無人島に何持っていく?

白縫いさや

無人島に何持っていく?

 知るか、と思った。



「もしもあなたが無人島に三つだけ物を持ち込めるとしたら何にしますか?」


 大学で心理学を専攻したという新任の先生が、レクリエーションと称した場でクラスの生徒たちに投げかけた。

 高校二年生にもなってこんな子供みたいなことを、と思ったが、意外にも生徒たちは楽しげな反応で、私はそのことに驚いてしまう。

 スマホ使えねーとか詰んでんじゃん、という男子の馬鹿みたいな声。


 そりゃそうだろ。

 あ、でも。

 スマホが使えないのは確かに困る。


 小説が書けないから。




 ***


 小説を書くのはすごく楽しい。

 私の頭のなかでキャラクターたちが自分の意思を持って動き出す。彼らはときに笑い、ときに泣き、作者である私自身もまた彼らと同じ目線で物語のなかを旅している。


 旅のなかで私たちは、たとえば清流の聖域に赴き、そこで守護者である龍神に長雨を止ませるよう歎願したことがある。あるいは、魔獣たちに包囲されて絶体絶命の危機のなか、突如暴風のように舞い降りた怪鳥に助けられ、危機一髪で空に脱したこともあった。

 魔獣たちの怨嗟の咆哮は飛翔とともに遠のき、やがて私たちは厚い雲を抜けた先で夕日が地平線に掛かるのを見た。空は真白い夕日から遠退くにつれて優しい茜色を経て穏やかな藍色へ変遷していく。怪鳥の頭を撫でて礼を言うと、彼は嬉しげに鳴いて応えてくれた。あの弱々しかった雛がこんなに大きくなって私たちを助けてくれるなんて。じん、と鼻の奥が痛くなって涙が浮かんだものだ。しかし涙を拭う間も惜しくて、私はほとばしる言葉を入力し続けた。


 いくつもの物語が私の指先から生まれて、私の知らない結末へ連れていってくれた。

 プロット通りに話が進んだことなんか一度もない。私はいつもキャラクターたちの後を追いかけて、見失わないようにするので精一杯だった。




 初めて小説を書いたのはもう八年近く前で、小学三年生のときのこと。

 空から降ってきた、としか言いようのない衝動に突き動かされて、気が付いたらノートの十ページ分ぐらいを使って言葉を書き連ねていた。

 拾った卵から仔猫が孵って、一緒に仔猫のおかあさんを探しにいく話だった。

 書き終えたとき、私は興奮していた。

 自分の身に一体何が起きたのか。手は痛いし、心臓もドキドキして、何が何だかわからない。

 だけど、すごく楽しかった。これはアニメを見るのとは全く異なる種類の楽しさだと確信した。


 そうして書き上げた初めての物語は、両親に当たり障りのない言葉で褒めてもらった。

 以後、次第に家族には書いたものを見せなくなり、私が小説を書いていることも隠している。


 クラスの女の子たちのなかには漫画やイラストを描く子たちもいたが、私は小説一本だった。私に画才がなかったというのもあるが、やはり言葉で物語を紡ぐことの面白さに目覚めたというのが大きい。

 それまではたまに読む程度だった児童書も、執筆の勉強のために、図書室に足繁く通って読むようになった。

 クラスの子たちには何度か自作を見せたこともあったが、拙い文章に対して世界観が壮大だったせいもあって、彼女たちはそのうち「見せて」と言わなくなった。




 小説投稿サイトにアカウントを作ったのは中学一年生のときのこと。

 進学祝いにスマホを買ってもらえたおかげで、それまでは“読む専”だった場に、やっと執筆する側として参戦することができた。

 ノートに書き溜めていた自信作を慣れないフリック入力で文字データに落とし込む。誤字脱字のチェックはもちろんしたし、読者視点で読みやすいレイアウトを心掛け、聞きかじった創作論を咀嚼して、次話への引きも散りばめた。


 何度も深呼吸を繰り返し、ぎゅっと目をつむって、ついに「投稿」を押す。

 こうして無事に私の処女作はインターネットの海に解き放たれた。新着一覧にもばっちり載っている。

 私はそわそわしながら読者の反応を待った。


 もちろんいきなり人気作家になれるとうぬぼれるような間抜けではない。

 それでも「自信作」なのだから、いくらか好意的には受け止めてもらえると期待していた。

 顔も名前も知らない読者たちは、他の作者の作品を読んで“いいね”や感想を残している。ならば彼らは私の作品にも同じくそうしてくれるだろうと期待していた。

 しかし実際には、指で数えられるくらいのPVと、申し訳程度の“いいね”があっただけで、じきに私の処女作は多くの作品群の底に埋もれていった。

 ただし今になって思うに、心ないコメントに傷つけられなかった分だけまだましだったと言えるだろう。


 そのような初投稿であったが、めげずに続けていればそれなりに手応えはあるもので、やがて私は何人かの創作仲間を得て、新作を投稿すれば一定程度の反応を得られるようになった。


 現在高校二年生。

 私の創作ライフはそれなりに充実している。




 ***


 机をくっつけて作った作業台に大きな模造紙が置かれている。男女三人、計六人で一グループ。ひとりが、黒の水性ペンで模造紙の中央にこう書いた。


 無人島に何持っていく?


「まずは自由に思いついたアイデアを書き出してみましょう」


 先生はこう言って、パン、と手を叩いた。それを合図に、クラスがざわざわとし始める。

 私にもペンが渡されて、愛想よく礼を言って受け取る。しかし受け取ったそばから真顔になってしまう。


 なんで無人島なんだよ、と。

 遭難するなら持ち物なんか好きに選べるはずがないし、自ら進んで行くというのなら、三つに限らず生活するのに必要なものは全部持ち込むべきだろうに。


 そのような私をよそに、他の生徒たちは次々と模造紙にアイデアを書き込んでいく。初対面の人、昨年度まで同じクラスだった人、中学校が同じだった人など色々いるけど、ほとんど関わりがなかったのだから、皆初対面と何も変わらない。

 水、食料、釣り竿、寝袋、メガホン、包丁、鏡、打ち上げ花火……。

 次々と増えていく単語を見ていると、どうやら彼らは無人島に行くこと自体は受け入れたうえで、生き延びるために必要なものを考えて選んでいるらしい。


「あと何かあるかな」

「わかんねえ」


 無人島というが、それはどれくらいの大きさなのか。近くを船舶や航空機が通過する可能性があるのか。島には樹木は生えているのか。川や泉はあるのか。動物はいるのか。洞窟など身を隠せそうな場所はあるのか。今はどの季節で昼と夜でそれぞれ気温が何度くらいなのか、など。

 これらの条件を考慮しなければ、真に必要なものなど特定できるはずがないのだが、そういうことを考える私の方が異質なのだろう。小説を書くならこれくらいの状況設定は当たり前だが、普通の人はこんな細かいことまでは考えない。


「牧島さんはどう?」


 不意に自分の名前を呼ばれて、私は顔を上げる。


「うーん、何だろうね」


 小学三年生で図書室に居場所を見出して以来、身に着けてきた生きる知恵――すなわち愛想笑い。


「思い浮かんだのは、もうみんなが先に書いちゃったから」

「そっか」


 グループの話題は、サバイバルの仕方から、いつしか暇の潰し方に移っていった。

 彼らにとって、電気が使えないという制約はおそろしく強いらしい。

 ゲーム、アニメ、SNSはもちろん、漫画も電子コミックなら、すべてスマホが媒体であるから、例外なく無人島では使えない。紙媒体の漫画ならかろうじて暇潰しの道具にはなるだろうが。


「何冊持ってく気だよ」

「重すぎるー」


 人生の楽しみを消費することに見出すならば、消費する対象が大量に必要となるのは必然なのだろう。

 しかし私は彼らほどには暇の潰し方に困らない。

 私には小説があるからだ。


「何か思いついた?」


 問われて困り顔を浮かべる。グループの何人かが私を見ていた。

 さすがにそろそろ私も何かアイデアを出さなければいけないだろう。


 “時間のつぶし方”と模造紙に書かれた文字は二重の下線で強調されている。

 私はペンの蓋を外し、書くかどうか少しだけ迷って、結局こう書いた。


  ペン


「どういうこと?」

「無人島まで行って勉強すんの?」

「真面目ちゃんさすがー、やべー」


 ――うるさい、黙れ。


「そうじゃなくてー、書くものがあれば何かに使えるかなって。ほら、たとえば手紙を書いて助けるを求めるとか」


 グループの人たちは私の発言に触発されて言葉を交わし始める。

 紙がないじゃん。葉っぱでよくね? どんだけでかいんだよ、その葉っぱ。確かに。うける。でもペンってのは悪くないかもね。うん、何かに使えそう。

 そうしている間にレクリエーションに飽いた男子たちが、模造紙の隅でマルバツゲームを始めだした。それを指さし、耳障りな声で笑う他の男子。ペンの使い道を巡る話し合いは、私を置いてけぼりにして進んでいく。


 私は手元のペンに目を落とす。緑色の水性ペンだ。特に目立った特徴もなく、六色ワンセットの百均で売っているような、ありきたりのペン。

 だけど私はこのペン一本で、小説を書くことができる。

 模造紙の余白は真っ白なエディターに似て、自由だ。言葉を書いて繋いで、そうして編まれた言葉たちを土台として真新しい世界が生まれる。まだ自分が何者かもわかっていないキャラクターたちがゆっくりと立ち上がり、まっさらな大地に一歩、二歩とあゆみ出て、やがて目いっぱいに力強く地面を蹴って駆けだす。


 無人島に何を持っていく?


 まずはペン、それから紙。

 極限まで絞れと言われたら、これで十分だ。


 三つも必要なかった。

 たったこれだけで満足できる私はなんて幸せ者なのだろう……。




 不意に、視界の端でペンの先が躍って、模造紙に新しい文字が書かれる。


  びん


「びんって何?」

「ガラスのあれだよ」

「いや、わかるけど」

「手紙を入れて、海に流すの」

「詩織はロマンチストだねえ」

「えへー」


 ぱちっ、と視界が弾けた。




 ***


 小説を書いていて、小説家という生き方に憧れないわけがない。

 だから、調べてみたことがある。

 今の時代に専業作家をしながら、いわゆる人並みの暮らしをしようと思ったら、一年間に単価何円の本が何部売れる必要があって、私は一日あたり何文字書かなければならないのか。

 もちろん小説とはただ書けばいいというものではない。

 きちんと読者と向き合って、読者が求めるものを提示するというのは、やって当たり前。そのうえで読者の期待を良い意味で裏切って、読者を喜怒哀楽のジェットコースターに乗せる読書体験を提供しなければならない。そういう質の高い小説が求められる。

 とりわけ現代は出版不況で、改善する見通しはない。単行本だけの収入に頼らないのならば、作者は漫画やアニメといったメディアミックスも視野に入れて、ストーリーやキャラクターを作らなければならない。コンプライアンス順守も当然必要だ。将来的に国外への展開も考えるなら、各国の文化的背景や宗教的事情にも配慮した設定も考慮しなければならないだろう。


 そのような制約の下で紡がれる物語とは、必然的に高度に統制されたものとなる。キャラクターたちは決められたプロット通りに動き、決められた台本通りのセリフを喋らなければならない。

 作者が一定のペースで一定のクオリティの作品を生産し続けるためには、キャラクターたちの勝手な振舞いによる逸脱など許されない。


 そのような姿勢で作品を犠牲にしてもなお、作品が売れるかどうかは不確かだ。作品が売れなければ、作者も出版社も共倒れであるから、作品が売れなくていいということはあり得ない。

 広告や宣伝をはじめとした、売れるためのあらゆる努力を尽くしたとしよう。しかし既に数多くの娯楽や作品に囲まれた読者というのは、残酷なまでに気まぐれだ。最後の最後に、読者に自分の作品が見出されるという幸運に恵まれて、ようやく自分の作品は売れてお金になる。

 職業としての小説家とは、実力と幸運の両方が備わって初めて成り立つものなのだろう。


 私は天を仰いで呆然した。


 私は天秤にかける。

 私の望みとは、小説家になることなのか。それとも、小説を書くことなのか。

 答えは自明だった。




 今の創作ライフに不満はない。安全だからだ。

 私が小説を書くことは誰にも咎められず、一定程度のPVと“いいね”とコメントで承認欲求は満たされる。

 創作仲間の人たちは私と似た嗜好をしている。私は彼らの描き出す世界に共感したり没入したりして、気付けば日付を跨いでいたなんてことも珍しくない。読み終わった後には作品の情熱が伝播して、私ももっと書くぞ、という気持ちになれる。


 不満はない。

 ないのだが、この頃は物足りなさも感じてしまう。


 もっとたくさんの人に読まれたい。

 PVや“いいね”の桁をひとつ増やしたい。


 別に私は小説家になりたいわけじゃないし、ランキング一位になって優越感に浸りたいわけじゃない。


 ううん、違う、嘘だ。

 私は心の奥底では願ってしまっているのだ。


 私は認められたい。


 私はすごいって言われたい。


 私は百のコメントよりも千のコメントで称賛されたい。


 PVや“いいね”やコメントの数は私の価値を表す指標だ。もちろんこれらの数字と作品の魅力がしばしば一致しないことはわかっている。わかっているが、数字は客観的な真実だ。


 自分の中の欲が溢れ出そうになるたびにおまじないを唱えてきた。

 他人からの評価なんか気にせずに小説を書いたらいいんだよ。

 これは本心なのか、それともただの負け惜しみなのか。きっとその境界線は曖昧で、どちらも真実だ。




 私は書くという行為に純粋でありたい。

 まず書くべき物語というのがあって、それを書けることに喜びを感じて、でも上手にできないことに苦しんでいたい。


 たとえば私のキャラクター、すなわち私の子供たちが、龍神に長雨を止ませるよう歎願したときのこと。

 齢万年、この世界に大地が生じた時から世界を守護してきた龍神にとって、十五の小童と小娘とは赤子に等しく、彼らの唱える理想など浅薄すぎて聞くに堪えないものである。

 仮に彼らの訴える通り、長雨を止ませて水害を抑えたとして、それでどうするというのか。その豊富な水が遠い地から土を運んできたからこそ、この地は肥沃であり、冬場にも飢えずに済むだけの恵みが得られていたというのに。

 故に龍神は、一万年にわたってこの世界を守護してきた者として、愛しくも未熟な若者たちの近視眼的な衝動にほだされてはならないのだ。断じて。


 もちろん作者である私は、龍神ほど長生きしていないから、龍神の葛藤は自分の人生経験の中にはない。

 だから、考えるのだ。

 一万年を生きるとはどんな気持ちだろう。

 きっと龍神は長い年月を生きるなかでたくさん悩みや葛藤があったはずで、そのような過去を経て今、若者二人――暁蘭シャオラン翠香ツイシアンに対峙している。龍神にとって人間とは皆、愛しい子のようなもので、その愛情は今目の前の暁蘭シャオラン翠香ツイシアンにも等しく向けられている。龍神は厳しいけど優しい神様だから、二人の気持ちがわからないはずがない。その龍神の愛情、葛藤、そして一万年の歴史を背負う守護者としての責任と覚悟。

 これらを過不足なく正確に、かつ効果的に描き出すのが、龍神という存在を生み出した作者たる私の責任だ。

 稚拙な表現は彼らの生きた物語を辱めることになる。しかし私の貧弱な語彙力と表現力では、ありったけをかき集めても、まだ彼らの生き様を描くには不十分だ。

 もっと、相応しい言葉、美しい表現はないか、もっと、もっと、もっと。

 私はこの素晴らしい物語に相応しい形を与えなければいけない。



 ――読者にカタルシスを与えましょう!

 ――キャラクターを設定する際は、読者が好む特徴を盛り込むようにしましょう!

 ――次の展開が気になるような引きを用意することが、読者の離脱を防ぐコツです!


 うるさい、黙れ。


 ――PV、“いいね”、コメント、ランキング。

 ――スマホに映る数字たち。



 ――にやつく、私の顔。






   弱くて悪い神様でごめんなさい。




 龍神だったら、こんなつまらない欲に負けない。

 私は龍神のような、強くて善い神様でありたい。

 あなたたちに相応しくあれるよう、もっともっともっと頑張るから、あなたたちの物語の続きを私に聞かせてほしい。


 そのためだったら、私を惑わすだけの読者なんか――いらない。



 しかしそんな風に勇ましく啖呵を切ったものの、ついに私は自分のアカウントを削除することができなかった。






「投稿」を押すとき、最近の私は祈る気持ちになる。


 この物語が心ある読者に届きますように。

 この物語を一時の娯楽として消費するのではなく、生きた人間たちの軌跡として、記憶の棚の片隅に置いてくれる人に届きますように。

 綺麗に飾ってくれなくてもいい。何かの折に思い出してくれればそれでいい。

 だから、どうか、この物語をなかったことにしないで。


 もちろんこんなものは極めてナイーブで、甘えた発想だ。作者が読者に読み方を強制する権利などない。

 一人の読者としての私自身は、他の人々が書いた物語を私なりのやり方で尊重したいと思っているが、それはあくまで私個人の信念に過ぎない。

 決して一般化して他者に強制するものではないのだ。


 しかしそれでも、私は祈り、願ってしまう。

 どうか、この物語が誰かの心に引き継がれますように。




 ***


「おおーい、どしたの? 大丈夫?」


 目の前で手を振られて、私は意識を現実に戻す。


「ううん、何でもない」

「そう? 体調悪いんだったら先生に言えば?」

「ありがとう」


 愛想笑いを浮かべながら、びん、という文字を見る。


 いい言葉だと思った。


 無人島とは外界と断絶された場所だ。

 誰もいない寂しい場所であり、静かな場所であり、私を煩わせるものがない場所である。

 もし私が無人島に流されたら、きっと脱出することも自活することもできなくて、すぐに死んでしまうだろう。

 しかし死ぬことの怖さよりも、私を煩わせるものがないことの静けさに魅力を感じてしまう。


 小説を書くことは、私が私でいられるための絶対条件だ。

 だから、無人島に持っていくものを選べと言われたら、私は紙とペンを最優先に挙げる。

 でも、小説を書くだけだったら、本当はそれすらも必要ない。

 無人島の砂浜に指で書けばいいだけだから。

 たとえ風や波が白砂に刻んだ物語をかき消してしまうとしても、私は私の物語たちを形にしてあげられる。


 だけど、私の心にすっと収まったのは紙とペンだった。

 むしろ紙とペンでなければならないと思った。


 私は無人島で小説を書いて、書き上がった物語をびんに詰めて、そっと海に流す。

 びんは沖へと離れていって、やがて見えなくなるだろう。

 私は敬虔な修道女のように跪き、細波の音を讃美歌にして、祈るのだ。


「びんって、いいね」


 私が率直な感想を言うと、女子二人は驚いたような顔で私を見た。


「牧島さんも手紙をびんで流したいの?」

「そうかもしれない」

「わあ、意外」

「そう?」

「だって牧島さんは、その、あまり人と関わるの好きじゃないのかなって」


 そういう風に見られていたのか。


「嫌いってわけじゃないけど、得意ではない、かな」

「でも流したいの?」

「うん」

「どうして?」

「自分がここにいたって証拠が誰かに伝わったらいいなって」

「わー、難しいこと言ってる」

「シンプルな話だよ」


 私は前方の女子二人の方を見る。

 今話していたのは昨年度同じクラスだった伊藤詩織さんという人で、たしか吹奏楽をやっているとか。もう一人は初対面だ。


「牧島さんってさ、まだ小説書いてるの?」


 心臓が止まるかと思った。

 声の主は初対面と思っていた子だ。しかし、くりっとした大きな目は猫に似ていて、見覚えがある気がする。

 手がかりを求めて視線を滑らせていると、彼女の手元にピンクのペンで描かれたネコのイラストが見えた。丸みを帯びたフォルムは書き慣れたもののようである。

 視線を戻せば、彼女はじっと私を見つめている。

 記憶の中の面影と重なる。

 まだ小学生だった頃、クラスに絵が上手な子がいて、その子はネコが主人公の漫画を描いていた。私はその子にせびって漫画を見せてもらっていた。

 自由に物語を作るって素敵なことなんだ、ということを彼女に教えてもらった。


「……山崎美緒ちゃん?」


 山崎さんは大きくため息をつき、伊藤さんは私たちを交互に見つめて戸惑っている。


「やっぱり気付いてなかったかー。フルネームで名乗ったのに」

「え、え、知り合いだったの?」

「そだよ。牧島さんとは小学校の頃、一緒だったの」

「へー、びっくり」

「いやあ、さっき初めましてって言われたときは、正直、傷ついたわー」


「ごめんなさい」


 私は心の底から謝った。


「はは。小三の時以来だから八年ぶり? この分だと入学式で声かけたのも覚えてないよね?」


 恥じ入りながら頷いた。


「ところで、小説ってなになにー?」


 伊藤さんに問われて私は一瞬言葉に詰まった。本心では答えたくないが、染み付いた生きる知恵が正しい振舞いを告げている。

 この場はこう返すのがだ、と。


「趣味で書いてるの、小説」


 自分でも意外なほどに、さらりと言うことができた。

 伊藤さんはパッと表情を明るくさせて、すごーい、と小声で言って手を叩いた。一方山崎さんは難しい表情でこちらを見ている。


「そっか、よかった。安心した」

「安心?」

「続けてくれてたらいいなって、ずっと思ってたから、さ」


 そう言って山崎さん――いや、美緒ちゃんは、ふう、とひと息ついて視線を伏せた。

 私はその仕草に彼女の八年間を垣間見た気がして、喉が詰まる心地がした。


 ――最後に美緒ちゃんの顔をちゃんと見たのは、私が彼女に初めて書き上げた小説を見せたときだ。

 美緒ちゃんみたいに、私もお話を書いてみたの!

 そう言って押し付けた小説はノートに手書きで書いたもので、さぞかし読みにくかったことだろう。しかしそう思えるのは今だからこそで、当時の私は、自分が美緒ちゃんの漫画に感銘を受けたのと同じように、彼女もそういう反応をしてくれるものと勝手に期待していた。

 しかし読み終えた彼女は何とも言えないような表情をしていた。

 その時の私は美緒ちゃんにどんな表情を見せてしまっていただろうか。これは私が愛想笑いを覚える以前の話だ。


「……あのときはごめんね」

「私の反応も大概だったからねえ。まあ、私も瑠璃ちゃんも、お互い若かったということで」


 しんみりとした空気のなか、おずおずと伊藤さんが手を挙げ、すかさず美緒ちゃんが「はい、詩織君」と指名する。


「よくわかんないけど、仲直り、できたってことでいいの?」

「んー、喧嘩っていうほどのものでもないよ。幼き日の小さなすれ違いってやつ?」

「美緒ちゃんにそんな繊細な過去があったなんて」

「にゃはは、いい女には秘密ってのが付き物なのさ」

「はいはい」


 夫婦漫才のようなやり取りを見ていたら、私はどういうわけだか無性に嬉しくなってしまった。


「二人は仲がいいんだね」


 しみじみと呟いたつもりが、どうやら二人に聞こえていたらしい。

 伊藤さんが言った。


「美緒ちゃんとは中学が一緒だったんだよ。二年生の時に同じクラスになって、それから仲いいの」

「そっか」

「美緒ちゃんは生徒会に入っててね、文化祭のパンフレットの表紙も描いたんだよ」

「そうなんだね」


 見てみたかったな。


「牧島さんって、もしかして意外と話しやすい人?」


 伊藤さんにじっと見つめられているのに気づき、私は背筋を伸ばす。斜に構えていたつもりはないが、こう言われてしまうという事実が全てなのだろう。反省しなければならない。

 改めて見てみると、伊藤さんという人は美緒ちゃんと比べると小柄で、リスのようだと感じた。それでいて人懐っこい感じに既視感を覚え、すぐにその正体が明らかになる――翠香ツイシアンだ。


 ああ、だからこの二人を見ていると和むのか。

 何だかもう、身構えるのも馬鹿らしくなってきた。

 人が変わる節目というのはこういう風に、ふとした瞬間に訪れるものなのだろう。これは身を委ねていいタイプの直感。


「ねえ、二人に相談なんだけど」


 努めて冷静に、声が震えそうになるのを抑えて申し出る。美緒ちゃんと伊藤さんが私の次の言葉を待っている。


「今書いてる小説があるんだけど、キリのいいところまで書けたら、一度見てほしいの。客観的な意見が欲しくって」


 無意識のうちに視線が逸れていたらしい。祈るような気持ちで二人の方を見る。


「牧島さんの小説楽しみー」


 伊藤さんは茉莉花のように顔をほころばせていた。

 そして美緒ちゃんは。


「楽しみにしてるね」


 太陽のように、明るくニッと笑ってくれた。




 ***


「皆さんそれぞれ答えはまとまりましたか?」



 無人島に何を持っていく?


 やはり私が選ぶなら紙とペンとびんの三つだ。


 私が海に流したびんは、やがてどこかの砂浜に流れ着く。

 美緒ちゃんと伊藤さんが黄色い声をあげながらその砂浜を散歩していて、波に洗われて濡れたびんに気付き、拾い上げる。

 コルクの蓋を開けて中身を確かめる。

 二人は並んで座り、原稿の一枚一枚を丁寧に読んでくれている。


 そうだったらいいな。

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