第2話:震える手で、ドラゴンを挽肉に
「いやぁぁぁぁぁ!!」
私の悲鳴は、ダンジョンの冷たい壁に反響し、虚しくかき消された。 目の前には、圧倒的な死の具現。 Sランク魔獣、『
(あ、死ぬ。これ、絶対に死ぬやつだ)
腰が抜けて、一歩も動けない。 逃げなきゃいけないのに、足がいうことを聞かない。 頭の中が真っ白になりかけた、その時。
私の手は無意識に、腰のポーチを握りしめていた。 指先が、ある「小瓶」の冷たい感触を捉える。
それは、私が調合師としてまだ夢を見ていた頃に作った試作品。 『
効果は劇的だ。 脳のリミッターを強制的に解除し、恐怖心を「興奮」と「攻撃性」に変換する。 臆病な私でも、勇者様のように戦えるかもしれないと思って作った、「いつか勇気を出したい時」のための薬。
けれど、私はこれを使ったことがない。 なぜなら――副作用が怖すぎるから。 「精神崩壊」や「人格破綻」のリスクがある劇薬なんて、怖くて飲めるわけがない。だからずっと、ポーチの奥底に封印していた。
(で、でも……!)
ドラゴンの爪が、風を切り裂いて迫ってくる。 このままじゃ、副作用を心配する前にミンチにされて終わりだ。
(どうせ死ぬなら……最後に一度くらい……ッ!)
食べられて死ぬのも、薬の副作用で死ぬのも、結果は同じじゃないか。 なら、最後に足掻いてやる。 ヤケクソだ。もうどうにでもなれ!
「う、うぅぅぅ……!」
私は震える手でポーチをまさぐり、二つの小瓶を取り出した。
一つは『
もう一つは、筋力のリミッターを外す攻撃用原液『
蓋を開ける時間なんてない。 調合する余裕なんてあるわけがない。
「もう……どうにでもなっちゃえぇぇぇ!!」
私は涙目で叫びながら、両手の小瓶を思い切り握りしめた。
パァァン!!
ガラスの砕ける音が響く。 鋭い破片が手のひらに突き刺さる痛み。 普通なら泣き叫ぶ激痛のはずだ。でも、今の私には、それすらもどうでもよかった。
「あーあ、もういいや。全部壊れちゃえ」
私の口から、乾いた独り言が漏れた。
それと同時に、あふれ出した高濃度の原液と香りが、爆発的に広がり、私を包み込んだ。
鉄錆と、濃厚なバラの香り。 そして、脳髄を直接焦がすような、強烈なスパイスの刺激。
私はそれを、肺いっぱいに吸い込んだ。
ドクン、と心臓が跳ねる。 視界が赤く染まる。 恐怖で震えていた足が、ピタリと止まる。
「ガアアアアアアッ!!」
ドラゴンの爪が、私の頭上へと振り下ろされた。 岩盤をも砕く、必殺の一撃。 直撃すれば、私の体なんてトマトのように弾け飛ぶだろう。
――ドゴォォォォン!!
轟音が響き、土煙が舞い上がる。 ドラゴンは勝利を確信したのか、下卑た笑いのような呼気を漏らした。
だが。
「……おい」
土煙の中から、低い声が響く。
「……あー、やっと目が覚めた」
煙が晴れる。 そこに立っていたのは、無傷のティアだった。 いや、ただ立っているだけではない。
彼女の左手は、振り下ろされたドラゴンの巨大な爪を、頭上で「ガシッ」と受け止めていた。 素手で。 あの細い腕一本で。
ドラゴンの目が、驚愕に見開かれるのが分かる。 彼女はゆっくりと顔を上げた。 焦点の合わなかった瞳には、今やギラギラとした獰猛な光が宿っている。 口角が、自然と吊り上がった。
「おいトカゲ。誰に向かって牙剥いてんだ?」
手のひらに刺さったガラス片の痛みさえ、今は心地よい刺激にしか感じない。 目の前のSランク魔獣? ハッ、笑わせる。 今の私には、こいつがただの「大きすぎる爬虫類」か、あるいは「鮮度の悪い食材」にしか見えない。
「グルゥッ!?」
ドラゴンが慌てて爪を引こうとする。 だが、遅い。 私は握りしめたその指を、万力のような力で締め上げた。
メキメキメキッ!!
「ギャアアアアアッ!?」
鋼鉄のようなドラゴンの鱗が砕け、指の骨が悲鳴を上げる。 魔獣が痛みに絶叫した。
「うるせぇな。食材が喋ってんじゃねーよ」
私はニヤリと笑うと、掴んだドラゴンの指を支点にして、その巨体を一本背負いのように地面へ叩きつけた。
ズドォォォォォォン!!
ダンジョン全体が揺れるほどの衝撃。 ドラゴンは白目をむいて痙攣している。
「
私は地面を蹴り、宙高く跳躍した。 眼下には、無防備なドラゴンの腹。
右の拳を握りしめる。 『
「消臭の時間だッ!! オラオラオラァ!!」
ドゴォ! バキィ! ズガァァァン!!
拳がドラゴンの腹にめり込むたび、派手な破砕音が響き渡る。 調香師? 知ったことか。 今の私は、ただの暴力装置だ。 目の前の「汚物(敵)」を、物理的に浄化(粉砕)するだけの存在だ。
「オラオラオラオラオラァッ!!」
超高速のラッシュ。 ドラゴンの悲鳴すら許さない。 ただひたすらに殴り、砕き、潰す。
そして最後の一撃。
「これで……さっぱりしなぁッ!!」
渾身の右ストレートが、ドラゴンの顎を打ち抜いた。
パァァァン!!
もはや生物の殴られる音ではなかった。 ドラゴンはゴム
「ふぅ……」
私は荒い息を吐きながら、血まみれの拳を振るった。 周囲には、むせ返るような血の匂いと、ほのかなバラの香りが漂っている。
「ちっ、服が汚れちまったな……」
そう呟いた瞬間。 急激に、視界がぐらりと揺れた。
スパイスの効果時間が、切れたのだ。
「……え?」
ティアの瞳から、獰猛な光が消える。 熱狂が去り、急速に冷たい現実が戻ってくる。
「……あ、あれ? 私、なんで立って……」
ぼんやりと周囲を見渡す。 壁にめり込んだ、赤黒い
そして、自分の手を見る。 真っ赤に染まった、血まみれの両手。
「ひっ!?」
思考が追いついた瞬間、顔から血の気が引いた。 な、なにこれ? 何が起きたの? さっきまでドラゴンがいて、私が死にかけてて……それで……?
「こ、これ……私がやったの……?」
目の前の肉塊(元ドラゴン)を見る。 あんなに恐ろしかったSランク魔獣が、見るも無惨な姿になっている。
「う、うわぁぁぁぁ!! ごめんなさいごめんなさい!!」
私はその場にジャンピング土下座の勢いで崩れ落ち、肉塊に向かって頭をこすりつけた。
「調子に乗ってごめんなさい! 殺すつもりなんてなかったんです! ちょっと手が滑っただけで! いえ、私が悪いんです! 私ごときが生意気にも反撃なんてしてすみませんんん!!」
額を地面にこすりつけ、涙目で謝り倒す。 誰も聞いていないのに。 相手はもう、ただの肉なのに。
「許してくださいぃぃぃ……ッ!あとでちゃんと分別して捨てますからぁぁ!」
ダンジョンの奥底に、私の情けない謝罪の声だけが、いつまでも響いていた。
――――――――――――――――――――
★★あとがき★★
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに覚醒しました、ティア! 臆病な彼女がヤケクソで使った『反逆のスパイス』。 その効果は劇的(すぎ)でした。 「汚物は消臭だ」の精神で、Sランクドラゴンを物理的に粉砕してしまいましたが……正気に戻った後の落差が激しいですね。
死体に全力で土下座する主人公、ここからが本番です。
「覚醒ティア様かっこいい!」「土下座かわいい」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ぜひ画面下の★評価や作品のフォローで応援していただけると嬉しいです。 執筆のモチベーションが爆上がりして、更新速度が加速します!
それでは、また次のお話でお会いしましょう。
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