冷たいヨタカ

秋待諷月

冷たいヨタカ

 長い旅の果て、ヨタカはその森に辿り着きました。

 どこまでも続くかと思われた荒野の上を夜通し飛んだ先、視界に捉えたのは、天を突くように伸びる広葉樹の群生です。空は今しも黎明を迎え、枝葉の隙間から白い光が差し込んでいます。

 眩い陽光に吸い寄せられるように、ヨタカはひときわ立派な一本の樹を目掛けて滑空し、その梢に音も無く舞い降りました。

 ヨタカの全身はすっかり汚れてぼろぼろで、頑強な翼も嘴も傷だらけです。残されている時間がわずかであることは、ヨタカ自身分かっていました。

 翼を畳み、瞼を閉じて微動だにせずいると、体は段々と熱を失っていきます。

 だからと言って、ヨタカが何を思うでもありません。生まれたときから身を置いていた激しい戦いの日々で、体以上に心が冷え切っていました。




 どれくらい時間が経ったでしょうか。

 すっかり日が昇った森の中、かすかな物音を察知してヨタカが瞼を開くと、周辺の枝のあちらこちらに、小さな鳥の姿をいくつか認めました。

 この樹をねぐらにしているのでしょうか。ふわふわと丸っこいその鳥たちは、小虫や木の実を探して、もしくは戯れて、枝葉の間をちょんちょんと忙しく跳ね回っています。

 灰茶の斑に塗られたヨタカの外見は風景に紛れやすいため、そして、気配を殺すことがヨタカの習慣になっているため、小鳥たちがヨタカに気付く様子はありません。

 うちの一羽が、小枝を折り取っては、樹洞にこしらえた巣にせっせと運んで補強に勤しんでいます。体も嘴も小さいためか、遅々として進まない作業を観察しながら、ヨタカはふと思いました。

 ――ぼくにもできそう。

 ヨタカは重く軋む体を持ち上げ、手近な枝を嘴で挟んで捻じ折ります。けれど力が強すぎるあまり、枝は無残に割れ砕けてしまいました。

 その音でようやくヨタカの存在に気付いた小鳥たちは、その異形に仰天し、一斉に幹や葉の陰へと身を隠します。

 枝の破片を放り捨て、ぎちぎちと首を回すと、ヨタカは再び彫像のように固まります。小鳥たちはそんなヨタカを遠巻きにしてしばらく様子を窺っていましたが、やがて恐る恐る、先ほどまでと同様に動き始めました。




 その後も幾度か、ヨタカは小鳥たちの真似を試みました。

 枝に成る木の実を採ろうとしたら、硬い殻ごと潰してしまいました。虫を捕ろうとしても同じことで、木の幹に嘴で大穴を開けてしまいました。

 餌を探しにいった親鳥の代わりに、巣の中の卵を温められないかとも思いましたが、この体では無理だと早々に諦めました。

 できそうだと思って失敗するたび、あるいは諦めるたび、ヨタカの心は冷え冷えとします。小鳥たちが、ヨタカの奇行に戸惑いつつも、天敵ではないと判断して放置してくれているのが幸いでした。

 ――このまま、心も体も冷え切って、すべてが終わるんだろうな。

 そう、ヨタカが達観し始めた、そのときです。

 ヨタカの感知機能センサーに反応がありました。素早く頭上を仰げば、遙か上空、夕焼けに染まり始めた赤い空を貫いて急降下してくる巨大な影。

 長い翼を折り畳んでなお、ヨタカの倍はあるだろう体躯を弾丸のようにしてほぼ垂直に飛んできたのは、白と黒の模様が美しい一羽のハヤブサでした。

 距離があるため、小鳥たちはまだ襲撃者を察知していないようです。樹冠の内外では、飛び方を覚えたばかりの幼鳥たちが無邪気に飛び回っている。ハヤブサが狙っているのは、恐らくその中の一羽でしょう。

 そう推測した瞬間、ヨタカは思いました。

 ――ぼくにもできそう。




 ヨタカは翼を羽ばたかせて梢を強く蹴りました。見開いた眼で上空を睨み上げて一直線に舞い上がり、小鳥との軌道上に割って入ってハヤブサを迎撃します。敵の鋭い鉤爪をすれ違いざまに嘴でいなし、バランスを崩したハヤブサの胴体に硬い体で体当たりを喰らわせました。

 思わぬ横やりに激昂したハヤブサが耳をつんざくような怒りの声を上げ、標的を切り替えてヨタカに襲いかかります。体格で勝る相手に爪で嘴で滅茶苦茶に攻撃され、ヨタカの全身の傷が瞬く間に増えていきました。

 それでもヨタカは臆すこと無く、全力で応戦し続けます。体の内側が、何より心が、激しく熱を帯びていました。




 ――ぼくにもできそうだと、そう思ったんだ。

 本当に冷たくなってしまう前に、少しでも役に立てたらと。誰かのために働けたらと、そう思ったんだ。

 そうすれば、できそうだと思ったんだ。

 こんなぼくにも、ともだちが。


 


 太陽が傾き、赤い空が闇に呑まれ始めた頃、形勢は一気に傾きました。夜目の利かないハヤブサに対して、ヨタカにとっては夜こそが元来の主戦場。

 畳みかけるなら今とばかり、ヨタカは猛攻を仕掛けます。

 限界を迎え始めたヨタカの全身から火花が散って、白い煙が吹き出しました。熱を帯びた鋼の翼が夕闇に赤く輝き、露出した体内から吐き出された無数の金属片が空中に飛び散ります。

 千切れかけた首を伸ばし、ヨタカは最後の力を振り絞ってハヤブサの喉に食らいつきました。

 そして。




 長い夜が明け、穏やかな朝を迎えた広葉樹の森に、一人の人間が訪れました。

 分厚い防寒着を身に纏った男は、樹の根元に転がるヨタカの姿を認めると、その傍らに膝をつきます。周囲を見回せば、少し離れた場所には事切れたハヤブサの遺骸が転がっていました。

 ポケットから小さな四角い機械を取り出すと、男はもう動かなくなったヨタカを見下ろしたまま、どこか呆れたような面持ちで機械に向かって話しかけます。

「こちら第三部隊ミヤザワ。消息を絶っていた自律思考型戦闘兵器、タイプ:ヨタカ十号機を、信号消失地点にて発見。これより回収・帰還する。繰り返す――」

 すっかり冷たくなった、焼け焦げたヨタカの装甲を慈しむように撫でる男の様子を、樹上の小鳥たちが声も出さずに見守っていました。



 Fin.

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冷たいヨタカ 秋待諷月 @akimachi_f

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