第2章 事件は会議室で起きる

第1話 打診

 TV出演から遡ること、およそ四年。


――――


 そのメールが届いたのは、夏の盛り、金曜の昼下がりだった。

 昼食を終え、成瀬はいつものようにコーヒーを淹れ、AIのログを確認していた。


 創業から二年あまり、その大半は世界的なパンデミック――クラウンウイルスの影響下にあった。

 いい加減このガレージの風景にも飽きてきてはいる。

 しかし、金は貯まらずメールばかりが溜まっていく。

 そんな日々に追われ――受信トレイの未読件数は四桁に迫る勢いだ。


 自治体からの質問、企業からの打診、大学からの共同研究依頼。

 どれも、いわゆるクラウン禍の影響で“検討中”か“またの機会に”の定型で終わる。

 延期・取りやめ・白紙。そんな文字ばかり見てきた。


 だが、その中にひとつだけ、件名からして違和感を放つメールがあった。


――――

 

 件名:【要相談】ソフィアβ導入について(X市長室)


―――― 


 成瀬は思わず手を止めた。

 地方自治体の首長から、直々の打診?

 半年に及ぶ説明会とプレゼンでも、ここまで踏み込んだ申し出は初めてだった。


「……ソフィアβを、導入したい?」

 口に出してみると、どこかざらりとした感触があった。


 自治体がAI導入を検討すること自体は珍しくない。

 しかし、ソフィアβのように“インフラ的なAI”を実装しようとする自治体はまだない。


 ――特に、X市のような保守的な地方都市では。


 伊吹に転送する前に成瀬は一応、差出人のドメインを確認した。


 ”市役所公式“


 添付には日程案と、導入の背景資料まである。

 市長の名前は“神原 慎也”

 確かSNSを活用して当選した人物だ。


「……俺らのこと、どこで知った?」

 思わず独り言が漏れた。



 コーヒーが冷めていく。


――――


「で、市長が自ら導入希望ってこと?」

 オフィスのテーブルを挟んで、伊吹が眉を上げる。


「そう。来週直接会いたいって。市長室で」


「珍しいな。 普通なら課長クラスが話を持ってくるのに」


「若手の改革派らしい。 直接現場と話すタイプだ」


 伊吹は軽く息を吐いた。

「………嫌な予感しかしないね」


「理由は?」

 ――まぁ察しはつくが。


「トップはアピール。現場は混乱。結局“AI使えない”……いつものことだろ?」

 伊吹が指折り数えながら、成瀬をチラリと見る。


 成瀬は苦笑した。

「だよなぁ。ありがちだもんなぁ..……でもさ、今回もそうとは限らない。

 “理解しよう”としてくれる……かも知れない」


「“利用しよう”じゃなくて?」


 その一言に、成瀬の笑みが止まる。


「それでも、やらないって選択肢はねぇよ」



 コーヒーが冷めていく。

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2025年12月10日 21:00
2025年12月13日 21:00
2025年12月15日 21:00

ソフィアの沈黙 中野 敦 @goinkyo73

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