第2話 宮廷へ

 翌朝、玄関先には、見慣れない布が用意されていた。


「……なに、この色」


 広げられたそれは、見事なくらい地味な灰色だった。

 形は確かに宮廷医官の礼装を模しているが、余計な装飾は何一つない。

 宮廷医官の礼装の形こそしているが、誇りも誇示も削ぎ落とした、影の色。


 そして、横に添えられているのは――薄いベール。

 顔を隠すための布。目元すら曇らせるほど淡い灰。

 これをやったのは父に決まってる。


「もーお父様!」


 リサが頭を抱えると、父は勝ち誇ったように腕を組んだ。


「医官は本来、影に徹するべき存在だ。

 無駄に目立つ必要はない」


「これでは、仕事がしにくいです。

 ベールなんてかぶったら、患部どころか視界も危ういですよ!」


「それは……そうだが」


 言葉に詰まる父の横で、サクヤが苦く笑った。


「父上、王宮の規定にベールはありません。

 だいたい、リサにこんな布をかぶせたら、余計目立ちますよ」


 そう言ってサクヤが差し出したのは、きちんと仕立てられた濃紺の医官服だった。

 無駄な装飾はないが、生地は良く、細部の縫製も丁寧だ。


「兄様……これ、前から?」


「前から用意しておいた。いつか必要になると思ってね」


 軽く言うが、かなり前から覚悟を決めていたのだろう。

 リサの胸が少し熱くなる。


「妃に取られるための服じゃありませんよ、父上。

 あくまで、医官としての服です」


 サクヤの言葉に、父は渋い顔をしたまま、ゆっくりと頷いた。


「……ならば、リード家の名に恥じぬ働きをしてこい。

 ただし、何かあればすぐ戻ってこい。無理はするな」


 その声音には、かつて宮廷で妻を失った男の怯えがあった。

 守れなかった後悔と、今度こそ失いたくない願いが入り混じっていた。


「はい」


 リサは素直に返事をした。

 それが、父なりの精一杯の譲歩だとわかるから。

 灰ではなく濃紺の衣を胸に抱きしめながら、少女はまだ見ぬ城へ向かう。


◆◆◆


 朝、王宮から迎えの馬車が来た。

まだ日も昇りきらない薄青の空に、蹄鉄の打つ音が規則正しく響く。

村は眠っているのに、その音だけが未来を急かすようだった。


 灰色の外套を羽織った侍従が、扉の前で無言で一礼する。

あの色は、昨日の父の心に似ている――濃い灰と、滲む赤。


 リサとサクヤが乗り込むと、車輪は静かに動き出した。

背筋まで伝わる振動が、胸の奥の色を揺らす。

青と赤が交互に灯っては消え、期待と不安が波のように跳ね返る。


 母もこうして王宮へ向かったのだろうか。

そう思っただけで、肺の奥が少しきゅっと縮んだ。

息を吸うと、かすかにミントの香りを思い出す――

母がよく胸に手を当てて教えてくれた呼吸の仕方。


 やがて馬車が止まり、視界がひらけた。


 見上げると、エルド城が朝光を受けて白く輝いている。

遠くからは冷たい石の城に見えたのに、近づくと不思議と息がしやすい。


 高い城壁。磨かれた白い石畳。

正門の先には、わずかに白梅がほころび始めていた。

風に揺れた花びらが小さく鳴る。


――ようこそ。あなたの声は、ここでも届くよ。

白梅の下を馬車が通るとかすかな声でリサに囁く


 リサは人には気づかれぬほど小さく息を吐いて応える。

この花の白は、きっと殿下の肺の白さにも似ているのだろうか。

 今日、救いにいく命の色だ。


 植物の温かさを感じリサの心が癒された

『思ったより、怖くないかも……』

 そう思った瞬間だった。


「エルステア殿下に発作! 殿下が――!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る