たのかもね。」
「ははは、そうかもなぁ。」
「ニヘヘ。この後はどうするの?」
「んー、何かしたいことでもあるか?」
「智之と何かしたい、かな。」
夜まで智之と一緒にいるつもりの蓮に智之自身も否定するつもりはなかった。これもいつものことだからである。智之の質問に対して答えになっていない答えを返す蓮にしかし、そのことを突っ込むことはなく智之は話を流す。
「……そうか。ま、映画でも見るか。確かまだ見てない映画あったよな。」
「ニヘヘ。うんっ。」
「ニヘヘ。面白かった。」
「な、B級映画でも全然楽しめたなぁ。」
「うん。ニヘヘ。」
「……っ。」
いつの間にか密着するようにくっついていた二人であるが、顔を見合わせて、目と目を合わせると思いのほか近くなっていたのか、慌てて智之は蓮から身体を離した。もたれかかるように身体を預けていた蓮だが、態勢を少し崩したところを智之の腕で支えられる。
身体を離そうとした時よりも密着した状態で蓮と智之は見つめ合う。カチッカチッとダイニングに時計の針が進む音だけが響き、蓮はとろんとした目で少し顔を突き出した。その蓮から智之は顔を背けて震える声で言葉を発した。
「ふ、風呂も沸いてるだろうし、入っていくだろ。先に入っていいぞ。」
「うん。先に入ってくる、ね。」
「あ、ああ。」
智之は未だドクンドクンとなる心臓の鼓動を落ちつかせながら、身体をソファーの上に倒れこませた。時計の音と心臓の音が智之の頭の中を規則的に響かせて、その音に目を瞑ると、ふと香ってきた甘ったるい匂いに先ほどの情景を思い出し、慌てたように立ち上がった。
「お待たせ。ごめんね。ちょっと長くなっちゃった。」
「……全然いいぞ。家まで送ってくよ。」
風呂から出てきた蓮は智之の家に置いてあるパジャマのうち、豚のアニマルパジャマを身に着けていた。頭をぽすりと覆うフードからは煌くアイスブロンドの髪が顔の左右から前に出ている。中途半端に空いた前面のファスナーの隙間から紫色の紐がちらりと見えていた。
「……ん。ありがと。」
「ははは、当然だろ。身体が冷えてもまずいし、ほら早く行くぞ。」
智之は用意していた上着を手渡すと、蓮はそれをぎゅっと自身の身体に押し付けるように抱え込んだ。ふわりと香る智之の香りを感じると、蓮は上着を肩にかけて、智之の上着を渡す格好から少し下げられた左手を絡めるように右手で握った。
その感触に思わず手を引く智之に引っ張られて、蓮は智之の正面に倒れこんだ。反射的に身体を支えようと、胸に顔を埋めた蓮の腰を腕で抱え込み、抱きしめるような形になった。腕の中にいる蓮の香りが智之の鼻を刺激し、胸がドクンドクンとうるさくなる。
胸に埋めていた顔を蓮は放すと、蓮を見下ろすように見ていた智之の動揺に揺れる瞳と自身の瞳を合わせて、心の奥からじわりと浮かんでくる感情のままに顔が緩んでいく。瞳が蠱惑的な色を帯び、だらしなく緩んだ口は蓮の感情を余すことなく表現した。
「ニヘヘヘヘ。」
「……っ。」
「あんまり夜更かしするなよ。」
「大丈夫。明日も朝早いから。すぐ寝るよ。」
「そ、そうか。」
蓮の家の前で子供に注意を促すよう蓮に語っていた智之は言外に明日も智之の家に行くと言った蓮に口元を引きつかせるほかなかった。それは来てほしくないなどでなく、話が通じない相手に対して、それでも反応してしまったものだ。ここ数週間で智之は説得することは諦めていた。
「ニヘヘ。……おやすみ。」
「おやすみ。」
「……ニヘヘ。」
「はぁ~。……どうしたものか。」
蓮は名残惜しそうに家の扉が閉まるまで智之のことを見ていた。そして、扉が閉まった後、ため息を一つ吐いた智之はこつんと扉に頭を預けて呟いた。しんと静まる辺りに智之の声だけが空しく響いていた。
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