第三章 雲をつかむ

クラウド記録は正確だ。

だが、あまりにも冷酷でもある。


映像はぼやけ、画面の内容は識別できない。

残された声だけが、震えていた。


「……いよいよか」


泣き出す直前の人間が絞り出したような声で。


果たして、これから世紀の発見を報告しようという人物が、そんな声を出すだろうか。

そもそも捏造の証拠をスマートフォンの画像フォルダなどに残すだろうか。

考えれば考えるほど、疑問は増えていく。


――それでも、世間は面白い噂へ飛びつくものだ。


不条理は、肌に刺す冷気のように纏わりつく。

瑞樹は、穴があくほど父の最期の映像を見つめ続けた。


父が最後に何を見ていたのか。

それはいまだ不明。

どれほど高性能な解析プログラムを用いても、特定は困難だと専門家は言う。


ただし――

候補画像と照合し、一万か所の一致が見つかれば断定できる、と。


その一言に、瑞樹はすぐ動いた。

だが父の携帯には画像は一枚も残っていなかった。

バックアップにも、クラウドにも、何も。

犯人が父を刺した後に、

全てを抹消したと警察から伝えられた。


空虚な携帯を前に、瑞樹は小さく息を吐き、頬を叩いて気持ちを整えた。


こうなったら――

手当たり次第、集めるしかない。


冷たい視線を向けてくる父の同僚、先輩、後輩、大学関係者。

瑞樹は全員に頭を下げ、少しでも父と関係がありそうな写真を送ってほしいと頼み込んだ。


けれど、結果は惨敗だった。

それでも何度も何度も画像を集め、可能性がありそうなものは全て送った。

だがしかし、結果は残酷なまでに沈黙したままだった。


「これで十万枚ですよ。これだけ出ないなら、そういうことです。もういい加減、諦めませんか?」


専門家の疲れ切った顔は、限界を示していた。


それでも、瑞樹は首を横に振る。

諦められない。

父の疑惑を晴らすために、ここまで来たのだ。

費用も時間も精神も削られ、誰かに止めてもらう言葉を待っていたはずなのに、それでも。


「……最後に。もう一度だけ解析をお願いします。これで本当に最後です」


掠れた声で、そう告げた。


瑞樹は父と接点がある可能性を求め、あらゆる人に会いに行った。

仕事などどうでもよかった。

父ならきっと、真実を追い続ける娘を笑わない――

そう信じることで、ようやく足が前へ進んだ。


ふとスマートフォンの画面を見下ろす。

待ち受けは医学部合格の日、父と見上げた雲ひとつない青空。


胸の奥がひりつき、視界の輪郭がゆらぎ始める。


瑞樹は無意識に、画像フォルダを開いた。

父との写真。記念日の写真。廊下で撮った何気ない自撮り。

大切なはずの瞬間たちが、今はただ痛い。


気づけば指が動いていた。


「……これも、一応」


空っぽの心でいつの間にか数枚を選んで送信した。

送信済みの表示が出るまで、数秒。

その間にようやく自覚が追いつく。


――あ。


これは、父とはまるで関係のない自分の写真だ。

思わず苦笑いが漏れ、同時に「まあ、いいか」と肩の力が抜ける。

ここまで来たのなら、あとは結果を待つしかない。



そして二日後。

瑞樹の携帯が、不意に鳴った。

解析を依頼した専門家からだ。

これまで向こうから電話が来たことなど、一度もない。


慌てて通話ボタンを押す。


「篠崎さん、やりました!一致する画像が見つかりました!ぜひ来てください!」


息を飲む暇もないほど、興奮した声。


「ほ、本当ですか?いったいどんな画像だったんです?」


瑞樹は胸の高鳴りを抑えて尋ねる。

一致する画像があったのは僥倖だが、重要なのはその中身だ。


「それはぜひ、ご自身の目で。お待ちしています。では!」


嵐のように一方的な言葉を残し、通話は切れた。


携帯を握りしめたまま、瑞樹は立ち尽くす。


――一致する画像があった。


では、父は最期に、何を見ていたというのか。


その答えを知れば、ようやく一歩、前へ進める気がした。

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