第5話
トラウマの咆哮! 泣き虫な人質とDEATH 4
その日、桜田法律事務所を訪れたのは、憔悴しきった猫耳族の母親だった。
「お、お願いします……! 娘を、ミーシャを助けてください……!」
彼女は床に額を擦り付けて懇願した。
話を聞けば、愛娘ミーシャ(6歳)が、人身売買組織『黒い牙』に誘拐されたという。
警察天使に通報したが、組織はアジトを転々としており、捜査は難航しているらしい。
「許せねぇな」
ソファでコーヒーを飲んでいた龍魔呂が、カップを置く手が震えるほどの力で握りしめた。
彼は無類の子供好きだ(本人は認めないが)。そして何より、子供が「奪われる」痛みを誰よりも知っている。
「引き受けますわ」
リベラは即決した。
「刑法第224条、未成年者略取誘拐罪。……子供を売り飛ばすなど、万死に値する所業。私の法と、貴方の拳で叩き潰しますわよ」
「……ああ。骨の髄まで後悔させてやる」
龍魔呂はポケットから角砂糖を取り出し、ガリガリと噛み砕いた。
その瞳には、いつもの冷静さはなく、危うい殺気が揺らめいていた。
***
キスケの情報網により、組織のアジトが帝都郊外の廃倉庫であることが判明した。
時刻は深夜。
リベラと龍魔呂は正面から乗り込んだ。
「こんばんは。……不法侵入と監禁の現行犯で告発しに来ましたわ」
「あぁ!? なんだこの女は!」
倉庫内には、凶悪な顔つきをした男たちが二十人ほど。
その奥には、檻に閉じ込められた獣人の子供たちの姿が見える。
「やっておしまいなさい、龍魔呂さん」
「御意」
龍魔呂が動いた。
速い。
赤黒い闘気を纏った拳が、一閃するたびに悪党が吹き飛ぶ。
「ぐあぁっ!?」
「な、なんだコイツは! 化け物か!」
鬼神流格闘術。
銃弾すら弾く闘気の前では、チンピラの剣など爪楊枝に等しい。
龍魔呂は無表情のまま、次々と敵の関節を破壊し、意識を刈り取っていく。
圧倒的だった。……そう、ボスが卑劣な手段に出るまでは。
「ひ、ひぃぃ! く、来るな! こいつがどうなってもいいのか!」
追い詰められた組織のボスが、檻から猫耳の少女・ミーシャを引きずり出し、その喉元にナイフを突きつけたのだ。
「ミーシャ!」
リベラが叫ぶ。
ナイフの冷たさに怯え、少女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「う……うわぁぁぁぁぁん!! こわいよぉぉぉ!! おかあさぁぁぁん!!」
廃倉庫に響き渡る、子供の絶叫。
その瞬間。
「――っ!?」
龍魔呂の動きが、凍りついた。
彼の視界が歪む。
目の前の少女が、かつて自分の腕の中で冷たくなった弟・ユウの姿と重なる。
(……兄ちゃん、痛いよ……苦しいよ……)
(……助けて……龍魔呂……)
過去の幻聴が、鼓膜を突き破り脳髄を犯す。
龍魔呂の顔から血の気が失せ、真っ青になった。
「あ……あ、あ……」
ガクガクと膝が震え、その場に崩れ落ちる。
最強の鬼神が、ただの怯える子供のようにうずくまった。**トラウマの発作(フリーズ)**だ。
「へっ? なんだコイツ、急にビビりやがって!」
ボスは好機と見て、うずくまる龍魔呂を蹴り上げた。
ドカッ! バキッ!
「が……ぅ……」
「龍魔呂さん!」
無抵抗の龍魔呂が殴られ、蹴られ、血を吐く。
彼は反撃しないのではない。できないのだ。子供の泣き声が続く限り、彼は無力な「兄」に戻ってしまう。
「へへへ、まずはこの邪魔な男を殺してやる! それから女、お前も商品にしてやるよ!」
ボスが龍魔呂の頭にナイフを振り上げた。
絶体絶命。
リベラは合気道を使えるが、人質を取られた状態では動けない。
龍魔呂を救うには、彼を縛り付ける「鎖」を断ち切るしかない。
すなわち――**「子供を泣き止ませる」**こと。
「ミーシャちゃん! これを見て!」
リベラは懐から、色鮮やかな包み紙を取り出した。
そして、ボスのナイフが振り下ろされる寸前、それをミーシャの口元へ放り投げた。
「魔法のキャンディよ! 舐めると勇気が出るの!」
ミーシャが反射的にそれを受け取り、口に入れた。
ペロペロキャンディ。
地球由来の、極彩色の渦巻き飴。
口いっぱいに広がる強烈な甘さとフルーツの香りが、少女の恐怖を一瞬だけ上書きした。
「……んぐ? ……あまい……おいしい……」
泣き声が、止まった。
倉庫に静寂が戻る。
「あ? なんだガキ、泣き止みやがって……」
ボスが舌打ちをして、再び龍魔呂を見下ろした時。
空気が、変わっていた。
「……おい」
地獄の底から響くような、低い声。
うずくまっていた龍魔呂が、ゆらりと立ち上がった。
その瞳に、もはや怯えはない。あるのは、理性を焼き尽くした後の、虚無のような殺意だけ。
かつて地下闘技場で「死を呼ぶ四番」と恐れられた、狂気の別人格。
**DEATH 4(デス・フォー)**が、目を覚ましたのだ。
「……よくも、泣かせたな」
龍魔呂の体から噴き出す闘気が、赤黒から、完全な漆黒へと変貌する。
「ひッ!? な、なんだコイツ、さっきまで震えて……!」
「俺の視界で、ガキを泣かせるクズは……生きてる価値がねぇ」
龍魔呂が右手を掲げた。
中指と親指を重ねる。その間に、闘気で圧縮された小石がセットされていた。
「懺悔の時間だ。……地獄で弟に詫びてきな」
指弾(シダン)。
パンッ!
乾いた破裂音と共に、ボスの持っていたナイフが粉砕され、そのまま背後のコンクリートの壁に大穴が開いた。
対空砲レベルの威力。
「あ……あ……?」
ボスが腰を抜かす。
だが、龍魔呂は止まらない。彼は瞬時に間合いを詰め、ボスの顔面を鷲掴みにした。
「お前らが笑って見ていた痛み、その身で味わえ」
そこからは、一方的な蹂躙だった。
リベラが「ミーシャちゃん、飴美味しい? こっち向いてちゃダメよ」と少女の目を覆っている間に、組織の人間は全員、原形を留めないほどに「制裁」された。
***
翌朝。桜田法律事務所。
全身包帯だらけの龍魔呂が、ソファで不貞腐れていた。
リベラが湿布を貼りながら、ため息をつく。
「……無茶をしすぎです。貴方が死んだら、誰が私を守るのですか」
「悪かったよ。……だが、体が勝手に動いちまった」
「それに、あの惨状……。警察天使への言い訳にどれだけ苦労したか。全員『全治6ヶ月』ですってよ」
リベラは呆れたように言いながらも、その手つきは優しい。
テーブルの上には、ミーシャとその母親から届いた感謝の手紙と、下手くそな似顔絵が置かれていた。
『おにいちゃん、ありがとう』と書かれている。
「……まあ、でも」
リベラは龍魔呂の口に、昨日の残りのペロペロキャンディを突っ込んだ。
「子供の笑顔を守れたのですから、良しとしましょうか」
「……んぐ。……甘ぇな」
龍魔呂は飴を転がし、少しだけ照れくさそうに窓の外を見た。
その横顔からは、昨夜の修羅の影は消えていた。
――だが、平穏は長くは続かない。
帝都の公園が突如として「迷宮化」したというニュースが、飛び込んでくるのは数時間後のことである。
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