第1話:求めぬ椅子
不愉快だ。
俺が今、この椅子に座っているという事実が。
東豊学園自治委員会委員長室もとい、旧東豊学園高等部校長室。
そして本来、委員長が座っているはずの椅子に俺は座っていた。
事務机用の椅子だというのに、ウールをふんだんに使っているのか非常に座り心地が良い。
滑らかに倒れる背もたれも、椅子についている滑らかなキャスターも。
この「消失」後の世界では、非常に贅沢とされる品々だ。
一つ気に入らないことがあるとすれば、この椅子は俺にはフィットしないことだろうか。
要因は簡単に思いつく。
長い間圭介が座っていて、椅子の方がその身体の形を覚えているからだ。
椅子の方から拒まれている。そうとさえ思えた。
では、なぜ俺がこの椅子に座っているか。理由は単純だ。
前委員長の神谷圭介が死んだからだ。
神谷圭介、あいつはお人好しが過ぎた。
誰にでも手を差し伸べ、外交の場ですら贅沢を嫌い、帝国侵略の直前ですら誰を犠牲にすることも算段に入れていなかった。
旧文明時代、あいつは政治家志望だと自分で口にしていた。
だが、この際はっきり言おう。
あいつは政治家にあまりにも向いていなさすぎた。
俺には野心もあった。
委員会での頭角を現して政治の主導を握り、いつしかあいつの口から「委員会をお前に任せる」という言葉を貰い、委員会の長に就こうと本気で思っていた。
だが。こんな形で叶ってしまった。
「俺は、こんな結末は望んじゃいないっ!」
棺を閉じる直前、苦しみから解き放たれたような表情をしていた圭介の顔がちらつく。
絞り出すような独白が、思わず溢れ出る。
もう、圭介はいない。
やるせない気持ちに乗せられるまま、外へと目を向ける。
校長室をそのまま転用した委員長室は、窓の一面がガラス張り。
室内はロウソクの光で若干明るいのもあり、窓には俺の顔がよく写った。
黒のスーツに対して、肩幅が大きいせいでパツパツに見える。
毛束の強い黒髪に、凛とした顔つきが我ながらよく映えた。
だが、この椅子に座る者としては。相応しくないと断言できるだろう。
ガラス張りの窓の下、目に入るのは黒い喪服に身を包んだ小さな人集り。
ある者は腕を組みながら俯き、ある者はハンカチで目を拭い、ある者は悲しみを分かち合おうと抱き合っていた。
葬儀そのもので悔いるところがあったとすれば。
火葬の方法を知らなかったがゆえ、遺骨を拾うことができなかったことだろうか。
半端な火力で焼いて遺体が生焼けになっては元も子もない。
そのため圭介は、自然公園の小高い丘の上に掘られた深い、深い穴の中に埋められた。
かつての葬儀屋から棺を引っ張ってきての葬儀だった。
せめて、棺だけでも自慢できるものにしてやりたかったからだ。
だが、その丘に埋められるのは圭介だけじゃない。
帝国軍の侵略で、圭介以外にも百名以上が犠牲になった。札幌全体で見ればもっとだ。
あまりにも、多くのものをこの侵略で失いすぎた。
そんなことを思いながら再び校舎の下、喪服に身を包んだ者たちへ目を向ける。
その中には、黒川や橘などの知っているメンツもいた。
榎本が居ないのだけ気がかりだが……バカなことを考えないか心配だ。
榎本は特にかわいそうだ。
聞いたところによると、榎本と圭介は帝国軍侵攻の直前に身体を結んだらしい。
お互い、初めての恋人だった。それがものの数日で未亡人とは……。
……言葉が出ない。
とにかく、今は皆が胸に秘めた思いを語りつつ、神谷圭介の死を乗り越えようとしているのだ。
……そろそろ認めよう。かくいう俺も、さっきからハンカチを手放せていない。
涙を拭きすぎているせいか、目の周りがじんじんと熱くなっている。
瞬間、下の人集りの誰かと目が合った。
窓から目を背け、机の方へ目を向ける。
泣いているところを見られたくないわけではない。むしろ下の中に混ざりたいぐらいだ。
だが、俺はもう人に涙を見せる立場には居ないのだ。
机の上には、春の開墾や配給計画に関する書類や書籍の山々が積み重なっていた。
あいつは仕事人だった。あいつがこの書類の山に手を伸ばす姿を見ることはないだろう。
今になって思ってみれば、俺はあいつを慕っていたのだろう。
あいつにはカリスマ性があった。
カリスマとは言っても身近で、親しみやすいそれだ。
かくいう俺や猪木も、圭介に惚れ込まされた人間のうちの一人だ。
それだけじゃない。この委員会の下で暮らす数千人の上にあいつは立っていた。凄まじい重圧だろう。
だから、まだだった。
あいつには、もっと長い間俺の上に立ってもらいたかった。
だが、あいつはその前に死んだ。
四日前の帝国軍侵攻の際、あいつは帝国軍の発布した「神谷圭介の処刑と引き換えの即時停戦」に、まんまと乗ってしまった。
俺は止めた。
「行くな」「俺達にはまだお前が必要だ」「お前がいなくなったら俺達はどうすれば」
そんな言葉には耳も貸さず、あいつは最期に二つの命令を遺した。
「次期委員長を藤原英治とする」そして「絶対に助けに来るな」の二つだった。
猪木は、その命令を下されてもなお。掴みかかってまであいつを止めようとした。
だが。俺は、耐えられなかった。
あいつの覚悟は決まっていた。確かな志を持ち、死にに行く男の目。
そんな男の覚悟を、それ以上無碍にはできなかった。
そんな経緯を経たうえでの葬儀だった。
あいつの遺体が返ってきた時は目を疑った。
本来敗戦国の殉職者の葬儀など、普通に考えて許されるわけがないのだから。
だが、どういうわけか帝国からは20人未満の個人葬であればと許可が出た。
その代わり、圭介の墓は帝国軍の監視下に置かれる事となるとの達しもあった。
墓参りに行くにしても、帝国の監視が入る。
屈辱だ。
「くそっ……なんであいつが……」
たった一人きりの委員長室に鼻をすする音が響き渡る。
それと同時に、涙と言葉が不意にこぼれた。
その時。委員長室のドアに、誰かが二度コンコンとノックする。
ハンカチで目元に残った涙を拭き取り、ポケットへ仕舞う。
帝国兵の見回りだろうか。
ずっと張り付かれていないだけマシだろうが、気がつくとドアの前に居たりして毎度ヒヤヒヤする。
「入ってくれ」
「では……失礼します」
そう言って入ってくるのは。
ロングボブのブロンドヘアーが特徴、背丈は女子平均のそれを下回る小さな少女。「榎本ちあき」だった。
世間一般には、身長に反して大人びた顔つきをしていて、どうやら美人らしい。
「……もう、いいのか?」
「……ええ。もう、大丈夫です」
そう言う彼女の手の甲にはまた一つ、新しい涙粒が落ちた。
……どうやら、まだ大丈夫ではないらしいな。
だがそれをわざわざ口にするのも野暮ってもんだ。
「何か飲むか?」
そう何気ない会話を挟みながら、榎本をソファに案内する。
とは言っても、冷めた茶ぐらいしかないが。
そんなことを考えながら急須から緑茶を注いでいると。
榎本が俺の顔を見て、ふとこんなことを言い出した。
「……委員長も、泣いてらしたんですね」
――一瞬、榎本が圭介の幻覚を見ているのかと思った。
彼女は俺達より一つ歳下ながら、健気に付いてきていた。
彼女が圭介を「委員長っ!委員長っ!」と呼ぶ声は、最近のようにも、遠い昔のことのようにも感じられた。
……だが、ここで俺は気がついた。今の委員長は俺なのだ、と。
同じ「委員長」という言葉のはずなのに。その重みが、まるで違うことに気が付かされた。
「……気付かれてたか」
少し照れながらも、榎本とは机を挟んで反対側に着席する。
「ええ、目の周りを赤くしてらしたので」
一個歳が違えば、かなり価値観も変わってくる。
だが、今の榎本と俺は。圭介の死という一点の下、お互いに分かり合えている。そう確信できた。
「外の帝国兵の様子は?」
「昼間に比べれば少ないですが……それでも、監視の目が行き届いていると言い切れるほどには……」
「そうか……」
現在、ここ東豊学園は千歳帝国軍の占領統治下に置かれている。
何気ないどんな一言が、俺達の命取りになるか分からない。
常に聞かれている。
笑い話一つにも、いちいち言葉を選ばなきゃならない。
そんな窮屈さに息苦しさを覚えながら、ここ数日は過ごしていた。
だが。そんな環境下でも、頼まねばならないことがある。
「榎本農部長……君にしか頼めない仕事がある」
「私にしか……できない……仕事……?」
そう伝えた後、立ち上がり委員長室の棚へと向かう。
委員長室の本棚は、一週間前はひどく散らかっていたものだ。
帝国軍の侵攻計画を受けて、委員長室は一日を通して混乱していたからだ。
だが、今は逆に整理されているといえる。
それはなぜか。
数日前、帝国軍のガサ入れが入った。
神谷圭介という個人を記したものは、片っ端から抜き取られて焼かれてしまった。
圭介の名が刻まれた行政書類やメモ書きは残されたが、それは神谷圭介という人間像を補いきるには足りない代物だった。
整理されているのは、荒らしたいだけ荒らした帝国兵が去った後に、書記たちに手伝ってもらい整理し直したからであった。
そんな棚の中から分厚いノートをそっと一冊取り出す。
ノートとは言っても、市販の厚手のノートをつなぎ合わせた……もはや、一冊の辞書と呼んだ方が良いような代物だった。
そんな代物を、榎本と俺との間にボスンと置く。
微かに溜まっていた埃がふわりと舞った。
「これは……?」
「これはだな、委員会が創設されてはや11ヶ月間の、行政記録や統計、諸々のルールや書簡をまとめたものだ」
目を通した榎本は、相変わらずぽかんとした表情を浮かべていた。
それもそのはずだ。このノートは、圭介が殴り書きで書いたものだ。
内容も、日付も、そして書類の系統まで点でバラバラだ。到底、
「けどな。これを、こうすると……」
不規則なページに挟まっているノートのページが、ノート本体から分離する。
これだけは、ノートと結びついていない。ノートに挟まれただけの紙。
それを引き抜き、並べていくと……。
「これって……!」
(しーっ!名前は出すな!)
彼女の口を押さえつける。決して、彼の名前を出してはいけない。
点でバラバラ、ちぐはぐだったはずの殴り書きは、それが一枚、また一枚と積み上げられるたびに神谷圭介の日記に変わっていく。
「これだけじゃないぞ」
使用済みのAEDやくり抜いた使用期限切れの消火器の中からも、書物がぼろぼろと出てくる。
消失以前から圭介が書いていた日記や、個人的に宛てた手紙、独白がまとめられたメモ書きまでもがでてきた。
俺は圭介が死にに行った時点で、圭介の存在が抹消される可能性を考慮していた。
だから帝国兵の視野の外を徹底的に攻め、圭介個人の重要文書を秘匿した。
幸い、帝国兵のガサ入れは徹底していたが、読み込むわけではない。
ページを数えるほど几帳面でもない。ざっとめくって、目に付く人名と印章だけを抜いていった。
ずさんなことこの上ないだろう。俺ならこの部屋のガサ入れだけで丸一日は時間を費やすだろう。
だが、これを何に使うのか。
榎本にはしばらく休ませて感傷に浸ってもらう?それも悪くないだろう。
しかし、俺の考えは違う。
「俺は、この委員会の史書を編纂しようと思っている」
東豊学園自治委員会。まだ成立して一年経たず、短い歴史しか持たない自治組織だ。
だが、こうして帝国により占領統治下に置かれている今。
いつ、俺の首が挿げ替えられるか分からない。そして、今の俺にそれに抗う余力はない。
だから、つなぐのだ。
俺達に「もしも」があっても良いように。
東豊はもう小さな組織ではない。
「消失」後において札幌有数の組織となっており、万を超える人々がその日の食事を東豊の作物で繋いだ経験がある。
最悪、俺達が何も残せなくともその名は残り、その理念を継ぐ者も現れるかもしれない。
けれど、圭介は?
圭介は、一年弱の間委員会を治めていた。
だが、その個人を知る者は少ない。
繋いでくれた彼自身が、忘れられる。
そんなことがあって良いものか。
本当は、榎本には何もさせず寝かせてやるべきなのかもしれない。
けれど。これがきっと、彼女のためになると信じて。意を決して口にする。
「君は疲れている。だからしばらく仕事を休め。そして君には……
「……!」
榎本は両手で口を抑えながら、収まっていたはずの涙をぽろぽろと流した。
涙粒が日記に落ちないように、彼女は落ちた涙一粒一粒をすくい上げるようにして泣いた。
「私が……っ!こんな大役、担っていいんですかっ……?」
「いいや……これはむしろ、君にしかできないことだ」
そう言って、彼女の背中を押す。
実際、これは幼馴染でもある榎本が適任だ。
俺と圭介の付き合いはせいぜい中学からだ。幼少を共に過ごしてきた身にしか分からないこともあるだろう。
「農部長代理は、既に橘に頼んである。大丈夫だ、元はあいつが居た場所だ。元鞘に収まるだけ。気にする必要はない」
「ありがとうございますっ……ありがとうございますっ……!」
俺は、圭介が繋いだものを決してムダにはしない。
今残念なことがあるとするならば、圭介本人の名前をここで出すことができないことだろう。
だが、今は臥薪嘗胆の時。
耐えるしかないのだ。
いつしか、彼の死を心の底から悼める日を夢見ながら。
俺は、静かな闘志に薪を焚べたのだった。
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