第7話 招待状と仕立て

 王宮より届いた舞踏会の招待状は、ブロッサム家の朝の食卓を一瞬で華やがせた。

 リリーナにとって、王宮で開かれる舞踏会に出席するのは今回が初めてだった。

 家の都合や学業のため、これまでその機会に恵まれなかったのだ。

 

 けれど、その封蝋を割って内容を一読した妹のアイリスは、すぐに頬を膨らませた。


「ええ~……また大人だけ?王宮行きたかった~!!」


 まだ十四歳のアイリスは、王宮の舞踏会には参加できない。

 煌びやかなホールやシャンデリア、美味しそうな料理に山盛りのスイーツ――

 想像ばかりがふくらみ、行けない現実に、思わずむっと唇を尖らせた。


「アイリスはまだ十四歳だもの」

 

 ダリアが微笑む。

 

「あと数年すれば、あなたも参加できるわ」


「その数年が長いのよー!」


 むうっと頬を膨らませるアイリスに、家族全員が思わず笑みをこぼした。


 一方でリリーナは、初めてカイルと一緒に参加できる舞踏会に胸を弾ませた。

 

(どんなドレスにしよう……アクセサリーもどんなのにしようかしら。カイルはどんな色や形が好きかしら……)

 

 考えるだけで、頬が自然と上がってくる。


「リリーナが婚約して初めての王宮の舞踏会ですもの、ドレスも新調したいわね」


 ダリアがにこやかに言った。


「えっ、ほんとに?うれしい!」

 

 リリーナは目を輝かせ、笑みがこぼれる。


「もちろんだよ。せっかくだから、カイルくんとも相談できるように、日にちを決めて仕立て屋さんを呼ぼうか」


 そんなリリーナを見て、オリバーも柔らかく微笑んだ。

 

 それからカイルと日取りを合わせて仕立て屋を呼ぶことに決めた日。ブロッサム家の朝は、いつもよりどこかそわそわと華やいでいた。

 今日は、最近人気の仕立て屋――アトリエクローバーディア――が訪れる日なのだ。


 執事に案内されたカイルが玄関に到着すると、オリバーとダリアが笑顔で出迎えた。


「おはよう、カイルくん。来てくれてありがとう」

「おはようございます。お招きいただき、恐縮です」


 カイルは丁寧に頭を下げる。この礼儀正しく温厚な青年を、リリーナの両親はすっかり気に入っていた。


「いいんだよ、カイルくん」

 

 オリバーは気さくに笑い、肩を軽く叩く。 


「あなたも家族になるんだもの。遠慮しなくていいのよ」

 

 ダリアも微笑みながら頷く。

 カイルは少し照れたように目を細め、二人の温かな視線を感じた。


「リリーナもそろそろ来ると思うんだけど」


 そう言ってダリアが階段を見上げたそのとき、ちょうどリリーナが顔を出した。


「カイル、おはよう!」


 思わずこぼれた明るい声に、自分でも少し照れ笑いを浮かべてしまう。

 カイルの視線がリリーナを捉え、その表情がさらに柔らかく解けた。


「おはよう、リリーナ。今日はとても楽しみにしていたんだ」


 真っ直ぐに向けられた言葉に、リリーナの心臓がくすぐったく跳ねる。

 ふたりの間に甘い空気が流れかけた瞬間、それを突き破るようにアイリスが階段を駆け降りてきた。


「カイル様、おはようございます!ねぇねぇ、どんなドレスになるの?お姉さま、絶対かわいくなるよね!私まで楽しみだわ!」


 嵐のようなアイリスの勢いに、ダリアが「はしゃぎすぎよ」と笑いながら宥める。玄関先は一気に賑やかな空気に包まれ、リリーナとカイルも思わず緊張が解けて笑みをこぼした。


 玄関での挨拶が一段落すると、リリーナはカイルを応接間へと案内した。


「二人だけで、ゆっくり選ぶといいよ」

「何かあったらすぐに呼ぶのよ」


 そう言って、ダリアとオリバーは微笑みながらそっと応接間を後にした。アイリスも元気よく手を振りながら、自分の部屋へと戻っていく。


 リリーナとカイルは応接間でゆったりと腰を下ろした。窓から差し込む朝の光が、部屋の調度品やカーペットに柔らかく反射する。仕立て屋が到着するまでのひとときを、二人は静かに楽しんだ。


「なんだか……ちょっと緊張してきたな」


 カイルがふっと肩の力を抜くように微笑む。その飾らない言葉に、リリーナの緊張もふわりと解けた。


「ふふ、私もです。何だか不思議な感じですね」

 

 自然にこぼれた笑みが重なり、視線が合う。

 そんな心地よい沈黙を破るように、応接間の扉が静かにノックされた。


「失礼いたします。アトリエクローバーディアの者が到着しました」


 執事の声に応え、二人はすっと立ち上がり、仕立て屋を迎え入れた。

 案内されて入ってきたのは、洗練された身のこなしの女性だった。彼女は手慣れた様子で、色とりどりの布見本や、光を湛えたアクセサリーケースを抱えている。


「リリーナ様、カイル様、本日はよろしくお願いいたします。アトリエ・クローバーディアのルミナと申します」


 そう名乗り、ルミナは丁寧に一礼した。


「今日は、よろしくお願いします」

「楽しみにしていました。よろしくお願いします」

 

 二人は穏やかに挨拶を返し、改めてソファに並んで腰を下ろした。


「ではさっそく、お色から決めましょうか。リリーナ様の髪色や瞳に映える色を選ぶと、より魅力が引き立ちますね。何か希望はございますか?」


 彼女がテーブルの上に広げ始めたのは、繊細なレースや艶やかなシルクの見本だった。それらが朝の光を浴びてキラキラと輝くのを見て、リリーナの胸は期待に小さく弾む。

 そっと布見本に手を伸ばし、柔らかな色合いを眺める。どれも魅力的で、自然と手が止まった。


「そうですね……どれも可愛らしくて、迷ってしまいます」


 カイルは隣で微笑み、彼女の手元をのぞき込むように視線を向けた。


「どの色も君に似合いそうだね」

「気になるのは……この柔らかいピンク色か、ペールグリーン、それともこの黄色かしら……。お二人は、どう思われますか?」


 ルミナは穏やかに微笑み、いくつかの布見本を並べ替えながら指さした。


「そうですね、どれもリリーナ様の髪や瞳の色に映えて、とてもお似合いになると思いますよ」


 カイルも静かに頷きながら言う。


「うん、僕もそう思う。特にこのペールグリーンなんか好きだな」


 リリーナは鏡の前に立ち、ルミナが手に持つ布見本を順番に体に当ててみたり、ルミナやカイルの意見を聞いたりしながら、どの色が自分に似合うかをじっくりと考えた。

 

 柔らかなピンクは優しい印象を、明るい黄色は華やかさを引き立てる。ペールグリーンは髪や瞳の色にしっとりと馴染み、どこか穏やかな品格を漂わせる。

 リリーナは二人の意見を聞きながら少し頬を染め、最終的にペールグリーンを選ぶことを心に決めた。

 ルミナは穏やかに頷き、記録用のメモを取りながら微笑む。

 

「承知いたしました。では、リリーナ様のドレスはペールグリーンを基調に進めさせていただきますね」


 そして、ふとカイルのほうへ視線を向ける。


「せっかくでございますし、カイル様のお召し物のお色も先に決めてしまいましょうか。リリーナ様のお色と合わせると、並ばれた際により美しく映えます。何か気になるお色はございますか?」

 

 そう言って、ルミナは男性用の布見本を数枚、丁寧にテーブルへ広げた。

 フォレストグリーンやネイビー、ダークグリーンやチャコールグレー――どれもペールグリーンの隣に立つのにふさわしいような色だ。


 カイルはしばし視線を迷わせたあと、その中のひとつへそっと手を伸ばした。


「この色はどうかな?」


 落ち着いた深い緑――リリーナのペールグリーンの隣で穏やかに寄り添い、ダークブラウンの髪色とも調和して、彼の静かな雰囲気をより引き立てる色だった。


「素敵ね。カイルにとても似合うと思うわ」


 リリーナは、カイルがその深い緑のジャケットに身を包んで自分の隣に立つ姿を想像し、胸がどきりと高鳴った。頬がほんのり熱を帯びたのを隠すように視線を落とす。


「えぇ、リリーナ様のドレスとも美しく調和いたしますし、お二人で並ばれたとき、とても映える色合いになりますよ」


 ルミナも柔らかく微笑み、布見本の端を丁寧に示した。


「じゃあ、これにしてもらおうかな」

 

 カイルは少し照れたように頬をかきながら笑い、その穏やかな仕草にリリーナの胸はまたそっと跳ねた。

 カイルの衣装の色が決まると、ルミナは満足そうに軽く頷き、デザイン画のファイルを広げた。


「では次に、リリーナ様のドレスのデザインに移りましょう。スカートの形や装飾について、いくつかご提案させていただきますね。」


 そう言ってルミナは一着のドレスを指さした。


「ペールグリーンですと、こちらのような軽やかで柔らかい雰囲気のデザインなども映えると思います」


 ルミナが指先で示したのは、スカート部分は何層もの薄い生地が重なっていて、歩くたびに風にほどけるみたいにふわりと揺れる軽やかなシルエットになっている。


「わぁ……すごく可愛いです」


 リリーナはページに吸い寄せられるように身を乗り出した。


「うん、これリリーナが着たら絶対きれいだと思う」


 カイルが柔らかい声で添える。

 ルミナは続けて説明を重ねた。

 

「薄手のオーガンジーを幾重にも重ねていますので、動くたびに表情が変わるんです。色も淡いグリーンが透けるように見えて、とても上品ですよ」


 ルミナの説明を聞きながら、リリーナはそのデザイン画をじっと見つめた。

まるで視線が離れない――ほかのどれでもなく、これしかないと胸の奥が静かに決めてしまっているような感覚。


「私、これがいいわ。とても素敵!」


その言葉に、ルミナは嬉しそうに目元を柔らかく和らげた。


「とてもお似合いになると思います、リリーナ様。それと……もしよろしければ、ウエストのリボンをカイル様のお召し物と同じ深い緑に合わせてみてはいかがでしょう。

お二人が並ばれたとき、より一層美しい印象になりますよ」

 

 その言葉を聞いて、リリーナは思わず頬に両手を添えた。自分の選んだペールグリーンのドレスに、カイルの深い緑がそっと重なってくれる――それを想像しただけで、胸の奥がぽっとあたたかくなる。


「素敵ね。ぜひ、そうしてください」


 リリーナは微笑みながらルミナへ向き直った。

 ルミナは嬉しそうに軽く頭を下げる。


「承知いたしました。ではウエストのリボンは、カイル様のお召し物と同じ深い緑でお仕立ていたしますね」


 その横で、カイルは耳のあたりをかきながら照れ笑いを浮かべた。


「……照れくさいけど、嬉しいね。お揃いみたいなの、なんかいいな」


 二人は目を合わせ、ふっと同時に微笑んだ。

 

 その後、刺繍や装飾の細やかなデザインをひとつひとつ決定していき、リリーナのドレスはついに決定した。柔らかなペールグリーンを基調に、カイルの深緑をそっと重ねたリボン、ふんわりと揺れるスカート、繊細な金の刺繍の装飾が加わった、まさに彼女だけの特別な一着だった。


 リリーナのドレスが決まると、カイルの装いもすんなりと決まった。細身で落ち着いたシルエットの礼装用ジャケットに、襟元や袖口には金糸の刺繍が施されている。

 リリーナのドレスとカイルの装いが決まると、次はアクセサリー選びに移った。ルミナが持参した宝石ケースを開くと、小さく光る宝石がきらりと並んでいる。


「リリーナ様には、耳元や胸元に瞳と同じ色のペリドットを使うと、瞳の色とさりげなくリンクして、とても素敵に映えます。もちろん、ドレスの色ともぴったり合いますよ」

 

 リリーナは目を輝かせ、キラキラと光る宝石をじっと見つめた。ルミナは柔らかく微笑み、さらに提案を重ねる。


「もしくは、お互いの色を身につけるのもおすすめです。

カイル様の瞳の色のシトリンをアクセントにすると、刺繍の金糸とも自然に調和しますし、違和感なく華やかさが増しますよ」


 その言葉を聞いて、リリーナはそっとシトリンへ視線を落とした。


「どうぞ、手に取ってみてくださいね。光の角度で印象が変わりますから」


 促され、リリーナは宝石に指先を伸ばす。

 キラキラと輝くシトリンは、まるでカイルの瞳のように柔らかな蜂蜜色で、光を受けて静かに瞬いていた。


「……うん、この宝石を身につけたいわ。カイルの瞳の色、すごく綺麗だなって思っていたの」


 頬をわずかに染めながらそう言うリリーナに、カイルの耳がほんのり赤く染まる。


「僕も……リリーナの色をどこかに入れたいな」


 照れた笑みを浮かべながら、カイルもペリドットの淡い緑へそっと手を伸ばした。

 ルミナはそんな二人を温かく見守り、優しく頷く。


「とても素敵です。では、リリーナ様にはシトリンを。カイル様にはペリドットをあしらいましょう」

 

 宝石選びが終わると、その流れでアクセサリーのデザインも決めていった。

 リリーナは胸元に、花の形にシトリンをあしらったネックレスと、同色のイヤリングを選ぶ。

 カイルは胸元のレースを留めるブローチにペリドットを配し、さらに礼装用ジャケットのボタンにも同じ緑の石を埋め込むことにした。

 必要なものが一つずつ形になっていき、こうして二人の衣装選びはひとまず整ったのだった。

 ルミナが最後に二人に微笑みながら一礼する。


「それでは本日はこれで失礼いたします。素敵なお仕立てにいたしますね」

「ありがとうございました」


 リリーナもカイルも声をそろえて礼をすると、ルミナは軽やかに笑って応接間を後にした。


 扉が閉まると、ふたりだけの静かな空間が戻り、二人は顔を合わせて微笑み合った。


 リリーナはその夜、胸を弾ませながらベッドに腰を下ろした。指先でそっとノートを開くと、白いページが静かに彼女を迎える。

 

『お元気ですか?私は今日、舞踏会のドレスを選んだの。とても素敵なデザインだったから、舞踏会が今から楽しみだわ。』


 そう書き終えると、リリーナは少し期待を込めてページを眺めた。けれど、いつものように文字がじんわりと浮かぶことはない。


(……今日も忙しいのかしら)

 

 ほんの少しだけ肩を落としながら、リリーナはページをそっと閉じた。そして楽しかった一日の余韻に包まれながら、やがて眠りへと落ちていった。


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