第3話

バトルジャンキー、来店(狼王フェンリル)

「おい。いい匂いがするじゃねぇか」

 その男(?)は、鼻をひくつかせながら俺の屋台を覗き込んだ。

 銀髪に金色の瞳。首にはジャラジャラとした鎖の装飾。

 肌は浅黒く引き締まっており、全身から「触れたら切れる」ような鋭利な覇気を放っている。

 ただのチンピラではない。

 俺の直感が告げている。こいつは、さっきの冒険者たちとは次元が違う。生物としての「格」が違う、と。

「いらっしゃいませ。お水ですか? それとも軽食を?」

 俺は平静を装い、鉄板の上でジュウジュウと音を立てている『串焼き』をひっくり返した。

 漂う香ばしい脂の匂いに、男の喉がゴクリと鳴る。

「……水なんざ要らねぇ。俺が欲しいのは肉だ。その串、全部寄越せ」

「ありがとうございます。ですが、お代は――」

「あ? こまけぇことは後だ。先に用事を済ませてくる」

 男は言うや否や、踵(きびす)を返してダンジョンの入り口へと向かった。

 その視線は、屋台の裏にある禍々しい門に釘付けになっている。

「へへッ……すげぇ濃い魔素だ。中からビンビン響いてきやがる」

 男は嬉しそうに獰猛な笑みを浮かべた。それは食欲というより、もっと根源的な『渇き』に見えた。

「おい店主。この中に『強い』のはいるんだな?」

「ええ、まあ。入り口でさえ、Bランク相当の魔獣がうろついてますから」

「上等だ。……腹ごなしに行ってくるわ」

 ドンッ!!

 地面が爆ぜた。

 男の姿が掻き消えたかと思うと、次の瞬間にはもうダンジョンの闇の中へ飛び込んでいた。

 まるで、近所のコンビニに行くような気軽さで、死地へ特攻していったのだ。

「……あーあ。また一人、死んだか」

 俺は肩をすくめ、焼きあがった串を皿に移した。

 あんな軽装で特攻すれば、数分と持たないだろう。

 せっかくの客(カモ)だったのに惜しいことをした。

 ――と、思っていたのだが。

 ◇

「オラァッ!! 邪魔だ退けぇぇッ!!」

 ……十分後。

 地響きと共に、男が帰ってきた。

 いや、「帰ってきた」という生易しいものではない。

 ダンジョンの入り口から、砲弾のように飛び出してきたのだ。

 その手には、巨大な『何か』が引きずられている。

 男は俺の屋台の前で急停止し、ドサリとその『何か』を投げ捨てた。

「ッー……! つまんねぇ! 期待外れだ!」

 男は不機嫌そうに叫んだ。

 俺は足元に転がった物体を見る。

 それは、身の丈三メートルはある巨大なミノタウロスの首だった。

 しかもただのミノタウロスではない。角が黄金に輝く、変異種(レアボス)だ。

(……は? これ、十層の階層主(エリアボス)クラスじゃねぇか?)

 俺の記憶にある知識と照らし合わせる。

 通常のAランク冒険者パーティーが、準備を整えて数時間かけて攻略する相手だ。

 それを、わずか十分で? しかも無傷で?

「入り口付近の雑魚しかいねぇじゃねぇか。もっと骨のある奴はいねぇのかよ」

「お、お客様……?」

「あー、腹減った。おい店主! さっきの肉だ! 酒も出せ! 今すぐだ!」

 男は屋台の丸椅子にドカッと座り込むと、カウンターをバンバン叩いた。

 どうやら、戦闘(虐殺)をして余計に腹が減ったらしい。

 俺は震えそうになる手を必死に抑え、ジョッキにエールを注いだ。

 相手が化け物だろうが神だろうが関係ない。

 席についたら、それは『客』だ。

「お待たせしました。特製『ピラーズ』の塩焼きと、冷えたエールです」

 ドン、とジョッキと皿を置く。

 ピラーズは、川や海に生息する獰猛な魚型魔獣だ。

 見た目は凶悪だが、その身は白身で脂が乗っており、皮目をパリッと焼くと絶品になる。

 男は串を掴むと、骨ごとバリバリと噛み砕いた。

「んぐッ、むぐッ……! ……ッ!?」

 男の動きが止まる。

 そして、ジョッキを掴み、一気に喉へ流し込んだ。

「ぷはぁーーッ!!」

 最高の笑顔だった。

 さっきまでの不機嫌さが嘘のように、男は目を輝かせている。

「うめぇ! なんだこれ!? この魚、魔獣か? 脂がすげぇ乗ってやがる!」

「ええ、ピラーズです。塩を強めに振って、臭みを消してます」

「気に入った! おかわりだ! あるだけ持ってこい!」

 そこからはフードファイトだった。

 男は俺が焼く端からピラーズを平らげ、エールを飲み干していく。

 串の山が築かれ、空の樽が転がる。

 俺は必死に焼き続けた。商売繁盛どころか、在庫切れの危機だ。

「ふぅ……食った食った」

 ようやく満足したのか、男は爪楊枝(俺が削った木の枝)を咥えながら腹をさすった。

「さて、代金だったな」

 男は懐を探ると、ゴロリとカウンターに『石』を置いた。

 握り拳ほどの大きさの、深紅の宝石。

 内側から脈打つように光を放っている。

「これで足りるか?」

「…………」

 俺は固まった。

 鑑定眼がなくてもわかる。

 それは、国宝級の魔石『ドラゴンの心臓(ドラゴンハート)』だ。

 家が一軒どころか、城が買える値段の代物だ。

「お客様」

「あ?」

「お釣りが出ません」

 俺の言葉に、男は「は?」と眉をひそめた。

「当店は屋台です。そんな、国家予算みたいなものを出されても困ります」

「チッ、めんどくせぇな。じゃあ釣りは要らねぇよ。とっとけ」

「いけません。等価交換は商売の鉄則です。いただきすぎれば、税務署……じゃなくて、商業ギルドに目をつけられます」

 それに、こんなものを所持していたら、俺の命が危ない。

「あーもう! じゃあどうすりゃいいんだよ! 俺は銅貨なんて持ってねぇぞ!」

 男が苛立ち、殺気を撒き散らす。

 遠巻きに見ていた他の冒険者たちが、そのプレッシャーだけで青ざめて後ずさるのが見えた。

 だが、俺は引かない。ここで引いたら商売人失格だ。

「……では、こうしましょう」

 俺は店の奥から帳簿を取り出した。

「『ツケ』にしておきます。その魔石はお預かりして、代金分を差し引いていく形にしましょう。これなら、次に来た時も財布を持たずに飲み食いできますよ」

「ツケ……? なんだそりゃ。俺専用の財布ってことか?」

「ええ、そうです。お得意様限定のサービスです」

 男は少し考えた後、ニヤリと笑った。

「へっ、面白ぇ。俺に借金させるなんざ、いい度胸だ」

「商売人ですから」

「いいぜ、乗った。俺の名はフェンリルだ。覚えとけよ、店主」

 フェンリル。

 その名を聞いた瞬間、俺の背筋が凍った。

 この大陸でその名を知らぬ者はいない。

 三柱の調停者にして、戦闘狂の『狼王』。神話級の化け物だ。

(……やべぇ奴と契約しちまった)

 内心冷や汗ダラダラだが、顔には出さない。

 フェンリルは満足げに立ち上がると、置き土産のように言い放った。

「また来るわ。次はもっと骨のある獲物が湧いてるといいんだがな」

 そう言って、風のように去っていった。

 残されたのは、国宝級の魔石と、山積みの串、そして……

「お、おい……今の見たか?」

「あの狼王フェンリルだろ……?」

「あいつ、あの店主に頭が上がらない感じだったぞ……」

「あの店主、何者なんだ……?」

 遠巻きに見ていた冒険者たちの、畏怖と勘違いを含んだ視線だけだった。

「……いや、ただの未収金回収だから」

 俺の呟きは、誰にも届かなかった。

 こうして『レンの店』には、「狼王が通う店」という尾ひれがついた噂が広まることになったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る