チルドレンズ・アポカリプス
大和ユキ
プロローグ:冬の終わりに
執行の日。2026年、3月3日。
俺は最後に、この小高いマンションの屋上から、札幌の街を眺めることを許されていた。
3月とはいえ、札幌はまだ冬の最中にある。
すこしずつ雪解けが進むかどうかの時期で、屋上へ上がれば冷たい北風が俺の体温を容赦なく奪う。
外気に晒せば手指の先は冷たくなり、まともにペンを握ることすら許されない。
「時間制限は15分だ。これは
「ああ、分かっている」
女隊長の声は、教科書に書いてある文言をそのまま読み上げる生徒のように、抑揚がなかった。
本心から言っているのかどうかも分からない。
女隊長は、小銃を手にした数名の男どもとともに俺を取り囲んでいる。
逃げ場はない。怪しい行動を起こせば、俺はすぐにでも銃殺されるだろう。
もとより逃げ出そうという気はもっぱらなかった。
屋上の柵の近くへ立つ。
かつて多くの往来があった幹線道路は雪の下に埋もれ、雌伏の時を迎えている。
そこを泳いでいたはずの車も、今となっては使い道のないただの瓦礫と化している。
遠くで風が吹き、朽ちたビル看板の金属がきしむ音がする。
手が震える。
寒さのせいかと思いポケットをコートの中に突っ込むも、震えは収まらない。
『俺の死で守れるものがあるなら、それでいい』
そう、考えていたのに。
どうやら、俺はまだ死ぬのが怖いらしい。
"神谷圭介委員長の処刑"
それが、委員会が降伏する唯一の手段だった。
何か偶然が重なり、ここから抜け出せたとしよう。
その瞬間、帝国軍が動き出し。俺の母校は焼かれる。
田畑は焦土と化し、書物は川に流され、見せしめに多くの者が犯され、殺される。
そして、皆が奴隷として連れて行かれるだろう。
榎本も、猪木も、英治も、橘も。
俺が知る者すら生き残れる保障は、どこにもない。
そんな未来を想像するだけで身の毛がよだつ。
けれど、あいつらはバカで、仲間思いが過ぎる。
特に英治と猪木は、どんな犠牲を払ってでも俺を解放しに来るだろう。
だから、俺が委員長として最後に遺した命令はたった一つだった。
「助けに来るな、これが最後の命令だ」
簡単な命令だ。
引き継ぎ作業をこなし、ただ東豊の母校で待っていればいい。
今頃、引き継ぎの作業が終わろうとしている頃だろうか。
東豊の方へ目を向ける。
ここから東豊は遠い。ここ豊平区から東豊は、豆粒のようにしか見えないだろう。
二日前までは業火の渦巻いていた街並みも、いつしかその火の手は収まっていた。
東から登った朝日が、焼け残った街と降り積もった雪を照らす。
最期だからか、消えてしまった父の顔が浮かんだ。
父はテレビの中の政治家ではなく、札幌で一緒に暮らしていた“手の届く政治家”。
俺が反抗期に入るまでは、父が俺の生きる最大の指針だった。
だが、父は多数を生かすため、少数を犠牲にしたのだ。
現実的な選択肢だ、と父は言っていた。
そして親の元を離れて……いや、離れさせられて初めて、世界は、俺の理想だけで乗り切れるほど単純でないらしい、と理解できた。
そんな時、父の「現実」がちらついた。理想を、捨てねばならないのだと。
いつまでも、理想に生きていたかった。
多くの者を助け、幸福な、素晴らしい社会を築いていきたかった。
だがそれも限界があった。
だから、繋いだ。
現実に耐えられる者へ。俺には、重すぎる枷だった。
「……後は、任せた」
誰に言うでもなく、そう口にして帝国兵たちの方へ
「もう大丈夫だ、行こう」
「分かった」
帝国兵の女隊長にそう告げると、隊長は目線を階段の下にやった。
「降りろ」という言葉すら使われない。
ぞんざいに扱われているのが手に取るように分かる。
帝国兵に囲まれ、階段を降りていく。
屋上は九階。
200段と聞けば、今までの俺なら多すぎると愚痴を漏らしたろう。
だが、その200段が、こんなにも惜しいと思える日が来るとは、今になるまで思いもしなかった。
一歩、また一歩と。周りを帝国兵に囲まれているはずなのにも関わらず、自らが段を降りる音だけがいやに響く。
102、101、100、99。
俺の死へのカウントダウンが刻まれていく。
毅然とした態度をとってはいるが、死ぬのはやはり怖い。
遺してきた恋人、仲間たち。やりのこしたことも山ほどある。
だが。
背筋を伸ばし、呼吸を整え、堂々と歩く。
今、死ねるのならば――。
「……本望だ」
直後、階段はゼロを数える。
マンション前の小さな公園に立ち並ぶは、小銃を構えた帝国軍の兵士たちだった。
帝国兵ですら、緊張の面持ちをしていた。
その中で、たった一人、頬の緩んでいた俺だけが、この場で浮いている気さえした。
彼らにとっても、歳のそう変わらない青年を撃ち殺すのは、そう簡単な仕事ではないのだろう。
俺はコートを脱ぎ捨てた。
姿を現したのは、キャラメル色のブレザー。
その先端が鋭くなるほど整えられた襟、目のラインから垂直に降りるネクタイ、シワの一つもないシャツ。
母校、東豊学園高等部の制服。
これが、俺の選んだ死に装束だ。
一つ、惜しいところがあるとするならば。
左腕に付けていた「東豊学園生徒会 会長 神谷圭介」という腕章を、英治へ渡してしまったことだけが気がかりだった。
死に装束になったあと、街灯を背に両手を縄で縛られる。
俺の手はもう、自由になることはない。少し動かすだけで、皮膚が縄や街灯に擦れて痛む。
この時、俺がクリスチャンでないことを心底感謝した。
神を信じていたのなら、両手を合わせ祈ることすらできないこの状況は耐え難かっただろう。
帝国軍が俺を中心に半円状に立ち並び、その後ろに――皆が立つ中で、たった一人の男が、背もたれと肘掛けのある椅子に腰掛け、ふんぞり返っていた。
185センチはあるかというほどの巨体。
熊から直接剥いだ皮をマントのように被り、その下にはベージュのコートを羽織っている。
頭髪は濃い茶髪のロン毛で、パーマがかかっている。
顔立ちも整っており……一言で言うなら、威厳があった。
こいつが……皇帝、
二日前、投降したときに話した印象が、これでもかというほど残っている
なぜ彼がここにいるのか。
“戦利品”として手に入れた俺自身が死ぬざまを見に来たのだろうか。
俺達の街を焼いた張本人。悪魔。
だが、俺はその悪魔を前に何もできない。
そして、その悪魔さえもが、俺とそう歳の変わらない青年であった。
帝国兵の、わずかな動揺だけが場に滲むなか。
将校が前に出て、俺の罪状を読み上げる。
内容は主に、帝国の侵略から札幌を防衛したことによるものだった。
(立場が変われば善行も罪、か)
敗者の善が、勝者の善により悪に塗り替わっていくさまをまざまざと見せつけられる。
そして罪状の読み上げが終わると、俺は麻袋を被せられた。
いずれ、塗り替えられてしまったこの「善」が、誰かにより善に再び塗り替わることを祈る。
『あとは任せた』
委員長室で、皆へ繋げたあの言葉。
『愛している』
寝床を共にした榎本の温もり。
『これが俺の役目だ』
俺を行かせまいと怒鳴った猪木の表情。
俺は、いつからか察していた。
理想を胸にする、俺が必要とされる時代は終わったのだ、と。
そしてこれが俺の最後の役目。俺が死んで、皆を生かす。
俺は、もしかすれば自分に酔っているのかもしれない。
理想のうちに死ねるなら。
役目を全うして最期を迎えられるのなら。
「これより、神谷圭介の死刑を始める!」
合図と共に、帝国兵が俺へ同時に銃を向ける音が耳に入る。
あとは、誰かが令を下すだけで、俺の命は潰える。
「構えっ!」
俺の選択がすべて正しかったわけじゃない。
だが、間違い続けながら、それでも前に進もうとした時間だけは……消えない。
東豊を頼む。英治。榎本。みんな。
ここから先は、お前たちの方がきっと上手くやれる。
冬は俺と共にここで終わる。
――あいつらの春はこれからだ。
「撃てぇ!」
将校の号令と共に、俺の目にはまぶたを下ろす感覚だけ残る。
そして。
その目が開くことは、二度と無かった。
******
――これは、誰も聞くことのない独白。
子どもたちだけの、過酷な世界。
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