第四話:騎士団長の仮面と、無力な者の憎悪

自室のベッドで倒れ込んだまま一晩を過ごした後、雄一は重い鉛を胃に詰め込まれたような感覚で目覚めた。全身がだるい。それは肉体的な疲労ではなく、精神が極度の緊張と嫌悪に晒され続けた結果だ。夢の中で見た、廃墟の学校とエリーゼの酷薄な笑顔が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。


(この世界に、本物なんて一つもない。全てが、俺が逃げたはずの日本の、腐敗した感情の抜け殻だ)


王女アウロラは、前の勇者の「希望」というポジティブな呪い。剣士エリーゼは、「嫉妬」というネガティブな呪い。そして、雄一自身は、その呪いを経験値として回収し、世界を維持する「管理者」のジョブを与えられた、最悪のシステムの一部だ。


彼は立ち上がり、鏡を見た。そこに映る自分の顔は、かつて日本でいじめられていた頃の、怯えと劣等感に歪んだ顔に戻っていた。しかし、その右手の甲には、異世界でチートを得た証である、血の色の痣がしっかりと刻まれている。チートとは、呪いそのものだった。


その日、雄一は騎士団長ザックから、さらなる魔物討伐の依頼を受けた。ザックは、雄一がこの世界に来てから最も親身になってくれた、頼れるベテラン騎士だ。


「勇者様。顔色がお悪いですが、ご無理はなさいませんよう。しかし、魔物の発生頻度が異常に高まっております。どうか、我らのために、貴方の力を奮ってください」


騎士団長室の重厚な扉の前で、ザックは雄一の肩に手を置いた。その手の温もりが、雄一にはまるで汚染された熱源のように感じられた。雄一は、この善良な騎士を鑑定することに、言い知れぬ恐れを感じていた。


もし、ザックの「未練」が、彼自身の高潔さとはかけ離れた、卑劣な感情だったら?


(知らなければ、俺はまだ、彼を信じるフリができる。この王城の、唯一の正常な人間だと……)


しかし、雄一は首を横に振る。逃げることはできない。彼は、この呪いのシステムの全体像を知る義務がある。でなければ、この悪夢を破壊することは不可能だ。


雄一は、ザックに悟られないように、右手に全神経を集中させる。心臓が跳ね上がり、血の痣が激しく脈動した。


――『魂の鑑定ソウル・イグザミナ』発動。


雄一の視界に、騎士団長ザックのステータス・ウィンドウが、重厚な鉄の板のような質感で展開した。


【人物:ザック・グレイヴ】 年齢:42 ジョブ:騎士団長(守護者) HP:A+ MP:D スキル:指揮(A)、鉄壁の守り(S)、忠誠(EX) ……


騎士団長らしい、力強いステータスだ。特に「鉄壁の守り」と「忠誠」のスキルは、彼が王家や市民を守ることに人生を捧げてきた証のように見える。雄一の胸に、一瞬の安堵と、この人が偽物ではないであってほしいという強い願望が湧き上がった。


だが、雄一の視線は、既に真実が書かれた最下段へと釘付けになっていた。


怨嗟値えんさち:6,100(腐敗する無力感)


未練:『何をやっても報われなかった俺を、見下した全ての人間を屈服させたい』


「……っ、う、そだ」


雄一は、心の臓を握り潰されたかのような衝撃に襲われた。怨嗟値は、エリーゼの約二倍。そして、その「未練」は、彼の想像を遥かに超える、ドロドロとした怨念の塊だった。


『何をやっても報われなかった俺』。その言葉は、まるで雄一自身が、元の世界で抱いていた劣等感を代弁しているようだった。ザックの忠誠心、鉄壁の守り、その全ては、「無力だった自分」を見下した者たちへの復讐心を昇華させた結果だったのだ。


彼が高潔な騎士として振舞っているのは、元の世界で報われなかった者が抱く、「力を持って、全てを支配したい」という、最も根源的な欲望を、このシステムが「忠誠」という形で矯正し、利用しているに過ぎない。ザックの力強い筋肉、鎧の輝き、全てが、日本のどこかの無力な人間が抱いた、激しい憎悪と自己否定を原料に作られた、張りぼての強さだった。


雄一の脳裏に、ザックの怨嗟の根源が映像となって流れ込む。それは、日本の会社の薄汚れた更衣室。上司に罵倒され、同期に嘲笑され、誰にも認められなかった中年男性が、ロッカーの前で顔を覆い、**「俺が、もし最強の力を持っていたら…!」**と、血反吐を吐くような憎悪を吐き出している姿だった。


その憎悪こそが、この異世界に流れ着き、騎士団長ザックという「守護者」の器を作り上げていたのだ。


「勇者様?どうかされましたか?目が、まるで深い泥沼を覗き込んでいるようです……」


ザックが、雄一の顔を覗き込む。その表情は、変わらず穏やかで、親切心に満ちている。この偽りの笑顔の裏で、どれほどの怨念が煮えたぎっているのか、雄一には痛いほどわかってしまう。


「あ、いや。ザック殿の……その、力が、あまりにも強大だと感じたもので」


雄一は、自分の声が、喉から這い出てくるような感覚を覚えた。嘘を吐くたびに、右手の痣が熱を増す。それは、彼がシステムの一部として、この偽りの世界を「正常」に見せかけようとしているからだ。


「ハハッ!それは光栄です。これも全て、王家と国民を守るため。そして、いつか、この世界から魔物を一掃し、平和な日常を取り戻すためです」


ザックは力強く雄一の肩を叩く。その大きな手が、雄一には、憎悪と無力感の泥で固められた、冷たい石のように感じられた。


王女は希望、剣士は嫉妬、そして騎士団長は**「報われなかった無力な者の憎悪」**。


この王都アウロラは、日本の負の感情を回収する、巨大な**「感情の浄水場」**だった。しかし、浄水されているわけではない。ただ、強大な「力」や「希望」という綺麗な器に詰め替えて、再利用しているだけだ。雄一がレベルを上げ、魔物を倒すたびに、元の世界で生まれる新たな絶望がこの世界を肥やし、この忌まわしい輪廻が永続していく。


雄一は、この王城の重厚な石壁が、実は日本の陰湿な怨嗟で塗り固められていることを知る。その瞬間から、彼は、騎士団長の背中に忠誠心ではなく、**「報われなかった弱者の復讐心」**という名の、禍々しいオーラを見始めるのだった。


雄一は、この王都で最も高潔に見える人物の核が、最も醜い感情であることを知り、完全に孤立した。彼は、このシステムを維持する**「清掃員」として生きるのか、それとも、全てを終わらせる「破壊者」**となるのか、いよいよ決断を迫られることになる。


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