第3話 初めてのデート

 翌日の午前中。リリーナは妹のアイリスと自室のソファに腰を下ろし、ゆったりと話をしていた。

 柔らかな陽が差し込む室内で、カップを手に身を乗り出したアイリスの目は、きらきらと輝いている。


「ねえ、お姉さま。昨日のこと、ちょっと聞かせてよ」

「え、なにを?」

「もう、とぼけないで!未来のお義兄さまになる方かもしれないじゃない、気になるわ!」


 リリーナは昨日のことを思い出して頬が少し赤くなる。指先で髪の毛先をくるくるといじりながら、視線をそっとそらした。

 

「そうね……優しくて、話していて落ち着く人だったわ。不思議と安心する感じ」


 恥ずかしさから自然と頬に手を添える姉の様子を見て、アイリスは楽しそうにくすくす笑う。

 

「へぇー、そうなの!やっぱり優しい方が一番いいわよね。次はいつお会いするの?」

 

 リリーナは少し照れくさそうに笑い、カップを手に取りながら答えた。

 

「今度、一緒に植物園に行かないかって誘ってくださったわ」

「わあ、いいじゃない!お姉さまの好きそうな場所を提案してくれるあたり、センスもよさそうね」

「どうなるかはまだわからないけれど、一緒に出かけるのは楽しみだわ」

 

 二人はそれから話題を次々と変え、ちょっとした出来事や好きなこと、将来のことまで気ままに語り合った。

 リリーナは妹の可愛らしい仕草や無邪気な言葉に何度もくすりと笑い、アイリスも姉の反応を嬉しそうに見つめる。

 気づけば、二人だけの楽しい時間が静かに過ぎていた。


***

 

──そして数日後。


 あれからカイルとの手紙のやりとりが何回か続き、そしてついに、彼との約束の日がやってきた。

 リリーナは、楽しみで少し早めに目を覚ました。窓から差し込む柔らかな光に包まれ、今日の一日を思い浮かべながらベッドから体を起こす。扉の外からノックをする音が聞こえ、メイドのサラがやってきた。


「おはようございます、リリーナ様。今日は午後から植物園へのお出かけですね。朝のうちは軽く身支度を整えましょうか」

「ええ、ありがとう」


 軽やかなワンピースに着替えたリリーナは鏡の前に座る。サラが手際よく髪をまとめ、淡いピンクのリボンをそっと結ぶと、自然な笑みが顔に浮かんだ。


「午後のお出かけ用の服は、どのワンピースにいたしましょうか?」

「そうね……あっ、この髪のリボンに似合うワンピースはどれだと思う?」


 サラはあごに手を当て、少し考えるように微笑む。

 

「そうですね……淡いミントグリーンのワンピースはいかがでしょうか。リボンの優しいピンクと柔らかく馴染んで、とても可愛らしい印象になると思いますよ」


 そう言ってサラはワンピースを手に取り、リリーナに差し出す。リリーナは鏡の前でかざし、うっとりと眺めた。

 

「わあ、本当に素敵……これにしようかな」

「とてもお似合いです、リリーナ様。お出かけ前に着替えと髪の仕上げを整えましょうね。きっと素敵な一日になりますよ」

「ありがとう、サラ」


 リリーナは少しドキドキしながら頷いた。今日の植物園での時間が、さらに楽しみになった瞬間だった。


 支度を終え、階下へ降りると、朝食の香りがふわりと漂う。

 

「おはようリリーナ。あら、可愛いリボンを付けているわね」

 

 ダリアが微笑むと、オリバーも優しく頷いた。

 

「午後から植物園に行くのだろう?楽しんできなさい」


 食卓には温かい朝食が並び、家族の穏やかな声が響く。雑談を交わしながら、リリーナはゆっくりと食事をとった。今日の予定を考えると、胸の奥がほんのり高鳴っていた。

 

***

 

 そして午後、リリーナは少し緊張しながらも胸を弾ませて馬車に乗り込んだ。外の空気を感じながら、心の中で今日の会話や花々の光景を思い描く。


 約束の時間より少し早めに植物園の門の前に着くと、すでに約束の場所には一人の青年が立っていた。カイル・ドゥヴァルだ。柔らかなダークブラウンの髪が、そよ風にふわりと揺れている。

 彼の背中を捉えた瞬間、心臓がどきりと高鳴るのを感じた。胸の高鳴りをそっと手で抑えながら、少しずつ彼の方へ歩み寄る。


「待たせましたか?」


 声をかけると、背を向けていたカイルがゆっくりと振り返る。かちりと視線がぶつかった刹那、彼の唇に春の陽だまりのような笑みがこぼれた。


「いいえ、全然。……その、今日の装いも、髪も。とてもよく似合っていますね」


 真っ直ぐなその言葉と笑顔に、リリーナの胸がまた小さく跳ねる。頬が熱を帯び、思わず視線を落としてしまった。

 

「ありがとうございます……」


 少しの沈黙。リリーナは勇気をふりしぼるように、か細い声で言葉をこぼした。


「あの……カイル様も、とても素敵です」

 

 カイルは一瞬きょとんとしたあと、照れたように微笑む。後ろ髪をかくその仕草の耳のあたりが、ほんのり赤く染まっているのが見えた。

 

「ありがとうございます。ええっと……では、行きましょうか」


 カイルは照れを紛らわすように小さく微笑むと、そっと腕を差し出した。

 その逞しい腕に戸惑いながらも指先を添えれば、彼は彼女の小さな歩幅に合わせるように、ゆっくりと歩み出す。


 園内を心地よい風が吹き抜け、色とりどりの花々がさわさわとささやき合うように揺れている。

 並んで小道を歩くリリーナの意識は、視界を彩る花々よりも、そっと添えた手から伝わる彼のぬくもりに注がれていた。

 彼の存在がとても近い。ちらっと彼の横顔を見上げてみると、ちょうど同じタイミングで、彼もまたリリーナに視線を落としたところだった。

 

 不意に、至近距離でかち合う視線。

 カイルは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに照れを隠すような穏やかな眼差しでリリーナを見つめ返した。

 

「……どうかしましたか?」

 

 耳元に響く、低く柔らかな声。リリーナは弾かれたように視線を泳がせ、「いいえ、何でも……」と小さな声を絞り出すのが精一杯だった。

 照れを誤魔化すように、リリーナは逃げるようにして足元に咲く一際鮮やかな花壇へ視線を落とした。


「……あ、このビオラ、とても可愛いですね」

 

 不自然に上擦った声を、花の話題で塗りつぶそうとする。リリーナが足を止めると、カイルもその隣で、彼女の視線を追いかけるように身を屈めた。

 

「本当ですね。こっちの色は、僕は初めて見るな」

「あ、私も……。珍しい色なのかしら」

 

 気づけば、肩が触れ合いそうなほど近くに彼がいる。

 照れを誤魔化すために視線を逸らしたはずなのに、余計に逃げ場がなくなってしまった。誤魔化しきれないほど大きく響く自分の鼓動に戸惑っていると、隣にいるカイルはさらに別の花を見つけ、少し少年のような瞳で指差した。


「あ、こっちの花も……すみません、何だか僕の方がはしゃいでしまっていますね」

 

 少し耳を赤くしながら照れたように頬をかくその仕草に、リリーナは思わず笑みをこぼした。

 

 ふたりは花壇をひとつずつ見て回りながら、他愛もない話を続けた。紅茶の話、好きな季節の話、最近読んだ本の話――どれも特別な話題じゃないのに、不思議と会話が続いていく。

 やがて噴水の近くへ差しかかると、辺り一面にチューリップが咲き誇る、鮮やかな景色が広がった。赤や黄、白にピンク……。色とりどりのチューリップが陽の光を受け、柔らかな風に揺れている。

 絶え間なく響く、噴水のさらさらという涼やかな水の音が、二人の穏やかな語らいを優しく包み込んでいた。


「素敵……」


 思わずこぼれたリリーナの声に、カイルは隣で目を細めた。


「これだけ咲いていると、圧倒されますね」

「どの花も綺麗だわ。……でも、これだけの数を綺麗に咲かせるなんて、本当に大変なんでしょうね」


 ぽつりとこぼすと、カイルはくすっと笑った。


「はは、植える側の目線になるの、花を愛する貴女らしいですね。……でも、僕も分かります。そう思う気持ち」


 そう言って柔らかく笑うカイルに、リリーナの頬も自然と緩む。


(一緒にいて、楽しいな……)


 チューリップの花々がやさしく揺れている。

 リリーナは隣を歩くカイルの横顔を、彼に悟られないようそっと盗み見た。彼の整った横顔を見るたびに胸の奥があたたかさで満たされるようだった。


 けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎていくものだ。

 やがて植物園の出口にさしかかると、カイルが少し足を止めた。

 

「少し、待っていてもらえますか」

 

 リリーナが不思議そうに小首をかしげると、カイルは近くの売店へ向かった。店員に手短に何かを頼み、やがて小さな包みを大切そうに抱えて戻ってくる。


 その手には、淡いピンクのチューリップと、やわらかなラナンキュラスのブーケ。


「……これ、よかったら受け取ってもらえませんか」

「わあ、ありがとうございます……!」


 リリーナが花を受け取ると、柔らかな香りがふわりと漂い、胸がじんわり温かくなる。

 カイルは少し照れたように視線を逸らしながらも、リリーナの笑顔を見て、ほっとしたように目尻を下げた。そんな彼の様子に、リリーナはこれまでにない安らぎを覚える。


「今日はとても楽しかったです。……もしよければ、またご一緒してくれますか」

 

 リリーナは胸の高鳴りを抑えながら、花束を抱きしめるようにして、小さくうなずいた。

 

「……はい。私も、とても楽しかったです」


 ふたりの視線が重なり、どちらともなく微笑む。春の風が、花の香りとともにそっと通り抜けていった。

 

***

 

 夕暮れの光が屋敷に差し込むころ、リリーナは帰宅した。腕の中にはカイルから貰った淡いピンクのチューリップとラナンキュラスの花束。ふわりと溢れる優しい香りが、今日の出来事をそっと思い出させる。

 

 夕食をとり、入浴をすませ、夜も深まったころ。一人になったリリーナは、そっとノートを開いた。

 すると――まるで待っていたかのように、新たな文字が浮かんでいる。

 

『こんばんは。今日はお出かけしてたんだよね。どうだった?』

 

 リリーナは微笑んで、万年筆を握る。

 思い出すのは植物園での出来事。

 

『こんばんは。とても素敵な時間だったわ。

 花が綺麗で、いろんな話もできたの。

 それに、お土産に花束までいただいたの』

 

 ランプの光がやわらかく揺れる中、しばらくして文字がにじむように浮かんだ。

 

『そっか。きっと、君にすごく似合う花なんだろうね。』

 

 ほんの少し間を置いて、問いかけが続く。

 

『……その人のこと、気になる?』

 

 リリーナはペンを止めて、一瞬だけ考えた。

 目を閉じれば、カイルの穏やかな微笑みや、少年のような照れた表情、そして手を添えた時に伝わってきた確かな体温が、鮮やかに蘇ってくる。

 

 (……あ、また私、彼のことを考えてる)

 

 放っておけばそのまま意識がぽーっと遠のいてしまいそうになり、リリーナは慌てて首を振った。火照った頬を落ち着かせるように一度深呼吸をしてから、ノートにそっと書き込む。


『うーん、まだよく知らないけれど……お話していると安心するの』

 

 ページの上で、インクがわずかに揺れた気がした。そして短く、静かに文字が綴られる。

 

『そうなんだ。』

『さて、ごめんね、早いけど、そろそろ寝るとするよ。おやすみ。』


 リリーナは小首をかしげる。

 

(あれ……今日も少し短いような……)

 

 カイルとの時間を報告できた嬉しさと、ノートの彼がどこか遠くへ行ってしまったような、小さな寂しさ。それでも彼女は、空いた余白にそっと書き足した。


『おやすみなさい。今日もお話できてうれしかったわ。』

 

 エメラルド色のインクは、ランプの光をやわらかく反射している。

 

(私も、今日はもう、ベッドに入りましょう。……ふふ、いい夢が見られそう)

 

 名残惜しさを感じつつも、ノートを大切に引き出しへとしまい、ランプを消してシーツに潜り込んだ。


 暗い部屋、天井を見上げながら思い出すのは、今日一日のこと。

 カイルと並んで歩いた、あの距離。ふとした時に盗み見た彼の横顔は、思ったよりもずっと近くて、凛々しくて。肩の高さの違いに「男の人なんだわ」と改めて実感した瞬間のことを思い出しては、じわじわと顔が熱くなる。

 

 リリーナは堪えきれずに枕に顔を埋め、一人で「きゃーっ!」と叫びたいような気恥ずかしさと、爆発しそうなときめきに身悶えた。

 

(それに……『またご一緒してくれますか』ですって!)


 次は一緒にどこに行けるのだろう。それとも、まずは彼からお誘いのお手紙が届くのかしら。

 そんな明日からの日々に思いを馳せると、胸の鼓動はいつまでも心地よく弾み続けた。


 リリーナは幸せな予感をそっと抱きしめるようにして、いつしか深く、温かな眠りの中へと落ちていった。

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