籠の鳥は草原の空を舞う
三木さくら
第1話 一人目の地脈の巫女(前)
「嫁いで大公家の妃になるぐらいなら、草の国の王后になり、自分の足で立って歩いて見せるわ!」
ざわっ。
突然のわたしの宣言に、広間には廷臣たちのざわめきが広がっていく。
「タリシャ王女!」
そのざわめきを切り裂くかのように、よく通るテノールの声が届く。
声がした方に目を向ければ、土の民と同じ褐色の肌を持っているが、髪だけは土の民よりわずかに薄いグレーの髪をした精悍な顔立ちの青年が、まっすぐこちらを見つめて、誘うかのように右手を差し出した。
「タリク王太子!」
わたしも負けじと、彼の名を呼ぶ。そして、周りの人たちがまだ動けないうちに、ドレスのスカートを一気にからげると脱兎のごとく声の主、タリク王太子の元へと駆け寄る。
「王女!」
ようやく硬直から立ち直った左大公世子殿下――元婚約者のダリオンが、わたしを捕まえようと腕を伸ばす。
身をかわしながら、重力の塊をダリオンにたたきつける。
「ダリオンさま!」
人前で名前を呼ぶな、とあれほど言ったのに直らない右大公末姫、リェンが悲鳴を上げて駆け付ける。
そうだ。
わたしの本気の重力の塊を受けたら、おそらくひとたまりもないはずだ。
だけど、もう気にしない。
わたしがあなたから受けた傷は、そんなものではまだまだ償えない。
ダリオンが震えるリェンをそのマントの裾でくるんで守り、婚約者たるこのわたしを罵ったあの日の傷は、多分もう一生癒えることはない。
だがもう、わたしはその傷からも自由になる。
「わたしは、わたしのプライドを尊重しない人たちのもとで人生は浪費しません。草の国で、わたしはわたしの人生を自分の足で歩ききってみせます」
タリクの腕の中に飛び込むと、わたしは高らかに宣言した。
あぁ。わたし、「何かの象徴」として大事にされるのではなくて、自分の足で自分の運命を歩く自由が欲しかったんだ――
その自由をつかむきっかけをくれたタリクに、わたしはほほ笑みかけた。
**
新緑の若木が、かぜにそよそよと揺れているのが、窓から見える。
「ねぇカヤ。今日は、ダリオンは宮殿に登城するの?」
「左大公世子殿下は、いつも通り登城されます。ですが……」
最側近の侍女、カヤがわたしの質問に語尾をにごす。
そうね。いつも通り、わたしのところには来れない、ではないわね、来る気はない、ということね。
「だったら、中庭で気分転換をしたいわ」
かしこまりました、と下がっていくカヤを横目に見て、わたしは窓の外を見やった。
どうせ来ない人を部屋の中で待つなんて、ごめんだわ。
**
あの姫――右大公家末姫のリェン姫――が来たのは、一年前のこんな初夏の日だったか。
あの日も、新緑が伸び盛りの中庭でお茶を飲んでいた。
「王家のメンバーに、右大公家の末姫が?」
勢いがついてすくすくと育つ緑たちの上を、気持ちいい風が通り過ぎていく。
こんな気持ちいい日に聞いた話なら、きっと悪い話ではないんだろう。
そう思った一年前の能天気な自分の頭をぶん殴りたい。
「リェン姫は僕たちよりも五歳年下だ。きっとかわいい妹になってくれるよ?」
ダリオンが私の両手を包み込むように握り、優しくふわっとした笑顔で静かにそういう。
「ダリオンがそういうなら、わたしはリェンと仲良くなるわ」
わたしはそう答えて、ダリオンにやさしく微笑みかけた。
あと一年半。
そう、あと一年半もしたらこの優しいダリオンと結婚して、わたしは王家の「守り巫女」として、土の国の豊穣と土の国王家の繁栄を祈って過ごすのだ。
これから夏が来て、豊かな秋の実りが約束されていることを予感させる風の中で、わたしはあの時は確かに幸せだった。
なのに。
夏が過ぎ秋が来る頃には、気が付くと、リェン姫が王家の本当の王女のように振舞うようになり、王宮内での自分の身の置き所が、だんだんなくなっていくことに気が付き始めた。
母后陛下がご存命だったら、こんなことにはならなかったのかしら。
一番重要な、秋の豊穣祝賀の祭祀の斎主。
王女で地脈の巫女たるわたしが、もうずっと務めてきたお役目。
その大事なお役目を、二人で並び立って務めよと、ダリオンが命令してきたのだ。
「そんな。父王陛下、兄王太子殿下は許可されたのですか?」
「お二人が命令されないことを、俺ができるわけないだろう」
わたしの背後を見透かすように不機嫌に吐き捨てるダリオン。
ちがうわ、父王陛下や兄王太子殿下が許可したことが本当なら、わたしの目を見ているはず。
なのにどうして遠くを見るの。
このところ頻発している噴火や地震の視察で、父王陛下も兄王太子殿下も国を不在にしがちだ。そんなふたりと、ダリオンが話し合う機会があったとは思えない。
「そうなんですか?でも、ですが!地脈の巫女が祭祀を執り行わないなど、来年以降の土の国の実りはどうなるのですか!」
思わぬ抵抗に、ダリオンもひるんだようだ。
そうね、わたし、いままでダリオンの言うことには否定するようなこと、言ったことなかったと思うわ。
おそらく、これが初めてのダリオンへの抵抗のはずだ。
「朝議で決まったことは、国王陛下、王太子殿下、それぞれの承認を得たものに決まっているだろう」
なのに、その初めての抵抗は、見たこともないような怒気を含んだダリオンのオーラの前では一瞬力を失い、思わずわたしはひるんだ。
ひるんだけど、いままで、地脈の巫女としての振る舞いと知識を叩き込まれてきたからには、引くわけにもいかない。
先代の地脈の巫女であった叔母上が先年に
地脈の巫女としての義務感が、わたしを奮い立たせた。
「わたしは、ずっと先代の地脈の巫女について、祭祀を学んで引き継いで参りました。これだけの準備をして初めて、斎主を務められるのです。今までそんな下準備をしてこなかったリェン姫が、いきなり斎主を務められるわけがありません!」
そもそも地脈の巫女でもないでしょう。
なぜか、一番の決め手になるはずのこの言葉を、口に上らせることが、わたしにはできなかった。
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