ポメに転生した俺氏、ダンジョン配信者になる
風
第1話『ポメに転生した俺氏、ダンジョン配信者になる』
──人は人生で一度は、トラックに轢かれる可能性を考えたことがあるらしい。
自分に限ってそんなこと、と思っていたのに。よりによって信号待ちでぼんやりしていた時に、それは起きた。
光が弾け、体が浮き、そのまま世界の輪郭が溶けていった瞬間、俺は「あ、これは異世界だな」と妙に納得していた。
あの定番の展開というやつだ。
剣と魔法、森の木漏れ日、見知らぬ女神の声……そのどれかが来るはずだった。
しかし次に目を開けた時、俺の視界に飛び込んできたのは、見慣れたアスファルトの道だった。
車通りは多い。建物も、行き交う人の服装も、自分が生きていた世界そのまま。
期待していた異世界チートへの道は、どうやら閉ざされたらしい。
──いや、閉ざされたどころかさらにおかしい。
俺の視界は低い。世界がやたら大きい。そして何より。
「……ワン?」
声が犬だった。
前足を見た。ふわりと丸い。
触れてみると柔らかい毛がたっぷり。
地面に影が落ちる。小さく丸いシルエット。
どう見ても、ポメラニアンだった。
「ポメ……? いや、俺……なのか?」
尻尾が勝手に振れたので、否定のしようがない。
こうして俺は、異世界でもなんでもなく、しかしどこか様子のおかしい現代世界で、ポメラニアンとして再スタートを切った。
◆◆◆
困惑しつつも、まずは状況把握が必要だ。
通りを歩くと人々がちらりちらりと俺を見る。
だが、野良犬にしては追い払われることもなかった。
ポメラニアン補正かもしれない。
その間にも、道端やカフェから聞こえてくる会話が自然と耳に入る。
どうやら最近は「ダンジョン配信」が流行らしい。
「昨日の配信見た? あの新人、二層で即撤退してて草」
「罠にかかった瞬間の悲鳴が最高なんだよな」
「スパチャだけで生活してる人もいるんでしょ?」
……ダンジョン? 配信?
俺のいた世界にはなかった単語の組み合わせだ。
更に歩くと、路地裏で奇妙な光景に出くわした。
金属の入り口のようなものが地面からせり上がっており、その周囲に黄色いテープが張られている。
近くの電柱にはポスターが。
《政府認定ダンジョン・第七管理区》
──本当にダンジョンがあるらしい。
まさかと思いながらも、鼻をひくつかせてみる。
湿った石の匂い、苔の気配、そしてほんのわずかな血の匂い。
確かにこれは、ただの地下施設ではなかった。
「ポメ、まちがえない。これは、あぶない匂い」
思わず口にしてみると、また尻尾が揺れた。
どうやらこの身体は感情が素直に出るらしい。
その時。
ふと足元、ダンジョン入り口のそばに、小さな機械が落ちていることに気がついた。
黒い細長い楕円形。
首にかけるタイプの、アクションカメラのようだ。
画面は割れていない。
電源を入れると、まだ動くらしい。
「……これは、もらっても怒られないやつ、だよな?」
辺りを見渡す。持ち主はいない。
ポメラニアンが拾ったところで、異議を唱える人間はいないだろう。
恐る恐るカメラを咥え、路地裏を少し離れてみる。
人目のない場所を探し、ようやく静かな公園にたどり着いた。
ベンチの陰に落ちていたボロいノートパソコンも、運良く電源が入った。
どこまでが偶然で、どこまでが導きなのか自分でもわからない。
それでも胸の奥が少しだけ熱くなる。
犬の体だが、心はまだ人間だ。
金がほしい。生活したい。
そして──できれば人間に戻る方法を探したい。
ダンジョン配信で一攫千金。
考えようによっては悪くない。
この体は小さいゆえに隙間にも入れるし、嗅覚は人間時代の比ではない。
危険回避には長けているかもしれない。
「ポメ、配信……やってみる」
自分で言ってみると、案外しっくりきた。
さっそくカメラを首に掛けてみる。
ほんのわずかな重みを感じるが、耐えられないほどではない。
尻尾がまた勝手に揺れた。
まさかポメラニアンになっても、何かを始める前は緊張するのだな。
パソコンを開くと、配信サイトにはログイン不要のゲスト配信枠があった。
試しに繋いでみると、カメラの映像がそのまま映し出される。
そこには、小さな茶色い犬がこちらを見ていた。
「……これでいけるんだな」
開始ボタンを押す。
世界が一瞬だけ静まり返った気がした。
配信が始まって三秒後、コメント欄がざわりと動き出した。
《犬?》
《野良ポメ?》
《首カメつけてて草》
《飼い主どこ行った》
《まさかの犬配信者デビュー》
嘲笑というより、完全に観察対象として見られている。
いや、それも仕方ない。
人間でも珍しい職業なのに、ポメラニアンが配信する時代が来るとは誰も思っていないだろう。
「ポメ、こんにちは。ポメ、これから、ダンジョン行く」
言ってみたらコメント欄が一気に流れた。
《しゃべった!?》
《いや犬が喋るなよ》
《声めっちゃ可愛いんだが》
《字幕ほしい》
《これ新ジャンルすぎる》
賛否というより混乱が大半だった。
ただ、視聴者の数はゆっくりだが確実に増えている。
ダンジョンの入り口まで向かうと、警備員が二人立っていた。
もちろん俺を見て怪訝な顔をする。
「おい、この犬……」
「首にカメラついてる。どこかの配信企画か?」
通してくれないかもしれない。
しかしここで帰るわけにもいかない。
俺は地面に座り、上目遣いで警備員を見つめてみた。
「ポメ、ダンジョン、ちょっとだけ……行く」
それは許可願いというより、単なるお願いの形だった。
だがひとりの警備員が苦笑した。
「……まあ、犬だし。罠も反応しにくいって話を聞いたことがある。自己責任ならいいか」
「記録も残ってるみたいだしな。でも気を付けろよ……いや、犬に言っても仕方ないか」
なんだかんだで許可が出た。
現代世界は案外ゆるいらしい。
階段を降りると、冷たい空気が頬……いや、頬毛を撫でた。
ダンジョン特有の重い気配が満ちている。
鼻を鳴らすと、湿り気の奥に鉄の匂い。
おそらくモンスターが近い。
視聴者のコメントがさらに増える。
《入った!》
《犬のほうが人間より勇気ある説》
《鼻きくのずるい》
《もしかして案外有望なのでは》
暗がりの中、小さな足で一歩ずつ進む。
岩壁の隙間から、微かな風が流れてくる。
その匂いは──通路の裏側に続く隠しルートだ。
通常のハンターは通れない細さだが、俺なら行ける。
「ポメ、ここ、いける」
コメント欄がまた沸いた。
《犬サイズ専用ルート!?》
《人間ハンター涙目》
《これが差別化か……》
俺は細い隙間に体を滑り込ませた。
岩の感触が毛を押し返すが、不快ではない。
抜けた先は、広い空間だった。
そしてその中央で、スライムが跳ねている。
青く透明な身体が、こちらに気づいて震えた。
攻撃性の弱い初階層モンスターだが、油断は禁物だ。
「ポメ、いくよ」
地を蹴る。
軽い体がふわりと前へ出る。
スライムの揺れに合わせ、勢いよく前脚を叩きつけた。
ぶしゅ、と小さな音。
スライムがぐにゃりと潰れ、光の粒になって消える。
コメントが一斉に爆発した。
《はやっ!?》
《犬、強い》
《軽い体で勢いあるの草》
《これ普通にハンターじゃん》
小さな勝利に胸が高鳴る。
まだまだ先はあるが、この世界でなら、俺にもできることがあるのかもしれない。
「ポメ、もっとがんばる。ポメ、一攫千金、したい」
異世界ではなかったけれど。
人間にも戻れないけれど。
それでも進むことはできる。
カメラに向かって、尻尾を振ってみせた。
──こうしてポメラニアンのダンジョン配信は静かに始まった。
後に「神獣」と呼ばれる存在になるとは、この時の俺はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます