第2話 喫煙スペース

 姫野あすみはレジの前で固まっていました。大口を開けたレジは早くお金を入れなさいと急かしているようにも見えます。周りからはタッタッタッと素早く歩く音やジャラジャラジャラとお金をレジに入れる音が聞こえてきます。遠くからは「はい。おはようございます!」なんて元気のいい声が響いていたりもします。


「釣り銭足りてなくない?足りてないよね?いや、足りてないよね!?十円無いよ?棒金なのに十円一枚無いよ?意味わかんないよ!」


 これが棒金作る機械だか人の手なのかのミスであれば、まぁしょうがないよねーですみます。そして、昨日のレジ締めは新人ちゃんと適当が売りの安永さんであったためそれによる釣り銭のミスもまぁ、次注意するかーで、すみます。あすみは他人のミスに甘く、自分のミスにも甘い女でした。


「ま、いっか!午後から店長出勤やし!そん時言えばいいや!」


 書店員の朝は忙しい。なのでことねはきっと今頃届いた新刊をバタバタと並べていたりするんだろうなと、あすみは少しにんまりしながら思うのでした。その点、アパレル店員の朝はそれほどバタバタしてはいません。モップをかけたり、マネキンの服を直してみたり、のんびりしたものです。


 あすみの書店員のイメージは常にテキパキ動いているというものでした。なのでそんなところで働いていることねをあすみは大変尊敬しているのでした。あすみはのんびりとしたこの店が気に入っていました。暇だったら雑談もおっけーなのが最大の強みです。


 以前、従業員通路でことねと書店の先輩らしき人が話しているのを見たことがありました。外面のことねはなぜか家よりも明るいのです。


「あれ!?返本の箱って決まったやつじゃなくていいんですか!?私ずっと同じ箱じゃないとだめだと思ってました!」


「店によって違う、、、のかな?うちは別に大きすぎなければどの段ボール使っても良いってルールになってるよ?でも、そうだよね、ほかの書店見てると返本らしき段ボールって全部おんなじの積みあがってるもんね」


 ことねは女性の中では背が高いほうです。この前の健康診断では百六十七センチと言っていました。あすみは百六十二センチです。それなのにことねのほうが体重が軽いことにあすみは軽い理不尽を感じていました。背が高い、スタイルがいい、しごでき女子のような服装。従業員通路で見ることねのエプロン姿になぜかギャップ萌えをおぼえるあすみなのでした。そんなことねは先輩の言葉にぱぁっと顔を明るくしてました。


「そうなんですよ!、、、あれ?考えてみると、うち、本屋さんだから、書籍の段ボール以外ほとんど来ないですよね?備品くらい?」


「会話の途中であたしもうっすら思ってた」


 えへへと笑うことねをあすみはかわーい!なんて思いながら見ていましたが、よくよく考えるとことねはあすみの前でそんな笑顔を見せることは無かったのでした。そんなことに気づいてしまうと、湧き上がる感情はずぶずぶとメラメラとしたものでした。これはことねの先輩へのあきらかなジェラシーでした。


 書店の先輩らしき人物はことねよりも背が高く、しごできレベル百といった感じの人物でした。ことねと並んでしまえば課長と係長のような風体です。仲いいんだろうなというのが一目でわかります。


 そんなジェラジェラした気持ちを唐突に思い出しながらあすみは今日入荷する服のリストを見ているのでした。これは売れ行きあんまりよくないから、しまって、ここの棚に今日入荷する服を置いて、その近くのマネキンのお着換えでもしますか。そして、あのレベル百先輩をいかにして締め上げるかをマネキンの服を脱がしながら考えるのでした。


 ◇◇◇


 ことねは外だと声がワントーン高くなり、少し声が聞き取りやすくなります。家で声が低いのはリラックスしていたり、気を許している証拠だといいなと思っているあすみでした。しかし、あの笑顔は無邪気なものでした。とてもかわいく、今すぐにでも抱き着き、思いっきりキスしてやりたくなる笑顔でした。無邪気な笑顔が戸惑いに代わり、求めている顔になるのです。それはあすみの欲情を刺激しますし、それ以上のことをしたくなるほどの威力があるものでした。全てあすみの妄想ですけれど。


「どうしたんですか姫さん?怒っているのかにやけているのかよくわからないキモイ顔してますよ?」


 今日は平日。お客さんも少なく、レジ付近に突っ立っているあすみに店長が声を掛けました。


「釣り銭合わなかったことに怒ってます?安永さんにはちゃんと私から注意しときますから」


 あすみが勤めているアパレルショップの店長である店長はスマートフォンをゆらゆらしていました。サボっているわけではなく、発注リストや在庫管理は全てスマートフォンでできる便利使用です。お客さんからサボっているのではないだろうかと思われるのが最大の難点です。


「うちが人のミスで怒ったりすると思いますー?怒んないですようちは!ただちょっと彼女とのこと考えてただけです!というか、釣り銭やっぱり安永さんだったんですか?」


 そう聞くと店長はやれやれといった仕草で言うのでした。


「そうなんですよー。暇だったから監視カメラ見てみたんですけど、棒金。変にセロハンで止めてませんでした?」


 そういえば、店長が出勤してから、釣り銭のことを伝えたら、なんかパソコンでカタカタしているなと思い出しました。ちなみに、彼女のことを考えているをスルーした店長はあすみののろけをさんざん聞かされた故に身につけたスキルです。


「あれ?止まってたっけな?」


 しかし、レジ開けの時の記憶はさっぱり思い出せないのでした。考え事をしながら作業をするとその時の記憶がすっぱ抜ける。これってお風呂でトリートメントを馴染ませている時にあれ?さっきシャンプーしたっけ?ってなる現象と似てる気がすると思いました。これはすごい発見だ!なんて一人で舞い上がっているあすみの脳内はこの瞬間だけ少しの幸せを感じているのでした。


「安永さんがセロハンで棒金巻いてるところばっちり映ってましてね。おおかた新人ちゃんと棒金でなんか遊んでたんでしょうね」


 棒金で遊ぶ。それはいったいどんな高度な遊びなんだろうと考えました。チャンバラごっことかなのだろうか?それならちょっとやってみたい気もすると思うのがあすみでした。お金で遊ぶとはどこまでも子供っぽい安永さんですが、それゆえ、お客さんからは大変好かれ、売り上げも伸ばしてくれるのでやめさせるわけにもいかないのです。

 店長は店の周りをぐるっと見回して、お客さんが全くいないことを確認すると、あすみに言いました。


「お客さんいないし、今日はちょっと早いですけれど休憩行っちゃってください」


 十二時ジャスト。この時間はお昼時なのでそもそもお客さんが少ない時間帯です。それにしても今日は少なすぎる気もします。


「あーい!バックヤードでメック食べていいですか?」


 お腹のすく時間帯。嫌なことを考えたときはジャンキーなものに限ります。あすみはあまり大食いではありませんが、ことねは見た目の割に食べる時はかなりの大食いになります。その細い体のどこにしまい込んでいるのだろうかというレベルで食べまくります。健康思考の癖にその大食いなのはなんなんだろう?今度聞いてみようと思ったまま今に至るので、あすみは、うちは若干記憶力が悪いのかしら?なんて思ったのでした。メックを食べたい気分でしたが、ことねの大食いを見ながら食べるメックこそが本当においしいメックであるため、どうしよう、どうしよう、と悩んでしまいました。


「ダメに決まっているでしょう、、、メックの臭いするアパレルショップとかヤバイでですよ」


 想像してみると、フードコートが頭に思い浮かびました。あのわくわく感を演出できるのならば、それはそれでありなのでは?と思うあすみでした。


「美味しそうでいいじゃないですか」


 店長は手でバッテンを作った上に首をふるふると横に振るのでした。真面目っぽいのにおちゃめな仕草をする人でした。なんだかちょっとことねに似ている気がするなとあすみは思いました。そして、さんざん悩んでいましたが、口が求めているのは完全にメックのポテトの味なのでした。食べに行こうかしら、それとも今日はもう食べずに夜までやり過ごそうかしら。そんなことを考えながらまぁ一服するかと七階にある従業員用の喫煙所に向かうのでした。


 ◇◇◇

 

 従業員通路からエレベーターに乗り、七階を押します。ちなみに現在地点は五階です。七階には従業員用の休憩スペースと喫煙所があります。そのとなりには書店の倉庫があります。書店も七階にあるため、あすみは何回かことねに


「いいなぁー!喫煙所まで歩いてすぐじゃん!エレベーター乗るの面倒くさいんだよ!?なかなか来ないときあるしさー!?開いたらスーパーのカートがぎっちりだったりさぁ!」


 なんてぼやいたことがありました。ことねは表情を変えずに「私煙草吸わないですもん」なんて言うのでした。あすみに対する態度と先輩に対する態度をエレベーターが五階から七階に昇る短い間に思い浮かべると、やはりむかむか腹立たしく、自己否定の感情さえ湧いてきそうな気がするのでした。これはニコチン先生に頼らねばなるまいとエレベーターの中で煙草の箱を少し強めに握るのでした。


 エレベーターが開くと目の前にことねがいました。誰もいないと思い込みエレベーターの扉の前で開くのを待っていたあすみは、ことねから見ると、さながらホラー映画のように見えていたことでしょう。ことねがエレベーターのほうを見てうわっ!という表情をしていました。


「姫野さん、、、なんでそんな扉の近くに、、、」


「早くタバコが吸いたくてのぉ」


 ◇◇◇


 一般的な休憩時間より少し早い時間帯なので休憩所や喫煙所はまだ誰もいませんでした。ちょっとした優越感のようなものが二人の胸の内に広がります。誰もいないフードコートを見て、貸し切りやん!贅沢やん!という気持ちになるのと少し似ています。


「ことねも休憩?」


 そう聞きながら、あすみは慣れた手つきで、喫煙所の扉を開きました。喫煙所はあまり冷暖房が効きにくく、室内だというのに少し身震いをしてしまいます。そのため、喫煙所の中にはヒーターと扇風機が常備されています。複数の喫煙者がいる場合は誰がそれの近くに座るかの駆け引きが行われます。


「何ナチュラルに非喫煙者を喫煙所に招いてるんですか」


 そう言いながらも、ついてきてくれることねがやっぱりあすみは大好きなのでした。三人かけの長椅子が四脚置かれており、一番端に置かれている長椅子に二人で腰掛けました。店長やらと座るときは一人分飛ばして座るのですが、ことねといる時は一人分詰めて座ります。


「そうですよ。今日は入荷も少なかったし、お客さんも少ないですから早めの休憩を貰いました」


 そう言いながら何かを口にくわえることね。白い棒が口からはみ出ています。


「え?なにそれ?え?タバコ?ココアシガレット?え?」


 さて一服しましょうかと煙草を取り出す手を止めて、ことねの口元をじっと見つめるあすみ。ことねの性格です。煙草なんて絶対に吸いたがりません。それでも、副流煙まみれの喫煙所についてきてくれるのでそこは愛の大きさ感じる素晴らしきタイミングです。


「チュッパチャップスです」

  

 口から丸い飴をポンと取り出して、あすみに見せつけます。これは、コーラー味かな?とあすみは色を見て思いました。先程も述べた通り、ことねは健康思考の持ち主です。自らお菓子を買うことは滅多にありません。


「え?なんで?」


「うちにチュッパチャップスのゲームみたいなのあるんですよ」


「本屋なのに?なんで?」


「わかんないです。姫野さんにもあげましょう」


 そういって、エプロンのポケットからチュッパチャップスを四本取り出すことね。


「え?何個持ってるの?こわ」


「試しにやってみたら五個とれましてね。私一個で十分なので」


 ことねはあすみにずいとチュッパチャップスを押し付けました。グレープ、グレープ、グレープと後なんだこれ?というかグレープ多いなとあすみは思いました。おそらくこれは、今日暇だねーなんて会話からのチュッパチャップスのゲームやってみようやの流れに飲まれたなと、そう思い、場面を想像するとなかなかに微笑ましい気持ちになります。


「あ、こりゃどうも」


 貰ったチュッパチャップスをポケットにしまおうとして、己のポケットがあまりにも小さいことに気づき、結局長椅子の端に置きました。変なやり取りがありましたが、ようやく煙草にありつけると口に運び消火器の形をしたライターで火をつけました。少し甘いバニラのような臭いが喫煙所内に広がります。一人はチュッパチャップスをペロペロと、もう一人は煙草をプカプカとふかしています。


「そういえばことね。ちょっと気になることがあるんだけど」


 煙草を吸い殻入れに向けてペンッ!とはじきながらあすみはことねのほうを見ずに声を掛けました。大事な話をする時、あすみはいつも人の顔が見れません。そんな自分をあまり好きではないあすみはこの瞬間、話題が話題なのもあり、いい気持ちにはならないのでした。


「職場に仲のいい先輩みたいなのおるよね?やっぱ、仲いい?」


 チュッパチャップスを口から取り出して不思議そうにあすみのほうをことねは見ました。質問の意図を図っているようなそんな顔です。


「仲のいい先輩?もしかして西木さんですか?そうですね。仲いいですよ」


 あっけらかんと答えることねに、あすみはなんだかむかむかしてくるのでした。これが自分勝手な嫉妬心であるということは十分に承知しているのですが、それで押さえてはあすみの心によろしくありません。あすみのモットーは楽しく生きるです。この心は楽しくないので、あすみは解決せねばなりません。楽しく生きるために楽しくない気持ちになる。この自己矛盾にあすみの心はさらに萎んでいくのでした。それでも、取り繕わねばと、あすみはおちゃらけた言葉を口にするのでした。


「うちに見せない笑顔をしているのを見ましたよん?大変可愛らしく吸い付きたい笑顔でしたよ?あれはなんですかい?」


「なんですかその気持ち悪い表現、、、もしかして外向けの顔ですか?」


 外向けの顔。少なからずあすみと出かける時にはそんな表情見たこともありませんでした。出会った時でさえ、ことねは今のようなあまり表情が変わらず、かと思えばたまに見せる天然じみた控えめな笑顔で癒してくれる。そんな人物でした。


「外向け?あの明るく楽しそうな笑顔が?」


「そうなんですよ。あの顔するとまぁ、楽しい気持ちにはなるんですけど、表情筋が死滅していきまして」


「表情筋が、、、死滅、、、」


「それに変に気を張ってるのでなんというか、、、疲れちゃうんですよね。あれ?こういう話じゃなかったですか?」


 ぽかんとしているあすみにことねは不思議そうな顔をします。煙草の火がじりじりとあすみの指に近づき、灰が今にも地面に落ちそうです。


「いや、なんか、、、なんというか、、、あっつ!?」


 煙草の火は何ボケッとしてんだいというようにあすみの指に攻撃を仕掛けてきました。その振動で灰がポトッと地面に落ちます。指先に感じる熱さと同時に、悩んでいたことが花火のように弾け飛びました。その火の粉はあすみの心にじっとりと染み込んでいくのでした。


「おわー!清掃員さん申し訳ねぇ!」


「何やってるんです?ちょっとハンカチ濡らして持ってきますね。それともトイレットペーパーがいいですか?」


「トイレットペーパーだとべちゃッとしてグズグズになるじゃん!」


 ちょっと待っててください。と言ってことねは喫煙所を出ていきます。あすみは煙草を吸い殻入れに入れて、ボーっと目の前に吸い殻入れを眺めます。一人称な悩みが弾け飛び、三人称の悩みに変化します。客観的に自分を責めていきます。嫉妬していた自分がなんだか酷く自分勝手なような気がしてきたのです。恋人と一緒に住んでいるだけでとても幸せなのに。知らない一面を見ただけでなんだか遠くに行かれた気持ちになるのです。根っこが卑屈というか根暗というか、そういうのを内に大事にしまい込んで生きてきたのに、ことねには見られないようにしていたのに、少し見せてしまった気がして、心が大変不健康になるのでした。


 ◇◇◇


「お待たせしましたー。なにボーっとしてるんですか?」


 濡れたハンカチを片手に喫煙所に入ってくることねをあすみは呆けた顔で見ていました。ことねの手に握られていたのは以前、雑貨屋さんで見つけて一目惚れしたものだと言って、見せてくれたものでした。端に猫の刺繡が施してある可愛らしいものです。それを見た瞬間あすみの心は罪悪感でいっぱいになるのでした。


「え!?お気に!?びしょびっしょ!?」


「え?ほんとにどうしたんですか?火傷で頭がいかれる病気とかありましたっけ?」


 ことねは大人しいわりに口が悪くなることが多々あります。ナチュラルに毒舌なところもあすみは好きなのでした。そして、この毒舌があすみだけに見せるものだということは知らないのでした。


「何気に酷い!?じゃなくて、そのハンカチお気に入りって言ってなかった?」


「ハンカチ?あぁ、言ってましたね。でも洗えばまた使えますし、洗濯機に入れれば必然的にびしょびしょです」


「確かに、、、」


 あすみの右手にハンカチを巻き付けることね。ことねの指は細くて長く、ピアノとかやってたのかな?と、連想させます。その点、あすみの手は小さくて丸っこい。この真逆な各々の手が二人は気に入っていました。お互いの違いを分かりやすく表現しているようで、握ったらお互いの違いが溶け合って、混ざり合うようで。心が温かくなるのでした。


「ハンカチですっぽりですね。どの辺火傷したかわかんないんで、とりあえずぐるぐるに巻いときますね」


「ざつぅー。というか、このくらいなら火傷とかしてないと思うけど、、、」


 ことねは、え?という顔をして、それからしばらく考えた後に「まぁまぁまぁ」と言いました。先程まで不健康になっていた心の筈なのに、ことねと話しているだけで光がともって、そんなもの最初からなかったようにさせてくれるのでした。いろいろとことねに迷惑けて、甘えてばかりだな。とあすみは思いました。先程までうじうじと考えていたはずなのに、今は素直に言える気がしました。


「うちな、あの先輩に嫉妬してたんよ」


 まかれたハンカチにそっと手を添えてあすみは言いました。濡れたハンカチは冷たいはずなのに、なぜかぬくもりがあるような気がしました。もしかして、お湯で濡らしたのかしら?なんて。


「嫉妬ですか?あぁ、外面の私で接して欲しいみたいな感じですか?」


「そう!そうなのかな、、、外面ってことはなんかあれだもんね。距離感あるってことだもんね?え?あのかわいい笑顔で距離感作ってるつもりだったん?全てのメスが落ちる笑顔だよ?」


「また、気持ち悪いこと言って、、、」


 ことねはうわぁ、、、という顔をします。そんな顔もかわいいね。なんて思えるほどにあすみの心は穏やかになっていたのでした。


「だってあの笑顔反則よ!?今までうちには見せたことないくせに!」


「だって姫野さんは会った時からなんか、、、違う感じでしたもん」


 あすみは初めてバーで会った時のことねの姿を思いだしていました。そして、それはとても特別なもので、温かいもので、先のことねのセリフも相まって、幸せじゃ計り知れない、一人じゃ感じることのできない、愛というものを感じさせてくれるのでした。


「ことね、、、うちちょっとやばいかも」


 左手で、ことねの首筋をそっと撫でます。ことねの体温は少し低いですが、それでも十分感じる人のぬくもりがあすみの左手に伝わっていきます。


「ちょっと、こんなところで盛らないでくださいよ」


 あすみの左手に別のぬくもりが重なります。ことねの右手がそっと添えられたのです。あすみの頭がカッと覚醒します。もうこれはやるしかない。押し倒してめちゃくちゃに舌を入れたキスをするしかない。お互いの唾液で顔回りをべったべたにしてやるしかない!もうそれ以外の選択肢は皆無!そんなことが頭を駆け巡りながら無意識に、あすみの唇はことねの唇に迫っているのでした。そんなあすみの気持ちを知ってか知らずか、ことねは暢気にそっぽを向き


「あ、チュッパチャップスに気を取られてお昼持ってきてませんでした。取ってきますね」


 そうして、再び喫煙所を出ていくのでした。残されたあすみは行き場のない欲情を煙草にぶつけるしかありませんでした。シュボッとつくライターの火はあすみの燃え上がる心内には到底敵わないほど小さなものでした。


「くっそ、、、このー、、、いや、今回はありがたいか。ここでやってしまえばいよいよやばかった、、、」


 口から吐かれる煙はどこか湿り気を帯びているような気がしました。

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年上に見える23歳と年下に見える36歳 なめ茸ゆゆ @nametake1871

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