第四章 雲が晴れるまで

連絡を受けるやいなや、瑞樹は専門家のラボへ駆け込んだ。


「お待ちしていました。こちらをクリックすれば確認できます」


促されるままモニターの前に座り、マウスを握る。

指先が震え、思うように力が入らない。

左手で右手をそっと押さえ込み、なんとかクリックした。


映し出された「一致画像」を目にした瞬間、時間が止まった。


そこにあったのは――

ウェディングドレス姿の自分。


結婚式の前撮り写真。

晴れた庭園で撮影した、あの一枚。

父がどこか興味なさそうだったのが悔しくて、半ば押しつけるように送ったもの――

どうやら無意識に送信した画像の中へ紛れ込んでいたらしい。


「一致点は一万二千六百四十二か所。間違いありません」

専門家の声が遠ざかる。


瑞樹は、父の最期の言葉を思い出す。


「……いよいよか」


研究でも名誉でもない。

娘が新しい人生へ進もうとする瞬間を思ってのつぶやき。

その言葉は、誰より温かかったのに――世間はそれを裏切りの合図と決めつけた。


胸の奥が強く疼く。

父は最後まで、ただ娘の未来を信じていたのだ。



この事実が報じられると、世間の空気は一変した。


「娘さんを思っていたんだ」

「篠崎医師は潔白だったのでは」

「再捜査すべきだ」


昨日まで声高に篠崎亨を叩いていたメディアは、今度は正義を気取り始める。

大学も世論の目を気にして態度を急に変えた。


急遽始まった再捜査。

クラウド記録のログ確認、研究室データの洗い出し――

そして浮かび上がった、不自然な影。


篠崎亨は、生前に研究不正の気配を察していた。

共同研究者である准教授のデータには、注意深く見なければわからない“継ぎ目”があったのだ。

篠崎亨はそれを、調査委員会に相談しようとメモしていた。

そのデータは、彼の死後すべて削除されていた。


さらに、准教授の端末からは捏造データの改ざん履歴と、外部の研究員への送金記録が見つかった。


黒幕である准教授は、全ての罪を篠崎に押し付けるために――

「篠崎亨こそ黒幕だ」という筋書きを完成させるために――

邪魔な存在を排除したのだ。


「篠崎先生が犯人に見えれば、私の罪は消えるはずだった」

取調室で問われた准教授は、長い沈黙の末、そう吐き捨てた。

その声に罪悪感は一片もなかった。


篠崎亨はただ、真摯に研究と向き合い、

娘の未来を祝福し続けただけ――

それすら許されなかった。


ニュースキャスターは言う。

「篠崎医師は潔白でした。真実はようやく明らかになりました」


だが瑞樹の胸に広がったのは、歓喜ではなく、

悔しさと悲しさ、そして――確かな誇り。


スマートフォンの待ち受け。

父とともに眺めた、雲ひとつない青空。


あの日、父の視線の先にいたのは、ずっと自分だった。

ようやくその意味に辿り着いた。


瑞樹は静かに微笑む。

「お父さん、やっと守れたよ」


真実に辿り着いたその瞬間、

未来へ踏み出す力が、胸の奥で静かに芽吹いた。

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