第9話
チャイムが鳴り、放課後の教室にざわめきが広がる。
俺は鞄を肩に掛けながら、大きく伸びをした。
今日は珍しく――ひとりで帰れる日だった。
莉央姉は 図書委員の当番。
いつもなら一緒に帰るが、今日は先に帰ってもいいと言われた。
「……変だよな。莉央姉が先に帰っていいなんて言うなんて」
普段なら「一緒」以外の選択肢なんて存在しないのに。
そう不思議に思いながら廊下を歩いていると、声がかかった。
「悠。」
振り返ると、遥がいた。
淡々とした顔なのに、少しだけ柔らかく見えた。
「帰らない? 一緒に。」
「あぁ……いいけど。莉央姉は委員で遅いし」
遥は無表情のまま、小さく頷いた。
並んで歩き、昇降口を抜ける。
夕焼けに染まる校庭の影が長く伸びて、二人の距離も自然と近づいていく。
沈黙。でも気まずくなく、落ち着いていて――不思議と心地いい。
「……こういうの、初めて。」
「一緒に帰るのが?」
「うん。友達とは帰るけど……悠とは特別な感じがする。」
特別。その言葉が喉に引っかかった。
「なんで特別なんだよ」
「多分……安心するから。」
理由がシンプルすぎて、逆に照れた。
◆
校門が見えてきた、そのとき。
前からこちらへ歩いてくる影。
落ち着いた足取り。整えられた髪。大学のトートバッグ。
――詩乃姉だった。
「悠?」
遥と二人並んでいる俺を見て、一度瞬きをする。
表情は変わらない。でも空気が一瞬止まった。
「帰るの、二人で?」
「たまたまだよ。図書委員で莉央姉遅いから――」
「ふうん。」
詩乃姉がゆっくり近づき、俺と遥の距離に滑り込む。
柔らかい笑み。だけど瞳の奥が冷たい。
「悠。私と帰ろう? 莉央もすぐ終わるだろうし。」
「えっ、でも――」
言葉が続く前に、詩乃姉が俺の腕を自然に取った。
細い指なのに、普通じゃない強さで。
そして遥へ、微笑みながら告げる。
「桜木さんだよね? 悠の隣は、譲れないの。」
穏やかな声。丁寧な言い回し。
なのに、拒絶の線がはっきり見える。
遥は視線を逸らさず、静かに返す。
「……奪うつもりはない。でも、少しくらい一緒に帰ってもいいはず。」
「少しくらい、ね。」
詩乃姉の笑顔は変わらない。
けれど俺の腕にかけた力が、さらに強くなる。
「でも――悠はうちの大事な弟だから。」
「……知ってる。」
遥の声は小さい。でも揺れていた。
俺は何も言えないまま、二人を見比べる。
その瞬間、
「悠!!」
校舎の入り口から走ってくる影。
息を切らし、髪を揺らして。
――莉央だった。
図書室の本を抱えたまま、まっすぐ俺に駆け寄り、腕にしがみつく。
「……よかった、思ったよりすぐ終わったから」
その声はかすれ、必死だった。
詩乃姉は微笑んだまま、遥を見た。
莉央姉は俺の腕をさらに抱き寄せる。
夕焼けの下で、三人の視線が交錯する。
甘いのに重く、重いのに温かい。
俺はただ呆然と立ち尽くした。
――どうしてこんなに、俺の周りは騒がしいんだ。
でも胸の奥では、何かが静かに熱を持ち始めていた。
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