4-5

「どこまで尾けてくるつもりですかー。衛藤さん」


「うーん、家まで?」


「おまわりさん呼びまーす」


「それはやめろ! 一緒にデュエットした仲だろ!」


 放課後。俺は瑠愛のことを尾行していた。


 今朝あんなことがあったため、学校の中で彼女に声を掛けるのは困難だった。そうなったらもうストーキングするしかないよな。当然の帰結である。


 かくいう瑠愛も、周囲から人がいなくなるのを見計らっていたようだ。


「で、何の用なんですー? ようやく吸血鬼の正体を話す気になりましたか?」


「違う。そうじゃなくて」


「じゃあ、衛藤さんと話すことは特にないですー」


 そう言ってスタスタ歩いていってしまう。


「待て待て! そ、その! ラーメン食いに行こうぜ!」


「はぁ?」


 何か引き留める理由がないかと思案して、咄嗟に出てきたのがラーメンだった。俺自身も何を言ってるんだって感じで、瑠愛の方は言わずもがなである。


「ほ、ほら! せっかく日本に来て、ラーメンを食べないのはなー?」


「別にフランスでも食べられますよ。今の時代」


「いや、あのラーメンはフランスでは食べられないな!」


 俺が愛してやまない博多『風』ラーメン。フランスにも博多ラーメンのお店はあるだろうが、博多風ラーメンのお店はないはずだ。たぶんだけど。


「……そんなに美味しいんですか?」


「そういうんじゃなくて、パッションでありマインドなんだよ」


「あの、衛藤さん。日本語で話してもらえますか?」


 ずっと日本で暮らしているのに、帰国子女から日本語に関して指摘を受けるとは。しかし、それ以上は表現できない。


 語りえぬものについては、沈黙しなければならないのである。


「とにかく食べてほしいんだ。この感覚を共有したい」


 正確には、共有できたなら幸いだ。


 生まれも育ちも思想も宗教も理想も夢も、俺たちはそんな前提すら異なる。……違う、そもそも前提が完全に一致する人間などいないんだ。


 人の間には絶望的な断絶が存在する。


 なのに、同じものを感じ取れたように錯覚する瞬間がある。


 それは錯覚なんだけど、文化や背景の違う人間同士が、似通ったものを感じ取れること自体が一種の奇跡なんだと思う。


 って、ラーメン一つで大袈裟すぎるだろ。おい。


「ま、まぁ……そこまで言うなら」


「よし! じゃあ行こう!」


 同じ釜の飯を食う、なんて言葉があるだろ。


 他人同士が仲良くなる上で、共同飲食は欠かせないと俺は考えている。


 瑠愛との食事は言うなればサラリーマンの会食だ。今風の文化ではないが、交渉ごとの際に有用だから今もなお残っているのだろう。


 この場で瑠愛と折衝をする。花火との駆け落ちエンドを回避するために。




「博多『風』ラーメン?」


「よくぞ、気付いてくれました」


 お目が高い。そこが一番大事なポイントだからな。


「普通の博多ラーメンとは何が違うんです?」


「俺もよく分かってない」


「なんですかそれ!」


 見た目や味はオーソドックスな博多とんこつラーメンだとは思う。豚骨の独特な臭みや卓上の紅ショウガや辛子高菜もまさしくといった感じだ。


 本場の博多人が食べたら何て言うんだろうな。やっぱり『風』なのか。


「とにかく、食べてみれば分かるからさ」


 仮にこれが『風』だとしても、むしろ『風』であるからこそ、俺はここのラーメンが好きなのかもしれない(意味不明)。


「すでに豚骨の匂いがすごいですね。店の外観もそれを助長しているみたいで」


 今日も今日とて、この店は黄色に覆い尽くされている。


「初見だと入りづらいよな」


「けど、楽しみではあります」


「瑠愛はラーメンとか食べるタイプなのか?」


 フランスにもラーメン屋はあるみたいなこと言っていたけど。


「……その、実は初めてで」


「え、初!? ちょっと待って、本当にここでいいのか」


 ここのラーメンが俺にとって大好物であることは疑いようがない事実だ。しかし、ラーメンを初めて食す人間に勧めるには如何なものだろうか。


 日本のラーメンへのファーストインプレッションが決まる。責任は重大だ。


 中野にも東中野にも多種多様なラーメン屋がある。少しばかり悩む時間がほしい。


「店の前まで来たんですから! ここに行きますよ!」


「ちょ、待って!」


 瑠愛は意気揚々と店内に足を踏み入れる。


 こうなったら覚悟を決めるしかない。自分の感性を信じるんだ。


 店に入ると今回もテーブル席に案内された。初ラーメン屋で困惑状態の瑠愛には席で待ってもらって、券売機で注文をする。


 いつも通り『博多ラーメン(こっちは風じゃない)』のボタンを二回プッシュした。


 今日は酒を飲む奴がいないから安上がりである。


「衛藤さん、いくらですか? 昨日のカラオケの代金も渡せてないですし」


 席に戻るなり、瑠愛が財布を取り出して迫ってくる。


「誘ったの俺だし。つか、年下相手に出させるわけないだろ」


 フランスでの流儀は知らんけど、ここは日本だからな。郷に入っては郷に従えだ。その心遣いだけで充分である。


 この世には、年下の高校生相手に酒代まで出させる女がいるからな。


「年下って……三つしか変わらないじゃないですか……!」


「中学生と高校生ってだいぶ違うけどな」


「わ、わたしだって! 今の肩書きは高校生です!」


 そこで意地になってしまうところが子供っぽいのである。


 だけど分かる、分かるぞ。中学二年生ってつい背伸びしたくなっちゃうよな。


 俺も格好つけて太宰の「人間失格」とか読んでいた。


「はは、そうかそうか」


「なんですか、その生温かい目! バカにしてますよね!?」


「まーまー落ち着けって。気楽にトークしようぜ」


 食事をして、会話を共にすることが今回の目的だ。


 こんな些細なことで、小競り合いをするつもりはないのである。


「トークですかぁ? 腹の探り合いでしょー?」


 ニヤァと意地悪な顔で嘲り笑う。お前の魂胆は見透かしているぞ、と言いたげだ。


 だが、すまんな。別にバレたところで特に問題はない。


「まぁな」


「ほんっとに、食えない人ですね!」


 今度は幼い表情でぷんすかと怒っていた。


 思い通りの反応ではなくて気に食わないようだ。なのにどこか楽しげでもある。俺には彼女が何かを期待しているように見えた。


 本気で隠すつもりならこのような場も設けないはずだ。隙を見せる必要がない。


 おそらく、彼女は「知ってほしい」のではないだろうか。だからこうやって餌を撒く。


 乗せられるのは癪だが、それを知ることが交渉の鍵を握るはずだ。




「んで、瑠愛は高校生活を楽しめているのか?」


「まずまずですかねー」




 満更でもなさそうだった。なんだかその表情を見ていると安心する。初めて花火が大笑いしたときにも似たような感情を覚えた。


 今ならその理由が分かる。俺は自分と似たやつが楽しそうにしていると嬉しいんだ。


 自分にもそうする権利があるんじゃないか、そう思うことができるから。


「年齢のギャップとかないのか?」


「正直ないですね。昨日も言いましたけど、わたしは学校に通ってなかったので。元々、自分よりかなり年上の人と接する機会が多かったんです」


「……学校に通ってない。それ、フランスの法律的に許されるのか?」


「許されませんね。義務教育制度がありますし。そういう無理すら押し通せる巨大な組織なんです。だから、衛藤さんが足掻いたところで無駄ですよー」


 おーこわいこわい。とは言っても、ハナから戦うつもりなどない。


 瑠愛曰く〈祝福〉とか呼ばれる能力が俺にはあるらしいが、だとしても一般人であることに変わりはないのだから。


 どうにかするべきなのは、組織そのものではなく瑠愛個人なのだ。


「じゃあさ、瑠愛はこれまでどんな風に生きてきたんだ?」


「生きてきた……ですか。わたしは四年前より以前の記憶が一切なくて、気が付いたら組織の異端審問課の一員でした。そこからひたすら訓練と任務をこなす毎日です」


 虚ろな目で彼女は言葉を紡ぐ。そうか、彼女には自分の柱となるものがないんだ。


 一◯歳までの記憶がなく、四年間はただ組織の歯車として生きていた。多くの人間は自分で考え、迷い、ときに失敗して、そうやって自己を形成していく。


 瑠愛にはその経験が不足している。それなのに大人であることを求められた。


「なるほど、ね。かなり踏み込むけど両親は?」


「もう今更でしょ。最初の自己紹介で話した通りですよ。母はフランス人で父は日本人。それ以上のことは何も聞いてません。生きているのか、死んでいるのかさえ」


 両親や友人の不在。これが彼女の孤独の正体か。


 やっぱり瑠愛と花火は似ている。




「衛藤さんはどうなんですか! さっきから、わたしばっかですけど!」


「へ、俺?」




 想定外だった。まさかこちらにバトンが回ってくるとは。今は瑠愛のことをもっと訊きたいのだが、一方的に質問されるのも居心地が悪いか。


「衛藤さんの経歴も変ですよね。わざわざ新潟県の実家を出て、東京の学校に進学して一人暮らしをしている。スポーツとかの推薦ってわけでもないみたいですし」


「面白い話ではないんだけどなぁ」


 改めて聞かれると困るな。それに花火や瑠愛と比べたら大したことでもない。


「そもそも、衛藤さんに面白い話なんて期待してませんよ」


「おい!」


 まったく、生意気な小娘だな。


「はぁ、いいんだけどさ。……逃げてきたんだよ、地元から。色んな女の子達に手を出し過ぎてしまった結果ね」


 これは花火にも話したことで歴とした事実だ。


 不特定多数の女の子と関係を持ち、それがきっかけでトラブルになった。狭いコミュニティでは悪いウワサなんて即座に広まってしまう。高校進学後もずっと付き纏い続ける。


 それが嫌で、東京に逃げてきた。


「クズですね」


「あはは、間違いない」


「そうやって自嘲的に振舞うと楽ですか?」


「…………」


 痛いところを突かれた。確かに俺は『クズ』という言葉を積極的に使うことで、自分の罪悪感を軽くしようとしていたのかもしれない。卑怯な人間だな。


「説明も不十分だと思います。衛藤さんがどうして自暴自棄な行動を取ったのか、今の話にはそれが省かれていますよね?」


 鋭い、鋭すぎるくらいだ。


 探偵にトリックを見破られた犯人のように、ただうなだれることしかできない。


 にげたい。だけど、彼女の青い瞳がこちらを捉えて離そうとしない。


「あはは……えっと…………」


 言葉が出ない。口の中が渇いている。水を口に含む。コップを持つ手が震えている。


 こんなんじゃ駄目だ。俺は首を振った。女の子の愚痴や悩みは笑顔で聞いて、自分の悩みは必要最低限にする。モテ男の鉄則だ。


 例え話すにしても、いつもの余裕を忘れてはいけない。


「とりあえずさ、ご飯食べてからにしない?」


「あ、逃げましたね」


「違うって、せっかくのラーメンが伸びちゃうじゃん?」


 いいタイミングでラーメン二人前がテーブルに届いた。


 今更逃げるつもりはないが、食事は楽しい気持ちでした方がいい。


「後で、絶対に話してもらいますからねー」


「はいはい」


 口ではそう言いつつも、瑠愛も瑠愛でラーメンに興味津々だった。


 強烈な豚骨の匂い。白濁としたスープを見るだけで喉が鳴る。いつ来ても変わらない。


 シンプルではあるが、シンプルだからこそ安定している。


「んじゃ、いただきます」


「い、いただきます!」


 俺にとっては勝利が確定している味。だからこそ注目すべきは瑠愛の反応だ。


 瑠愛はおっかなびっくりでレンゲを掴み、スープを口の中に運んだ。


「なる、ほど? お、美味しい……です?」


 疑問形だった。安定の反応である。このラーメンは顔面ストレートではなく、ボディブローのような味わいだからな。遅効性なのだ。いきなり「うま!」とはならない。


 これは花火同様に分かってくれる側の人間かもしれないな。


 そのまま瑠愛は慣れない手つきで箸を使って、音を立てずに麺を咀嚼する。


「啜った方がうまいぞー」


「ん、じゃあそうします」


 意外と郷に従う海外育ちだった。


 日本人的な感覚だけど、ラーメンとか蕎麦は啜った方が美味いからな。


「そう、これこれ」


 俺も我慢が出来なくなって麺を啜った。


 何度食べても、形容しがたい何かが満たされる感覚がある。


「うん、うん……」


 瑠愛も一生懸命に麺を啜っていた。そして、このラーメンを感じ取ろうとしている。


 もう一息だ。俺はすかさず紅ショウガの投入を勧めた。


 そこからはもう言葉は不要だ。瑠愛は思うがままにラーメンを食していた。




「――わたし、答えを得ました」


「ウェルカム……いや、ビアンベニュー」




 俺たちはかたい握手を交わした。フランス語なんて一ミリも知らないのに、このラーメンの素晴らしさによって言語の壁すらも超えてしまったのだ。


「わたし、このラーメン好きです」


「そりゃよかった」


 優しい表情で微笑む瑠愛。その顔を眺めているだけで俺も満足だった。


「な、なんですか! その不愉快な顔は!」


「べっつにー。やっぱ食事は一人じゃない方が楽しいなって」


 東京での暮らしを始めてから――いや、始める前からもそうだな。


 一人で食事をすることが多かった。別に一人で食べても美味いものは美味いけど、それを共有が出来れば更に美味い。


 そして、一人よりも温かい。仮初だとしても人には人が必要なんだ。


「そうかもしれません。この二日間、クラスの皆と食事をしている時も、そんな感覚はあったような気がします。……そ、その、今もそうですけど」


 話を聞いている限り、瑠愛はそういった機会に恵まれなかったのだろう。


 吸血鬼とか、能力とか、組織とか、そんなものはどうでもよくて。目の前にいる孤独な少女とただ向き合いたい。


 彼女が自身の孤独を語ってくれた。なら、俺も語らないわけにはいかないよな。

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