2-2

「ゲンさーん、おはよーございまーす!」


「あー、英吉! テメェこの! 昨日はサボりやがってー!」


 かなり強めの力で肩を揉まれる。長年、柔道で襟と袖を掴み続けたその手は凄まじい握力を持っていた。端的に言ってしまえば超痛いです。


「イテテ! ちょ、ゲンさん! ちゃんと風香とシフト交換したじゃないですかぁ!」


 源田元気ことゲンさん。学校最寄りの東中野駅から徒歩一◯分くらいの場所に位置する地元人気の高い居酒屋『居酒屋ゲンちゃん』のオーナーであり店長だ。


「風香ちゃんを働かせすぎると、父親の方から苦情が入ってくるんだよ! あの人、高校柔道部の先輩でスゲー怖いんだからな!」


 俺は風香が働いているからここをバイト先に選んだ。そして、その風香は父親の紹介でこの店で働くことになったという図式である。


 冷静に考えれば、華の女子高生がこんなむさ苦しい居酒屋で働くのも変な話だしな。


 そう言った事情もあり、風香は店長から特別扱いされている。しかし、風香本人がそれを笠に着た振る舞いをすることがないので、平和な職場環境が実現していた。


「しょうがないでしょ! どうしても行けない理由があったんですから!」


「む、それはすまんかった。家庭とか、学校とかな。色々あるもんなぁ」


「いえ、ちょっとデートをしてましてね。てへへ」


「このヤロー! 女かよー!」


 またしても肩をゴリゴリされる。さっきの二倍マシ。あ、これは本格的にヤバいやつ!




「今日はバイトだから、反省会はまた明日な」


「……うん」




 あまりの激痛で一瞬、走馬灯のようなものが見えかけたぞ。


 帰り際に花火に声を掛けた時の記憶だ。なんだか元気がなかったのが印象的だったな。


 しかし、フォローしている余裕もなかった。今日は風香とのシフト交換で、こうしてバイトに来る必要があったからな。今日の愚痴はまた明日聞いてやろう。


「あいたた……もー、ゲンさん! 今の時代に体罰とかって絶対NGっすよー?」


「安心しろ。痣にはならないから証拠も残らない」


「手口が巧妙になってる!? 全然、安心できないんですが!?」


 時代に合わせて、体罰も現代Verにアップグレードされていた。


「ガハハ、冗談に決まってるだろ~。体罰なんてするわけないじゃないか~」


「え!? いや、今この瞬間にされているのは!?」


「スキンシップだ……そうだよなぁ?」


 顔は笑っているが、目の奥は笑っていない。完璧なる脅しである。なるほど。そもそも問題化しなければ体罰もクソもないのか。


 なんたる巧妙で狡猾な手口か。ほんま汚い大人やで。


「あぁもう、これだから体育会系はー。とりあえず着替えますー」


「おうよ。今日もよろしく!」


 事務所内のロッカースペースに移動して、店の制服である作務衣に着替える。


 この制服は言うまでもなくゲンさんの趣味だった。男子は藍色。女子はえんじ色。さながら職人っぽい雰囲気が、シブいもの好きなゲンさんの琴線に触れたらしい。


 かくいう俺も普段着ることがない衣服なので、特別感を覚えているのは事実だ。


「んじゃ、いっちょやりますかー」


 男子の着替えなんてものの数秒で終わる。さて、今日も勤労しますかね。


「あ、衛藤くん。おはよー。あとゲンさんも」


「……って、風香!? 俺とシフト交換したじゃんか。ドジっ娘アピールか?」


 風香が店の制服を着た状態で事務所に入ってきた。


 女性陣は一階トイレ横の更衣室で着替えているので、二階の事務所に来たタイミングで既に制服姿になっている。


「そんなんじゃないよー! 乃々花が急な体調不良でシフト交換してほしいって!」


 乃々花こと野上乃々花は杉並区の女子校に通う同い歳バイトである。超ギャルで常時テンションが高い。ノリのいいやつなので、今日も楽しみにしたいたのだけどな。


「あ、マジだ。乃々花から連絡来てる。けど、風香ちゃんさー。今日で何連勤? 英吉を死ぬ気で働かせるから今日は大丈夫だよ――――お父さんが怖いし」


 最後のやつが本音だろ、絶対。


「俺の同意がないのは腹立ちますが、ゲンさんの言う通りだ。予約もないし風香がいなくても回せると思うぞ?」


 無理にシフトを交換してもらった手前、申し訳ない気持ちがある。


 風香は頼まれたら断れない、損な性格をしているからな。周りが助け舟を出さないと、いつかパンクするんじゃないかと心配だった。


「二人とも心配しすぎですよ! たまたま連勤になってるだけで、今月の出勤日数そのものは変わってないですから!」


「風香ちゃんがそこまで言うなら……。けど、無理はしないでくれよ? 英吉をこき使ってもいいからな」


「いや、その優しさを俺にも分けてくださいよ」


「男に優しくしても仕方ないだろ~」


「はっ、それは確かに!」


 さすがは昭和の男。その考えには一◯◯パーセント同意できる。


 男なら幸せになろうなどと思うな。幸せになるのは女と子供だけでいい。


「二人とも時代錯誤が過ぎますよ……」


 令和の女子高生こと藤倉風香は頭を抱えていた。




「そういえば衛藤くん。昨日はどうだったの?」


 風香と一緒に夜営業に向けての中間作業を進める。


 平日ということもあって、この時間帯にお客さんは入っていない。


「やはり風香もお年頃だな。男女関係のあれやこれが気になってしまうのか」


「ち、違うからっ! 私はただ真中さんが心配でっ!」


 耳を真っ赤にして必死に否定している。


 この初々しい反応が可愛いな。彼氏の士郎には若干悪いとは思いつつも、風香を揶揄うのはもはや趣味みたいなものになっていた。


「まぁ、安心してくれよ。変なことはしてない。ただ友達……になった感じだな」


 友達というよりは脅し脅されの関係だが、これを言ったら絶対に拗れる。


 変な噂が出回ると友達作りの方に影響が出そうだからな。


「……衛藤くんって何だかんだ真面目だから憎めないんだよね。昨日のことも、本当は彼女がクラスに溶け込めるように、って配慮だったんじゃないの?」


「出たよ、俺に対する謎の高評価。俺は自他ともに認めるクズだぜ?」


 別にそこまで考えての行動じゃない。


 男だったら声を掛けていたかは分からないし、俺が女好きなのは嘘偽りのない事実だ。実際、あわよくばとも思っていたからな。


 そんな風に評価されると気まずくて、何よりもむず痒かった。


「衛藤くんがただの悪い人だったら、士郎もこんなに仲良くしてないもん」


「それは士郎の心が広いんだよ。最初は超嫌ってたくせに」


 このバイトを始めた当初は士郎からの敵意がハンパなかった。あれがもう去年のことだと思うと感慨深いな。


「私も当時は衛藤くんのこと苦手だったなー」


「おい、サラッと傷つくこと言うな」


 ぶっちゃけ、そんな感じはしたけどさ。風香は芯から優しい人間なので取り合ってくれてはいたが、超えられない心理的な壁があったのは間違いない。


「今もちょっとだけ苦手かも?」


「俺、泣いちゃうよ?」


 ペロッと舌を出して、風香が冗談だよと笑う。


 普段から他人を悪く言わない風香が、冗談でもそんな事を口にするのは、少しは信頼してもらっている証なのかもしれないな。


「と・に・か・く! 士郎も私も、衛藤くんの良いところは分かってるつもりだから! まぁ、ダメな部分も知ってるから、昨日みたく釘を刺すこともあるけどねっ!」


「…………」


 じんわり心が温かくなった。こんな自分にも味方がいる事実に、油断すると落涙してしまいそうだ。一生のネタにされるから絶対に泣かないけど。


「……じゃあさ、ちと真面目な話いいか?」


「え、衛藤くんが真面目な話!? 今から台風でも来るのっ!?」


「あのー、俺らって友達だよね?」


 さっきの感動を返してくれ。


 今日のきららとの一件もそうだが、俺はどうも真面目な話には向いてないらしい。


「ごめんごめん。それで話って?」


「花――じゃなくて、真中さんに対する同情的な空気? 本人もあれだとやりづれーと思うんだよな」


 いかん、うっかり本名を言いそうになってしまった。


「あー、それはそうかも。でも、クラスの皆には悪気がないんだよね。むしろ善意だからこそ難しいというかさ」


「こういうのは時間をかけるしかないのかねぇ」


「本人はどうしたいと思っているの?」


「アイツはたぶん……早くなんとかしたいんじゃないかな」


 これまで我慢する人生だったんだ。これ以上、花火に我慢を強いるのは酷だろう。


「そっかー。じゃあ、明日は私がお喋りしてみるよ。これだけで直接の解決にはならないと思うけど、何かしら糸口になればいいかなって」


「頼んでもいいか? ただ、無理に仲良くなる必要はないからな。それだと『同情』と変わらないし」


 それじゃあ意味がない。


 アイツが欲しがっているのは、平べったく角のないものじゃなくて、ザラザラしていて摩擦があって、そういうリアルのはずだから。


「それは余計なお世話って話だよ、衛藤くん」


「……おっしゃる通りだ。わりぃ、言わなくていい事を言っちまった」


 いずれにせよ、外野の俺が口出しすることじゃないな。


 あとは風香と花火、二人の相性とフィーリングの問題でしかない。


「いいの、いいの。というか衛藤くん。やっぱり、真中さんのことを心配してるんだね?」


「そのニヤけ顔をやめろ。これは策略だ。恩を売って後でしっかり回収するから」


「またまた~、そんなこと言って~」


 うぜぇ。いつも揶揄われる側なので、自分が優位に立つと調子に乗ってくる。


 そんな意外と子供っぽい性格も愛らしくはあるんだが、それはあくまで自分の彼女だったらの話で今回はその限りではない。売られた喧嘩はしっかり買います。


「そういう風香はどうだったんだよ? 士郎と昨日」


「なっ!? それはその……」


 たじたしだった。完全に目が泳いでいて、忙しなく指遊びをしている。慣れない攻勢に出たせいで、カウンターをモロに食らっていた。


「さすがに一緒には帰っただろ? その時にも何もなかったのか?」


 まだ俺のバトルフェイズは終了してないぜ。


 士郎にも聞いたけど、話が途中で終わってしまっていたからな。彼女の方からことの顛末を話してもらおうじゃないか。


「な、内緒っ!」


「おい逃げるなって!」


 数秒でノックアウトだった。逃げるように店の二階へと移動してしまう。


 二人の恋愛を応援したいと思っているのは確かなので、この後も何度か風香に状況を聞こうと試みたが頑なに口を割らない。


 やはり、こういう恋愛的な悩みは同性の方が相談しやすいのだろうか。


 最後にまかないを貰って今日のバイトは終了した。焼き鳥丼、美味しかったです。

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