第2話 春信の決意

「なにが違うんだろうねえ」


 考えながら歩いているうちに春信はいつの間にか日本橋まで来ていた。ここも芝に劣らず絵草子屋えぞうしやが集まっている。歩くだけで店先に吊るされた一枚絵や棚に置かれた本がいくつも目に飛び込んでくるのだ。


 やはり役者絵が多い。演じる場面の切り取り方が面白い。役者も誇らしげに絵に収まり、買ってくれと手を伸ばしてくる。

 売られている絵はどれもこれも輝いて見えた。それがまた悔しくもあり羨ましくもあり恨めしくもある。

 ふと気づいて並んだ絵本のひとつを手に取った。


「やっぱり祐信すけのぶはいいなあ」


 すさんだ心もこの絵を見ていると癒されて憧れに変わっていく。

 春信が好きな絵師は京の西川にしかわ祐信すけのぶという。物語絵巻のような柔らかい大らかな絵を描き、自ら大和絵師やまとえしと名乗るほど絵巻の雰囲気があった。

 描くならこんな絵を描きたい。写して描いて少しは描けるようになって何年経っただろう。春信は初めて真似た拙い絵の楽しさと気恥ずかしさを思い出す。


「いらっしゃいませ、西川祐信がお好きなんですか」


 思いにひたっている間に、本屋の手代てだいがにこやかな顔で店先の床几しょうぎ越しに膝をついていた。


「ええ、男も女も品のある表情がいいですよね。画題を和歌からとってるとこなんかも雅な雰囲気があって好きなんです。これは持ってるんですが新しいのは入ってますか」

「それが京からのくだぼんの一番新しいやつですよ、次のはまだ入りませんねえ」


 話している横から壮年の男の渋い声が割り込んできた。


「へえ、兄さんも祐信すけのぷが好きかい。俺もなんだよ」

「いいですよね、絵の中に気持ちが入り込んでしまうっていうか」

「そうそう、そうなんだよ。こういう雰囲気は真似たくなるよなあ」


 引目鈎鼻ひきめ かぎばなというお決まりの顔だが、その場面に出会った人々ならこういう仕草をするだろう、きっとこんな態度をとる。そんな瞬間を捉えた描きかたをする。そこに祐信すけのぶの味があり共感を生んだ。


「俺も祐信の新しいのを探しに来たんだが、まだ入らねえんだな」


 残念だと頷きあい苦笑いが出た。


「京なら摺ってすぐのものが出回るんですがねえ」


 手代てだいがそう言うと春信は弾かれたように顔を上げる。


「そうか、京なら祐信が……そうだ!」

「お客様?」

「いや、ありがとうございます。また寄らせてもらいます」


 呆気にとられた手代と客の男を残して春信は走り出した。たった今、歩いてきた道を駆け戻っていく。


「そうだそうだ、京へ行こう。本も早く手に入る。どうせなら祐信すけのぶを探して描きかたを教えてもらおう。わからないのはきっと今まで師匠についてなかったからなんだ。教えてもらえばあんな風になんでも描けるようになる。そうなれば文句も出ない」


 戻った江見屋えみやの店先で今一度、主人を捕まえる。


「江見屋さん、修業してきますんでちょいと待っててください」

「なんだい、藪から棒に。うちはお前さんみたいな駆け出しひとりを待ってるわけにはいかないよ。けどまあ、いいものを持ってきたら話は別だ」

「ありがとうございます。いってきます!」


 それだけ言うと春信はまた飛び出した。

 どこへ行くのかという江見屋の問いは、走る春信には届いていなかった。

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