第五話:怨念の採掘場と、逃れられない泥の匂い
王都アウロラでの日々は、雄一にとって、濃密な悪夢へと変わっていた。陽光の下で輝く城壁も、親切に微笑みかける騎士たちも、全てが日本のどこかで生まれた憎悪や絶望を原料にして作られた、精巧なハリボテに過ぎない。彼は、自分自身がそのハリボテの裏側を覗き込み、なおもその世界で生き続けなければならないという、耐え難い精神的な拷問を受けていた。
騎士団長ザックから受けた討伐依頼は、王都の東に位置する『呻きの洞窟うめきのどうくつ』と呼ばれる場所だった。報告によれば、この数日で洞窟から湧き出る魔物の種類と数が異常に増大し、特に、今まで確認されなかった**「人型の影」**の目撃情報が相次いでいるという。
「勇者様、今回は私と、数名の精鋭が同行いたします。エリーゼも、貴方様のお力になれるよう、張り切っておりますよ」
ザックは、雄一の横で力強く言った。彼の声は正義感に満ち、その大きな体躯は、揺るぎない「守護者」の役割を体現している。しかし、雄一にはわかっていた。ザックのその強さ、その忠誠心は、日本のどこかで無力感に苛まれ、見下された中年男性が抱いた、**「力で全てを屈服させたい」**という復讐心を核として組み立てられた、偽りの強さであることを。その温もりのある言葉さえ、雄一には汚染された熱源のように感じられた。
(これが、怨嗟の回収作業だ)
雄一は、王城の重い門をくぐる際、心の中で冷徹にそう呟いた。レベルを上げれば、元の世界で誰かが絶望する。だが、魔物の増殖を放置すれば、この偽りの世界が怨嗟に飲み込まれ、崩壊する。どちらを選んでも、破滅が待っている。しかし、雄一は既に決意していた。彼は、このシステムの「清掃員」としてではなく、**「破壊者」**として、怨嗟の根源を断ち切るために洞窟に向かうのだ。
『呻きの洞窟』へ続く道は、森の奥深く、陽光が届かない場所にひっそりと口を開けていた。その入り口は、一般的なファンタジー作品にあるような雄大な岩の洞窟ではなく、日本の山奥にある廃線のトンネルの入り口に酷似していた。コンクリートは苔むし、上部からは絶えず湿った水滴が落ちてくる。周囲の空気は、王都のじめじめした湿気とは比べ物にならないほど濃厚で、生乾きの雑巾のような、カビと鉄の匂いが鼻を突いた。
「どうやら、最近の魔物の発生源は、この奥のようです。以前はただの小さな洞窟だったはずですが……」
ザックが眉をひそめて言う。だが、雄一の『魂の鑑定』は、この場所の真実を即座に暴いた。
(洞窟じゃない。これは、日本のどこかの**『棄てられた施設』**が、異世界に流れ着いた残滓だ)
雄一は、一歩足を踏み入れた。足元はぬかるんでおり、靴底が泥を吸う嫌な音が響く。懐中電灯のように光る魔導具の光に照らされた壁面は、岩ではなく、薄汚れた壁紙が剥がれ落ちた、コンクリートの塊だった。そこには、赤錆びたパイプが剥き出しになり、奥から聞こえてくるのは、魔物の咆哮ではなく、まるで誰かが咽び泣いているかのような、途切れ途切れの低い呻き声だった。
「勇者様、進みましょう!」
エリーゼが先導しようと、元気に剣を構える。彼女の快活な笑顔に、雄一は鑑定で見た「隣のクラスのあの子への嫉妬」という未練の残像を重ねる。彼女は、この陰鬱な場所でも、その嫉妬心をエネルギーにして、明るく振舞っているのだろう。
一行がトンネルの奥へ進むにつれ、周囲の環境はさらに悪化した。通路は狭まり、壁には意味不明な文字や記号が煤すすのようにこびりついている。
最初の魔物との遭遇は、予想外の形で訪れた。
「ガギッ……ギギギ!」
それは、四足歩行のゴブリンなどではない。背広を着た、痩せ細った人型だった。顔はのっぺりと影に覆われ、手に持っているのは鋭い爪ではなく、割れたガラスのコップのようなものだった。
ザックが前に出て、剣を振るう。雄一も遅れて聖剣を突き立て、その人型を壁に縫い付けた。
【魔物:怨嗟の亡者サラリーマン】 ジョブ:無力な労働者 スキル:疲弊(D)、自責(E) HP:0/150 経験値:300 ドロップ:名刺の残滓(F) …… 怨嗟値えんさち:12,500(憎悪暴走) 未練:『この残業地獄から、解放されたい。もう、許されない』
雄一は、心臓が凍り付くのを感じた。ゴブリンよりもはるかに高い怨嗟値。そして、あまりにも具体的すぎる、日本の労働環境が生み出した悲鳴。
「サラリーマン」という、この世界の誰も知らないはずのジョブ。その魔物が、彼の聖剣から解放された黒い靄となって、右手の痣へと猛烈な勢いで吸い込まれてくる。
「――っ、や、やめろ……!」
雄一は初めて、経験値の吸収を拒絶しようとした。彼は痣を掴み、吸収の衝動に抗う。だが、怨嗟の力は強大で、憎悪の塊は彼の意志とは無関係に体内に流れ込み、彼のレベルを押し上げる。
【主人公:鈴木 雄一】 レベル:3 (NEW!)
雄一は、その場に膝をついた。吸収された怨嗟は、彼の精神に、過労による頭痛、上司の怒鳴り声、満員電車の息苦しさ、そして何よりも**「自分はもう、この社会に必要ない」という深い絶望感**を植え付けた。
「勇者様!大丈夫ですか!?」ザックが心配そうに駆け寄る。
「くそっ……俺は、また誰かの絶望を、食らったのか……!」
雄一は、血の味がするほどの苦痛の中で、ザックに叫びそうになった。しかし、ザックの顔の裏にある「復讐心」の残像が、彼に口を噤ませた。ザックも、この亡者と同じ日本の闇から生まれた存在なのだ。
彼らがさらに奥へ進むと、通路はまるで日本の古い団地の一室のように開けた場所に出た。そこには、いくつもの人型の影が、壁に頭を打ち付けるようにうずくまっていた。彼らは魔物ではなく、**『怨嗟の影』**だった。
雄一は、無意識に『魂の鑑定』を使った。
【魔物:怨嗟の影(隣人の目)】 ジョブ:監視者 スキル:陰口(C)、無関心(B) …… 未練:『あそこの家の子が、自分より幸せそうなのが許せない』
【魔物:怨嗟の影(介護の地獄)】 ジョブ:疲弊した親族 スキル:自己犠牲(A)、消耗(S) …… 未練:『どうして、私だけがこんな目に遭わなければならないのか』
雄一の目の前には、ファンタジー世界ではなく、日本の社会が生み出した、あまりにも具体的で、あまりにも陰湿な絶望の博物館が広がっていた。全ての影が、互いを監視し、比較し、憎み合い、そして静かに、深く呻いている。呻き声は、彼が最初に洞窟の入り口で聞いた音の正体だった。
この場所こそ、日本の負の感情が異世界に流れ着き、魔物という形で具現化される**「怨嗟の採掘場」**なのだ。
雄一は、剣を強く握りしめた。これ以上、この怨嗟を吸収することは、彼自身の魂を完全に汚染し、元の世界に存在する無数の誰かを呪いに変えることを意味する。
「ザック殿、エリーゼ。ここから先は、魔物を倒すな。核を探す。この怨嗟の源泉を……!」
雄一は、王城の平和を維持する「清掃員」の役割を拒否し、ついに「破壊者」としての第一歩を踏み出した。彼の右手の痣は、今、熱ではなく、全身の血液が引いていくような、冷たい呪いの感覚で満たされていた。
異世界転生、即ホラー。俺のチートが日本の絶望しか鑑定しないんだが? 爆裂超新星ドリル @tyousinsei
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