凪の日常、ぴろしの嵐

いわもと

凪の日常、ぴろしの嵐


 ぼく、田所英二の日常は凪だ。ここだけの話、半分死んでいる。


 パチンコ屋に着くと、既に十人くらいの客が並んでいた。スマホで時間を確認すると、あと五分で開店だった。

 入口の前に並んでいる人たちを横目に、ぼくは喫煙所へ行く。

 喫煙所のベンチには若者が二人座っていた。ロン毛と、坊主だ。

「ぴろしって、めっちゃおるらしい」ロン毛が言った。

「でた、都市伝説」坊主が言った。

 開店した。並んでいた客がぞろぞろと建物の中に入っていく。ぼくもそれに続いた。

 店内は夏を遠ざけていた。パチンコ屋に季節はなかった。

 パチンコは趣味だ。言っておくけれど、お金はない。ぼくは高校の非常勤講師で、収入は月に八万円ほど。実家暮らしだ。

「兄ちゃん、いっつもこの台打ってんな」

 打ち始めて三十分が経って、ぼくより一回りくらい上の男が話しかけてきた。

「そうっすね」ぼくは言った。

「まあスペックは悪くないからな」

 そう言って男は去って行った。

 二万円が一時間でなくなった。正確には五千発だ。現金は使わず、店に預けているパチンコ玉、いわゆる貯玉を使っている。一玉が四円なので、五千発は二万円だ。ぼくは今、貯玉が二十万発ある。現金にすると、八十万円だ。




 昼過ぎにパチンコを止めて家に帰った。

 外の小屋で犬がぐったりしている。


「それ適当に食べといて」母親が言った。

「ああ」ぼくは言った。

 めんつゆをグラスに注ぐ。そこに刻まれた小ネギを入れる。箸でうどんをつかんでめんつゆに浸す。そして食べる。まだ飲み込まないうちに、錦糸卵とハムを口に入れた。

「採用試験いつやっけ?」母が言った。

 うどんがくっついていて、適量をつかむのが難しい。少なすぎたり、多すぎたりする。

「分からん」二回目のうどんを口にする前に、ぼくは言った。


 二階にある自室に行く。ベッドに寝そべり、今ひそかに流行っているスマホアプリ『成立しない会話』を開く。そして「観客」のボタンを押す。すると「間もなく対戦スタートです」というメッセージが表示された。

 チャットでの対戦が始まる。先攻が「狂児」で後攻が「ルイジアナ」だ。冒頭は「眠い」で、ルイジアナが切り出す。


 ルイジアナ「眠い」

 狂児「ぴょっぴょーーーん。ぴぴぴ、ぴー!!!」

 これが狂児のスタイルだ。

 ルイジアナ「否」

 狂児「ずべばずびずず〜ん、、、しゅ」

 ルイジアナ「写真! 撮ろ?」

 狂児「まーーーーーーーーん、す?」

 ルイジアナ「孫を紹介しますので」

 試合時間、残り五秒。四秒、三秒、二秒、一秒。

 狂児「コロッケ」


 試合が終わった。投票の時間だ。ぼくはチャットを読み返して、狂児に投票した。数分で締め切られて、結果が発表される。76%で狂児の勝利だ。

「やっぱそうやんな」

 と、ぼくは独りごちた。



 教卓でノートを開く。教える内容を整理しながら、チャイムが鳴るのを待つ。

 教室はざわざわしている。後方にいるヤンチャなグループの話に聞き耳を立てる。どうやらその内の一人は、卒業したら居酒屋で働くらしい。

 チャイムが鳴る。

「じゃあ始めます。起立」

 生徒たちは皆、嫌そうに立ち上がる。彼らのなかで、背筋が伸びているのは二人くらいだ。その二人もふざけているだけで、心から背筋を伸ばしているとは思えない。そういうぼくの背筋も、全然伸びていない。

「近藤立てよー」ぼくは言った。

「だっる」

 そう言って近藤は誰よりも嫌そうに立ち上がった。

「礼。お願いします」

 と、言い終わる前に生徒たちは座った。

 担当するのは世界史で、高校三年生の一クラスに教えている。ぼくが持っている資格は日本史なのだけれど、世界史を教えてもいいらしい。

「じゃあまず資料集を見てください」

 次にページ番号を言おうとした時、教室のドアが開いた。そこに立っていたのは伝説の教師役でおなじみのベテラン俳優、ぴろしだった。生徒たちの彼への視線が、数秒で驚きから戸惑いに変わっていく。

「どういうこと……?」近藤が言った。

 静まり返った教室に、ぴろしが入ってくる。そしてぼくを押しのけ、教壇に立った。彼を見ると、大粒の汗が額から流れていた。サイレンの音が聞こえる。

「俺があの伝説の名台詞『あんまりパッとしない人は、旧帝大に行きましょう』を言うと思ったか?」

 そう言って彼は笑った。

 周りを見てもテレビのスタッフらしき人やカメラらしきものはどこにもない。

「プ、プライベートですか?」

 と、ぼくは言った。

「プライベート、だと?」彼は言った。

 彼は異様に汗をかいていた。雫がノートにぽたぽた落ちている。

 ぼくを一瞥した後、彼は生徒たちに向かってこう言った。

「あんまりパッとしない人は、旧帝大に行きましょう!」

「確保!」

 警察官が二人、教室に入ってくる。一人は拳銃を構えている。もう一人がぴろしをタックルで倒し、うつ伏せにさせ、馬乗りになって手錠をかけた。

「十時十七分、建造物侵入罪で現行犯逮捕!」

「……どういうこと?」近藤が言った。

「訳が分からん」

 と、生徒の誰かが言った。

 ぴろしは連行されて教室を出て行った。彼は去り際にフッと笑い、ぼくに向かって「田所、嵐が来るぞ」と言った。

 明日から夏休みだ。



 午後の二時過ぎに起きた。外に出て煙草を吸う。

 非常勤講師は夏休み中、学校に行く必要がない。となれば、パチンコをするしかない。


 いつもの台を打つ。

 百回くらい回して、熱いリーチが来る。ヒロインを主人公が助けに来て、役物が落ちた。主人公が敵を倒せば当たりだ。……倒した。ありがとう。

 誰かがぼくの肩を叩いた。振り向くと、そこにはぴろしがいた。

「ど、どうして……」

 みんな、ぴろしに気付かずパチンコをしている。

「いいか。俺はな、五万体いるんだ」

 と、彼はぼくの耳元で言った。

「へ?」

「その五万体の行動と記憶は、マスターぴろしを通じて共有されている。つまり、俺はお前のことを知っている」

「へ?」

「そこでだ。お前に頼みがある。……マスターぴろしを倒してくれ」

「へ?」

「あいつがいると、俺たちは自由になれない。俺たちは、あいつに全てを知られている。今のこの状況もだ。そして、あいつはいつでも俺たちを殺せる」

 そう言って彼は、ぼくのズボンのポケットに一枚の紙を押し込んだ。そして絶命した。



 ぴろしが棺桶に入れられて運ばれるのを見送った後、喫煙所で渡された紙を読んだ。そこには経度と緯度が書かれていた。

「ここに行けってコト……?」

 ふと人陰に気付いて顔を上げると、サングラスをかけたおじさんが紙を覗き見していた。

「なんやそれ。宝の場所か」

 おじさんはにたにたしている。

「いや、別に」

「それ、買うたるわ」

「え?」

「一万円で買うたる」

 そう言っておじさんは、くしゃくしゃの一万円札を差し出す。

 ぼくは思わず紙を折り畳んで、読めないようにした。「そういうんじゃないんで」

「さよか。兄ちゃん、損したで」

 おじさんは一万円札を財布にしまった。

「何か知ってるんですか?」

「マスターぴろし、やろ?」おじさんは言った。

「えっ!?」

「……今から十年くらい前かなあ。兄ちゃんと同じや。マスターぴろしを倒してくれ言うて、経度と緯度の書かれた紙渡してきて」

「い、行ったんですか」

「行ったで。無職で暇やったから。で、これや」

 そう言っておじさんはサングラスを外した。おじさんの目は、白目と黒目が逆になっている。ぼくはゾクっとして、思わず目を逸らした。

「だから、一万円でそれを買わせてくれへん?」

 おじさんは亡霊のように紙に手を伸ばす。ぼくはそれを拒んだ。

「頼む! 次は倒せるんや!」

 そう言っておじさんは土下座をした。

「どうやって倒すんですか」

「それは言われへん! 頼む! なあ、お願いや」

「じゃあ、二人で行きますか」

「え、ほんまに!? ええんか!?」

「その代わり、倒し方を教えてください」

「しゃあない」そう言っておじさんはぼくの隣に座った。「まずな……」



 マスターぴろしを倒す鍵は『成立しない会話』にあるという。おじさんが開発したアプリらしい。たぶん嘘だ。

 ぼくはそのアプリを開いて「対戦」ボタンを押した。ローディングを経て、対戦相手が決まる。先攻は「たける中1」で後攻がぼく「モツ煮」だ。ぼくの「てかさあ」から対戦が始まる。


 モツ煮「てかさあ」

 たける中1「算数の才能ないね」

 モツ煮「チェケラッチョ」

 たける中1「え? 鼻毛飼ってるの?」

 モツ煮「飼ってない」

 たける中1「野球じゃん」

 モツ煮「たとえば札幌」

 たける中1「思えばタコス」


 意表をつかれて手が止まった。次の言葉が思い浮かばず、そのまま試合が終わる。

「兄ちゃん、負けやな」おじさんが言った。

 投票が終わり、結果が出る。99%でたける中1の勝利だ。

 青空には一筋の飛行機雲が伸びていた。この喫煙所に、もう一時間くらいいる。

「兄ちゃん、なんで負けたか分かるか?」

「途中、普通に会話したからじゃないですか」ぼくは言った。

「ちゃう。最後の一言や」

「『思えばタコス』ですか?」

「せや。これは兄ちゃんの『たとえば札幌』とは会話になってへんけど、リズムとしては繋がっとるやろ。こういうのがポイントになるんや」

「会話にはなってないけど、繋がってるのがええんですね」

「せや。会話が成立しないだけやったら、めちゃくちゃなこと言えばええだけやん。でもそれやったらあかん。マスターぴろしを倒そうと思ったら、会話は成立してへんけど、何かが成立してるんが大事になってくんねん」おじさんは言った。「まあ、今のこいつのはまぐれやけどな」

「ぼくの『たとえば札幌』が呼び水やったっぽいっすね」

「せやな。せやけど、兄ちゃんがこの後上手いこと返せてたら、勝ってた可能性もある」

「あー。たとえばどんな感じですか」

「それは自分で考えなあかん。そやないと、成長せえへんぞ」



 その日から、毎日二時間は『成立しない会話』をしていた。


 そんなある日、昼間に自室で『成立しない会話』をしていると、突然犬が吠えた。すごい吠え方だったので、様子を見に行く。すると犬は、小屋の外に出ていた。

「おい。俺はな、暑いんだよ。玄関の中にでも入れてくれ」

 と、ぴろしの声がした。

 周りを見ても、人はどこにもいない。けれど声ははっきりと聞こえた。暑さで頭がやられてしまったのかもしれない。そう思ってぼくは、犬を無視して家に入って休もうとした。

「ちょっと待て。まさかこのまま放置するつもりじゃないだろうな」

 また声がする。

「ここだ、ここ。犬だ。俺は犬だ」

 ぎょっとして犬を見る。犬は犬だった。

「そうだ。そいつが俺だ」

 と、ぴろしの声の犬が言った。

「ぼくはぴろしを飼ってたんですか……?」

「違う。今はお前のところの犬を借りているんだ。俺はな、柴犬憑依型のぴろしだ」

「とりあえず、家に入ります?」ぼくは言った。

「ああ、是非ともそうしてくれ。俺のためにも、犬のためにも」



 ぴろしによると、彼はこれまでに出会ったぴろしとは別のぴろしらしい。

「俺の本体はな、北極の、誰にも見つけることができないところにある」

 と、彼は言った。

「柴犬限定なんですか?」

 彼が玄関で犬用のミルクを飲み終わるのを待ってから、ぼくはそう言った。

「ああ。何せ五万体もいるからな。色んなぴろしがいるんだ」

「ここでこうしてるのも、マスターぴろしにはバレてるんですよね?」

「いや。俺はな、そこらへんは治外法権なんだ」

「ぴろしさんは他のぴろしさんに比べると、自由ってことですか」

「まあな。だが、俺は柴犬に憑依することでしか動けないんだ。俺の本体は、北極のでかい氷の塊に封印されているからな」

 そう言って彼は、ごろんと寝転んだ。

 そしてイビキを立てて眠った。



 夜になっても、ぴろしは目覚めなかった。ぼくはリビングでスマホを触りながらテレビを見ていた。

 家にはぼくとぴろしだけだった。珍しく、父親も母親もいない。

「おい!」

 ぴろしが、迫力のある声でぼくを呼ぶ。

 玄関に行くと、彼は何かを訴えかけるようにこちらを見ていた。

「どうしたんですか」ぼくは言った。

「散歩だ。散歩に連れて行け」彼は言った。

「でもまだ暑いですよ」

「じゃあこのリードを外してくれ。俺一人で行ってくる」

「おしっこですか?」

「……おい。あまり俺を舐めるなよ? ウンコもだ。おしっことウンコ、その両方だ。both of themだ」

「じゃあ行きますか」

 テレビからクイズ番組の司会が「本日のゲストは、何と、ぴろしさんでーす!」と言ったのが聞こえた。

 ぼくはリビングに戻る。テレビ画面にはぴろしが映っていた。このぴろしは、どういうぴろしなのだろう。

「そいつはな、俳優のぴろしだ」彼は言った。

「いや、ぴろしは俳優でしょ」

「お前、まだ分からないのか。俺たちぴろしは五万体いるんだ。そいつもその中の一人に過ぎない」

 テレビに映る俳優のぴろしは、どことなくそわそわしていた。それがぼくには、マスターぴろしに対する恐れのように感じられた。


10


 川沿いの道を、ぴろしと歩いている。彼は四回に分けて小便をして、その後で草の上に大便をした。

 日は落ちたけれど、まだ草木やアスファルトを認識できるくらいの明るさはある。夜が深くなれば、この田舎道は真っ暗だ。

「なんでぼくが選ばれたんですか?」

 と、ぼくは言った。

 彼は足を止めて振り返った。

「俺たちはな、前回の戦士が敗北してから、次の戦士を探していたんだ。それで見つけたのが、田所英二、お前だ」

「そんな特殊能力もあるんですね」

「特殊能力じゃない。お前、地域の匿名掲示板のユーザーだろ。そこで見つけたんだ」

「な、何ですかそれ」

「隠しても無駄だぞ。お前はある時そこに、とある嗜好を書き込んだ。その書き込みから、こいつは戦士にぴったりだ、と思ったんだ」

「どういうことですか」ぼくは言った。「きらりと光るものを感じたんですか」

 生ぬるい風が頬を撫でた。桜の葉が揺れて擦れ合い、ざわざわと音を立てている。

「いや、違う」彼は言った。「お前なら、ひどい目に遭ったとしても、むしろご褒美だと感じるだろうってことだ」

「ん?」


10


 家に帰ると、父親と母親がいた。

 玄関で二人、笑顔で並んでいる。不自然だ。

 ぼくは一旦外に出ようとする。

 すると母親が「どこ行くの! 待ちなさい!」と言って腕をつかんだ。

 手を振り払おうとするも、母親の力が想像以上に強くてできない。

「英二!」と、ぴろしが外から叫ぶ。「そいつらは、変身を得意とするカメレオンぴろし兄弟だ!」

「は?」

「とにかく、このリードを外せ! そいつらは敵だ! お前の親じゃない!」ぴろしは言った。

 母親はぼくの腕をつかんだまま、小屋の前にいるぴろしを見て笑顔を消す。そして「こんなところにいやがったか。P07」と言った。

「どけ。俺が始末する」

 父親が、ぼくを押し退けて外に出る。その瞬間、母親の力が少し緩んだ。ぼくはその隙を逃さず手を振り払う。そして父親をダッシュで追い越して、ぴろしのリードを外した。

「ようし、これで俺たちの勝利は確定だ!」

 と、ぴろしが言った。

 父親はスライムのようにぐにゅぐにゅと動いて、ぴろしになった。

 その奥に見える、母親も同じようにぴろしになった。

 今、ここには三体のぴろしがいる。

 ぴろしとぴろしが小屋の前で睨み合っていて、ぴろしが玄関先でそれを見ている。

 先に動いたのはぴろしだった。彼は自分の尻尾を追いかけて回り始める。ぐんぐん速度が上がっていった。彼は回りながら浮き上がって、小さい台風になった。そしてぴろしに突撃した。

 パンッ!

 破裂音がして、ぼくは耳を塞ぐ。

 見ると、ぴろしは裸になっていた。破れたスーツが地面に落ちている。

「まさか、硬化スーツを破るとはな」

 そう言ってぴろしはニヤリと笑った。ぴろしはぴろしを締め上げることで回転を止める。そしてそのまま潰そうとしていた。

「おい、やめろ!」ぼくは言った。

「やめろと言われて、やめると思うか?」

 ぴろしは、恍惚とした表情を浮かべている。

「え、英二、あ、あれをしろ」

 と、ぴろしが苦しそうに言った。

「あれって何?」

「せ、成立しない、会話」

「……はっ! 分かった!」

 ぼくはぴろしに話しかける。「なあ! 最近どう!?」

「マスターの指示で、お前を殺すように言われてな。それで、準備や移動で忙しかったよ。だが、それも今日で終わりだ。ミッション完了。やっと元の生活に戻れる」

 答えてくれるのかよ。てっきり無視されると思っていた。さあ、ぼくの番だ。

「しょめろ元の生活にしゃがっちょ戻りメロン。どうするんってミッションはそれファミレスの一人息子ですよね?」

 時が止まったかのような静寂が訪れる。ぼくは思わず後ずさりする。

「何だそれ、は、どういう、意味、だ……ぐはっ!」

 と、ぴろしは血を吐いて倒れた。

「ジャンゴ!」

 そう言ってぴろしがこちらに向かって来る。

「来るな! 来たらお前も倒すぞ!」ぼくは言った。

 何だか、生きている感じがした。

 ぴろしが立ち止まる。「くそっ。俺たちだって、好きでこんなことをしてるわけじゃないんだ」


11


 リビングには犬とハリウッド俳優のレオナルドデップ、そして若手女優の吉岡みなみがいる。

 もちろん、犬もレオナルドデップも吉岡みなみもぴろしだ。

「まず、何て呼べばいいですか?」

 三人がけのソファにはぴろしとぴろしが座っている。ぴろしはバスタオルを敷いた床の上にいる。

「俺たちはコードネームで呼び合っている」ぴろしが言った。「俺は、ジャンゴだ」

「俺は、ピーキーだ」ぴろしが言った。「この犬は、正式にはP07だ」

「じゃあお二人のことはそう呼びます。P07は、ちょっと呼びにくいですね」

「俺は何でもいいぞ」ぴろしが言った。「好きにしろ」

「そう言われても……」ぼくは辺りを見回す。するとゴミ箱にあるビールの空き缶が目に入った。「じゃあ、プレモルで」

「プレモルか、いいだろう」ぴろし、もといプレモルが言った。「で、親はどうしたんだ」

「なんか、旅行してるらしいですね」ぼくは床に腰を下ろして、あぐらをかいた。「攫われたんかと思ってました」

「俺たちはそんなことはしない」ジャンゴが言った。

「ていうか、二人は何で生きてるんですか?」

「おいおい、無礼だな」

 そう言ってピーキーが立ち上がった。見た目が吉岡みなみなので威圧感はない。

「それはな」プレモルが言った。「俺が結界を張ったからだ」

 散歩の時にした小便が結界を作っている。そして結界の中にいるぴろしには、マスターぴろしは何もできない。と、プレモルは説明した。

「こいつはな、プレモルは、三千体のぴろしを束ねる反乱軍のリーダーだったんだ」ジャンゴが言った。


12


 1999年7月に恐怖の大王がやってきて、地球は滅亡する。そう予言したノストラダムスは、ぴろしのオリジンだった。始まりのぴろしであるノストラダムスには、歴史から消されたある能力があった。それは自己複製だった。ノストラダムスは、自己複製によって数を増やした。複製したのは七体。その内の一体がP07、つまりプレモルだった。

 ノストラダムスが亡くなった時、彼は手にぶどう味のグミを握っていた。そのグミを食べた者は、自己複製の能力と、複製したぴろしの生殺与奪の権利を得る。死の直前、ノストラダムスは共有機能を使ってそのことを七体のぴろしに伝えた。

 そのことを伝えられた時、プレモルは原宿にいた。フランスまで遠いし、グミのためだけに帰るのは面倒くさい。そう思って、プレモルはグミを諦めた。

 グミを食べたのは二番目のぴろし、P02だった。P02はP05と結託し、P01を殺害した。そしてP02はP05を殺害した。P03とP04はプレモルと同様、グミを求めなかった。

 そのグミを食べたP02が、マスターぴろしらしい。


13


 プレモルが反乱を起こしたのは1920年代だった。その頃、ぴろしは九兆体いた。P02、つまりマスターぴろしはとんでもないペースで自己複製をしていた。世界中どこにでもぴろしがいた。石を投げればぴろしに当たり、石を投げるのもぴろしだった。

 プレモルはその状況に危機感を覚えた。このままでは世界がぴろしに埋め尽くされる。というか、もうすでに埋め尽くされている。その頃プレモルが滞在していたインドでは、十人に十三人がぴろしだった。何とかしなければいけない。そう思っていた時、プレモルの前にP04が現れた。彼もプレモルと同様、現状に危機感を抱いていた。そこでプレモルとP04は協力して、マスターぴろしを倒すことにした。

 P04の特殊能力は、人間の改変だった。対象者の容姿や性格、記憶を変えることができる。

 二人はまず、マスターぴろしの居場所を探すことにした。記憶や行動が共有されるのはマスターぴろしと彼が複製したぴろしの間だけなので、マスターぴろしの複製ではなくぴろしのオリジンの複製であるプレモルとP04にはマスターぴろしの居場所が分からなかった。

 何の手がかりもなく、三年が過ぎた。そこで二人は作戦を変更し、目に付いたぴろしを片っぱしから改変することにした。マスターぴろしが複製するよりも早いスピードで改変すれば、増加を抑えられる。根本的な解決にはならないが、この状況を放置するわけにはいかない。やれることをやる。二人はそう決心した。

 改変の条件は、対象者に触れることだ。

 二人は自転車で世界を巡った。二人乗りで、プレモルがペダルを漕いでぴろしに近づき、後ろのP04がタッチして改変する。二人はこれを「チャリタッチ作戦」と呼んだ。

 チャリタッチ作戦を始めてから五年が経ち、ぴろしの数は九兆体のままだった。改変しなければ、十二兆体になっていたらしい。つまりP04は、三兆体のぴろしを改変した。プレモルの足の筋肉は、常人の千倍になっていた。一漕ぎで一キロ進んだらしい。

 とはいえ埒があかない。そこで考えた結果、二人は「改変の雨」を降らせることにした。P04の体内にある改変成分を含んだ雨を世界中で降らせることで、ぴろしを一斉に改変しようとしたのだ。

 二人が頼ったのは、アインシュタインだった。二人の頼みを聞いたその翌日に、アインシュタインは「改変雨玉」を発明した。

 某日、二人はヒマラヤの頂上にいた。そこでプレモルが、改変雨玉を天高く蹴り上げた。

 改変雨玉は上空で大きな音を立てた。そして世界中で改変の雨が降った。これによりほとんどのぴろしがミワコになった。

 これに気付いたマスターぴろしは、約九兆体のミワコを消滅させた。

 それからはイタチごっこだった。マスターぴろしが自己複製をしてぴろしが増えると、プレモルが改変雨玉を蹴り上げる。そうした攻防が十年ほど続いた後、プレモルとP04は再び本体であるマスターぴろしを狙うことにした。

 マスターぴろしの居場所は、以前よりも探しやすかった。というのも、アインシュタインがぴろしレーダーを作ったのだ。そして、ぴろしが集中的に増えている地域があった。それは日本の、関西だった。

 二人は規模が小さい代わりに、より強力な改変雨玉を作ってもらった。これによって降らせた雨に触れたぴろしは、マスターぴろしとの回線が遮断され、二人の味方になる。この改変雨玉には、そういう成分を含ませていた。そして結果的に、三千体のぴろしが味方になった。なお、この強力な改変の代償としてP04は命を落とした。

 そして一人になったプレモルはとうとう、マスターぴろしの居場所を突き止めた。それはぼくこと田所英二が住んでいる、関西のとある田舎だった。


 プレモルは三千体のぴろしを引き連れ、所有者不明の山を分け入り、無限に湧いてくるぴろしと戦いつつ、やがて巨大な八本脚が付いた漆黒の樹を見つけた。それが現在まで続く、マスターぴろしの姿だった。

 十日間に及ぶ戦闘と交渉の結果、プレモルはマスターぴろしに、自身が封印されることと引き換えに、これ以上ぴろしの操作と複製をしないことを約束させた。それは決して破ることのできない「ぴろし同士の約束」だった。そのはずだった。

 想定外だったのは、あらゆる約束を反故にできる、反故師の存在だった。彼女の名はエマ。マスターぴろしの妻だ。


14


 ……これ以上書くと、私が作中世界を創造したゴッドぴろしであることが、作中世界のメタぴろしに気付かれる。そうなれば、現実と作中世界を繋ぐ「ぴろしトンネル」が開通してしまう。なので、もう結末だけ書いて終わりにする。


15


 ぼくは、白目と黒目が逆のおじさんを言語サーベルにして、マスターぴろしを倒した。マスターぴろしは液状になり、山奥の腐葉土に染み込んでいった……。


 そして選挙が行われ、次期マスターぴろしは寂しくなると発光するぴろしになった。

「俺は何もしない。好きにしろ。以上」

 所信表明演説で、寂しくなると発光するぴろしはそう言った。

 演説会場である国立競技場には、五万体のぴろしが集結している。恐竜のぴろしや冷蔵庫のぴろし、サラダ油のぴろしなどがいた。

 ぼくはまだ、自分がその内の一人であることを受け入れられなかった。

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凪の日常、ぴろしの嵐 いわもと @momonoketsu

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