人生崖っぷちの伯爵令嬢ですが、黒い噂の侯爵と婚約したら、人生が好転しました
金色ひつじ
第1話
「アレクシア、大変だ。お前に縁談が来たぞ」
お父様が慌てた様子で、駆け込んできた。
「まあ、素晴らしいじゃないですか。お父様」
長女のイザベラお姉様が、嬉しそうな顔をした。
「でも、大変だ、って言ったわよね。お父様、一体どうなさったの?」
次女のリリーお姉様が、水を差し出しながら尋ねた。
お父様は、ごくごくと水を飲み干し、ようやく落ち着いた。
「その相手が、なんと、あのブラックウィンド侯爵なんだ!」
「ええっ?」
お姉様達が声を揃えた。
ブラックウィンド侯爵と言えば、辺境とも呼ばれるスカイレン島の領主の息子である。
スカイレン島は、ドラゴンが棲んでいる、という噂があった。
そして、彼には、色々と暗い噂があった。
「ドラゴンに乗って、夜な夜な村の若い女性をさらいに来る」
「悪魔崇拝に嵌まっていて、満月の夜に奇怪な儀式を行っている」
「館には彼専用のハーレムがあり、一度でも関係を持った女性は、その後すぐに処刑される」
とにかく不穏な噂の絶えない人物であった。
そんな恐ろしい殿方の下に、嫁がねばならないのか。
私は、顔から血の気が引いて行くのを感じた。
「アレク、大丈夫?顔色が良くないわ…あっ、大変」
目の前が急に暗くなり、私は気を失った。
気が付くと、私は自分の部屋のベッドに寝かされていた。
お姉様達が、心配そうな顔で、私を見つめている。
「…え~っと…」
さっきの話は、悪い夢だったのだろうか。
イザベラお姉様が、ハンカチでそっと目元を押さえた。
「…可哀想に…まだ二十歳なのに、よりによってあんな恐ろしい方に、見染められるなんて」
やはり、夢ではなかったようだ。
「でも、どうしてアレクなのかしら?私やお姉様じゃなくて」
リリーお姉様が、首を傾げた。
「そうよねえ。順番から行ったら、私達が先よね」
イザベラお姉様も、納得がいかない顔をしている。
それは、私も聞きたい所ではある。
私は、男性が一目見て、妻にしたいと思う女性ではなかった。
はちみつ色の髪と、ブルーの大きな瞳。やせっぽちだけど、お腹が少々ぽっちゃりしている。
人混みでは見えなくなってしまう、小柄な背丈。
顔も、自分ではそんなに悪くはない、とは思うけれど、絶世の美女からは程遠い。
そんな平凡な私が、いつ、どこで、侯爵様に見染められたというのだろうか。
「…それが、公爵夫人が、お前を気に入ったそうなんだ」
「…私を?」
公爵夫人とは、ブラックウィンド侯爵の母親の、レイヴンクロフト公爵夫人の事だろう。
何でも、元舞台女優で、かなりの売れっ子だったらしい。
王都の巡業公演で、舞台に立っている所を、今のレイヴンクロフト公爵に見染められたそうだ。
そんな方が、一体どこで私を見たのだろうか。
私はこの五年間、王宮の舞踏会、貴族の催すお茶会やサロンなどには、一切出席していないからだ。
我がスターリング伯爵家は、ただいま絶賛落ちぶれ中である。
事の始まりは、五年前。
屋敷に、突然知らない人達が押しかけて来た。
「スターリング伯爵、先代が残した借金の取り立てに、参上致しました」
お祖父様の葬儀が済んで、伯爵を継いだばかりのお父様は、証文を見せられて仰天した。
そこには、先代伯爵、つまり私の祖父様が、無謀な投機話に乗ってしまい、莫大な借金を作った、と書かれていた。
「…な、何かの間違いではないのか?義父は投機に手を出したりなどは…」
「いえ、この証文が何よりの証拠でございます。返済できない場合は、土地と屋敷の権利を売るしかありませんな」
「…そ、そんな…」
呆然としている私達家族の前で、家具や美術品に次々と「差し押さえ」の札が貼られていく。
最終的に、私達は屋敷を追い出され、住処を失った。
「こうなったら仕方がない。友人を頼ろう」
私達は、お隣のレスター伯爵のもとへと向かった。
彼は、私達家族に、家と農地を貸してくれた。
大勢いた使用人達も、みんな辞めてしまった。
「給料が払えないんだから、仕方ないさ」
お父様はむしろ、吹っ切れたように笑った。
私達は、その日から、さっそく職探しを始めた。
イザベラお姉様は小学校の教師、リリーお姉様は家庭教師。
私は以前から趣味で作っていた、ぬいぐるみを売り始めた。
その努力の甲斐あって、私達は何とか生活する事ができていた。
スターリング伯爵家は、もともとは、ワイン製造を生業としていた。
領地には、広大なブドウ畑が広がり、収穫期には家族総出で、ブドウの収穫を手伝ったものだった。
今では、その思い出の地は、他人の物になってしまった。
「泣いても仕方ないさ。家族が揃っていれば、何とかなるよ」
いつもそう言って笑うが、領地を取り上げられて、本当は一番落ち込んでいるのがお父様だった。
時々、お母様と暗い顔をして、夜中に話し合っている事を、私達姉妹は知っていた。
財産を失った貴族に、世間は冷たかった。
スターリング伯爵家が一文無しになった、という衝撃の知らせは、あっという間に貴族社会に広まった。
貴族達は、昨日までの礼儀正しい態度が嘘のように、手のひらを返し始めた。
まず、イザベラお姉様が、公の場で婚約破棄を宣言された。
次に、リリーお姉様が、隣国への特別留学資格を取り消された。
これは、貴族の息女の中でも特に優秀な者が、王室の援助を受けて、無料で留学できる制度である。
スターリング伯爵家が、没落した瞬間、何故かこの資格まで消失してしまった。
お父様は王室に抗議したが、けんもほろろに突き放されただけだった。
あの後、リリーお姉様が、部屋で泣いていた事を覚えている。
気が強くて、めったに涙を見せない人なのに。
余程悔しかったのだろう。
幸い、私はまだ十五歳だったので、そう言った理不尽な目に遭う事は無かった。
その代わり、今まで友人だと思っていた人達が、ほとんど私の前から去って行ってしまった。
舞踏会で、顔を合わせても、挨拶すらしてくれず、皆でさっと向こうへ行ってしまい、聞こえよがしにくすくすと笑い合っている。
そんな不愉快な目に何度か遭って、私はもう、貴族の集まりに出席するのは辞めた。
上辺だけ礼儀正しい、偽物の友人よりも、家で家族と過ごす方がいい、そう思ったからだ。
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