「守護って!モモタロー」

@tsui_wakana

第1話「推して参る!桃色の守護者」



……時は数千年の昔。


世界を常闇に染め上げんとした『魔女姫』の野望は、五つの輝きによって阻まれた。


氷河を砕く黄昏の戦斧。


鋼鉄をも紙切れのように引き裂く青銅の大剣。


天空を駆ける純白の翼。


雷鳴を従える翡翠の槍。


そして.....


烈火の如く燃え盛る、紅紫の騎士。


彼は血の海の中で叫ぶのだ。


『俺の命が燃え尽きようとも、君の涙は俺が拭う!』と。


『......ああ、なんて尊い……! 血と硝煙の匂いがする純愛……これぞ至高!』


カグヤは一度筆を止め、うっとりと天井を見上げた。


彼女の脳裏には、現実の退屈さを吹き飛ばす壮大なパノラマが広がっていた。



「……で? その『紅紫の騎士』とやらは、今日も妄想の中で敵を斬りまくってるわけか?」


不意に、現実の男の声が鼓膜を震わせた。


「ひゃあああっ!?」


カグヤは素っ頓狂な悲鳴を上げ、書きかけの原稿を胸に抱きしめて振り返る。


そこには、同僚のリクが呆れ顔で立っていた。手には湯気を立てるブリキ缶のコーヒーが二つ。


「リ、リク!? い、いつからそこに!?」


「『君の涙は俺が拭う』のあたりから。勤務中に随分と熱心だな、作家先生」


「ううう……盗み見は重罪よ! 軍法会議ものなんだから!」


カグヤは顔を火が出るほど赤くして抗議する。


ここは王都の片隅、瓦屋根と煉瓦造りが入り混じる下町の憲兵派出所。


カグヤ、21歳。


かつては物語の主人公になることを夢見て村を出たが、現実は甘くない。


来る日も来る日も、迷子の猫探しや、道に迷ったお年寄りの案内、酔っ払いの喧嘩の仲裁。


「何者か」になりたかった彼女は今、ただの「制服を着た公務員」だった。


リクは自分のデスクにコーヒーを置き、椅子にドカッと座る。


「ほれ、差し入れ。根詰めてると眉間のシワが深くなるぞ。まだ若いのに」


「余計なお世話よ……ありがと」


カグヤはコーヒーを受け取り、小さく息を吐く。


リクは悪い奴ではない。

お調子者で三枚目だが、いざという時は頼りになる……かもしれない同僚だ。


リクはカグヤが隠し損ねた原稿の端を指差した。


「にしてもよ、その主人公の名前。『モモタロー』ってのはどうなんだ?」


「えっ?」


「いや、なんかこう……芋臭いというか。田舎の団子屋の倅みたいな名前じゃねーか?

もっとこう....ルシエロとか、ハートランドとかあるだろ」


「分かってないなぁ! その素朴な響きの中に、質実剛健な魂が宿るの! これだから風情のない男は……」


「へいへい。俺は風情より団子だね」


リクは肩をすくめて笑う。


カグヤは窓の外を見る。


平和な街並み。


(普通に暮らすはずだった。あの日……目の前で消えた命を見るまでは)


平和ボケしたような会話の裏で、カグヤは筆を握る手に力を込めた。


物語の中だけが、彼女が英雄になれる場所だった。



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非番の日。カグヤは故郷の村外れにある『竹取神社』を訪れていた。


数年前、謎の隕石落下事故により炎上し、今は黒焦げた柱と瓦礫が散乱する痛々しい姿を晒している。


「じいちゃん、来たよ」


瓦礫の奥、奇跡的に焼け残った本殿の残骸の前で、神主である祖父・オキナが静かに座していた。


「……カグヤか...珍しいな。帰ってくるとは」


「たまには顔見せないと、じいちゃんがボケてないか心配だしね」


「ふん、減らず口を」


オキナの視線の先には、一本の刀が鎮座していた。


煤け、泥にまみれているが、その刀身だけは奇妙なほど清浄な空気を纏っている。


地元では『星斬(ほしきり)』と呼ばれ、誰も触れることのできない奉納刀だ。


「……ねえ、じいちゃん。この刀、なんか変じゃない?」


「ほう?」


「なんていうか……見てると、胸の奥がザワザワするの。

血管の中を熱いものが流れるみたいな……」



カグヤは無意識に手を伸ばしかけ、慌てて引っ込めた。



脳裏に一瞬、炎の幻影が過ぎったからだ。



オキナは鋭い眼光で孫娘を見据える。


「触らぬ神に祟りなしじゃ。

だが……惹かれるのなら、それもまた運命(さだめ)かもしれんな」


「え? どういう意味?」


「なんでもない。さっさと帰って小説でも書いておれ」



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夕闇が迫る歓楽街。


毒々しいネオンが灯り始める。


路地裏の水たまりに、一人の初老の男が膝をついていた。


目の前には、派手な着物を着崩したキャバクラ嬢と、仕立ての良い洋装の金持ちが乗る豪奢な馬車。


「まりりん……嘘だろ? ワシは、ワシはお前のために田畑も売ったんだぞ!」


「あらぁ、ごめんなさいねぇ。でもぉ、お店の外で会うのはルール違反だしぃ」


「金ならある! まだ作れる! だから行かないでくれ!」


「しつこい男は嫌われるよ? 行こう、旦那様」


馬車は無情にも男に泥水を跳ね上げて走り去った。


残されたのは、絶望と、底なしの惨めさ。


トボトボとベンチに座り込んだ男を、運悪く不審な若者たちが取り囲んだ。



「....おいオッサン、今『金ならある』って言ったよな?」


「あ、あいつらに……全部……」


「嘘ついてんじゃねぇよ!」


ドスッ。鈍い音が響く。


「ぐっ……!」


「シケた面しやがって! 俺たちのストレス解消に付き合えや!」


無抵抗の男に対し、容赦のない拳と蹴りが降り注ぐ。


鼻が折れ、血がアスファルトに広がる。


「ひっ、ひぐっ……やめ……」


「あはハハハ! いい声で鳴くじゃねえか!」


若者たちが笑いながら去った後、男は血と涙と泥にまみれて地面を這った。


痛い。


悔しい。


憎い。



自分が。


あの女が。


暴力を振るった若者が。



この理不尽な世界が。



『――力が欲しいか?』



脳内に直接、粘り気のある声が響いた。


男が顔を上げると目の前の空間が歪み、黒いモヤがとぐろを巻いていた。


モヤの中から一本の黒い刀が、まるで男を誘うように柄を向けて実体化する。


『密約を交わそう。

君がその刀を抜けば、その涙も、怨みも、全て夢幻の華の糧になる。


復讐も、女も、意のままだ』


「ちから……ワシを、ゴミのように扱った奴らを……殺す力が……!」


男の震える手が、黒い柄を握る。


ズブズブと、指が柄に沈み込むような感触。


引き抜いた瞬間、黒い雷光が奔り、男の全身の血管が黒く浮き上がった。


「ウ、ウオオオオオオオッ!!」


男の瞳から理性が消え、どす黒い殺意だけが残る。


帰り道を歩いていた若者たちが、異変に気づいて振り返る。


「あ? なんだオッサン、まだやる――」



言葉は続かなかった。


男が一振りすると、若者の上半身が「ズレた」。


鮮血の噴水。



悲鳴を上げる間もなく、黒い刀閃が次々と彼らを解体していく。


刀身が、肉を、血を、そして魂を啜る音が、路地裏に響き渡った。



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その夜、カグヤは夢を見た。


色彩のない灰色の荒野。


そこに、一人の戦士が立っている。



マゼンタ色の輝きを放つ鎧。


古風な侍のようでいて、どこか未来的な意匠。



彼は無数の黒い影に対し、たった一人で剣を構えていた。


『姫君ッ! 退(の)くでない! 拙者の背中にお隠れを!』


戦士が叫ぶ。


.....誰? 私のこと?


影が牙を剥き、襲いかかる。


戦士の剣が紅蓮の炎を纏う。


激突の瞬間、カグヤは自分の心臓が早鐘を打つのを感じて跳ね起きた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


全身汗びっしょりだ。


「な、なに今の……すごいリアルな……」


呼吸を整えようと水を飲もうとした時、カグヤの手が止まった。



枕元。



そこに『それ』があった。


神社の祠にあったはずの、あの刀。


ただし、鞘の色は赤ともピンクともつかない、鮮烈な色合いに変化している。



「はぁぁぁ!? なんで!? じいちゃんが送ってきたの!?」



恐る恐る手を伸ばす。


指先が鞘に触れた瞬間、夢の映像がフラッシュバックし、脳内に声が響いた。


『姫君……やっと……やっと出逢えた……! 幾星霜の時を超え……!』


「ひゃうっ!?」



カグヤは布団の端まで後ずさる。


「しゃ、喋った!? いや、幻聴だ。執筆疲れだ。寝よう、うん。おやすみなさい!」


カグヤは刀を見なかったことにして、布団を頭から被った。


だが、刀は微動だにせず、ただ静かにカグヤを見守るかのようにそこに在った。



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「……というわけで、朝起きたら腰にくっついてたのよ! 接着剤みたいに取れないの!」


「ハイハイ、寝ぼけて自分で差したんだろ。お前、たまに奇行に走るからな」


現場規制線の前で、カグヤはリクに必死に訴えていたが、リクは全く取り合わない。


カグヤの腰には、あの派手な刀が軍刀の代わりにしっかりと装着されていた。


「違うってば! 取ろうとすると電流が走るんだから!」


「はいはいお前たち静粛に。仕事中だ。」


凛とした声が二人を制する。


上司であるハイマだ。


彼は厳しい口調で現場を指し示す。


そこは惨劇だった。


キャバクラ嬢と富豪が乗っていたはずの馬車は、巨大なシュレッダーにかけられたかのように粉砕され、周囲の煉瓦壁は鋭利な爪痕で抉られている。


「ここ最近、頻発している行方不明事件……神隠しにしては、血の匂いが強すぎる」


ハイマがハンカチで口元を覆いながら呟く。


カグヤは現場の凄惨さに顔を青くした。


「こ、これ……人間の仕業じゃないですよ。

....熊とか、あるいは……魔物?」


「小説の読みすぎだカグヤ。猛獣の脱走だろ」


リクが努めて明るく言うが、その顔も強張っている。


ハイマは瓦礫の中から、何か黒い粘液のようなものを指先で拭い取った。


「……ただの獣じゃない。

....もっと、禍々しい何かの気配がする」



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夜が更け、カグヤとリクはカンテラの明かりを頼りに、人気のない問屋街を見回っていた。


霧が出てきている。視界が悪い。


「……ねえリク。なんか、嫌な感じがしない?」


「怖がりだなあ。幽霊でも出るってか?」


「違うの。空気が重いっていうか……獣臭いっていうか」



....その時、路地裏から若者たちの悲鳴が聞こえた。



「行くぞ!」


リクが走り出し、カグヤも慌てて続く。


行き着いた先、便利問屋の軒先。


そこで二人が見たものは、地獄絵図だった。



数人の不良たちが、宙を舞っていた。


...いや、物理的に「舞わされて」いた。



「ヒヒ……ヒヒヒッ……」



彼らの中心にいたのは、人間ではない。


人間の手足を持ちながら、頭部と胴体が巨大なカマキリと化した異形のクリーチャー。


その両腕の鎌が閃くたび、不良たちの体が切り裂かれ、傷口から噴き出す血が黒い霧となってクリーチャーに吸収されていく。



「な……!」



カグヤは腰が抜けそうになるのを必死で堪えた。


「バケモンが……! カグヤ、援護しろ!」


リクが軍支給のサーベルを抜き放ち、躊躇なく突っ込む。


「リク、待って!」

「おらぁッ!」


リクの斬撃がクリーチャーの背中を捉える。しかし....



ガギィンッ!!



硬質な音と共に、サーベルが半ばから折れ飛んだ。


「なっ、硬ぇ!?」


クリーチャーがギロリと複眼をリクに向けた。


「ジャマ……スルナ……!」


裏拳のように振るわれた鎌が、リクを襲う。


リクは咄嗟に腕でガードするが、人間が耐えられる威力ではない。



ドガァァッ!



「ぐはっ!?」


リクはボールのように吹き飛ばされ、煉瓦の壁に激突した。


ぐらりと崩れ落ち、頭から血を流して動かなくなる。



「リク!!」


カグヤが叫ぶ。


クリーチャーの視線がカグヤに移った。


「ツギ……オマエ……」



死の恐怖。


カグヤは震える手で腰の刀――あの奇妙な色の刀に手をかけた。


だが、抜けない。



(!?........お願い、抜けてよ! このままじゃ殺される!)



その時。



ドクン、と刀が脈打った。



『姫君、剣を抜くがいい!』


脳内に直接響く声。


夢と同じ声だ。


『迷っている暇は無い! 汝の魂の叫びを力に変えよ! 早く!』


「う、うるさい! 抜けないの!!!」


『心のままに! 守りたいと願う、その熱き想いこそが鍵!』



クリーチャーが鎌を振り上げる。


カグヤの視界に、血を流して倒れているリクの姿が入る。



(嫌だ。誰も死なせたくない。私の目の前で、誰かがいなくなるのはもう嫌だ!)



「――っ! お願い、力を貸してぇぇぇぇッ!!」



カグヤは叫びと共に、渾身の力で柄を引き抜いた。



ギンッ!!



甲高い金属音と共に、夜の闇を焼き払うほどの紅蓮の炎が渦巻いた。


「ギシャァッ!?」


あまりの熱量に、クリーチャーが後ずさる。


炎の奔流の中から、一人の戦士が実体化した。


マゼンタ色の装甲、炎を思わせる意匠の兜。


彼はカグヤの前に仁王立ちし、振り下ろされた鎌を片手の甲で受け止めていた。



「え、ぇぇええ!!? だ、誰ぇ!!?」



カグヤが腰を抜かして絶叫する。


男はゆっくりと振り返り、仮面の奥から無駄に良い声で、そして暑苦しいほどの熱量で叫んだ。



「ようやく解き放ってくれたな、姫君!

邪悪を討とう、我と共に!!」



「いや、だからアンタ誰よ!!? 私の刀は!?」


「ややっ??? 家臣の顔を忘れたと申すか其方!?

戦乱が終わりし時、共に幸せになろうと誓ったではないか!! あの満開の桜の下で!」


「知らない! 誓ってない! 記憶にございません!!」


カグヤの混乱をよそに、男はポーズを決める。


「我が名はモモタロー! 姫君の忠実なる剣にして、愛の御供なりッ!」


「モモタロー!? .........ぇぇええ!!」


会話中もクリーチャーは待ってくれない。


怒り狂って鎌を乱舞させる。


モモタローはカグヤを背にかばいながら、舞うように攻撃を回避した。


「ややっ!おのれ悪鬼、姫君との感動の再会を邪魔するとは無粋千万!」


モモタローが腰の鞘から、輝く刀を引き抜く。


秘直一桃流ピーチいっとうりゅう......妖魔道断ッ!!


えんやらやぁッ!!!」


一閃。


横薙ぎの一撃が、カマキリの鎌を根元から切断した。


「ギイイイイイッ!?」


緑色の体液が飛び散る。


強い。圧倒的だ。


だが、クリーチャーの傷口から黒いモヤが噴出し、切断された鎌が瞬時に再生した。


「再生能力か……まっこと厄介な!」


「姫君! ぼーっとせず御指示を!

拙者は姫君の『推し』の力がないと本気が出せぬ身ゆえ!」


「お、推し?!」


「心の底から応援するということだ! さあ!」


「わ、わかってるわよ!!」


カグヤはパニックになりながらも、戦うこの奇妙な男の背中を見た。


不思議と、恐怖は消えていた。


彼なら勝てる。


....根拠はないが、そう思えた。


「守って........

守護って...... モモタロー!」



その言葉がトリガーだった。


モモタローの全身から、爆発的な赤いオーラが噴出する。


「承知ィィィッ!!!

覚えていたではないか! 相も変わらず悪戯好きな、拙者の愛しきお転婆姫君!!!

愛す可(べ)し!!!! 推して参る!!!!」


モモタローが大地を蹴る。


先ほどとは桁違いの速度。


残像を残してクリーチャーの懐に潜り込む。



「推し姫君の眼差しに燃えるは忠義尽くす魂……

燃えよ、魂に灯し豪炎ッ!!」



モモタローの剣が、太陽の如く赤熱する。



周囲の霧が一瞬で蒸発した。



「風桃不屈(ふとうふくつ)……月恋斬(がちこいざん)ッ!!!


どんぶらこぉッ!!!!」



ズバァァァァァァンッ!!!



逆袈裟に斬り上げられた刃が、クリーチャーを真っ二つに両断した。


断面から炎が噴き出し、怪物の絶叫がかき消される。


「南無三!!」


大爆発。


爆風がカグヤの髪を揺らす。


炎が消え去った後には、気を失った初老の男が一人、黒焦げの地面に転がっていた。


カラン、と音を立てて砕け散る黒い刀の破片。


それらから解き放たれた人々の魂が、光の粒子となって夜空へ昇っていった。



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「はぁ、はぁ……勝った……の?」


カグヤはへたり込む。


すぐに我に返り、リクに駆け寄った。


「リク! しっかりして!」


「う……ぅぅ……」


リクが微かに呻く。


息はある。


「よかった……早く救護室へ……」


「姫君!」


カグヤが振り返ると、モモタローが倒れているリクを指差してわめいていた。


仮面を被っているが、残念なほど表情がうるさい。


「その男は何奴! 伴侶か! 間夫か!

くっ、姫君がそんなふしだらな……拙者という月恋推焚(がちこいおた)がいながら!!」


「うるっさいわね! 同僚! 大事な友達!」


「トモダチ……?

....ならばよし!

.....だが距離が近い! 正直羨ましい!」


「アンタいつまでいるのよ! さっきから訳わかんない事ばっかり!

今は急を要するの! リクを運ばないと!」


カグヤの一喝に、モモタローはハッとして居住まいを正した。


「リ、リクとやらを運ぶ……承知!

姫君の頼みとあらば、火の中水の中!」


モモタローは実体化すると、軽々とリクを右肩に担いだ。


「ついでじゃ!」


「え?」


カグヤの体が宙に浮く。左肩に担がれた。


「きゃあっ!? 何すんのよ!」


「いざ、救護室へ! 神速ッ!」


「ちょ、速い速い! 扱いが雑ーッ!」



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リクの命に別状はないとの診断を受け、カグヤは救護室を後にした。


夜風が涼しい。


隣には、当然のようにモモタローがいる。


「……あのさ」


「なんだ姫君。撫安様(ふぁんさ)か?」


「違うわよ。

……助けてくれて、ありがと。

リクも、私も」


カグヤが素直に礼を言うと、モモタローは驚いたようなリアクションをし、恥ずかしそうに俯いた。


情けない姿だ。


「礼には及ばぬ。

姫君を守る、それが拙者の存在理由ゆえ」


「貴方……本当に、なんなの?」


「姫君……


......いや、カグヤ」


名前を呼ばれ、カグヤの心臓が少しだけ跳ねた。


シリアスな空気が流れる。



モモタローがゆっくりと両手を広げた。



「感動のッ......抱擁(ハグ)ッ!!!!」



ガバッ。



「な、何!? 近い! 離しなさいよ!」


「ならぬッ!! 愛しき姫君ッ、数千年越しの再会ぞ!スーハースーハー!カグヤの香りがッ!!肌の感触がッ!!天晴れッ!!!」


「変態かッ! 軍を呼ぶわよ! あ、私が軍か!」


カグヤは反射的にモモタローの襟首を掴み、一本背負いを決めた。


ドォォォン!


背中からアスファルトに叩きつけられたモモタローは、それでも恍惚の表情を浮かべているように見えた。


「……見事……これぞ我が姫君の愛の鞭……まさに撫安様....」


そのまま光の粒子となって、カグヤの腰の刀の中へ吸い込まれていった。



「……全く、なんなのよ……この刀……」



カグヤはドッと疲れが出た体を支えながら、夜空を見上げた。



退屈だった日常は、どうやら粉々に砕け散ってしまったらしい。



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闇夜に紛れ、神主のオキナが王都の方角を見つめていた。



その目は、昼間の好々爺のものではない。


冷徹で、全てを見透かすような光を宿している。



「カグヤ……目覚めたか。

『血』の宿命からは、逃れられんぞ……」



風が吹き抜け、焦げた匂いが鼻をかすめた。



物語はまだ、始まったばかりだ。

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