第二話 北山の童

 やま空気くうきは、みやこのそれよりもつめたい。

 つめたいのに、むね内側うちがわだけがいやにねつびているのは、のぼってくるあいだずっと、おなことばかりかんがえていたせいだろう。


「……本当ほんとうに、もう一度いちどおいでになるのですな」


 わきいきととのえながら、惟光これみつがぼやく。

 山道やまみちあるれぬ貴族きぞくあしわせて、わざと歩幅ほはばをそろえてくれているくせに、くちだけは遠慮えんりょがない。


かえせとうなら、いまのうちだぞ」


「わたしがなにおうと、ひかるきみもどられますまい。こうしてここまでおいでになった時点じてんで、もうみちまっております」


うらないのようにうな。まだ一歩いっぽごとにまよっているつもりだが」


まよっておられるかた足取あしどりにしては、いささはやうございます」


 われてみると、たしかにあし勝手かってやまのぼっている。

 理屈りくつしたがうよりさきに、むねにこびりいた面影おもかげが、わたしをいてゆくのだ。


 北山きたやまてらは、まえもうでたときおなじようにしずかだった。

 軒先のきさきから氷柱つららがり、にわすなにはだれ足跡あしあともない。

 ただ、本堂ほんどう裏手うらてから、かすかなこえがする。


はしるな。たもとむぞ」


はしりませぬ……はしりませぬともうしておるのに……ああ……」


 ごえわる寸前すんぜんのかぼそこえ

 まぎれもなく、あのだ。


 惟光これみつわせる。

 かれちいさくくびり、「いまならまだかえれます」とっていた。

 わたしは、そのなかったふりをして、裏手うらてまわる。


 そこには、まえときおなじように、そでおおきい童女どうじょがいた。

 ちいさないぬ一匹いっぴき彼女かのじょまわりをくるくるとはしまわっている。

 童女どうじょいぬおうとして、やはりたもとみ、よろよろところびかけていた。


あぶない」


 おもわずこえた。

 をつく寸前すんぜんで、童女どうじょうでをつかむ。

 ほそい。れてしまいそうなほどだ。


「あ……」


 童女どうじょ見上みあげる。

 おさな顔立かおだちに、見慣みなれたかげがさっとす。

 藤壺ふじつぼみやが、まだ少女しょうじょであったころ面影おもかげ。そのままではない。けれど、たしかにているせんがあった。


 むねおくなにかが、ずきりとる。


「また、おいでくださったのですか」


 童女どうじょが、まるでひさしぶりのともむかえるようにわらった。

 まえおり、ただとおがりにことわしただけだというのに、そのちいさなこころはしっかりとおぼえていたらしい。


おぼえていたのか」


おぼえております。

 あのにわころんでいていたところを、そではらってくださった御方おかたわすれるものですか」


 惟光これみつが、うしろでひか咳払せきばらいをする。

 「ころんでいていた童女どうじょ」という紹介しょうかいが、よほどったらしい。


みやこは、いかがでございましたか」


 童女どうじょは、まぶしそうにわたしを見上みあげた。

 その問い《と》いには、「わたしのらぬ世界せかいはなしかせてください」というあこがれがじっている。


みやこは、さわがしい。ひとことおおすぎて、とても一息ひといきではかたれぬな」


「では、二息ふたいきで」


「せめて十息じっそくはくれ」


 うと、童女どうじょはころころとわらった。

 いぬえる。

 惟光これみつが、「十息じっそくとはまた欲張よくばりましたな」とちいさくつぶやいた。


「あなたは、てら退屈たいくつはしないか」


退屈たいくつ……」


 童女どうじょすこくびかしげ、それからにわ見回みまわした。

 こけむしたいしわずかなうめつぼみはしまわいぬ

 そして、自分じぶんそで


さびしいとおもうことはありますが、退屈たいくつもうすほどではございません。

 あさきょうき、ひるにわあるき、よるほして……」


 そこで言葉ことばり、ふとこちらを見る。


「けれど、まえひか御方おかたとおいしてから、すこしだけ、ここがせまくなったもいたします」


せまく?」


「はい。

 みやこというところがどれほどひろいのかはりませぬが、『あちらにはあちらのそらがある』とると、こちらのそらだけでむねふくらませるのが、むずかしくなります」


 言葉ことばえらかたが、みょうむねさる。

 わたしがふいとらすと、惟光これみつがじっとこちらをていた。

 「きましたか」とわんばかりの、あので。


「おは、なんばれている」


 話題わだいえるようにうと、童女どうじょすここまったかおをした。


もうせるほどのものは、まだ……。

 てら方々かたがたは、道心どうしんきみなどと、渾名あだなのようにばれます」


道心どうしんきみ、か」


 ほそかたには、まだみちこころさだまっていないのに。

 わたしは無意識むいしきに、先日せんじつめたむねうちかえしていた。


 むらさきうえ


 こえせば、その瞬間しゅんかんから世界せかいわってしまう

 まだ口唇こうしん内側うちがわだけでころがしておく。


ひかるきみ


 惟光これみつが、そっとそでいた。

 そう足音あしおとちかづいてくる。


「おや、先日せんじつの……。ようこそおいでくださいました」


 先日せんじつ案内あんないしてくれたいたそう姿すがたあらわす。

 簡単かんたん挨拶あいさつわし、本堂ほんどうへととおされるあいだも、童女どうじょ視線しせんえずこちらをっていた。


 きょうくふりをしながら、わたしはべつこえいていた。

 童女どうじょわらごえささやき、んだ

 そこにかさなる、藤壺ふじつぼみや記憶きおく


 ている。

ているが、おなじではない。

 おなじではないが、ているといた時点じてんで、もうわたしのくもっている。


 つみは、ここからはじまっているのだろう。


 てらするまえに、もう一度いちどにわた。

 童女どうじょいぬたわむれている。

 わたしの姿すがたつけると、ぱっとかおあかるくした。


「もう、おかえりなのですか」


「ああ。いつまでも、ここにいるわけにはいかぬ」


みやこは、わたしなどがおもうより、もっととおいのでございましょうね」


とおいとも、ちかいともえる」


「どちらでございましょう」


ちかくすることもできる、ということだ」


 童女どうじょは、言葉ことば意味いみはかるようにまばたきをした。

 それから、けっしておおきなこえではなく、けれどたしかにとどこえった。


ひか御方おかた

 また、おはなしかせてくださいますか」


 そのいは、山間やまあいひかりのようだった。

 まぶしくて、すこほそめたくなる。


機会きかいがあれば」


 そうこたえる。

 りもしない約束やくそくはしたくなかった。

 だが、機会きかいなどいくらでもつくれることを、だれよりよくかっているのはわたし自身じしんだ。


 惟光これみつは、うしろで嘆息たんそくした気配けはいせた。

 それでもなにわない。

 言葉ことばにしてしまえば、ここでむすばれたいとが、一層いっそうほどけにくくなるとっているからだろう。


 やまくだみちすがら、わたしはとうとうくちにした。


惟光これみつ。あのを、ここからそうとおもう」


「……やはり、そのようにおかんがえになりますか」


おどろかぬのか」


おどろきなど、とうにぎました。

 ただ、おそれております」


なにを」


ひかるきみが、藤壺ふじつぼみや童女どうじょを、藤壺ふじつぼみやとはべつひととしてあいすることができるのか。

 そして、そのわらわが、みずからのあしてるようになるまで、つみかららさずにおられるのか」


 惟光これみついは、かぜよりもつめたく、しかし真直まっすぐだった。

 こたえられぬとりながら、むねなか射抜いぬいてくる。


「わたしは、あのあたえたいとおもっている」


先日せんじつのお言葉ことばつづきでございますな」


「そうだ。

 わたしの身勝手みがってわすれぬために。

 あのが、いつか自分じぶん自分じぶんのものだとれるようになるために」


あたえるはやすく、そのおもさをともうはむずかしゅうございます」


「それでも、あたえずにいるよりはましだと、いましんじたい」


 惟光これみつしばだまっていた。

 山道やまみちすなおとだけがつづく。


ひかるきみ


なんだ」


「このみちさきっているものを、わたしはすこしだけ想像そうぞうできます。

 しかし、それを理由りゆうあしめろともうすことは、もういたしません」


めずらしいな」


めてもまらぬとかったからでございます。

 ならばせめて、見届みとどやくくらいはつとめましょう」


心強こころづよい」


心細こころぼそうございます」


 いいいながらも、わたしたちはやまくだりてゆく。

 北山きたやまてらみやことをむすぶこのみちは、ただの山道やまみちではない。

 あの童女どうじょみちであり、わたししんつみはこみちでもある。


 まだたぬあのに、わたしはすで数多かずおおくのこころなかかさねていた。

 かげ似姿にすがたつみ

 そのどれでもない、ただひとつのを、ちかいうちにくちにしてしまうだろう。


 それが、この物語ものがたりにとって、どれほどかえしのつかぬ一歩いっぽになるのか。

 りながら、らぬふりをしているのは、だれよりもこのわたしだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る