第3話 ステータス異常:レベル上昇(限界突破)
王都に朝が訪れる。小鳥のさえずりとカーテンの隙間から差し込む朝日。本来ならば清々しいはずの目覚めだが、近衛騎士団長オルトリンデ・フォン・グランディアにとっては、これまでの人生で最も最悪で、最も艶めかしい朝となった。
「……んぅ……あつい……」
豪奢な天蓋付きのベッド。その上でオルトリンデは身をよじって目を覚ました。シーツは寝汗でぐっしょりと濡れ、肌にまとわりついている。まるで一晩中、高熱にうなされていたかのような――あるいは、激しい情事に耽っていたかのような惨状だ。
「はぁ、はぁ……なんだ、この倦怠感は……」
重たい瞼を持ち上げる。身体の節々が軋むように痛いが、それ以上に体の奥底が「軽い」。矛盾する感覚だ。筋肉は疲労しているのに、血管を流れるエネルギーが有り余って暴走している。
昨日の記憶がフラッシュバックする。夕暮れの廊下。ぶつかった衝撃。そして、あの少年の唇から流し込まれた、脳髄を焦がすような熱。
『んんぅっーーー!?!?♥』
自分のものとは思えない、あのだらしない嬌声が脳内で再生され、オルトリンデは枕に顔を埋めて足をバタつかせた。
「あぁぁぁあッ!忘れろ、忘れるのだ私……ッ!」
夢だ。あれは悪い夢だったのだ。私は騎士団長。清廉潔白なる鉄の処女。あんな子供に、廊下で押し倒されて感じてしまうなど、あってはならない。
彼女は気を取り直そうと、ベッドから起き上がった。その瞬間だった。
バキッ。
「……え?」
手をついたベッドのサイドテーブルが、乾いた音を立てて粉砕された。いや、粉砕されただけではない。彼女が軽く手を置いた箇所を中心に、木材が粉々になり、大理石の床にまでヒビが入っている。
「な、なんだ……?今、私は軽く触れただけだぞ……?」
自分の手を見つめる。いつも剣を握っているタコのある武骨な手。だが、今日は何かが違う。指先から、目に見えない湯気のようなオーラが立ち上っているように見える。
それに、視界もおかしい。部屋の空気中の塵一つ一つが見えるほど解像度が上がり、窓の外で羽ばたく鳥の羽音が、すぐ耳元で聞こえるほどうるさい。
「感覚が……鋭敏になりすぎている?」
異常事態だ。オルトリンデは震える指で空中に線を描き、自身のステータスウィンドウを呼び出した。
「ステータス・オープン」
空中に浮かんだ文字列を見た瞬間、彼女は呼吸を止めた。
【名前】オルトリンデ・フォン・グランディア
【職業】近衛騎士団長(聖騎士)
【レベル】125(LIMIT BREAK)
【HP】99999 / 99999
【MP】500 / 85000(枯渇状態)
「ひゃく……にじゅう……ご……?」
オルトリンデは我が目を疑った。この世界の理において、人類が到達できるレベルの上限は『99』だ。歴代の勇者や伝説の大賢者ですら、その壁を超えることはできなかった。自分もまた数年前にレベル99に到達して以降、どれだけ魔物を狩っても成長が止まっていたはずだ。
それが、一晩で『26』も上昇している。しかも『LIMIT BREAK(限界突破)』という、見たこともない赤文字が点滅している。
「馬鹿な……。なんだこの数値は。バグか……?」
さらに視線を下にずらす。そこには、新しく習得したスキルが表示されていた。
【新規習得スキル】 《魔力過敏(マナ・センシティブ):EX》 《従属の萌芽:Lv.1》 《限界突破の代償(渇望)》
「魔力……過敏……?」
そのスキル名を読み上げた瞬間、オルトリンデの身体がビクリと跳ねた。詳細を確認しようと項目をタップする。
《魔力過敏:EX》 効果:五感および魔力受容体が極限まで活性化する。魔法攻撃への防御力が低下する代わりに、魔力の流動を快感として知覚するようになる。注記:肌への接触刺激に対して、極度の脆弱性を伴う。
「なっ……!?」
顔から火が出るかと思った。なんだこのふざけたスキルは。『魔力の流動を快感として知覚』?『接触刺激への脆弱性』?
つまり、今の自分は――。
「……ちょっとしたことで、感じやすくなっているとでも言うのか……ッ!」
誰もいない部屋で叫ぶ。そんなはずはない。認めない。これは何かの間違いだ。
オルトリンデは火照った頭を冷やすため、バスルームへと駆け込んだ。
◇
「冷水だ。冷水を浴びれば、この馬鹿げた熱も引くはずだ」
彼女は服を脱ぎ捨て、シャワーの蛇口を最大まで捻った。頭上から、冷たい水が勢いよく降り注ぐ。
バシャアァッ!!
「ひゃんっ!?♥」
オルトリンデは浴室に響き渡る自分の高い声に絶句した。ただの水だ。冷たい水が、肩や背中に当たっただけだ。それなのに。
(な、なにこれ……水が、指みたいに……ッ)
肌の上を滑り落ちる水滴が、まるで熱を持った無数の指先のように感じられる。水圧が肌を叩くたびに、電流のような痺れが脊髄を駆け上がり、膝から力が抜けていく。
「ぁ、うぅ……っ!と、止ま……んっ!」
蛇口を止めようと手を伸ばすが、手元が狂ってシャワーヘッドが暴れる。冷水が、よりによって彼女の敏感な胸元や太ももを直撃する。
「あ、だめっ、そこは……ひグぅッ!!」
オルトリンデはその場にへたり込み、タイルの壁に手をついて喘いだ。シャワーを浴びているだけなのに。まるで、見えない誰かに全身を愛撫されているかのような錯覚。
脳裏に浮かぶのは、やはり昨日の少年――クロウの顔だった。彼の唇の感触。あの熱い魔力が流れ込んでくる感覚が、水流と重なる。
(あいつのせいだ……あいつが、私の身体をこんな風に……!)
数分後。ほうほうの体でシャワーを止めたオルトリンデは、バスタオルで身体を包み、洗面台の鏡を見た。
そこには、冷水を浴びたはずなのに、全身を桜色に染め、瞳を潤ませた色っぽい女が映っていた。肌のツヤが異常に良い。まるで若返ったかのように、肌が内側から発光している。バストも、心なしか張りが出て、サイズアップしているような気さえする。
「……くっ。こんな身体で部下の前に出られるか……」
だが、休むわけにはいかない。彼女は騎士団長だ。今日の昼には王都の防衛会議が予定されている。オルトリンデは歯を食いしばり、クローゼットから新しい下着と軍服を取り出した。
◇
着替えを済ませるだけで一苦労だった。布が肌に擦れるだけでゾクゾクするため、下着をつけるのに十分、軍服に袖を通すのに五分かかった。特に、胸を潰すためのサラシは断念した。締め付けた瞬間、あまりの刺激に意識が飛びそうになったからだ。
結果、今日のオルトリンデは、いつもより胸元の主張が激しいシルエットになってしまったが、背に腹は変えられない。
「……よし。落ち着け。私は正常だ」
自分に暗示をかけ腰に愛剣『聖剣ガラティーン』を佩く。最後に、精神統一のために中庭の訓練場へ向かった。身体を動かせばこの過敏な感覚も麻痺して元に戻るかもしれない。
早朝の訓練場にはまだ誰もいない。オルトリンデは木人(トレーニング用の人形)の前に立ち、剣を抜いた。
「ハッ!」
鋭い呼気と共に、袈裟斬りを放つ。いつもの、準備運動代わりの軽い一撃。そのはずだった。
ズドォォォォォン!!
「……は?」
爆音と共に木人が爆散した。いや、木人だけではない。その背後にあった石造りの防壁が、まるで豆腐のように切り裂かれ、半壊して瓦礫の山と化している。
土煙が舞う中、オルトリンデは呆然と剣を見つめた。
「力が……制御できない……」
レベル125。限界を超えた身体能力は彼女の想像を遥かに凌駕していた。軽く腕を振っただけで突風が起き、一歩踏み込めば地面が陥没する。今の彼女は、歩く戦略兵器そのものだった。
これでは、まともに日常生活など送れない。誰かと握手をしただけで、相手の手を砕いてしまうかもしれない。 何より――。
「……っ」
ズキリ、と。 下腹部の奥で、枯渇した泉が水を求めるような、飢餓感が走った。
【MP残量:低下】 【状態異常:魔力飢餓(マナ・ハンガー)】
視界の隅に赤い警告が出る。レベルが上がったことで、身体の器(最大MP)が巨大化した。 かし、中身(現在MP)は空っぽのままだ。巨大なダムに水が入っていないようなもので、身体が本能的に「燃料」を求めて悲鳴を上げているのだ。
そして、その燃料を持っている人物を彼女の身体は知ってしまっている。
「……」
無意識に、あの少年を思い出していた。あの少年の魔力が欲しい。あの熱いキスで、この空っぽの器を満たしてほしい。そうすれば、この狂った感覚も、制御できない力も、すべて鎮まる気がする。
「……認めん」
オルトリンデは剣を鞘に納め、ギリリと唇を噛んだ。
「私が……この私が、あんな子供に依存するなど……騎士の恥だ!」
彼女は踵を返し、執務室へと戻った。だが、その足取りは重い。身体の芯が、じりじりと熱を帯びていく。理性とは裏腹に、彼女の鼻腔は、昨日の残り香――あのミルクのような甘い匂いを無意識に探していた。
「……今日は、ギルドの方へ巡回に行くか」
誰に言い訳するでもなく、彼女は小さく呟いた。あくまで公務だ。怪しい人物がいないか、確認しに行くだけだ。決して、あの少年の顔が見たいわけではない。
真っ赤な耳まで、鏡は見せてくれなかった。最強の騎士団長が、一人のショタ主夫に完全に陥落するまで――あと数時間
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