ヒトリボッチの歌─首都防衛 裏公務記録─

清水 涙

前編 空を泳ぐ鳴き声

「また、この音だ……」


 十六歳になって間もなく、私は家庭の事情で東京郊外の公立高校に転校した。


 新しい土地と学校には、すぐに慣れた。ただ、引っ越してきてから体が変だった。サイレンのような耳鳴りがするのと、あと少し、何か変なのだ。

 この症状を学校の保健室で相談して、得られたアドバイスは一つ。


「武蔵野探検部を訪ねろ」


 なんだそれは、と思ったが、調べるまでもなく翌日の昼にはその「探検部」の部長を名乗る男が一年B組の教室に来た。


「俺は探検部部長、三年A組の有坂だ。転校生、放課後にここへ集合しろ」

 私とは対照的に立派な体格をした部長は、ただそう言って場所と連絡先の書かれたメモを廊下で手渡してくる。

 戸惑いながらも紙の切れ端を受け取った時、また耳鳴りがした。


 今日はやけに響くな。

 目をひそめた私を見て、彼が言う。


「やはり、お前にも聞こえてるな。この声が」


「は?」

 言葉の意味が分からず、どういうことですかと口を開きかけたところで電話の着信音が鳴った。


 私は電子機器を携帯できないので、部長のものだろう。彼はこちらを無視して、自分のポケットから取り出した携帯電話を耳に当てる。


有坂ありさか、デカいのがいたぞ! 奥多摩おくたまから飛来。おそらく多摩湖を目指すルートだと思うが、夕方にはこっちに到達する!』


 通話相手の声が大きく、すぐ近くに立つ私にも会話の内容が漏れてきた。


「一応、役所の方にも連絡しとけ。武蔵むさし村山むらやまの奴らにやらせろ、こっちは新人勧誘で忙しい。青梅おうめが見つけられれば、立川たちかわ撃墜げきついできるだろ」


 それだけ言って、部長は通話を切った。


「転校生。最近、身の回りで不思議なことが起きるだろ? 原因を知りたいなら来い」


 何一つ理解できぬまま、その場を立ち去っていく部長の背中を呆然と見ていた。


「イチカちゃん、大丈夫?」

 そんな私に、親切なクラスメートが教えてくれる。


「あのね、武蔵野探検部は変質者の集まりって噂だから関わらない方がいいよ」




  ***




 曇り空の暗い放課後。指定された通り、私は学校の屋上に登った。

 待っていたのは先ほどの部長と、もう一人はスーツを着た大人の男性だった。鉄柵の前で遠い空を眺める部長が、おもむろに背後の私に問う。


「さっきより大きくなってるだろ?」


「……この耳鳴りのことですか?」

 確かに、症状は昼頃より大分ひどくなっていた。変質者でも何でもいいから、この症状をどうにかしてくれるのならすがりたい。


「それは耳鳴りじゃない、【声】だ」

 部長は振り返らないまま続ける。


「二つ説明することがある。まず、お前の力について。この声を聞き、声のぬしを知覚することも含めて、それはお前に特殊な能力があるからだ」


 まったく話についていけない。いい加減にしてくれ。

「私に特殊な力なんてあるわけない。そんなのありえません」


「じゃあ、なんでお前はスマホも時計も身につけていないんだ?」


 妙に痛いところを突かれた。

 そう言われると確かに、私には普通の人とは違う体質がある。


「すぐに壊れてしまうから、ですよね?」

 もう一人の男が言う。

「東京に引っ越してから、なぜか体に静電気がよく発生して電子機器をダメにしてしまうと聞いています」


 家族くらいしか知らないはずのことだった。

 言葉が出なくなった私に、部長が続ける。


「使いこなせていないようだが、それがチカラだ。ちなみに、その能力は武蔵野──正確には東京を流れる多摩川、荒川、入間川の三つの川で区切られた土地の内部でしか発動しない。お前も宮城に住んでいた頃は電気も出なかったし、声も聞かなかったはずだ」


 すべて、彼らの言った通りだった。


「なぜこの力が俺たちにあるのか、なぜここでしか使えないのか……本当のところは、誰も教えてくれないから分からない。でも、それはおそらく『アレ』を倒すためだろうと俺たちは思っている」


 部長が、斜め上の空に向けて指を差す。


「随分とデカいな、その分かなり視えにくい。奥多摩おくたま役場の奴ら、それで発見が遅れたな。ここからでもうっすら視認できる透過度か。他の場所で配置に着いている仲間には捕捉ほそくできないだろう。

 ──新入り、見えてるか? マンタみたいな奴だ」


 いつの間にか、私の呼び名が「転校生」から「新入り」に変更されていることに気付く余裕はなかった。

 彼が示した雲の下に、何かがいたからだ。


「なに、あれ……」

 それは透明で巨大な、まるでガラスでできた絨毯じゅうたんのような空飛ぶ動物だった。


「ヒトリボッチだ」


 部長が言う。

「武蔵野の伝承には巨人伝説がある。アレはまだ小さな個体だが、いくつものヒトリボッチがこの地に留まり、集団になると大太郎坊……、通称ダイダラボッチという天災をもたらす巨人になるらしい。それを食い止めるのが、東京都各自治体が国から負託された古くから続く御役目おやくめ。だから、それを実行する俺たちも影の公務員ってわけだ」


「それって……」


「お前にも、その公務を手伝ってほしい」


「待って」


「そこの人事係は、お前をスカウトしに来たんだよ」


「待って、待って!」


「ちなみに探検部っていうのは、討伐公務に就いている学生が表向きに活動するためのかくみのだ」


 いきなりそんなことを言われても……。

 ただ、これが耳鳴りではなく、空飛ぶ巨大マンタの鳴き声であろうことは分かった。ヒトリボッチという名に相応しく、『アレ』は別の仲間を呼んでいるかのように鳴き声を上げ続けている。


 それを阻止しろ?

「いやいやいやいや、無理だよ!!」


「お前以外の人間にはもっと無理だ。俺たち能力者しか、ヒトリボッチを知覚することも接触するともできないからな。


 部長に続いて、人事係と呼ばれた男が口を開く。

「まだ子供である君を巻き込んでしまって申し訳ありません。十分な数の大人たちがアレに対抗する手段を持っていないから、我々は君へのお小遣こずかいを都に払わせることくらいしかできないのです」


 それを聞いた私の体が、無意識に反応した。

「……この公務の給料おこずかいはいくらですか?」


「君と妹さんを大学まで行かせてあげるくらいは──」


「乗った」

 彼の言葉を遮って私は言っていた。

「その話、乗った!」


 ほんの少し目を見開いたが、即座に市役所の職員は応えた。


「武蔵野市長に代わり、貴殿の入庁を歓迎します。国家よりたくされた名誉ある職務に全力を尽くし、もって市民の期待に応えることを切望します」








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