第9話

チャイムが鳴り、放課後の教室にざわめきが広がる。

俺は鞄を肩に掛けながら、大きく伸びをした。

今日は珍しく――ひとりで帰れる日だった。

莉央姉は 図書委員の当番。

いつもなら一緒に帰るが、今日は先に帰ってもいいと言われた。


「……変だよな。莉央姉が先に帰っていいなんて言うなんて」


普段なら「一緒」以外の選択肢なんて存在しないのに。

そう不思議に思いながら廊下を歩いていると、声がかかった。


「悠。」


振り返ると、遥がいた。

淡々とした顔なのに、少しだけ柔らかく見えた。


「帰らない? 一緒に。」

「あぁ……いいけど。莉央姉は委員で遅いし」


遥は無表情のまま、小さく頷いた。

並んで歩き、昇降口を抜ける。

夕焼けに染まる校庭の影が長く伸びて、二人の距離も自然と近づいていく。

沈黙。でも気まずくなく、落ち着いていて――不思議と心地いい。


「……こういうの、初めて。」

「一緒に帰るのが?」

「うん。友達とは帰るけど……悠とは特別な感じがする。」


特別。その言葉が喉に引っかかった。


「なんで特別なんだよ」

「多分……安心するから。」


理由がシンプルすぎて、逆に照れた。

校門が見えてきた、そのとき。

前からこちらへ歩いてくる影。

落ち着いた足取り。整えられた髪。大学のトートバッグ。

――詩乃姉だった。


「悠?」


遥と二人並んでいる俺を見て、一度瞬きをする。

表情は変わらない。でも空気が一瞬止まった。


「帰るの、二人で?」

「たまたまだよ。図書委員で莉央姉遅いから――」

「ふうん。」


詩乃姉がゆっくり近づき、俺と遥の距離に滑り込む。

柔らかい笑み。だけど瞳の奥が冷たい。


「悠。私と帰ろう? 莉央もすぐ終わるだろうし。」

「えっ、でも――」


言葉が続く前に、詩乃姉が俺の腕を自然に取った。

細い指なのに、普通じゃない強さで。

そして遥へ、微笑みながら告げる。


「桜木さんだよね? 悠の隣は、譲れないの。」


穏やかな声。丁寧な言い回し。

なのに、拒絶の線がはっきり見える。

遥は視線を逸らさず、静かに返す。


「……奪うつもりはない。でも、少しくらい一緒に帰ってもいいはず。」

「少しくらい、ね。」


詩乃姉の笑顔は変わらない。

けれど俺の腕にかけた力が、さらに強くなる。


「でも――悠はうちの大事な弟だから。」

「……知ってる。」


遥の声は小さい。でも揺れていた。

俺は何も言えないまま、二人を見比べる。


その瞬間、


「悠!!」


校舎の入り口から走ってくる影。

息を切らし、髪を揺らして。

――莉央だった。

図書室の本を抱えたまま、まっすぐ俺に駆け寄り、腕にしがみつく。


「……よかった、思ったよりすぐ終わったから」


その声はかすれ、必死だった。

詩乃姉は微笑んだまま、遥を見た。

莉央姉は俺の腕をさらに抱き寄せる。

夕焼けの下で、三人の視線が交錯する。

甘いのに重く、重いのに温かい。

俺はただ呆然と立ち尽くした。

――どうしてこんなに、俺の周りは騒がしいんだ。


でも胸の奥では、何かが静かに熱を持ち始めていた。

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