第2話:消失

「うーむ……」


 翌日、事務机に向かいながらそう声を漏らす。

 

 ここに限った話ではないが、東豊は前面ガラス張りの部屋が多い。

 旧文明、在学していた時代は「気取ってんな」だの「こんなところに金かけやがって」だの、小さな愚痴のような文句のようなものが湧いてきたが……。

 文明が退化したこの時代、日光を前面から受けられるというのはありがたいことこの上ない。


 だが、今はそんなことはどうでも良い。

 春の開墾や播種種まきに関する計画を、新農部長の橘と協議して片付けた後。

 休憩時間の最中だが、俺は相も変わらず事務机に向かっていた。


 課題は、史書歴史書の編纂。

 昨日、榎本えのもとと交わした約束。

 俺は委員会の、榎本は神谷圭介けいすけの伝記を編纂する。

 そういう約束だった。


 午後には帝国による被害の視察が控えているため、そう長い間記すことは出来ないが……。

 二十分ほどの余裕はあるだろう。

 

 これは、二つが同時に存在して初めて意義のあるものになる。

 どちらも欠けてはいけない。

 いけないのだが……。


「わからんっ!」


 思わずそう独り言を口にしてしまう。

 当たり前だが、一年前までは俺もペーペーの高校生。

 史書の編纂なんかしようと思ったことすらない。


 とりあえず、形式としては年表でまとめたものや一人称視点など、様々な編纂方法があるが……。

 委員長就任後の貴重な時間を使うからには、全て書き直しというムダなことは避けたい。


 しかし、最初に何を記載するべきかぐらいは、既に見当がついている。

 それは……。


「消失……だな」


 あれを抜きにして今を語ることは不可能……というよりも無謀だ。

 これは例え話だが、ある日「重力が反対になり全員が宙へ落ちていく」「水が100度ではなく40度で沸騰するようになる」。

 そんなレベルの「この世が根底からひっくり返るレベルの事象」こそが”消失”なのだから。


「とりあえずまとめるか……」


 一旦ノートパソコンを開き、書き連ねる予定のことを記していく。

 本当なら紙に直接書きたいが、紙は製造技術が無いため貴重。

 太陽光や水力から供給できるため、ノートパソコンを動かす程度なら電力のほうがまだ経済的だ。

 

 そのため、あくまで殴り書き。

 とりあえず思いつくことを書いていって、後から紙へ直接本稿として整理すればいい。


 消失の初期は、俺は四つの段階に分けられると考えている。

 初期……最初の一ヶ月で四段階だ。


 まずは第一段階、消失だ。


 ――――――第一段階――――――

 消失は2025年の4月9日、世界標準時20時50分ごろに発生した。

 日本では4月10日の日本時間5時50分ごろ。

 生物学的年齢が19歳以上の大人が「突然にして」消えたのだ。

 これは、大人の「消失」を目の前で目的した者の証言による。

 

 文字通りの「消失」。

 大人は死体や血痕の一滴どころか、身につけていたものすら残さずに忽然こつぜんと「消失」したのだ。

 

 これはもちろん、札幌に限った話じゃなく世界中で同時多発的に例外なく発生している。

 「消失」後、僅かな期間残っていたSNS上で言語圏問わず大混乱が発生していたのは、筆者の記憶に新しい。


 間違いなく人類史で最も甚大な被害を及ぼした災害だ。

 大人の消失について、ある者は咽び、ある者は歓喜した。

 ――――――――――――――――


 ……こんなところだろうか。

 

 俺は元より親との関係が良くなかった。

 父は俺のことを祖父に復讐するための道具としか見ていなかった。

 だから、消えて精々した。

 

 ……少しだけ、寂しくもあるが。

 これが強がりであるのは、言わずとも分かるだろう。

 

 この話は一旦傍に置いておくとして、問題はまだ終わっていない。

 生き残った者たちへ降り注ぐ厄災は、むしろこれからだった。


 第二段階。

 消失発生直後から一週間の期間だ。


 ――――――第二段階――――――

 第二段階の特徴は、大人による「管理」の概念が消失したことによるインフラの停止である。

 電力、インターネット、食料供給、上水道など。ありとあらゆるインフラの管理が停止する。


 発電所では炉への燃料の投入が止まり、業者による食料の運搬も途絶えた。

 電力は蓄電や再エネ発電、食料は店舗などに備蓄などがあるため、即時枯渇とはならないが、それらの「枯渇のタイムリミット」が始まったという事実からは目を背けることは出来ない。


 次に、親の手を要する乳幼児や医療・介護の助けがなければ生きられなかった人々の多くが数日のうちに命を落とした。

 実数値は不明だが、推定では乳幼児の八割以上が管理を受けられずに死亡したとの試算も存在する。


 また来たるべき第三期、第四期の脅威に対して、多くの学生がこの第二段階の時点では気が付くことが出来なかった。

 これも後の被害を大きくした要因だろう。

 市井には減少した人口を数ヶ月賄うだけの食料が存在し、公衆衛生もまだデッドラインを割ることはない。

 そのため、大抵の学生にはこの期間は「多少不便な自由」として写ることだろう。

 

 もちろん、その後に控える食料枯渇などの分かりやすい危機の可能性を察知した場合でも。

 多くの者が見てみぬふりをした。


 しかし、消失発生後から六時間後。

 東豊学園の生徒会長、神谷圭介は学園共同体として東豊学園自治委員会を発足した。

 これは非常に先見性のある行為であった。

 ――――――――――――――――


 とまあ、こんなところが第二段階だ。

 

 俺も創設メンバーに誘われたが、一旦拒否した。

 俺は、恋人の芹沢朱音と、その弟たちと共に過ごすことを選択した。

 元より勉強三昧の日々。どう生きれば良いか分からず、路頭に迷っていたのもあるだろう。

 

 だが今になって考えれば。この選択は愚かだったと言わざるを得ないだろう。

 なんせ、既に次なる悲劇は始まっていたからだ。

 

 前提としてこの世には大人の助けが無いと生きていけない人々がいる。

 乳幼児は、その筆頭格だ。

 多くの乳幼児が飢え、死んだ。

 その頃の俺には、そんなことは考えつきもしなかった。

 

 ……時間を巻き戻せるならば、消失前に戻りたい。

 だがもしも神が消失前への巻き戻ししか許さないならば。

 俺は、一人でも多くの子供を救うように動くだろう。

 ベビーホテルを探索している時に目にした、名前も知らない乳児の遺体が脳裏にチラつく。

 

 可能なことなら思い出したくないが、忘れるわけにはいかない。

 もう俺は、忘れられるような無責任な立場には居ないのだから。

 

 そして期間は、第三段階に入っていく。


 ――――――第三段階――――――

 消失から一週間後。

 この頃から、消失の二次災害はより一層深刻化していくこととなる。

 

 消失から数日が経つ頃には、札幌市域の電力網が完全に死滅。元より偶発的な停電が多発しており、その兆候は現れていた。

 最初は数時間で復旧していた停電が丸一日続き、最後には電気が点くことはなくなった。

 

 独立した太陽光パネルなどは生き残ったが、それ以外の電力網は完全に死滅した。

 それに伴い、インターネットも完全に停止。


 それ自体は死の一線デッドラインでは無かった。

 問題は、物流が止まったことによる弊害がより顕著に現れ始めたところだ。

 

 前述の通り、物流停止は消失直後には既に発生していた事象だ。

 当たり前の話、学生は日頃食料を生み出していない。

 趣味で家庭菜園をしている者もいるかもしれないが、あくまで趣味の域を出ない。

 つまり何が起こるか。

 

 街から、食料が枯渇していく。まだ死ぬレベルではない。

 だが生鮮食品が腐り、冷凍食品は溶け、目に付くのは保存食だけ。


 多くの者は、その後に控える危機に気が付かなかった。

 いや、そうとは言わせない。気付いても、気が付かぬふりをしたのだ。


 また、治安の崩壊も深刻だ。

 街には消失以後に出来た多くの血痕が散見された。

 法を取り締まる者も居なければ、守る者も減ってゆく。

 この世界では、日本国法は無いも同然となっていた。

 ――――――――――――――――


 実際、この頃になってやっと俺も動き始めた。

 路頭に迷っている暇はなくなった。

 既に、消失後のモラトリアム自由な期間は終わりを告げていた。

 タイムリミットが、迫っていたのだ。

 

 とは言っても楽観視していた奴らを見下すわけではない。

 俺が動き始めた消失後から半月というのは、本来なら遅すぎたぐらいだ。

 

 しかし。俺には行く宛があった。

 神谷圭介の下へ。

 俺は朱音とその弟たちを連れて、やっと母校、東豊学園を訪れたのだった。

 

 ……これより先は、消失とは少々関係の無い内容になってしまう。

 一旦は置いておこう。


 ここまでで大人の手を借りないと生きていけない人々が死に絶え、電力やインターネットが途絶。

 そして食料枯渇の兆候、終いには市井での暴力沙汰の横行。

 この時点で世紀末フルセットだったが……まだ脅威はあった。


 第四段階だ。


 ――――――第四段階――――――

 第四段階は、消失から半月以降の段階だ。


 この期間は、公衆衛生の本格的な崩壊の始まりにある。

 疫病の脅威が、私たちの身を脅かし始める。


 2025年、5月2日。

 その日は、かなり強い雨脚だった。

 とはいっても石狩や豊平の川が氾濫を起こしたり、暴風で街が破壊されるほどではなかった。

 では何が問題だったのか?


 顕著だったのは、札幌市北区だ。問題は下からやってきた。

 マンホールから、側溝から、住宅のトイレから。

 下水が、溢れ出してきたのだ。


 北区以外では、文明崩壊後でも上手く排水機能が働いていたためにこのような惨状にはならなかったと考えられる。

 とにかく、北区とその周辺は溢れ出た汚水の湖と化した。


 そして雨上がりの数日後、多くの者が腹痛を訴えたという。

 赤痢、ノロウイルス、カンピロバクター。

 汚水は、瞬く間に感染症を呼び起こした。

 

 東豊でも、ごく少数ではあるが感染者が出た。

 そして罹った者の少なくない割合が、死んだ。


 筆者は、その現地の様子を見ていない。

 だが、派遣されて帰って無事帰って来た者たちは、皆が揃ってこう口にした。

 「……地獄だった」と。


 以後、北区は無人地帯となった。

 かつて北区と呼ばれていた場所には、今は市街地と汚泥の沼地だけが存在している。

 

 北区から逃げ延びた人々の多くが、東豊や中央区へやってきた。

 この時受け入れた労働力で、東豊は発展していくことになるのだが……これはまた別項で語ろうかと思う。

 ――――――――――――――――


 派遣員の報告書に、俺は今になっても度々目を通す。

 そこには、ただ単にこうとだけ書かれている。「北区下水パンデミック推定死者:数百人以上」と。

 こう淡々と書かれていることが、より恐ろしく感じた。


 北区の惨状は目にしていなかったが、赤痢の恐ろしさは身に沁みて理解していたつもりだった。


 2025年5月9日、俺は圭介から物資収集の指示の役割を与えられていた。

 市井に出て、十数人を指揮。

 食料や道具などの物資を集めてくる、最も危険な役割だった。


 しかし危うく死にかけるところだった。

 それは野盗の類などの、分かりやすい脅威ではなかった。

 仲間の一人が、俺が手をつけないよう指示したはずの、汚水が入り込んだコンビニの菓子に手を出したのだ。

 結果、その仲間……宮里といったか。彼は赤痢という病気に罹った。


 当時の俺にはそれが赤痢だということは分からなかった。

 病名は、俺が目にした症状を医療班と照合した結果、後から分かったものだ。

 最初は食中毒か何かだと判断したが、その頃には北区の惨状が噂程度には流れてきていたこともあり、俺は一応の策として宮里を半ば監禁する形で隔離した。


 潜伏期間の短かったこと、隔離が幸いしたことが要因となり、奇跡的に彼以外に感染者はでなかった。

 しかし、彼にとっては辛いのはここからだった。

 下痢、嘔吐、発熱。

 腹部の痛みを訴え、俺が隔離のために監禁したものあって彼は発狂し、鍵の掛かったドアを叩く音が、拠点にしていたビル中に響き渡った。


 ゴーグル、マスク、ゴム手袋、全身長袖長ズボンで看病に挑み、吐瀉物や便、看病に使った用品はまるごと焼却した。

 自ら看病を買ってでたとはいえ宮里のようにはなりたくなかったため、川で全身を清めるまでは水の一滴すら飲まなかった。

 

 幸い、綺麗な水と食料を十分に与えられたこともあり彼は完治した。

 だが赤痢が治ったあとの彼は、見るも無惨なほど痩せていた。

 あまりに急速に痩せたため、頬の皮が老人のようにたるんでいたのを今になっても思い出す。


 その後、俺達は無事に東豊に帰ることが出来た。

 俺達の班自身も東豊から自主的に隔離していた。

 そのため、東豊へは一週間以上戻らなかったこともあり心配を掛けた。

 文明崩壊によって再び脅威となった感染症の恐ろしさを、身を持って体験することとなった。


 だが、これはあくまで俺が指揮していた班の話。

 感染の中心地だった北区の惨状は、もはや考えたくすら無い。


 ――以上が、消失から短期間で現れた弊害だ。

 消失は、厄災だった。そう言うほかは無いだろう。

 結果から言えば、俺達は仮初の自由と代償に大きな試練を強制的に背負わされた事となる。

 

 しかも、これは札幌に限定した話だ。

 他の地域では、その地域特有の厄災が舞い込んできているのだと、容易に想像出来る。


 ひとまず、消失から一ヶ月までの整理はここまでだ。

 残りは、また夜に時間が出来た時にでも書き足せばいい。


 だが、生憎情報量が多い。

 これをどうやってまとめるか、だが――。


 その時。

 誰かが、ドアを「コンコン」とノックする。


「……帝国兵か?」

 

 だが誰にしても入れるわけにはいくまい。


「入ってく――」


 そう言う暇もなく、一人の女性が駆けてくる。

 茶髪にロングのポニーテール。確かこの女性は、外交室で働いていた女性だ。

 高校制服は前ボタンがかけられておらず、仕事着だったところに急いで制服を羽織ってきたのが見て取れる。


「外交室長の橋倉と申します……ぶ、無礼をお許しください……」

「大丈夫だ、だがそんなに急いでどうした?」


 だが、室長ほどの地位の者がこんなに急いでやってくるとは。

 その右手には、一通の手紙が手にされていた。

 通常、俺宛の手紙や書簡は事務室を通すものだが……。


「こ、こちら最重要案件です……原文そのままです、どうか今すぐ……!」


 息を切らしながらそう口にした女性から、その手紙を受け取る。

 手紙は、 一見なんてこと無い封筒。

 しかし、外交部が確認するためにそうしたのか、既に蝋封ろうふうは開けられていた。

 

「こ、これは……!」


 思わず息を飲む。

 

 蝋には「帝」の文字が刻まれている。

 いまの札幌で、わざわざこんな装飾を刻む余裕のあるやつは一人しか居ない。

 しかも、この封を見るのはこれが初めてじゃない。

 まだ圭介が生きていた頃、帝国からの最後通牒にもこの「蝋封」が刻まれていた。


 俺は手を震わせながら、その中身を丁重に取り出す。

 茶色い紙に筆で書かれた文字が目に入った。

 

 差出人は、俺達を弾圧している千歳帝国の皇帝。

 輝井雄御てるいゆうおうからの、千歳と東豊の首脳会談の要請だった。

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