愛が世界を救った話

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愛が世界を救った話


 ここ十数年ほど、大陸のあちこちで魔物が狂暴化して人々を苦しめている。いくつもの小さな集落が閉鎖して近隣の街に吸収され、どの国の軍も防衛にかかりきりとなり、事態を収束させる術がない。

 激化の一途を辿る争いに終止符を打つため、我がアベスタルグの国王ミフルは勇者の選定をすることにした。

 占星術師によればこれら魔物の活性化の原因は、最果てにある繭の塔に住む魔王にあるという。そこに乗り込み決戦を果たせるほどの勇者は、ただ一人。


 ミフル国王の勅命はアベスタルグ王国の聖騎士にとってこれ以上ない名誉だった。だが俺自身の内心は別物だ。玉座の間に響く切実な声を聞きながら、こぼれそうになるため息をなんとかして飲み込んだ。

「君にしか頼めないんだ、アタル。悪しき魔王を討伐し、皆を救ってくれ」

 当然俺がそうするであろうことを信じ切っている親友の言葉に重々しく頷き、仕方なく勇者の仮面を貼りつける。

「聖騎士の名誉にかけて、必ずや魔王を討伐してみせましょう」

 本音を言えば面倒くさい。俺がやらねばならない理由はなかった。あるのは俺がやるのが一等手っ取り早いという厄介な事実だけだ。


 そもそも魔王とは何なんだ。堕落した魔道士か、それとも醜悪な化け物か、いずれにせよ不細工なおっさんだろう。そんな得体の知れない輩のために、なぜ俺が命を懸けねばならんのだ。

 俺が大陸一の実力を持っているからだった。

 第一、世界平和はともかくとして、もしここで俺が断れば親友ミフルの顔に泥を塗ることになり、国一番の美女である王妃にも失望されてしまうだろう。それは嫌だ。

 友情と世間体のために、俺は正義を背負う必要があるのだ。

 まったくもってやる気が出ない。せめて俺の帰りを健気に待っていてくれる、かわいい恋人でもいれば話は別なのだが。

 帰還した俺を微笑んで迎え、世界の行く末よりもただ俺の無事を喜んでくれる人がいれば、彼女を力強く抱きしめるためにどんな苦難も乗り越えられる。


 俺が受諾したのを見てとりミフルは安堵で胸を撫で下ろした。隣に寄り添う王妃は彼だけを見つめている。

 かつて俺とミフルは唯一無二の親友だった。いや、今でもそうだが。俺が比類なき武勇で浮名を流している間に、彼は比類なき誠実さで最も愛しい存在を手に入れたのだ。

 俺を慕ってくるのはむさくるしい男連中と、顔面と筋肉と栄誉しか見ていない打算的な女どもばかりだった。

 ……俺も結婚したい。切実に。できれば王妃よりも素直で優しくかわいらしい娘と。


 結局のところその俗な煩悩こそが俺を突き動かす原動力だった。

 実際に世界が平和になれば誰も文句はあるまい。さっさと魔王を片づけて、俺は自分自身の幸せを探す旅に出るとしよう。これは恋への第一歩なのだ。

 玉座の間を後にして、手近な遺跡で聖なるドラゴンを捕まえてその背に乗り、最果てへと飛び立った。


 大陸の辺境に聳え立つという繭の塔を目指す。世界に蔓延る戦乱の、その根源にいるのが魔王ならば、きっとそこには血と骸にまみれた地獄絵図が広がっているのだろう。

 そんな俺の想像は木っ端微塵に打ち砕かれることとなった。


 繭の塔は確かに禍々しかった。絶えず流れ出す魔力によって磁気嵐が起こり、四方八方に伸びる雷が塔を守る防壁となっている。

 魔物たちはあの濃厚な魔力を求め、そこに届かぬもどかしさから荒れ狂っているようだ。

 聖なるドラゴンを駆って雷を避け、塔の最上階から内部に潜入する。この地で死する覚悟さえ決めながら。

 しかしそこに広がっていたのは、想像と真逆の光景だった。


 繭の塔の上部はドラゴンたちの楽園となっていた。

 竜の巣とは普通、孤高を好む彼らの殺気と無残に狩り殺された侵入者が放つ腐敗臭で満ちているものだが、ここは違う。

 屈強なドラゴンたちは闖入者である俺に敵意を向けるどころか、群れを成して一様にごろごろと寝転がっていた。その姿が陽射しの降り注ぐ草原で昼寝する家畜に見える。

 そして俺を乗せてきた聖なるドラゴン――遺跡を訪れる数々の冒険者を屠ってきた古の破壊者――も、家に帰り着いたような顔をして群れに混じっていった。


「何なんだ、一体……」

 思わずこぼれた俺の声に反応して近くの一頭が片目を開ける。身構える隙もなく、大きなあくびをして再びごろごろと喉を鳴らしながら眠りについた。

 己をそこら辺の野良猫だと思っているのか、こいつは。


 腰に提げた剣が場違いに感じられる。何と戦えばいいのか分からなくなる。本当にここが魔王の根城なのか。

 いや、これだけのドラゴンに秩序を与えて統治しているのだから魔王の実力は明らかだ。

 ……秩序を与えて統治しているのなら、討伐しなくても良くないか? 俺が破壊する側なのか?

 困惑しながらも、魔王を討伐するべく一人で塔を降りてゆく。

 外の嵐が夢幻のように静謐な回廊の奥、巨大な玉座の影が見えてくる。


 磨き抜かれた黒曜石の玉座には、白髪のあどけない少女がちょこんと腰かけていた。

 荘厳なシャンデリアの光が彼女の艶やかな髪を輝かせている。来客に気づいて彼女の大きな赤い瞳が俺を見つめた。

 ――かわいい。

 つい思ったままの感想が口をついて出そうになる。いやいやいや待て、違う。落ち着け俺。

 この娘はもしかすると、魔王に囚われた哀れな姫君なのではないか。きっとそうだ。でなければあり得ない。

 こんなにも無垢で愛らしい俺好みの超絶美少女をかどわかして辺境の塔に閉じ込めるとは、おのれ魔王! 許されざる外道! 俺が彼女を救い出してやらなければ。

 ……助けてやったら、この娘は俺に惚れるだろうか。

 おぞましい牢獄の鎖を断ち切り、邪悪な魔王を討伐せしめ、城に帰って祝福を受けながら、感謝を愛情に変えた彼女と結ばれる。

 悪くないな。うん、悪くないぞ。


 渦巻く煩悩をひとまず抑え、恭しく跪いて彼女を見上げる。

「俺はアベスタルグのアタルだ。君は?」

「アンリだよ。アタルは勇者様なの?」

「ああ。魔王を討伐し、君を手に入……世界を守るためにここにきた」

 そして彼女は不思議そうに首を傾げた。

「私、倒されちゃうの?」

「……ん?」

「え?」

 絞り出した声は、自分でも驚くほど間抜けに響いた。話が噛み合っていない。彼女のほうもよく分かっていない様子だった。

「あー、その、魔王はどこだ?」

 目の前の少女――アンリは、足をぶらぶらさせながら無邪気に答えた。

「私が魔王だよ」


 はい?


 彼女の言葉で俺の頭は真っ白になった。アンリとお揃いだな。

 こんなに愛らしい、こんなにもめちゃくちゃ俺好みの素直で従順そうな曇天から覗く春の陽射しを思わせる柔らかくて絶対にいい匂いがするに決まっている清楚な少女が魔王であるはずがない。

 彼女が倒すべき敵だなどと、そんなことはあってはならない。アンリはここに存在すべきだ。なぜなら俺好みだから。


 アンリから放たれている膨大な魔力は彼女の素性を確かに物語っていた。だというのに、彼女自身からは悪意というものがまるで感じられない。

 魔王……では、あるのかもしれない。だとしても彼女は少なくとも“討伐すべき敵”ではなかった。

 そこで思い至る。この塔にいるドラゴンたちが平和なのは、魔王であるアンリの間近にいて魔力を好きなだけ浴びているからだ。地表の魔物が荒れ狂っているのは、魔王がそばにいないからに他ならない。

 つまりアンリが繭の塔を離れて魔物たちを正しく治め、その魔力を適切に制御すれば、世界を襲っている戦乱は収まるのではないか。

 逆にもしここで魔王を討伐したら、魔物の狂暴化を抑えて統治する者がいなくなり、ここにいるドラゴンたちまでも塔を出て人々の世界を食い荒らすことになりかねない。


 この状況をどう解決すればいい。とりあえず、目の前のかわいい少女をぶち殺すのだけは避けたかった。

 聖騎士としての能力と経験を最大限に駆使して考える。

 ドラゴンたちが多く集まり、それらの本能的な戦意を抑えて安堵している事実から、アンリの属性は風や雷を司る竜に近いと思われた。俺とは非常に相性がいい。

 彼女を俺の管理下に置けばその膨大な力を制御し、人に害をなすことなく共存できるのではないか。俺と共にいれば、アンリは安全だ。

 つまり、このかわいい娘を俺の恋人にしてしまえば、すべてが丸く収まるのではないか?


 俺が結論に至りかけたまさにその瞬間、アンリが純粋な問いかけを投げ込んだ。

「ねえねえ、勇者様」

「な、なんだ?」

「討伐って何するの?」

 ぐっ……。なんという無邪気な疑問だ。

 悪名高く筋骨隆々でかわいげの一欠けらもない男の魔王ならいざ知らず、このように害意のない無垢な少女に「それはお前を殺すことだ!」などと言えるわけがなかった。

 勇者が聞いて呆れる。俺は悪逆非道に堕ちるつもりはない。


 葛藤の末、俺の口は苦し紛れにとんでもない嘘をひねり出した。

「それはだな、討伐というのは、君をアベスタルグに連れ帰って、共に暮らすという意味だ」

 我ながら完璧な言い訳だ。これなら彼女を傷つけず、しかし国王に逆らうこともなく、アンリをここから連れ出せる。

 俺の言葉を聞いてアンリは赤い瞳を宝石のように輝かせ、さらにとんでもない言葉を返してきた。

「じゃあ私、アタルのお嫁さんになるの?」

「お、お嫁さん……!?」

 それは話が飛躍しすぎだろう。まだ出会って間もない仲、告白もしていないというのに。……しかし悪くないぞ。むしろ最高じゃないか?


 彼女の意図に、人間社会が言うところの恋愛や結婚という概念は含まれていない。それはただ俺の言葉から単純に導き出された、アンリの語彙で理解できる素朴な帰結に過ぎなかった。

 だがそんなことはどうでもいい。彼女の最高の勘違いは、世界平和はもちろんのこと、俺の密かな願望さえも完璧に満たすものだった。


 俺の脳内で薔薇色の妄想が繰り広げられる。

『アタル、おかえりなさい♡』

 屋敷の玄関扉を開けると、エプロンをつけたアンリが満面の笑みで俺を迎えた。なんて愛しい光景だ。

『ただいま、アンリ』

 俺は帰宅した夫の顔で優しく微笑み、彼女の柔らかな腰を抱き寄せた。蜂蜜を混ぜたミルクのような甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺の体を熱く滾らせる。

『ごはんにする? 先にお風呂にする?』

 口元が自然と緩む。アンリのかわいらしい耳に唇を寄せ、低い声で囁きを返す。

『……まずはこの危険な魔王を討伐してやる』

『あん♡勇者様ぁ♡』

 彼女を抱き上げ、二人の寝室へ。夜の「戦闘」が今、始まるのだ……!

 想像しただけで目の前の愛らしい魔王を“討伐”したくて股間の愛剣が猛々しくいきり立った。


「アタル、大丈夫?」

 アンリの心配そうな声で我に返る。

「あ、ああ。大丈夫だ」

 咳払いで誤魔化しつつ、妄想を現実にすべく、勇者の仮面を再び装着して尤もらしく頷いた。

「そうだ。君は俺の嫁になるのだ、アンリ」

 すると彼女は心の底から嬉しそうに笑った。

「分かった! 今から私はアタルのものだよ」

 くそっ。めちゃくちゃにかわいらしい。今すぐ抱きたい。ここに来るまでに彼女を連れ込むのにちょうどよさそうな部屋はたくさんあった。アンリを担いで突入したい。


 妄想の名残で体が疼いたが、無念なことに今はそんな場合ではなかった。

 早く城に帰って報告しなければ後続の魔王討伐部隊が派遣されてしまう。ミフルが「脅威は去った」と宣言してようやく戦いは終結するのだ。

「一緒に来い、アンリ」

「うん!」

 差し伸べた俺の手に、彼女はなんの疑問もなく自分の手を重ねてきた。温かく柔らかな感触が俺の心に強烈な欲望を燃え上がらせる。

 こいつは俺の獲物だ……。




 俺がアンリを伴ってアベスタルグに帰還した後の顛末は、呆れるほど都合のいいものだった。


 繭の塔から魔王が降り立ったことで世界は劇的に変化した。

 魔物に秩序をもたらすアンリの力は大地を通じて大陸の隅々にまで行き渡り、塔に届かず荒れ狂っていた魔物たちは平穏を取り戻した。アンリから溢れ出ていた強大な魔力も、俺の聖騎士の力と打ち消し合うことで制御されている。

 人々は魔王の討伐の成否など気にも留めなかった。ただ暮らしが穏やかであればそれでいいのだ。

 そして「勇者と魔王の結婚による世界平和」は前代未聞の偉業として吟遊詩人が世界中に広め、俺は人々から一層称えられることとなった。


 現実としては世界のことなど気にしない一人の男が、愛と煩悩に忠実に従っただけの物語。俺はそれを知っている。

 しかしまあ、はたから見れば、愛が世界を救ったのだ。そう思いたいのならそういうことにしておいてやろう。


 称賛よりも名誉よりも遥かに価値がある褒美を俺は手にした。

 家に帰れば愛らしい妻がいて、微笑んで俺を迎えてくれる。何を差し置いても俺の無事を喜んでくれる。

 彼女の存在こそが俺にとって至上の幸福なのだった。

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