第15話 怪物、マウンドへ

6回裏、夏目の追撃でスコアは 4–3。

一点差まで詰め寄ったものの、まだ苦しい展開だった。


そしてベンチの片隅では、中村が松葉杖を抱えたまま、必死に祈るように歯を食いしばっていた。


(……頼む。山田……あとほんの少しだけ……!

 俺が出られねぇ以上……みんなの命運は……お前の肩にかかってるんだ……!)


しかし、その願いは次の回であっけなく砕けてしまう。


初球。

ストライクゾーンに届かず、手前で大きくワンバウンド。


佐藤が声を張る。


「っ……! 山田、肘が下がってるぞ!」


「だ、大丈夫……っす……!」


山田はそう言うが、マウンド上の姿は痛々しいほどバランスを失っている。


中村は松葉杖を握る手に力を込めた。


(大丈夫なわけねぇ……! フォームがもう崩れきってる……!)


続く球も外れ、四球。

そのあとも四球、ヒットで一死満塁。


観客席がざわつき始める。


「満塁……やば……」

「山田くん、もうボロボロじゃん……」


伊藤は眉をひそめた。


「……もう、危ないわ。山田くん、肘をかばってる」


「……わかってる」


中村は短く返す。

だが現実として、代わりの投手はいない。


――本来なら、“いないはず”だった。


レフトにひとり、異質な身体能力を持つ怪物を除いては。


カキィィィィン!


高く上がったレフトフライ。

三塁ランナーは一応タッチアップの構えを取る。


(……捕れる)


夏目は軽く跳び、難なく捕球した。

そして――肩が爆発した。


ヒュオオオオオッ!!


一直線。

低い弾道で、白い軌跡がキャッチャーへ吸い込まれる。


パァンッ!!


審判の声が響いた。


「ランナー動けず!! タッチアップなし!!」


球場が一瞬静まり返ったあと、ざわめきが爆発する。


「でたよ……また、あのレーザービーム……」

「なんで高校生があんな球投げられるんだ……?」


伊藤は淡々と言った。


「……160キロは出てたわね。間違いなく」


ベンチでは、中村が震えていた。


(……やっぱり、夏目しかいねぇ……!!)


「タイム!!!」


中村が叫ぶと球場中ざわめきが止んだ。


中村は松葉杖をつきながら、ゆっくりとマウンドへ向かう。

限界を超えながら投球を続けようとする山田の前に中村が立つ。


「中村先輩……もうちょっとだけ……!」


その瞳には強い覚悟が宿っていた。


「山田。……もう無理だ」


「だっ……でも……俺しか……!」


「これ以上投げたら、本当に壊れる。

 そんな未来、俺は絶対に許さねぇ」


「……すみません……」


「謝るな。よくやった。ここから先は――」


中村はレフトを指差す。


静かに佇む巨人・夏目の姿があった。


「夏目に託す」


ざわっ……!


球場が揺れた。


夏目は短く言う。


「……投げればいいんだろ?」


「頼む……!」


山田からボールを受け取った夏目が、マウンドに上がる。

ただそれだけで、球場の空気が変わる。


伊藤はスコアブックを胸に抱え、震えるようにその姿を見つめていた。


(ついに……ついにこの瞬間が来た……)


夏目がマウンドに足を踏み入れた瞬間――


それはもう、ただの弱小校の試合ではなくなった。


怪物が、本気で野球を始める瞬間だった。

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