あなたが先生だったこと
@kei_aohata
手紙
先生、お久しぶりです。
最後に先生とお会いした日からもう五年もの月日が過ぎていました。
細かな話は省きますが、ここ数年の私の生活は大半が母の看病と、それ以外の時間で仕事をして、あとに残ったわずかなひとときで先生と過ごした日々を思い出し、物思いにふける。そんな毎日を過ごしていました。
二十代にしてはあまりに張り合いがないと思われるかもしれませんが、私には余計な考えやありもしない空想で時間を浪費するよりも、日中は代わり映えのしない日常を歩きつつ、夜は月を眺めながら先生との美しい思い出に浸るほうがよほど有意義だったのです。
忘れもしない、私が中学三年生だった年の夏。先生は母の無理な願いを叶えるためにあの古びた家にやってきてくださいました。母方の祖父母がひっそりと暮らしていた家は、あのときですでに何年も人が住んでおらず誰が見ても酷い有り様でした。
しかし家の中の一通りを見て回った母は満足そうに腕を組み、靴下の汚れを気にしていた私に「夏の間はここで過ごします」と言い放ちました。当時の私にはなんのことやら、母の言った意味がさっぱり理解できませんでした。高校受験を控えているとはいえ、合間を縫って友人と海や花火大会などに出かける約束をしていたのですから当然です。しかし母は構わず続けました。
「安心しなさい、あなたのために住み込みで教えてくれる家庭教師の先生を見つけたのです」
それから母は車を走らせて私だけを自宅に戻し、母が出かけている間に荷造りしておくようにと言い残してまたどこかへ出掛けていきました。
私は大層悩みました。母がいない今のうちに家出でもなんでもしてしまおうか。そうでなければ私は夏の間中あの監獄のような場所で過ごさなくてはならないのだから、むしろそうするのが十五歳にとって当然だとすら思いました。
ですが先生、私は何度でも繰り返し考えるのです。あの日、家出なんて愚かなことをしなくて本当に良かった。人生で決して多くはない大きな分岐点のひとつを、私は無事に引き当てたのだと。
そうでなければ先生に出会うことはできなかったのですから。
はじめて会ったあの日、先生は深い紺色のポロシャツにスーツ地のスラックスという出で立ちであの家に現れました。自然な仕草で歩み寄り、深過ぎもせず浅過ぎもしないお辞儀とともに挨拶をされたとき、私はうまく返事ができませんでした。
あとになって授業の合間に「はじめは引っ込み思案な子だと思ったよ」と先生がおっしゃったのは、きっとあのときのことがあったからでしょう。元来私は年上の男性に気安く話しかけられるような女ではありませんが、しかしあの瞬間私がまるで人魚姫のように声を失ったのはそんな些末なことが原因ではありません。
私はあのときほど自分の容姿を恥ずかしく思ったことはなかったのです。それくらい先生の格好はまさに先生らしく、夏の入道雲にぴったりの清潔感と爽やかさでもって私の目の前におりました。せめて真っ白なワンピースでも着ていれば、そう思いましたが果たしてそうであったとして私が覚えた恥ずかしさの何分の一が相殺されたでことでしょう。
それから私と先生との生活がはじまりました。朝は五時には起き出し、夜は日付を超えるまで机に縛られる日々ですから、はじめのうちは息が詰まりそうで、自分が缶詰の中にでも押し込められたみたいでした。それでも乗り切ることができたのは、ひとえに先生がいてくれたお陰でした。
しかしご存知の通り、私たちに降りかかる災いはこんなものではありませんでした。
最初はさぞ驚かせたことでしょう。どうして言う通りにできないの、お母さんのことが嫌いだからわざとそうしているのでしょう。過ぎ去ることのない嵐を生み出す母の赤い舌がいつか二叉に別れるのではないかと私は半ば本気で思っていました。思いながら、刻一刻と浪費され続ける時間に首を締められそうになるなかで、いつだって先生は私の隣にいてくださいました。それがなんと心強かったことか、思い出すたびに何度でも先生に頭を下げたい気持ちになるのです。
家の中がどれほど薄汚れていても、見たこともないような虫の死骸が散乱していても、人の足では到底歩き通せないような薄暗い山林に囲まれていても、どれほど気をつけていても烈火のごとく喚く母のことですら、先生さえいればすべてがどうにかなる。いつしか私は心の底からそう信じるようになっていました。
日々は粛々と過ぎ、夏休みは数日を残すところとなった頃。母が一日家を空けることになったのです。元の家の町内会の集まりだったか、仕事の都合だったか、理由は何であれ母が朝から晩まで家にいないのは夏になってはじめてのことでした。
明日、この家は私と先生のふたりきり。難しい文章題にたった数秒間頭を悩ませているだけで怠けているとなじられることも、日々の努力を労うように私の肩を触れた先生が契約違反だと言って頬を叩かれることもない。きっと人生で一番穏やかで素敵な日になるだろうと私は確信していました。
母の乗る軽自動車が走り去る音が小さくなるにつれ、私たちは次第に笑いが堪えきれなくなりました。言葉など交わさなくても、顔を見合わせるだけで何もかもが愉快でした。
いつもよりずっと早い時間に勉強を終え、夕涼みに私たちは縁側に出ました。先生は出会った日と同じ深い紺色のポロシャツで、私はとっておきの白いワンピース姿で。
そこで先生は今までの固く閉ざされた時間に鍵をさすように、先生自身のことを教えて下さいました。大学へは奨学金をもらってやっと通えていること、普段は喫茶店でアルバイトをしていること、そこのマスターと奥様がとても良くしていくれること。そして気が滅入る夜には、ふたりこそが自分の両親だったらと空想に耽っていることを、先生は私の左耳にだけこっそりと教えてくださったのです。
その想いに応えるように、私もたくさんのことを打ち明けました。数年前に父が死んだこと、しかし葬式も火葬もなく、母がそう決めただけで本当は東京で別の女の人と暮らしていること、その頃から母の言動のおかしさに拍車がかかったこと。
友達にも言えなかったことをひとつひとつ押しつぶすように差し出すと、そのたびに先生は優しく微笑んで頭を撫でてくださいました。私がそっと上目遣いで見つめると、先生はほんの少しだけ笑みを深めて「嫌じゃないかい」と訊ねられました。
嫌だなんて、そんなことあるはずがありません。これまでの約一ヶ月間、私がどれほど先生との安らぎのひとときを待ち望んでいたか、きっと先生はこれっぽちもわかっていない。私はそう思って、内緒話をするように小さく「口づけが欲しいです」とねだりました。
先生は驚いて目を見開いていたように思いましたが、実際のところ私も恥ずかしさのあまり俯いていたのでよくわかりません。
山林の隙間にひっそりと建つ家は常にどこかしらに薄暗い面を持ちます。私たちはゆっくりとその奥深くに潜り込むようにして、いつもの勉強部屋に戻りました。古い机と、妙に真新しい椅子が二脚。日に焼けてガサついた花柄の絨毯。たったそれだけの粗末な部屋ですが、その日はちっとも嫌だとは思いませんでした。
普段は母の目を気遣って距離を置く先生の、その肩口がゆらゆらと揺れていました。汗はとめどなく流れ落ち、全身のどこかしこもぬめり気を含んだ空気にさらされ、真っ白なワンピースの色ごと塗り変わってしまうのではないかというほどでした。実際のところはそんなわけもありませんでしたが、その代わり母が帰る前に着替えようと脱衣所でふと鏡と目が合うと、ワンピースに飛び散った赤がいくつも目に入りました。私はそれをこっそりと自分の部屋に持ち帰り、衣装箪笥の奥の奥の方にしまい込みました。ここならきっと母にも見つかることはないでしょう。
入浴を終えて戻ると、先生は夕涼みをしたときと同じ場所に窓を開けて座っていました。虫が入りますよ、と声をかけても先生はぴくりとも動かないので、母が帰るまでじっと身を寄せて薄闇を眺めていました。先生の右腕が月明かりに照らされて青白く瞬いていたのを覚えています。
真夜中に母が戻り、次の朝には家の中に先生の姿はありませんでした。別れの挨拶もないまま早朝に出ていったと聞かされたときの私の落ち込みようといったら。きっと母が無理に追い出したのでしょうけど、それでも悲しくて堪らなかったのです。
それからのことは、さして書くほどのこともありません。志望していた学校に入学できたものの、高校も大学も私にとっては大した思い出もない場所です。卒業して地元の銀行に就職しましたが母が倒れてすぐに退職し、付きっきりで看病をすることになりました。あれだけ学歴にうるさかった人なのに、結局はそれも自分の先細る将来のために過ぎなかったのです。もはやそんな気付きにも絶望すらしませんでしたが。
そして先日、闘病の末ついに母は帰らぬ人となりました。
ひぐらしの声と鈴虫の音色が混ざり合って茜色に溶けていく様を、今でもよく夢に見ます。背景には必ずあの家があって、人の気配のない山林が自然の目隠しになり、私たちを誰の目からも見えないようにしてくれるのです。
先生と過ごした日々から数年が過ぎ、唐突に母からあの家が取り壊されていたことを聞き、私は人目も憚らずわんわんと泣いてしまいました。思い出の場所が失くなる痛みのわからない人には、あのときの涙はただの塩辛い水に他ならなかったのでしょう。母は汚いものでも見るように私を見下ろし、静かに台所へと消えていきました。母が倒れたのはその翌日のことでした。
何者かの思し召しだと言ったら、きっと誰もが私を恩知らずだとなじることでしょう。ですが先生。あなただけは決してそんなことを思わずにいてくれるはずです。先生だけは、きっと私の気持ちを”仕方がない”と笑ってくれると、固く信じて疑わないのです。
ああ、先生にお会いできなかった間。先生にどのような月日が流れたのか、私には知ることができません。それと同じに、先生も私に流れた月日の一欠片だってほんとうの意味でわかることはできないのです。
それでも良いのです。そんなことは些末だと、今度は私が笑ってみせましょう。わずか一ヶ月足らずの美しい思い出さえあれば、それが強固な礎となって海の奥深くまで届くことを私たちは知っているはずではありませんか。
先生。あなたが先生だったことを知っている人は、もう私以外に誰もいないのです。
この手紙が先生に届くを日を待ち遠しく思います。
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